「5月に全国大会があるから出場しろ?」
「はい。先輩も復帰してから数ヶ月経ちますし、出てみてはどうでしょう?」
「まあ、確かに身体的に問題はないからな。出てみるのも一興か」
部活の練習が終わり、学校内の食堂で一息付いていた紘平に全国大会に出ないか? という話題が振られた。
紘平が競技に復帰してから既に数ヶ月が経過した4月。愛生から全国大会に出ることを進められた紘平は、実戦の感覚を取り戻すには良いタイミングだということで大会に出場することを了承した。
紘平の足と肺の経過は順調の一言であり、拒否反応が起きることもなく彼の身体に馴染んでいる。
まあ、絶対に疲れないというチートにも程がある能力を手にしたことを良いことに、紘平は以前の数倍以上の負荷を肉体にかけているが……。
「なあ、大会に出るのは構わないんだが……お前は何時まで俺のことを先輩と呼ぶんだ? 今年からクラスメイトだろ。敬語だって使わなくても大丈夫なんだが……」
「先輩は何時までも先輩ですよ。そう簡単に変えられる認識ではないです」
「そうは言ってもなあ。真衣は俺のことを“紘平”って呼んでるし、敬語も使わなくなったから違和感が凄まじいんだ」
紘平は昨年度に留年することを決めているため、学校内で紘平と愛生たちは同い年である。彼は敬語を使われるのを元から嫌っているタイプの人間のため、せめてクラスメイトには敬語を外して欲しいと何度も言っているのだが、愛生を筆頭に未だ敬語を使う者が多い。
真衣のように、これ幸いと敬語を外して友達のように喋れる者は超少数派とも言える。
「他の人は知りませんけど、私は多分このままだと思いますよ? 私にとって先輩は何時までも先輩ですからね。それに、尊敬している人に敬語を外すのは少し……」
「尊敬されるような事は何一つしてない気がするのだが」
「また株を上げるような事を言いますね。自分の命を投げ出してまで人を救う行為に尊敬しない点はありませんよ?」
「目の前で消えそうな命を見捨てられるわけがないだろう。俺の過去を知っている愛生なら、それはよく分かるはずだ」
目の前で多くの命が消えるのを見てきたからこそ、自分の命を第二に考えて誰かの命を救おうとする紘平。これを聖人君子の行動と見るか、それとも単なる自己満足と見るか。彼のこのスタイルに関して、学校では日夜議論が白熱していることを彼は知らない。
もっとも、彼が知る必要はない事柄であるが。それに、誰かが彼に話さない限り気がつくこともないだろう。
「あまり命を軽んじられても困りますけどね。まあ、とりあえず大会には出るんですよね?」
「だな。一応全国大会だし、構成は自分の限界ギリギリで調整するさ」
「……無茶しないでくださいね?」
「約束は出来ないなあ……」
「むう……」
複雑そうな表情を浮かべる愛生に、紘平は苦笑いしながら頭を軽く叩いて立ち上がった。窓を見て時刻が夕方近くだと悟った紘平は、そのまま食堂の出口へ向かう。その後ろを、愛生がパタパタと追いかける。
そこへ、後からやって来た真衣が混ざってあっという間に両手に花状態が完成。食堂で働く職員たちは、最早いつもの光景と化したこの状態に優しく微笑みかけるのだった。
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5月。紘平たちトランポリン部内で選抜された数名は、大きい湖が真下に見えるホテルに泊まりに来ていた。理由は勿論、翌日に全国大会が控えているからである。
部屋はここ最近、肺炎が流行っているのもあって一人部屋が割り当てられている。
「……静かだな」
窓から覗く月明かりを見つめ、空に広がる星座を眺めながらそんなことを零す紘平。一人で居ることに抵抗は持たない紘平だが、空調の音しか聞こえない状況には少々ウンザリしていた。
春の夜空に優しく輝く“春の大曲線”や、旅人の道を指し示す“北斗七星と北極星”を見つけたものの、何処か物足りない気分の紘平。春の星空で目玉となる物は大体見つけてしまったからだろう。
今更確認することはないよなあ。構成は嫌というほど頭にも身体にも叩き込んだし、足と肺のメンテナンスも済んでいるし、本格的にやることがないなあ。
そんなことを心で思いながら、何処か物足りない天体観測を続ける紘平。その時だった。
