隻腕の狼、大正に忍ぶ。   作:橡樹一

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水柱、越津今座衛門の見解

 鬼殺隊本部、産屋敷邸での話し合いがあった翌日。とある林の中で、狼と柱の2人は隠の背中から降ろされた。

 

「到着いたしました。このまままっすぐ歩けばすぐに街が見えます。

 我々はここで失礼いたします」

「うむ、ご苦労だった」

 

 頭を下げる隠たちに、3人を代表して槇寿郎が礼を言う。どこか嬉しそうに去って行く黒づくめの後ろ姿を見ながら、越津が口を開いた。

 

「さて炎の、この後どうするかね? 当方はお館様の提案と鱗滝の用事までの時間合わせに、街を案内しながら狭霧山まで向かうつもりであるが」

「残念だが、今晩から任務が入っていてな。屋敷で体調を整える予定だ。

 すまないが、ここで失礼させてもらおう」

「そうか、それなら無理も言えんか。炎柱に言うことではないかもしれんが、気をつけるようにの」

「そちらもな。

 ……はっきり言うが、俺は未だその男を信用しておらん。狭霧山までの道中ならば数日かかるだろう。その間に、しっかりと見極めておけ。任務が無ければ俺もついていったがな」

 

 最後は小声で越津に警告を残し、槇寿郎は一足先に街へと向かっていった。その会話内容が、狼の忍びとして発達した聴覚によって余さず聞きとられているとは気づかずに。

 去っていく槇寿郎の背を見ながら、狼は彼が持つ剣士としての力量について考えていた。外套に隠され腰に佩かれた刀は、通常の打ち刀よりも厚く長い。にもかかわらず、槇寿郎の歩みは確かな安定感があり、刀の重みで体が傾くということもない。

 護衛として耀哉の背後に控えていた際の身のこなしからも推測するに、あの葦名弦一郎にも匹敵する実力者とみて間違いないだろう、と狼はあたりをつけた。

 

「ああ、そう責めるような眼をせんでやってくれ。あやつはちと生真面目に過ぎるのでな。お館様に万が一でもないよう、得体のしれぬお主をいまだ警戒しておるのよ」

 

 狼の鋭い視線に気がついた越津が、苦笑いを浮かべた。彼からすれば、不快な思いをされた腹いせにいかにして彼の剣士を打倒するのかと悩んでいるように見えたのだろう。

 

「いえ、気にしておりませぬ。主人に仕える者として、警戒するのは当然のことかと」

 

 狼からすれば、当然の警戒心を向けられただけなのだ。警戒を根に持っているわけではなく、戦いに身を置いていた癖で相手の力量を測っていただけのことなのだから。

 

「ならばよいのであるがな。それでは出発……の前にだ。思えば互いにきちんと名乗り合っていなかったな。

 先に名乗らせてもらうが、当方は越津今座衛門と申す。鬼殺隊水柱を務める身ではあるが、口惜しいことに柱の中では胸を張れるほどの強さではない。

 他の隊士の前では士気にかかわる手前相応の態度を心掛けてはいるが、共に同じ主を仰ぎ大義を奉ずる同士だ。気軽に話しかけてくれてよいぞ」

 

 豪快に笑う越津は視線で次はそちらの番だと促すが、狼は眉を顰め黙り込んでしまった。

 今まで彼は主を陰ながら守るという立場にいた。自然親睦を深めるために名乗り合うどころか、主以外とはまともな会話すら珍しいという職場環境だ。

 だが最後に駆け抜けた亡国寸前の葦名での交流は、狼の中に残されていた人間性を僅かに取り戻す手助けとなっていた。脳内で語るべき内容をゆっくりと吟味し、慎重に口を開いた。

 

「名は、狼だ。姓は無いが、養父の姓は薄井であった。かつては産屋敷家の遠縁にあたる人物に仕えていたが、故あって主と離れ、主の元へ戻ろうとする途中で鬼を殺し今に至る」

 

 昨晩の間に耀哉と秘密裏に話し合って決めた設定を、狼はそのまま越津へと伝えた。設定とはいえ嘘は言っていないし、必要最低限の情報は含まれている。今の狼はあまりにも不審な点が多すぎるため、たとえ柱であっても身の上をすべて明かすことは避けるよう結論が出たのだ。

 狼としても賛成であり、たとえ信用を勝ち取ったとしても本当の事情を話すべきではないとも考えていた。忍びとしての気質に加え、話したところでどうにもならないからだ。

 

