隻腕の狼、大正に忍ぶ。   作:橡樹一

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狭霧山の育手

 鬼殺隊の元水柱であり、今は育手をしている鱗滝左近次は、まさかの産屋敷家直々の手紙に困惑していた。はじめは隊士候補を1人たりとも合格させられない不出来さから、育手の地位を剥奪するものであると覚悟したのだが、手紙の内容は真逆のものだった。

 すでに成人している人間へ、呼吸の技術と共に隊士の心構えの教育依頼。実力主義であり人員不足でもある鬼殺隊は、度々こういった引き抜き紛いの方法で隊士を増やすことがある。ゆえにこの知らせ自体は珍しいものではないのだが、それならば勧誘をした者が付近の育手に送り鍛えればすむ話だ。わざわざ鱗滝の元に送る必要性が見えない。さらに言えば、年齢も問題だった。引き入れてきた人員は、ほとんどの場合15歳前後だったのだ。20歳を超えて隊士になった人間は前例がない。はたしてその年から訓練をしたところで、全集中の呼吸が身につくかどうか。

 とはいえ、かつての主からの手紙を無下にはできない。言われたからには自らの責務を全うするだけだと、鱗滝はいつものように隊士訓練の準備を始めた。手紙には、雑魚鬼ならば問題なく処理できるとあったため山の罠を気持ち厳しく設定し、木刀も鉄芯入りのものを用意する。食材も買い込んだところで、予定の日がやってきた。

 すっかり準備を終えた鱗滝だったが、内心では不安が渦巻いている。自分が鍛えた子供たちは、誰一人として隊士になることができずに命を落としているのだ。そんな自分が、はたしてお館様肝入りの男を隊士に相応しい人間に鍛えることができるのか。

 その悩みは、漂ってきた匂いによって強制的に中断された。

 

「これ、は……」

 

 鱗滝は、人一倍鼻が利く。人間の感情を表面上ながら読み取り、隠れ潜む鬼をかぎ分けることすらできるほどの鋭い嗅覚。それが、明らかな異臭を捉えたのだ。

 かつて水柱として、数多の鬼を切った剣士としての感覚が警鐘を鳴らしている。これは、血の匂い。異常なまでに濃密な血の香りが、風に乗って流れてきている。しかも、徐々に香りは強くなっていく。

 鱗滝は、無言で愛刀を手に取った。鬼は、人間を喰っただけ強くなる。その数に比例して、肉体から染み出す血の匂いも濃くなるのだ。かつて鱗滝が戦った鬼の中でも、これほどまでに濃密な血の匂いを振りまく鬼はいなかった。

 

「だが、どういうことだ?」

 

 鱗滝は、窓から差し込む日光を見つめながら呟いた。鬼は、日の光の下では活動できないという絶対的な制約がある。日中に鬼の匂いがするなど、ありえてはならない異常事態なのだ。とはいえ、鱗滝が居を構える狭霧山は名前の通り霧がよくかかる。霧によって直射日光が遮られれば、日中でもかろうじて活動できる鬼がいる可能性は否定できない。

 引退したとはいえ、元鬼殺隊として鬼を見逃すなどあってはならない。いつものように天狗の面をつけてから日輪刀を腰に差し、できる限り静かに戸を開き外へと出た。鱗滝の予想に反し、日光が何かに遮られているということはなく、血の匂いに疑問が増すばかりだ。だが太陽の位置から、現水柱の越津が来るまでそう時間がない。一刻も早く鬼を切ると心に決め、匂いの強いほうへと走る。

 走るうちに、さらなる違和感に気がつく。たしかに血の匂いではあるのだが、鬼の放つ腐ったような匂いではない。まるで鮮血を振りまいたような鮮やかな匂いなのだ。すでに犠牲者が出ているのかと焦る鱗滝の目に、2人の人影が写った。

 

「おお、鱗滝殿。わざわざ出迎えていただけたのか」

 

 1人は、面識があり本日の来客予定であった越津だ。出迎えと勘違いし笑顔を浮かべている彼へ、鱗滝は視線を向ける余裕がなかった。血の匂いの元が、目の前にいるのだ。

 

「越津殿……そちらの、方は……?」

「ああ、手紙でも知らせが行っているとは思うがな。今回貴殿に指導を頼む運びとなった狼殿だ」

 

 無言で一礼する狼を、鱗滝は隅々まで観察した。まず、日光の下平然としているという点から鬼ではないとわかる。服装は少々古めかしいが、使い込まれた良い品だ。背中の竹刀袋には刀があるのだろうが、それにもかかわらず体幹が安定していることから並みの腕前ではないのだろうとも予想がついた。鬼殺隊士の候補生として、なにもおかしなところはない。

