陽光がさんさんと降りそそぐある日の午後に、似つかわしくない光景が広がっていた。厳重に締め切られた部屋の前で、数人の男たちが深刻な雰囲気を漂わせていたのだ。その数7人。内5人は鬼殺隊が誇る最高戦力、柱の面々である。
部屋の中からは時折苦しげな声が漏れ、そのたびに男たちは落ち着かない様子で体を揺らしている。中でも、産屋敷耀哉の様子は普段からは考えられないものだった。普段浮かべている落ち着いた微笑みは影を潜め、両の手は爪が食い込まんばかりに固く握られている。
「お館様……お気持ちは察するに余りありますが、どうか落ち着いていただきたい。確かに我々にできることなど何もありませぬが、ことが済んだのちにお館様がお体を傷つけたと知れれば皆が悲しみましょう」
見かねたのか、炎柱である煉獄槇寿郎が静かに進言した。既に数度目となる進言に、された側である耀哉が苦笑を漏らす。
「何度もすまないね、槇寿郎。以前から話は聞いていたし想定もしていたのだけれども、やはり想定と実体験とでは天と地の差があるようだ。
こんなところを見られてしまっては、皆の父親としても失格かもしれないね」
自嘲する耀哉へ、居並ぶ柱たちは慌てたように次々と声を上げる。
「そんなことはありません! 私がお館様の立場であれば、見苦しく取り乱したことでしょう!」
「儂もついぞ経験がありませんでしたが、お館様のように冷静にはいられなかったでしょうな」
「僕から見ても、お館様は十分落ち着いていらっしゃいます!」
「南無阿弥陀仏。お気になさることはありますまい。今のお館様を見苦しいなどと思う者は、人の心を持たぬのですから」
「皆、ありがとう。
でも、そろそろ静かにしようね。産婆さんに怒られてしまう」
耀哉の視線の先には、僅かに開いた襖の隙間から射殺さんばかりの目つきで男たちを睨む産婆の姿があった。男たちが身を縮こませ口を噤んたことを確認し、産婆は素早く襖を閉めて自らの仕事に戻った。
鬼気迫る様子を見た槇寿郎は、恐る恐る口を開く。
「瑠火の出産を頼んだ産婆だけかとも思っていたが、出産を前にした産婆はああも恐ろしくなるのだな」
「炎の、お主なにやらやらかしたのか?」
「初産のときに騒いでな……しこたま叱られ屋敷から叩き出された。下弦の鬼よりも恐ろしかったぞ」
苦虫を嚙み潰したような槇寿郎の様子に、僅かに場の空気が緩んだ。それを感じ取り、先ほど唯一口を噤んだままだった狼が耀哉に向けて布包みを差し出した。
「狼、これは?」
「仏でございます。帰るためのものですが、気休めにはなるかと」
布の中から現れたのは、常に持ち歩かれているために角が取れ丸くなった木彫りの仏だった。それを見て、耀哉の頬が僅かに緩む。
「必ず帰る狼が持つ仏様だ、きっと御利益があるだろうね。
ありがとう、狼」
木彫りの仏を壊れ物を扱うかのように持った耀哉は、気のせいか先ほどよりも緊張が和らいだように見える。主を敬愛する柱たちは、狼へよくやったと声に出さず歓声を送った。幾人かは耀哉に見えないよう、狼へとこぶしを握って見せてまでいる。
断続的に聞こえてきていたあまねの声は聞こえなくなっている。産婆が落ち着かせたためだろうが、その静けさはかえって想像を掻き立ててしまうものだ。重苦しい空気を換えるため口を開いたのは、影柱である影蔵伸三だった。
「いやしかし、最終選別の挨拶を終えてすぐの夜明けに産気づくとは。あまね様は流石産屋敷のご家内といったところですな。この影蔵伸三、感服いたしました。我々柱一同が立ち会えるとは思っていませんでしたからな、日中であることに感謝いたしましょう」
年の功というべきか、おどけたような口調の影蔵は見事空気を換えることに成功した。
「とはいっても、最終選別の事後処理はまだ終わっていないのだけれどね。あまねに無理はさせられないから、みんなにも何か手伝ってもらうかもしれない。よろしく頼むよ」