「養父とはな……いや、口に出したくないであろうことをよくぞ話してくれた。そして、そのようなことを問いただす形となってしまい大変申し訳ないことをした。詫びてすむものではないが、詫びさせていただけるとありがたい」

 

 狼の話を聞いた越津は、深く頭を下げた。鬼殺隊における柱の立場から考えれば、出自不明の男の過去を聞くことは義務といっても良いだろう。いくら鬼殺隊の長である産屋敷家当主が直々に引き入れたとしても、あくまでも個人の信用しかない現状ではもっと厳しく問いただされてもおかしくはない。

 にもかかわらず、越津はそのような尋問をしなかった。あくまでも自主性に基づいた話し合いを行い、嘘かもしれない話に頭を下げたのだ。

 

「すでに昔の話。謝罪は受け取りますが、気にする必要はありませぬ」

 

 耀哉に加え、眼前の男を信用に足る人物であると狼は判断した。同時に越津の性格は致命的な隙を生みかねないとも。

 そんな狼の内心を知るはずもなく、越津は嬉しそうに笑みを浮かべた。

 

「そう言って貰えるのならばありがたい。ひとまずは街の案内を。山中の出というので、こちらの歩き方には明るくないと聞いておる。この身とてそこまで街慣れをしているというわけではないが、ある程度不自由しない程度の慣れはある。

 その大太刀は……この竹刀袋に入れなされ。すぐに抜けなくなりはするが、廃刀令が布告されたこのご時世。ある程度人目をごまかさねばならんのでな」

 

 越津の差し出した竹刀袋に、狼は不死切りを渋々しまう。楔丸と忍義手を外套下に隠し、ひとまず街に入っても問題ない外見となった。

 

「さて、遅くはなったが向かうとしようか。昼飯前に、甘味処から案内するとしますかな。行きつけの店がこの辺りにあるのでな。おはぎがなかなかどうして絶品なのだ」

 

 先導する越津の後を、狼は静かについて行く。内心好物であるおはぎを楽しみにしていたが、僅かに緩んだ表情の差は出会ったばかりの越津にはわからないものだった。

 

 

 

 狼を先導しながら、越津は内心舌を巻いていた。ある程度ごまかしたとはいえ、本来狼の格好は彼自身の風貌も相まってかなり目立つはずなのだ。最悪の場合、狼を担いで逃走することも視野に入れていた越津の予想は、良い意味で裏切られた。

 街ゆく人は、そのほとんどが狼に目を向けることすらしていないのだ。希に勘の良い者が不思議そうに視線を向けるものの、人影などで遮られれば再び注視することはない。彼の纏う気配が、あまりにも希薄なのだ。柱である越津であっても、彼が本気で潜めば発見は難しいだろうと考えるほどに。

 

「どうだ狼殿、なかなかの味だろう?」

 

 隣に座り、おはぎの感想に頷いて同意する姿からは考えられない異常性。越津は、なぜあそこまでしてお館様が彼を引き入れようとしたのかをわずかながら感じ取った。

 産屋敷邸の庭で行った観察と町中での体幹を見るに、ここのところ問題視され始めている質の低い隊士では、彼とまともに打ち合うこともできないだろう。呼吸音から全集中の呼吸を修めていないことはわかるものの、独特の音からして普通の呼吸でもない。

 いきなり深い事情を聞いて機嫌を損ねられても困るため、越津はひとまずその疑問を心にしまった。

 

「さて、そろそろ出立とするか。文を出している以上、不必要に遅れては先方に失礼に当たる故な。到着は明日であるとはいえ、余裕を持つに越したことはない」

 

 互いに茶を飲んで一服した後、越津と狼はいよいよ街を後にした。向かうは育手の鱗滝の自宅兼修行場、狭霧山だ。

 今回わざわざ現役の水柱である越津が狼の案内を買って出た理由は2つある。1つは、道中における狼の観察だ。今のところ大きな問題を起こすことなく、また礼儀正しい姿勢を崩さないため人格面についての懸念は払拭されている。もう1つは、狼の実力の確認である。

 隊士の報告を信じるのならば、狼は2対1とはいえ中堅の隊士を捕食する鬼を、全集中の呼吸を使わずして正面から打倒したというのだ。鬼の異様な骸をどのようにして残したのかという疑問もあるが、まずは実力を測ることが先決といえるだろう。

 本来であれば狭霧山で手合わせを申し込む予定だったのだが、運がいいのか悪いのか、街を外れたあぜ道で鬼と遭遇した。気配からして、そう多くの人間を喰っていないどこにでもいるような鬼だが、今はその丁度良さがありがたい。

