最悪の夜だった。
くそ、くそ、くそ。山中を走りながらも罵声が思わず口を衝く。今回の作戦は大失敗だった。
帰らない一部隊と鬼が群れているとの未確定情報に、大部隊を編成して向かったものの、鬼の力は圧倒的すぎた。
俺の配属された部隊は何人もが糸に包まれそのまま骨も残さず溶かされ死んだ。
隊は総崩れになったものの生き残れた連中を集めて態勢を立て直そうとしていたところに巨大な異形の鬼に襲われたという別部隊の生き残りと合流した。
だが、そこに現れた人面蜘蛛によって幾人もが蜘蛛にされ、またも総崩れになった。
散り散りになったところで、生き残りを発見したと思ったら既に別の鬼の術に囚われていて死ぬまで刀を振るう人形と化していた。
このままではまずいと一時退却を指示したが、俺以外は追い付かれて脱落し、結局一人山中を走っている。
「カァァァァ!伝令!伝令」
俺の鎹鴉が上空から現れる。最初の会敵ではぐれたと思っていたが、何やら重要な情報を携えて戻ってきたようだった。
「柱二名、コチラニ向カッテル!」
これでなんとかなるかも知れない、という思いとふざけるな、という思いがぐるぐる巡る。柱が出るのであれば最初から出ていれば、隊の皆は死なずに済んだのだ。俺みたいな役立たずだけが皆の屍を越えて一人生きているだけだ。
俺は藤の家紋の家に生まれた。俺が生まれる前に死んだ爺さんが鬼殺隊に助けられたらしい。俺の親父は爺さんにその話を何度も聞かされて育ってきたから当たり前のように鬼殺隊を無償で助けて来た。俺も物心ついた頃から家で寝泊まりしてる傷だらけの隊員を見てきたからそこには疑問はなかった。
だが、親父は爺さんほどの商才がなくて、しかも見栄っ張りだった。商売が傾きかけてるにも関わらず、鬼殺隊への支援は最大限にやって、心配した産屋敷からの使者すらも大丈夫だからと追い返し、ついには店を潰しやがった。俺が十三の時だった。
俺を育手に預けてまだ小さかった弟妹は店を整理した時の最後に残った金を持たせて別の藤の家紋の家に預けられた。そんでもって本人は出稼ぎに行くと北海道を目指してそれきり帰ってこなかった。
育手の修行は辛かったし、藤襲山での最終選別で仲良くなった奴があっさり死んだのも辛かった。だが、それよりも、鬼に全てを奪われた奴との温度差が辛かった。
鬼殺隊にいれば、俺みたいなガキでも大人の初任給ぐらいは支給される。自分の分は最低限だけ残して全て弟妹に渡した。藤の家紋の家の人ともきっちり話をして、半分は弟妹達が独り立ちする時まで貯めておいてくれると約束した。親父と違ってしっかりした人のようだったから信用できた。
だけど、鬼への復讐で動いてる奴はそうじゃない。鬼を狩ることに全てを懸ける。自分が死ぬことになっても残された者に少しでも何かを託してから死のうとする。俺は、その託されることが重荷だった。
俺の先輩もそうだった。階級は甲で柱に最も近いと言われていた。本来なら俺とは接点が出来ようはずもない人。だが、初任務で重傷を負った時に俺の家で治療を受けたという縁からあれこれ教えてもらっていた。丁半博打が好きな人だった。
「お前は確かに戦いは今一つだけが、観察力と分析力は頭一つ抜けてるな。それを活かせる仲間を見つけられるといいな」
あの人の言葉が頭に響く。鬼の気配はしない。俺はこの隙に自分にできることをするべく鉛筆と紙を取り出した。
那田蜘蛛山の鬼の能力の予想
一、糸を用いて対象を拘束して溶解する能力(女の鬼)
ニ、糸を付着させた対象を操る能力(女の鬼)
三、対象を溶解させる毒と蜘蛛を操り対象を蜘蛛化させる能力(人面蜘蛛の鬼)
四、詳細不明。巨大で力強い異形
・本来群れない鬼が群れを成している上に、糸や毒など蜘蛛を思わせる能力が複数の鬼に見られる
・一体の鬼が複数に分かれた存在と思われる
ここまで書いて、紙を懐に仕舞う。柱が来るのであれば、わざわざ勝てない相手に当たって犬死にすることもない。どの柱が来るかはわからないが、情報が何もないのとあるのでは大違いだ。血鬼術は理不尽なものが多い。柱とて初見で受ければあっさり死にかねないものもある。もっとも、柱たる者はそういう相手でも倒せるが故に柱足りうるのかも知れないが。分析の書付を渡せばひとまず俺にできることは終了だ。