コンコン
「……誰だ?」
「紘平、起きてる? 真衣だけど」
「はあ? 何でここに来た」
「ちょっとお話したいな……ってね」
「………」
普段から悪い人相が更に悪くなりつつも、紘平はドアをガチャリと開けた。流石に夜中に訪ねてきた女性を放置するほど、彼の心は冷え切ってはいないのである。
ドアの先には、長袖長ズボンにパーカーを着込んだ真衣が待つ。彼女の姿を見た途端、ほんの僅かな間だけ紘平は真衣に見とれたが、すぐに気を取り直した。
「……で、何故やって来た?」
「言ったじゃん。お話したいんだって」
「話す事なんてあるのか? 明日の事で何か聞き逃した連絡事項でも?」
「相変わらず釣れないね。それとも鈍感なフリをしているだけ? まあ、そんなことはどうでも良いんだけど……」
勝手に部屋に上がり込み、ベッドに腰掛ける真衣のことをジト目で見やる紘平。真衣のことを嫌っているわけではないものの、同学年になってから妙に距離感が近い真衣にタジタジなのである。
心の動揺を隠すために紘平はなるべくポーカーフェイスを心がけているのだが、真衣には残念ながら通じていない。むしろ、ポーカーフェイスを心がけるほど心境に変化があったのだと思われていたりする。
ちなみに紘平の愛生に対しての心境はそこまで変わっていなかったりする。愛生の紘平に対する態度がそこまで変わっておらず、二人にとって近すぎず遠すぎずの距離を保っているのが原因だ。互いに心境を尊重しているのか、チキンなのか。人によって意見は分かれるだろう。
「それじゃあ、話って何だ? 俺にはこれっぽっちも見当が付かないんだが」
「まあ、お話といっても他愛のない物よ。貴方にとっては重要かもしれないし、そうでもないかもしれない。そんなお話だから」
「ますます分からないぞ。もうそれなりに遅い時間だし、出来れば帰って明日に備えて欲しかったんだけどな」
そうは言いつつも、真衣の隣に腰掛けて彼女の目を真っ直ぐ見つめ、話を聞く態勢を整える紘平。なんだかんだで真衣にも甘いのだ。
透き通るような右目に真っ直ぐ見つめられたことによって真衣の心拍数は一気に跳ね上がる。学校では人気アイドル並に人気のある紘平の顔は、当然の如く造形の整ったイケメンだ。
片目を隠すほど長く、サラサラな髪の毛。少し切れ長の目。外国人らしい高い鼻。其れ等全てと見事に調和している口元。美女に見つめられたら男がドギマギするのと同じように、イケメンに見つめられれば女もドキドキする生物である。
「え、えっとね。紘平が高校に入ってから三年が既に経過してるわけだけど、好きな人の一人や二人は居るのかなって」
「何かと思えばそんなことか? 夜中に訪ねてくるものだから、余命があと少しで怖くて仕方がないといった、アホみたいに重たい話かと思ったぞ」
「そんなことってバッサリ切って捨てるのも中々酷くない? 冷め切った正確なのは百も承知なんだけど、流石に傷つくよ?」
「そいつは困るな。女の恨みを買うのは面倒なことこの上ない」
「だったら切って捨てるのは止めてくれませんかねえ。今までどれだけの女の子が切って捨てられて傷ついてきたか」
「そ、そうか。善処しよう」
真衣の口撃によって普段のポーカーフェイスが崩れる紘平。少しどころか、かなりタジタジである。
ちなみに、これまで紘平が告白された時にバッサリ切って捨てた回数は高校生の間だけで軽く百を超えている。それでも尚、切って捨てる理由は一つ。単純に、また殺されるのが怖いからだ。
彼はもう一度、大切な人が死ぬという場面に立ち会えるほどの心は持ち合わせていない。人間はいつか死ぬことを十全に理解しながらも、やはり耐えられないと悟っている。
「だがなあ。俺は恋愛をする気にはなれないぞ」
「へえ、それは何故? 当然、何かしらの理由はあるんでしょ?」
「そりゃな。理由なく恋愛をする気にはなれないとか、ただの痛い野郎じゃねえか。“俺って何事にも無関心。格好いいだろ?”的なアピールに見えると思うな」
「なら、尚更気になるんだけど。あれだけ好意をぶつけられてるのに応じない理由をね」
彼女もまた、知ろうとしていた。人の黒い過去を。闇に葬り去りたい、哀しい現実を。