 ならば、この男から漂う血の香りと剣気はどう説明するというのか。鱗滝の記憶にある江戸から明治へと移る激動の時代。あの混沌とした時代ですら、この男ほどに血の香りを纏った剣客はいなかった。剣気にしても、かつての同僚に近いものを感じることができる。

 修羅。鱗滝の脳内に、自然と1つの単語が浮かび上がった。

 

「鱗滝殿、いかがなされた?」

「……なんでもありません。狭苦しいですが、我が家にご案内します」

 

 訝し気な越津の声で思考をいったん打ち切り、鱗滝は自宅へと先導を始めた。意識だけは、狼から一切逸らすことなく。

 

 

 

 鱗滝の家で、新旧2人の水柱は向かい合って座っていた。鱗滝が淹れた茶を互いに一口飲み、一息ついた後に会話が始まった。

 

「狼殿には、どのような課題を?」

「儂が仕掛けた罠を避けつつ、山を下りるよう伝えました。この家に戻る時間によって、課題など決めようかと」

「なるほど。

 後で山の様子を見させていただくことは可能ですかな?」

「隠すものがあるわけでもないので、ご自由に。

 よろしければ、儂が案内しますが?」

「では、お頼み申す。知るものの案内があればよりわかりやすいでしょうからな」

 

 一見してただの世間話に見えるやりとりを済ませ、いよいよ2人は本題に入った。口火を切ったのは鱗滝だ。

 

「越津殿、あの男は何者ですかな?」

「何者、とは?」

「儂は鼻が利くことはご存じでしょう。あの男……狼からは、尋常ではない血の臭いがしました。かつて切った、十二鬼月にも匹敵するほどの」

 

 鱗滝の訴えに、越津は腕を組み目を閉じた。ゆっくりと息を吐き目を開く。

 

「実を言えば、当方も何者か詳しいわけではござらん。鬼に襲われた隊士を助けたこと、尋常ではない腕前の剣士であること、そして、お館様の遠縁に当たる家に仕えていたことしか聞いておらぬのでな」

「お館様の?」

「左様、お館様自身の口から話された。偽る理由も無し、鬼を切っている以上鬼舞辻に与するものとも考えにくい。今のところは、お館様預かりとして少しずつ探っているのが現状よ」

「お館様が鬼殺隊を害する選択をするはずも無し、か」

 

 僅かな沈黙が、室内を支配する。越津は共に行動した経験から、少なくとも鬼殺隊に害なすものではないと判断している。しかし、それは彼の素性がおとなしいものであるという根拠にはならない。少なくとも敵ではないものの、得体のしれない人間を懐に入れるのは難しいものなのだ。

 

「当方は明日の昼にはこちらを発たねばならない。それまでに、彼の男を受け入れるか決めてくだされ。当方としては、冴える技をもって鬼殺隊に名を知られた鱗滝殿に受けていただきたい所存」

「……ひとまずは、あの男がいつ戻ってくるかですな。四半刻程度で戻ってくれば、多少の疑問には目を瞑って鬼殺隊に迎えることを考えましょう」

「ならば、狼殿の面倒は鱗滝殿に見てもらえますな」

 

 安心したといわんばかりに越津は大きく息を吐き、残っていた茶をゆっくりと味わう。あまりにも迷いのない言葉に、鱗滝は天狗の面の下で眉を顰めた。

 

「それはどういうことでしょうかな?」

「言葉通りの意味よ。彼の男ならば、もう四半刻もかからずこの家に戻って来よう」

「それは流石に買いかぶりすぎなのでは? ある程度の心得があると聞き、山の罠は相応のものに仕込んであります。四半刻と言ったのも、並の隊士ならばなんとか、という前提からですぞ?」

「ならば当方の予想にずれはないな。当方がもう一杯茶を飲み終わるまでには、彼の男は必ずやこの戸口をくぐるでしょうぞ。なにせ特殊な戦法とはいえ雑魚鬼を一蹴する男ですからな」

 

 鬼との戦闘は初耳であった鱗滝が越津に問いを投げようとしたところで、家の戸が静かに開かれた。驚きの感情を隠せない鱗滝とは対照的に、越津は静かに笑みを深くする。

 

「戻りました」

 

 鱗滝の予想よりもはるかに短い時間で山を走破した狼は、息を切らせることすらしていなかった。

 

 

 