麓に向かって慎重に一歩一歩進む。どの鬼に出会っても最期だ。ここで俺が死んだら、弟妹達がどうなるのかわかったもんじゃない。彼らのために生きて金を稼ぎ続けなければ。
音を立てずに進むだけなのに、歩くたびに神経が摩耗する。いきなり会敵した時のことを考えて烏に書付を預けようかと弱い考えが過ぎったが、頭をぶんぶん振って打ち消す。俺は死なない。誰にも重荷を託さない。
だが俺の決意をあざ笑うかのように、進む先に死が、そこに、いた。
後ろ姿だけでもわかる、圧倒的な存在感。俺の分析は間違っていた。一体の鬼が複数に分かれたんじゃない。きっとあいつが他の鬼に能力を譲渡していたんだ。要するにあいつが本体で残りはおまけだ。糸で包んでくる女の鬼まであいつの前で跪いている。俺達はそのおまけにすら刃が届かなかったというのに。
しかも、奴と対峙する一人の隊士の姿。山に入った時にはいなかったし、一度も顔を見たことのない奴だ。直近の選別で入った新入りだろうか。
どうにかやり過ごせないかとも思ったが無理だろう。俺が逃げられたのは誰かが代わりに死んだからだ。しかも今回は2体相手だ。
「裏目を引いちまったか。ま、お前が無事でよかったよ」
「俺は先輩だからな。後輩を守るもんだ。俺も先輩に助けられてきた」
良くない。俺みたいな役立たずなんかを助けてあんたを失ったら鬼殺隊全体の損失じゃないか。俺があんたみたいになれる保証なんて何一つないんだ。
「良いか、賽の目は一天地六。裏目でも、その裏には当たり目がある。だから、諦めずに賽コロを振り続けるんだ。俺はもう駄目だから、お前に賽コロを託す」
やめてくれ。俺はあんたみたいな実力もなければ覚悟もない。あんたの仇討ちに燃やせる情熱なんてないんだ。俺に託さないでくれ。
「賽コロを握ったまま、目ナシでくたばることがなくて、そこは安心だ……」
そう言って、俺に呪いをかけて死んでいった。その人の声が頭の中に響き続ける。
「おい、相棒、来い」
小声で鴉を呼ぶ。懐の書付を取り出し最後の項目を二重線で消し、項目を書き加える。
・強力な一体の鬼が他の鬼に力を与えていると思われる
・今から後輩の援護に行くので恐らく戻れない。後輩には俺の名前を伝えないで欲しい
・お館様にはもし望めるなら弟妹を鬼殺隊に関わらせないでいただきたい
手早く追記を終えて鴉の首に紙を結わえる。
「こいつを柱に渡してくれ」
鴉は俺の目をじっと見て何も言わない。普段は嫌になるほどお喋りだってのに。
「良いから行け。世話になったな、相棒」
小さく一声鳴くと鴉は飛び去る。そうだ、それでいい。柱に情報を少しでも渡すことが俺にできることだ。後はどうにか、新入りだけでも先輩としてなんとかしてやりたい。ここが賽コロの振り時だ。
足が震える。だが、それを悟らせてはならない。平静を装って一歩一歩土壇場へと進む。
「お、丁度いいくらいの鬼がいるじゃねぇか。こんなガキの鬼なら俺でも殺れるぜ」
だが、俺は託さない。見も知らずの後輩の重荷になってやるものか。
良いから逃げろ。せめて柱への書付には記せなかった血鬼術だけでも開示して死ぬからお前は生きてそれを伝えろ。
「お前はひっこんでろ、俺は安全に出世したいんだよ。出世すりゃあ上から支給される金も多くなるからな。俺の隊は殆ど全滅状態だが、とりあえず俺はそこそこの鬼一匹を倒して下山するぜ」
よせ、だと。わかってるさ。絶対に勝てない相手だってことぐらい。良いからさっさと逃げろ。柱が来てるんだから後は任せたらいいだろうに。俺は誰の重荷にもならず、名も知れぬまま消えて行ってやるさ。
一天地六の賽の目なれど、振ったことを知るのは俺だけで良い。
じゃあな、後輩。生きろよ。願わくば、弟妹たちが鬼と戦わなくて良い世界を作れるようにしてくれ。俺のことは背負わなくても構わないから。
ああ、全く、最悪の夜だった。
鬼殺隊どころか無惨ですらも理解した「想いを繋ぐ」こと
だが、繋がれた想いを背負う力が無いものはどうするべきか?
そんなひねくれた発想から書いた代物です