実は、真衣は愛生から紘平の過去を抜粋ながらも聞いてはいた。内容はそれなりに把握しており、自分なりの仮説も立てている。それでも、真衣は本人の口から真実を知りたかった。第三者を介した話だけを信じるのも危ういと考えた、真衣なりの考えである。
「……あまり、話したくはないな。メンタル的にだが、明日に響くかもしれない。聞いてて面白い話でもないぞ」
「あのさ。この際だからハッキリ言うけど、好きな人の過去を知りたいのは当然だよ?」
「は? お前……今、なんて。好きな人?」
「………はっ!?」
意識しないうちに口を滑らしたことを察したのか、「しまった!」というような表情を浮かべた真衣が分かりやすく頬を紅潮させた。
紘平もまた、ポーカーフェイスを崩すほど心を動揺させている。多少は真衣のことを“女”として見ていた紘平にとって、失言で判明したとはいえ真衣の本心は大きく心を揺さぶる物であった。
しかし、動揺しているのは真衣も同じである。ポロッと零した言葉は嘘偽りのない言葉であるのだが、思わぬ失言によって彼女の心は台風直撃を受けたかのように荒れ狂っている。
「え、えっと。その……」
「お、おお落ち着け。まずは深呼吸をしろ。焦っていたら話にならないだろ」
「ひっひっ、ふう。ひっひっふう……って、これじゃあダメだ。これは過呼吸治すための奴で、深呼吸は……」
「だから落ち着け! ゆっくり息を吸って、またゆっくり息を吐き出せ! ……そうだ。また息を吸って吐け。よし、それを繰り返すんだ」
「……ふう、ありがと。すっかり落ち着いて……って、何で抱き締めて背中を摩ってるの?」
現在、紘平は真衣のことを正面から抱き締めて背中を優しく摩っている状態である。傍から見れば完全に恋人同士がするような態勢であり、普通に考えれば恋愛事でパニックに陥った人を落ち着けるための行動ではない。
ところが、紘平の表情は羞恥の色一つすら見せていない。さも当然のことをやったまで! という物だ。
「いや、俺の妹は喘息による過呼吸をよく引き起こしていてな。落ち着けるために、よくこうして抱き締めて背中を摩っていたんだ。実際にこれで落ち着いてたから行動に移した」
「そ、そうなんだ。にしても、恥ずかしくないの? ほら、異性に抱きつくって……」
「妹で慣れてるからな。とりあえず落ち着いたみたいだから離れるぞ」
「あ……待って。もう少しだけこのままにして。紘平の心臓の鼓動、なんだか落ち着くの」
離れようとする紘平を強く抱き寄せると、その胸に顔を埋めた真衣。紘平の過去を本人の口から聞くよりも、今現在進行中である“イレギュラーだけど確かな幸せ”を噛みしめることにしたのだ。
しかし、当初の目的もやはり果たしたい真衣は、その状態で再度質問をした。
どうして、恋人を作ろうとしないの? と。
紘平は、真衣の図抜けたメンタルの強さに半ば呆れ果てつつも、投げかけられた質問にはしっかりと答える。
表情を完全に消し、愛生と話した内容と全く同じ順序で己の暗く澱んだ過去を余さず伝えていく紘平。
恋愛に興味はある。だが、恋愛感情を持たないように注意している。自分には昔、恋人が居た。幸せだったが、同時にやっかみを受けた。最終的には家を焼き払われ家族も惨殺された。恋人も目の前で犯された後に皮を一枚一枚剥ぐかのように殺され、死んだ後も尚、犯され続けていた。
「ここまでは、愛生にも話したことはある。この時点で愛生は泣き出して嘔吐し、話を続けられなかったが……お前は大丈夫か?」
「……大丈夫。かなりヘビーな話だけど、まだ大丈夫。まだあるなら、続けて」
「分かったよ。無理するんじゃねえぞ」
紘平は話を続ける。その後、大切な人を全て奪った人間に復讐するために様々な準備をした。ネットを駆使してナイフや鎖を手に入れ、人間の急所を徹底的に調べ上げることで確実に“殺せる”ように努力した。復讐対象の行動パターンを完璧に把握し、どのような順番で実行に移せば良いかを練りに練った。
だが、道具や情報を用意して復讐に乗り出そうと思ったとき、どんな屑にも大切な人間は居ることに改めて気がついた。それを奪われた悲しみは想像を絶する物であり、その苦しみは自分が一番知っていた。
結局、復讐を果たすことはなく引っ越すことにした。中学生を卒業するまでは近所の親戚に世話になり、高校生になってから一人で上京した。送金はしてくれているし、家事も覚えたので生活は何一つ困っていない。