 時は僅かに遡る。狼は鱗滝に連れられ、狭霧山の頂上付近で課題の説明を受けていた。晴天にもかかわらず、山の中腹からは深い霧に覆われている。

 

「ここから儂の家まで、できる限り早く降りてくること。手段は問わん。もちろん、その左腕の絡繰りを使うも自由だ。降りてくるまでの時間で、お前の素質を図る。この線香が消えたら始まりの合図だ」

 

 端的な説明の後に、鱗滝は慣れた手つきで線香に着火してから姿を消した。普通であれば、異常なまでの身のこなしに驚くだろう。だが、狼は別の部分に気を取られていた。

 

「天狗の面……偶然だろうか」

 

 脳裏に浮かぶのは、天狗の面をかぶり手練れの忍びを一太刀の元斬り倒していた男の姿だ。葦名で最強と呼べる者として、一切の反論が出ないであろう古武者――葦名一心。狼はかの男を打倒してはいるものの、再び戦って勝てるかと問われれば否定を返すだろう。

 

「あの男、まさか一心殿と同程度の……?」

 

 まさか天狗の面1つで、単身侵略の抑止力となった男と同一視されかけているとは鱗滝は思いもしないだろう。はたから見れば笑い話だろうが、狼は真剣に考えている。

 ふと意識を戻すと、残り僅かとなった線香が目に入った。そして狼が見守る中、線香が燃え尽きる。

 その瞬間、狼は弾かれたように走り出した。すでにある程度の木々には目をつけており、忍義手から鉤縄が飛び手頃な枝に狼を引き寄せる。宙を舞う狼だったが、咄嗟に楔丸を抜いて飛来した石つぶてを弾き落した。

 

「なるほど、罠か」

 

 踏ん張りの利かない空中で勢いのある石つぶてを弾き落したため、僅かに体勢を崩した狼はおとなしく地面に着地する。鱗滝は、現在までに少なくない数の子供たちを鍛え上げている。中には木々を利用して罠を回避する野生児もいたために、狭霧山の罠は地面だけでなく枝に関するものも多い。ふと違和感を覚え、目先の地面に石を投げつけると地面は大きく陥没した。巧妙に落とし穴が隠されていたのだ。

 狼の脳裏に、かつての修行の日々が思い出された。丁度このような霧深い森の中で、かつての師に大いに鍛えられたものだ。当時の記憶と現在の自分を比較し、成長具合を確かめようと狼は地を蹴った。

 山を疾走する狼を目撃した人間がいれば、まるで宙を舞っているように見えたことだろう。地面に触れる時間は最低限であり、鉤縄もあくまで姿勢補助として割り切っている。稀に反応する罠は、回避を重視し楔丸は最終手段だ。ほとんど足を止めずに罠も回避し続けているため、狼の移動速度は人間とは思えないほどにまで加速している。僅かな失敗で地面や木々に衝突するという状況下でも、狼の動きに一切の無駄はない。

 このまま山を下りるのかと思えた狼だったが、突然その動きを変えた。枝や茂みを利用して勢いを殺し、静かに山の斜面へと着地する。そして、周囲を警戒心のこもった目でゆっくりと見渡し始めた。彼の知覚に、人間らしき影が捉えられたのだ。

 狼からすれば、ここで影を無視しても何の問題もない。だが、罠が大量に仕掛けられたこの山にただの人間が迷い込めばどうなるか。容易に想像できる結末を無視するほど、狼は冷酷ではない。人影が子供ほどの大きさともなれば、言わずもがなだ。狼が竜胤の御子に似た存在を見捨てるなど、絶対にありえない。

 

「誰か、いるのか」

 

 霧深い山に、狼の低い誰何の声が響く。だが、それに応える声はない。狼は一切の行動をせずに周囲の音を探るが、野生動物の気配すらしない。しかし、狼の感覚は何かがいることを察知している。

 

「……幻影、か?」

 

 狼は、葦名の底に広がる隠し森で数多く遭遇した幻の兵たちを思い出した。霧に紛れた姿は捉えにくく、動かなければ音を立てることすらしない。正面から戦えば御しやすい類のものではあるのだが、地理がわからない森の中で相手にしたいものではない。

 ふと狼は懐を探り、小さな種を取り出した。種慣らし。その名の通り、指で押しつぶすと大きな音が鳴る緑色の種子だ。種を押しつぶした者が最も大きな音に晒されるため、気付けに使われることが多い。また、幻影を打ち消し霊を払うともいわれている。実際に狼は幻や霊の前でこの種子を使い、効果を確認している。