「我ら一同、お館様の望みとあらば鬼だけでなく書類も撃滅してご覧にいれましょうぞ」
反射的に言ってのけた天水清右エ門だったが、年齢もあってか柱の中で彼が最も書類仕事を苦手としていることは言わぬが花だろう。盲目のため、書類仕事そのものができない悲鳴嶼行冥を除いての話ではあるが。
その悲鳴嶼は、先ほどからひたすらに数珠を鳴らして念仏を唱えている。小声でありあまねの無事を祈っての行為であるとわかっているためだれも止めないが、知らぬ者からすればとんだ恐怖体験となるだろう。
とはいえ、物事には限度というものがある。怒れる産婆が襲来する前に、とめておいたほうが無難というものだ。
厳正なる視線による会話の結果、その役目は同期であり交流も多い狼のものとなった。
「悲鳴嶼、落ち着かぬのはわかるが程々にしておけ。度が過ぎあまね様に聞こえでもすれば、却って迷惑となる」
「むう……たしかに、褒められた行為ではなかった。できるだけ静かに過ごすとしよう」
自分の行為を顧み迷惑だったと素直に判断した悲鳴嶼は、数珠を懐にしまい無言で祈り始めた。口の動きを見るに、内心ではひたすらに念仏を唱えているのだろう。それを見た狼がならって祈り始め、自然とその場の全員が祈る流れとなった。出産に大きな危険が伴う時代、男ができることはその程度のことしかなかったのだ。
そうしてあまねの呻き声の中男連中が静かに祈り始めてからしばらく経ったとき、突然赤ん坊の産声が周囲に響き渡った。鍛え上げられた歴戦の剣士が相手であったにもかかわらず、真っ先に耀哉が反応したのは父の力といえるだろう。すぐさま襖の向こうへと駆け寄りたい体を意志の力で抑え込み、居並ぶ男たちをゆっくりと見渡す。
「どうやら、無事に生まれてくれたようだ。皆のおかげで私も取り乱すことなく……」
礼を言う耀哉の声を遮り、再び産声が響き渡る。最初はあっけに取られていた男たちだったが、それを理解すると浮かんでいた笑みが一層深くなる。
「お館様、どうやらお子様は双子である様子。これは一層の祝辞を……」
喜ぶ槇寿郎が発する興奮気味の声を押さえつけるようにして、みたび産声が響いた。その場の全員が思わず顔を見合わせるが、事態は待ってくれない。困惑する空間へ四度、そして五度目の産声が届いた。
「失礼いたします」
奇妙な沈黙が満ちる空間へ、襖をあけながら産婆が声をかけた。顔を出したということは、出産後の処置は無事に済んだということなのだろう。
「母子共に健康でございます。元気な赤子でございますよ」
「ありがとう、それはあなた方のおかげだ。
ところで、さきほど産声が数度聞こえたんだけれども私の子が息を詰まらせでもしたのかな?」
耀哉の推測は、常識的な観点から見れば至極当然のものだ。羊水が喉に詰まり、産声を上げられなくなる子供は多い。産婆の処置によりつまりが除かれれば、再び泣き出すために複数回の鳴き声が聞こえるのだ。
しかし、現実は時として予想もしない事実を突き付けてくるものだ。
「いえいえ、お子様方は皆元気で何の問題もなくお生まれになられました。
まあ、なんせ五つ子ですからね。聞き違いとお思いになるのも無理はないでしょう。私も長らく産婆をしておりますが、五つ子をとりあげるのは初めてです。長生きはするものですねぇ。先生も驚いていましたよ」
産婆の言葉に、耀哉を筆頭とした男たちは思わず硬直した。常識的に考えれば、同時に生まれる子供は多くても双子までなのだ。三つ子ですら噂に聞く程度であり、子供の数が増えるほどに死産の可能性は上がる。五つ子でありながらも母子共に健康であるなど奇跡と言っていいのだ。
「ひとまず落ち着きました。さあ、お子様と奥方のところへ」
産後処置後の片付けを終えたらしく、医者が耀哉を室内へと招き入れた。当然ながら部外者である他の男たちに入室許可が出るはずがなく、耀哉は一人であまねと生まれたばかりの子供たちの顔を見に部屋へと入っていった。