「復讐を果たしてしまえば、俺は恐らく生きることすら捨ててしまったと今は思う。だから、結果的には良かった。これで、良かったんだ。傷ついたのは俺だけで済んだから……」
そう話を締め括り、フッと息を吐き出した紘平は目を伏せる。瞼裏には様々な思い出が走馬灯のように駆け巡っているのか、ほんの僅かに眉が下がっている。
その時、ここまで顔をずっと紘平の胸に埋めていた真衣が顔を上げた。
「過去に、縛り付けられているんだね。復讐を果たさなかったから、心がまだ、死んでしまった恋人さんに縛り付けられているんだ」
「間違いではないかもな。お前には悪いが、あいつ以外を恋愛対象として見ることは……」
「……ねえ。さっき、傷ついたのは自分だけと言ったよね。紘平の行動によって、救われた命や心は沢山あると思う。でも、貴方は? 貴方の心は、いったい何時になったら救われるの?」
少し不機嫌そうな顔で、しかし紘平のことを本気で心配している瞳で彼のことを見やる真衣。紘平があまりにも優しかったが故に、彼の心は過去の亡霊に縛り付けられてしまっている。
しかし、そのことを自覚しながらも“それで良かった”と諦め半分に言う彼のことを真衣は許すことが出来なかった。
その気持ちは、自分が恋人として受け入れられないからという生半可な気持ちではなく、純粋に紘平の助けになりたいという真っ直ぐで直向きな気持ちから来ている。
「俺の心、か。救われる、救われないは正直どうでも良い。幸せになれた人が一人でも増えるなら、それで良いんだ」
「……バカッ! 貴方のことを本気で慕っている人の気持ちを無辜にするって言うの?!」
「人間は外見しか見ない者が殆どだ。全員とは言わないがな。本当に心の底から慕っているかどうかは分からない。俺はもう、誰かのことを深く信頼することは出来ないから、誰の期待に応えることもしない」
「そんなこと……誰も望んでいない。私も、愛生も。貴方のことを慕っている他の人たちも! 貴方が不幸になっても欲しいとは思っていない! 亡くなった家族の方も、恋人さんも、貴方が不幸になって欲しいなんて思ってないはずよ!」
「………」
「貴方が幸不幸に無頓着なのは分かったわよ。なのに、どうしてそんな顔するのよ! どうして、そこまで辛そうな表情を浮かべるのよ!」
紘平が黙りこくったことを良いことに、真衣が畳みかけるように言葉を投げかける。対する紘平の表情は、“分からない”。
真衣なら勿論、愛生や彼の家族。挙げ句の果てには彼の昔の恋人ですらも何を考えているのか分からない表情なのだ。右目は光を完全に失い、瞳孔が開いているようにすら見える。口元一つ動かさない彼の顔は、正しく能面と言うに相応しい。
何を考えているのか、これっぽっちも分からないという恐ろしい紘平の表情に、真衣は口を閉じた。
まともに直視しては、失われた左目に出来る深淵に呑み込まれてしまいそうになるほどに空気が張り詰めた。軍人や格闘家といった、命のやり取りに多少の心構えがある者なら迷わず警戒心をマックスするであろう。そんな空気だ。
「……一人に、させてくれ」
「紘平……!」
「誰とも話したくない。頼むから、早いところ出て行ってくれ」
「待って! まだ話は『出てけ!』ッ……!」
「出ていってくれ。頼む。俺が、お前に対して手を出さないうちに出てけ!」
「こう、へい……」
有無を言わせない迫力に、真衣は力なく立ち上がると、そのまま部屋を出て行った。
紘平は、真衣が立ち去った部屋の中で一人頭を掻き毟る。脳裏に浮かぶは、彼のことをゴミのように見下した人間以下の屑。それに対する殺意と憎悪の念があまりにも大きすぎて、紘平の脳内はオーバーヒート寸前だ。
何も、真衣が悪いわけではない。彼女は自分の探究心に忠実であっただけだ。そのことを十全に理解しているが故、彼は真衣に対しては特に負の感情を向けていない。
その負の感情は、全て“過去”へと向けられる。途方もなく大きな感情は、行き場を失って遂には彼の意識を完全にシャットダウンするにまで至った。
紘平のことを半狂乱にするまで大きすぎるトラウマ。その暗い影は、少しずつ。しかし確実に紘平の元へ近寄ってきていることに、誰も気がつくことはない……。
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