 ためらいなく、狼は右手で種を押しつぶした。涼やかな音が周囲に響き、狼が何となく感じ取っていた気配が消える。今のうちに距離を離そうと、狼は鉤縄を使って宙を舞った。道中の敵を倒す必要がない以上、無益な戦いは無駄に損耗するだけなのだから。

 木々の間を飛び跳ねながら去っていく狼は、その背をキツネ面を付けた子供たちが見つめていることにはついぞ気がつかなかった。

 

 

 

 かくして特筆する障害なく鱗滝の家まで戻った狼は、戸を開きひとまずの課題を達成したと宣言した。無言の鱗滝に、狼は出だしで罠にかかり、幻影の対処に悩んだことから少々遅れたのかと不安になる。

 どこか気まずい沈黙を破ったのは、静かに茶を飲んでいた越津だった。呵々大笑しながら、得意満面の様子だ。

 

「見たな、鱗滝よ。これが狼という男の実力よ。お館様が引き入れることを希望するのにも得心が行くだろう?」

 

 湯呑を突き付けながら笑う越津とは対照的に、鱗滝はどうにも現状を呑み込みきれていない。始まりの試金石として与えた課題だったが、予想をはるかに、しかも余力を残して攻略されるとは思っていなかったのだ。

 

「いかが、なされたか?」

「気にするな狼殿。自分の想像を超えるものを見たとき、人はなかなか受け入れられんものよ!」

 

 この状況がつぼに入ったらしく、越津は笑いが止まらない。

 

「さすがに笑いすぎというものだぞ越津殿。なにが面白いのかわからんが、そろそろ笑うのをやめていただきたい」

「いや失敬、妙に笑いが止まらなくなったものでな。

 でだ鱗滝殿。自らの言葉を忘れたなどとは言わぬだろうな?」

 

 涙目になりながらも笑いを止めた越津だったが、鱗滝に向けた視線は真剣なものだった。誤魔化しは許さないと、目だけで語っている。

 鱗滝は、覚悟を決めた。自らの全てをかけて、この得体のしれない男へ知識と技術を教え込むと。

 

「狼殿、明日から訓練と座学に入る。食事を終えたら、すぐに休むとよかろう」

「わかりました」

 

 鱗滝は普段よりも早めに、食事の準備に入った。太陽はゆっくりと傾いており、そう遠くない時間には山の向こうへと消えるだろう。夜が明ければ、いよいよ狼の訓練が始まる。




 鬼滅の刃 用語集

 人物

 鱗滝左近次 うろこだき-さこんじ
 元鬼殺隊水柱であり、現在では育手を務める初老の男性。
 実力は折り紙付きであり、他の育てと比べても教え子の質が低いわけではないにもかかわらず、何故か鬼殺隊の隊士となった教え子は1人もいない。
 現役時代よりも腕は衰えたものの、それでも並の隊士を超える実力を保持し続けている。

 施設・組織

 狭霧山 さぎりやま
 鱗滝が居を構える山。
 山中は鱗滝が設置した罠によって危険地帯となっているほか、地形の関係で非常に霧が発生しやすく消えにくい。
 また標高が高いため、空気が薄く鍛えるにはもってこいの環境となっている。

 十二鬼月 じゅうにきづき
 鬼の中でも、首領にその武を見込まれた12人の鬼の相称。
 上弦と下弦に分けられており、その2つの間には隔絶した実力差が横たわっている。
 下弦は度々鬼殺隊によって狩られるものの、上弦はここ百年以上討伐記録が無いほどの猛者ぞろい。

 用語

 育手 そだて
 鬼殺隊にならんと考える候補生を教え育てる存在。
 元鬼殺隊の剣士であるために、鬼に対抗する危険性を身をもって教える。
 それぞれのやり方で相応しいと思えるまで候補生を鍛えるのだが、それでもほとんどの候補生は死んでいく精神的な負荷が強い立場。

 隻狼 用語集

 人物

 葦名一心 あしな-いっしん
 葦名の国を戦によって奪い取った国盗りの英雄であり大名。
 人間とは思えないほどの隔絶した強さによって、彼一人の存在が侵略戦争に対する抑止力となるほどだった。
 隻狼本編では死の淵にありながらも、天狗面と蓑という雑な変装をして葦名の城下町に潜伏する他国の忍びを排除していた。

 用語

 隠し森 かくしもり
 葦名の国に存在する森であり、非常に標高が低い。
 地形の関係か常に霧が満ちており、環境も相まって霊や幻影の攻撃を非常に受けやすい環境だった。
 現在は浄化されており、霊や幻影はほとんど見られなくなっている。
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