「それでは、我々はこれで失礼いたします。
皆様、くれぐれも奥方と子供に無理をさせぬよう。まずありえない五つ子をお産みになられたのです、どのような影響が出るのがまるで予想がつきません。
当然、お館様へのお祝いもほどほどになさってください。あのお方もお疲れです、一人でゆっくりとお休みになる時間が必要になりますから」
それではと一礼し、藤の家に連なる医者と産婆は駆け寄ってきた隠に背負われ産屋敷邸を去っていった。
男たちはその背が見えなくなるまで静かに見送り、見えなくなった途端に影蔵が柱付きの隠を呼び寄せた。
「宴の用意だが、予定通り屋敷へ運び込むように」
「待たんか影蔵!」
「そこの隠、止まれ」
隠が走り去るよりも早く槇寿郎が影蔵を、影蔵付きの隠を越津が制止した。気づけば、隠の前ではいつの間にか移動した狼が進路を塞いでいる。瞬発力と反応速度において狼の右に出るものは、現鬼殺隊には存在しないのだ。
「隠は不問にするとして、問題はおまえだ影蔵。
先ほどの医者の話を聞いていないとは言わせない。にもかかわらず、何故お館様に負担がかかる宴をしようなどと考えた」
ふざけた回答は許さないと気迫で伝える槇寿郎に対して、影蔵は至極落ち着いた様子だ。
「あまり見くびらんでほしいな。そもそもあまね様の腹部の大きさから、かなりの難産になるだろうと予想はついていた。さすがに五つ子とまでは思わなかったがな」
「ならばなぜ!」
いきり立つ槇寿郎を手で制し、影蔵は調子を崩さずに続きを話す。
「故に宴といってもごく大人しいものを用意してある。事前にこの身の予想をお館様にもお伝えし、許可もいただいている。
酒は一人数杯、料理も胃腸に優しいもののみを集めた。おぬしらの心配する、お館様方に負担をかけるようなものではない。
冷める前に料理を用意させ、その間に説明しようと思っていたのだ。ちと考えが浅かったな、すまない」
深々と頭を下げる影蔵に、その場の全員がなんともいえない居心地の悪さを覚えた。
「いや、その……なんだ。
こっちこそすなまかった。はやとちりで言葉が荒くなってしまったな。」
「こちらの説明不足が原因だ。気にするな」
声に出して責め立てた槇寿郎が頭を下げ、影蔵が応じたことでひとまずこの場は収まった。
「では、早急に準備へと取りかかりましょう。幸い、今からならば日が沈む前に小規模宴会程度ならば開けそうですし」
天水の言葉をきっかけに、男たちは一斉に動き始めた。特に事実上妨害したことになる槇寿郎、越津、狼の動きはめざましくあっと合う間に宴会席が整えられる。ほどなくして疲れ切った隠たちから食事が届けられ、耀哉を呼びに向かった影蔵以外の男たちは割り当てられた机で主の到着を待つ格好だ。
ほどなくして、影蔵に先導された耀哉が部屋へと足を踏み入れた。一斉に平伏した後、元々宴会の許可を得ていた影蔵が代表して口上を述べる。
「このたびは御子息御令嬢無事の出産、誠におめでとうございます。あまね様も健康であると聞き及んでおり、我ら一同胸をなで下ろしております」
「ありがとう、伸三。皆も、妻の出産に駆けつけてくれて嬉しく思うよ。
伸三が用意してくれた食事がある。私が言うのもおかしな話だけれど、皆食べておくれ。任務や稽古の合間に、これだけの時間を作るのは大変だっただろう。ここで英気を養い、また人々のために頑張ってくれると私は嬉しい。
では、乾杯」
「乾杯」
短い挨拶の後、耀哉に次いで各々が御猪口を掲げ軽く打ち合わせた。澄んだ音が響く中、御猪口に注がれていた湯割りは例外なく男たちの腹の中へと消えていく。
「いやあ、実にめでたいぃ」
明るい雰囲気の中、料理に手を伸ばしながら越津が上機嫌に宣う。酒に弱いため、御猪口一杯のお湯割りですでに酔いが回っているのだ。