 

「狼殿。話には聞いているのだが、この目で貴殿の実力を見ておきたいのだ。いざとなれば助太刀する故、そこの鬼を切ってはもらえぬか?」

 

 不快な思いをさせるかもしれないという越津の不安は、狼が無言で刀を構えたことで払拭された。狼の動きを見逃さないよう、越津が全集中の呼吸を使い集中力を上げる。水柱の眼前で、狼と鬼が激突した。

 

 

 

 戦闘を依頼された狼は、越津の狙いを正確に読んでいた。得体のしれない相手の実力を知っておけば、いざという時の対策も練りやすくなる。ならば、この機をもって相手の手の内を探ろうとすることは至極当然だ。

 狼からすれば実力を隠す必要もないため、いつものように全力で挑もうと楔丸を抜いた。

 

「なんだぁ? 見たところただの刀で俺を殺そうってのかぁ?」

 

 鬼がせせら笑うが、狼は一切の反応を返さない。ただ鬼の動きを観察し、行動の出を読む。

 

「だんまりかよつまらねーなぁ。ちっとは喋れよ最後なんだからよぉ。おまえも後ろの男も、俺の晩飯になるんだからよ!」

 

 鬼の力がもたらす万能性に酔いしれているのか、何の工夫もなく鬼は狼へ襲い掛かった。剛腕を振るい目の前の男を叩き潰そうとするが、その一撃は当然のように楔丸に弾かれる。

 

「なっ、ふざけんなこの男が!」

 

 頭に血が上った鬼は、以前狼が切った鬼と同じように手を振り回し乱撃を繰り返す。だが、両者の間には大きな差があった。

 どうしようもなく、弱いのだ。以前狼が切った鬼よりも、腕力も速度も、体の硬度すら劣る。現状ですでに相手の底が見えたと判断した狼は、手早くかたをつけるために忍義手を起動した。

 左腕の二の腕に当たる部分が駆動し、斧の刃が姿を見せる。手筈が整ったことを確認した狼は、大ぶりの一撃を弾くと反撃に転じた。

 楔丸を巧みに操る狼の剣閃は、戦いなれていない鬼にとって見えているにもかかわらず防ぐことができない魔光だ。いくら死なないといっても痛みが消えるわけではなく、痛みに身を強張らせればより行動が鈍り避けられなくなる。

 

「て、てめえ! いい加ぎゃっ⁉」

 

 怒りのままに動かした口が、楔丸の一閃で横に裂かれた。返す刃で喉を潰され、蹲った鬼を見た狼が左腕の忍義手を大きく振り上げた。動きに連動し、義手内部に収まっていた斧が外部へと展開する。

 義手忍具、仕込み斧。かつて落ち谷の飛び猿と呼ばれた忍びが愛用した忍具であり、その重さによって相手を叩き壊すことを神髄とする。蹲り視界を塞いだ鬼にこの一撃をどうにかする手段などあるはずもなく、叩き込まれた斧は肩甲骨を叩き割り肺すらもひき潰した。

 

「ごっば……」

 

 苦しみから逃れるため暴れる鬼は、背に刺さった斧が引き抜かれたために腕を振り回しなんとか狼との距離を取った。あまりの痛みに涙を流しながら、鬼は下手人を捕らえようと周囲を見渡す。涙で滲んだ視界に映った狼は、背負った大太刀を構え今にも引き抜こうとしていた。

 本能的に生命の危機を感じ取り、鬼は背を向けて逃げ出そうとした。狼からつけられた傷は未だ癒えきっていないものの、足は無傷なのだ。今無理をしてでも離れなければ死ぬと、鬼の生存本能が全力で警鐘を鳴らしていた。

 しかし、鬼が振り返るよりも早く、狼はその刃を抜き放った。悍ましい瘴気が刀身を覆いつくし、まるで刃そのものが伸びたかのような軌跡を空中に描き出す。

 奥義・不死斬り。抵抗する間もなくその刃をまともに受けた鬼は、その一撃で胴が両断された。鬼故に死にはしないのだが、再生が遅く下半身が思うように動かない。初めての感覚に混乱する鬼は、自らの頭部目掛けて突き出された刃に気がつくことなくその意識を手放した。

 

 

 

 越津は、狼へと斬りかかりそうな自分を必死に押さえつけていた。鬼相手に攻めも守りも狼は優勢だった。あれほどまで自然に動く左腕が義手であり、そこから斧が飛びだしたときには驚きこそしたものの、その奇襲性と威力に隻腕ならではの仕込みであると感心すらしていた。

 だが、その感情も狼が背の大太刀を抜いた瞬間に消え失せることとなる。刀身を覆う赤黒い瘴気を見た越津は、その色合いから鬼よりもよほど世の理に背く何かを感じ取った。水柱として活動してきた彼だが、これほどまでに嫌悪感を抱くことは初めての経験だ。

 一太刀で鬼の胴を両断し頭部をその呪わしい刃で貫いた狼は、血払いを済ませると鬼に背を向けた。倒れ伏した鬼は、動き出す気配すらない。本来鬼の死で引き起こされるはずの肉体の崩壊が発生していないが、柱として鍛えてきた感覚が越津に1つの事実を伝えていた。あの鬼は、すでに死んでいる。

 

「……越津殿」

 

 狼の呼びかけで、越津は我に返った。同時に、無意識のうちに抜刀の構えに入っていた体をほぐす。

 

「実力、確かに見せていただいた。鬼を相手にあれほどまで優位に立ち向かうもの、そう見るものではない。

 時に狼殿、つかぬ事を窺うが、その大太刀はいったい?」

 

 越津の問いに、狼は僅かに視線を下げた。僅かな沈黙の後、吟味するようにゆっくりと言葉が紡がれる。

 

「主の命で探し求め、寺の秘奥として納められていたものを管理者から譲り受けた。限られた人間のみ扱いが許され、不死を殺す力があるという」

 

 その力は確かなのだろう。現に鬼は死に、不可思議なことに肉体は残ったままだ。

 

「そう、か。

 当方が感じるにその力、人が使うには過ぎたものであるように思える。扱うことに問題はないのか?」

「初めて手に取った際選別が行われ、再び抜けるものに害をなすものではないと伝え聞いている」

 

 狼の言葉に嘘はなく、越津としてもこれ以上の追及ははばかられた。それほどまでに、産屋敷直々の勧誘は重い意味を持つ。

 

「ならば、よいのだがな。

 ひとまず休むといたそう。明日の昼には狭霧山だ」

 

 眼前の悩みをひとまず棚に上げ、越津は野営の準備に取り掛かった。扱う力こそ異端かもしれないが、少なくとも心根が悪い人間ではない。共に行動した時間こそ僅かだが、水柱は自らの感覚を信じることにしたのだ。

 徐々に深くなる夜の闇の中で、どこかぎこちなく、しかし温かみのある男たちの声が遅くまで交わされていた。




 鬼滅の刃 用語集

 用語

 全集中の呼吸 ぜんしゅうちゅうのこきゅう
 肺に大量の空気を取り込み、全身に酸素を行き渡らせることで爆発的に身体能力を向上させる技術。
 この技術と剣技を組み合わせることにより、ただの人である鬼殺隊士は鬼と渡り合うことが可能となる。

 隻狼 用語集

 人物

 葦名弦一郎 あしな-げんいちろう
 葦名の国最後の主。
 滅びゆく故国を守るがために、あらゆる手段を模索し実行した。
 それは死なずの外法も例外ではなく、自らも不死の領域に片足を踏み入れ異能をもその手中に収めていた。
 剣も弓も並外れた腕前の持ち主であり、並の腕前では何をされたかもわからぬまま殺されることになるだろう。
 
 用語

 奥義・不死斬り おうぎ・ふしぎり
 不死切りが纏う瘴気を刃に込め、抜き放つとともに広範囲を一撃で薙ぎ払う技。
 攻撃範囲が広く、威力も高いため駄目押しとして使用されることが多い。
 最大の問題点は、見た目が非常に禍々しいという一点。

 義手忍具 ぎしゅにんぐ
 忍義手に仕込まれた忍具の相称。
 その種類は多岐にわたり、狼の戦いを支える重要な戦闘手段であった。
 意外にも整備は比較的容易であるようで、片腕の狼でも問題なく行うことができるほどである。
 数多の改造が施されており、同一のはずの忍具でも場面次第ではその性質を大きく変えることが多々ある。

 仕込み斧 しこみおの
 義手忍具の1つであり、手斧が腕から展開する。
 大きさの割に重量があるため、文字通り目標を叩き割る武装。木製の粗雑な楯程度ならば、一撃で粉砕可能。
 使い勝手がいいため、使用回数が比較的多い義手忍具の1つである。

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