「目下の懸念とも言えたお館様の御世継ぎがお生まれになったことに加えぇ、あまね様は五つ子を出産なされても疲労以外に異常が無いとのことではないかぁ。これもお館様の徳が呼んだ慶事と言えるだろうなぁ」
「さすがに酔いが早すぎるぞ。少し落ち着いて水でも飲め」
醜態が目に余ったため、槇寿郎が越津を取り押さえて無理やりに水を飲ませた。初めて見る水柱の姿に、耀哉以外は唖然としている。柱は多忙のため、互いに酒を飲み交わす機会などほとんどない。そのため越津の酒乱は、誰にも知られないままだったのだ。
「酒はああも人を狂わせるのか、気を付けます」
「そうしろ天水。お前は未だ若いからの、無理に飲むこともあるまい。
狼よ、どうだ一杯」
しみじみと語る天水に同意しながら、影蔵は狼へ酒を向ける。明らかに狼が酔った姿を見るためだろう。当の狼はそれを黙殺した。自分に控えろと言った矢先に他人へ酒を勧める影蔵の姿を、天水は白い目で見つめている。
「いや、これは違うぞ天水。儂は単に大人の付き合いとして勧めただけであってな」
「狼さん、酒は飲まないのですか? 皆程度は違えど、旨そうに飲んでいますが」
「おい聞け天水。無視をせんでくれ頼むから」
影蔵の訴えを受け流す天水へ、別段隠す理由でもないため狼は端的に答えた。
「万一のことがないよう、休日以外には酒精を入れぬようしているだけだ。呼吸で素早く酒精を抜くことができぬ身故な」
語られた理由に、天水は狼が呼吸を使えないという事実を思い出した。呼吸の達人でなければ逆に不自然になるほどの実力と実績から、この事実は忘れられることが多い。
狼は酒が好きというわけではないため気にしていないが、葦名の酒豪たちが聞けば素早く酔いを覚ますことができる全集中の呼吸は垂涎の的だろう。
「仏の教えを受けた身として、私も酒精はとらない。共に他の物で喉を潤しつつ楽しもうではないか、狼よ」
酒を飲まない悲鳴嶼と狼の会話は静かではあったものの、両者共に十分楽しめる内容であったようだ。それを周囲で見ていた者たちは、狼の頬が僅かに緩んだ光景にどよめきを上げている。
そのまま宴は遅滞なく進み、各々の自制もあって醜態を曝したのは越津一人で済んだ。そして元々短い時間を予定していた宴会に、終わりの時間が訪れた。
「みんな。今日は私と妻、そして生まれてきた子供たちのためにこうして集まってくれてとても嬉しいよ。このような宴会も用意してもらえた私は果報者だ。
これからも、戦いと鍛錬の日々は続くだろう。先が見えない戦いに、疲れることもあるだろうね。でも、これだけは覚えておいてほしい。たとえ手ごたえがなくとも、何も変わっていないように感じようとも、必ず変わるものはある。
私たちは一歩一歩、鬼舞辻の首に近づいていることを忘れないでほしい。いつの日か必ず、鬼の首魁を滅ぼし心安らかな夜を手に入れることができると私は信じているよ。
みんな、その日までどうか頑張ってほしい」
休んでいるあまねを気遣い、一同が無言で礼をした。耀哉があまねの下へと向かい、それを待ってから男たちは静かに産屋敷邸から出立していく。
送り出される順番を待つ狼の下へ、一羽の烏が舞い降りた。狼にも見覚えがある、鱗滝の鎹烏だ。
「伝言、伝言。
狼、弟子ガ最終選別カラ戻ッタ。話シタイコトガアルタメ、近ク狭霧山ヘ来テクレ。
主人ハ落チ込ンデイタ。デキレバ早ク来テホシイ」
主に似て静かに伝言を残し、鎹烏は去っていった。内容を聞いた狼の眉間に、深い皺が刻まれる。
怯える隠を気にも留めず、狭霧山へ向かうための予定確認が狼の脳内で開始された。
隻狼 用語集
用語
帰り仏 かえりぼとけ
狼が最初の記憶である、戦場で義父に拾われる前から持っていた木彫りの仏像。
懐に入るほど小さく角が擦り減っているが、帰るために込められた願いはいささかも衰えてはいない。
この仏像は、葦名の地で狼の願いに応え幾度となくその身を帰した。大正の世とて、持ち主を無事に帰すだろう。