──目を覚ました時、アタシは見知らぬベッドの上だった。小さな机には出前のピザのゴミ、脱ぎ散らかされたアタシの下着と男の人の寝巻きとボクサーパンツ。ゴミ箱の近くには投げ入れようとして外した、丸まったティッシュ。ゴミ箱の中から少し、ピンク色のゴム質が覗いていて、アタシは昨晩のことを思い出した。
ここはアイツの家だ。アタシは、アイツに抱かれて求めあって、そのまま泊まったんだ。枕に顔を埋めるとアイツの匂いがして……ドキドキしてしまう。というかアタシも、恐らく背中にいるアイツも、裸っていうのはなんか生々しい。
「……か、かず……一成?」
寝返りをうって、子どもみたいな寝顔をしてるヒトの名前を呼んだ。普段だったらきっと、せめて先生をつけろ、なんて怒られるだろうけど、今くらい、いいよね。
無防備な顔に近づいてキスをしてみる。それだけで身体が熱くなってるみたいだった。きっと、昨日のことを思い出すからだ。痛かった、痛かったのに、幸せすぎて泣いたこと、その痛みも、いつの間にか気持ちよくなって、後から後から好きが溢れて、沢山名前を呼んで、呼ばれた。蘭、蘭……って言う一成、ちょっとだけかわいかった。
アタシはこのヒトと、シたんだ。
『濡れてんだから──いいだろ?』
だからちがう、チガウ。一成はそんなこと言ってない、最後の最後までアタシを気遣ってくれた。強引になんてしてきてない。やめて、来ないで……触んないで、やめて……やめて……助けて、誰か……助けて……!
「……蘭?」
「あ……かず、なり……っ!」
「怖え夢でも見たか?」
目を覚ました一成は、アタシの目許の涙を拭ってから、抱き込んで、布団を被せてくれた。浅くなっていた呼吸を鎮めるような優しい手つきは、アタシの大好きなヒトのもの。苦しさがあっという間に霧散して、正しく怖い夢みたいだ、なんて思った。
──アタシの元カレは一成なんか比じゃないくらいのクズだった。今考えるとおんなじバンドマンだと思われるのすら不快になるくらい。けど、今よりも更に子どもだったアタシはそんなヤツに言い寄られて悪くないなんて思ったんだ。きっと、認められることに飢えてたから、コロっと騙された。巴もモカも渋ったけど、アタシは押し切ってソイツと付き合って、すぐに後悔した。頭ん中、エロいことしか考えてないんだってすぐわかった。髪、腰、脚、胸……ベタベタ触ってきて、下品な笑い方をしてきた。
「蘭ってさ……エロいカラダしてるよねぇ」
「……やめてよ」
「いいじゃん、お前は、オレのカノジョだろ? ほら!」
「んっ、んん──っ」
「これからたっぷりシてやるよ……♪」
近づかれる度にするタバコのにおい。性的対象としか見られてない無遠慮な視線。別れたかった、けど、どうしたらいいのか分からなかった。そうこう悩んでるウチに、ソイツにカラオケに誘われた。周りにはモカたちもいたし、ソイツのバンドメンバーもいた。断れずに、
迂闊、だった。そういうことに思い至らなかった自分の頭を疑うレベルだよね。けど実際にソイツとカラオケに行って、キスをされて襲われた。直前で様子を見に来てくれた巴とモカに助けられたけど……もしもそうじゃなかったら、どうなってたか、後になって震えが止まらなかった。
「ごめん、私も、止めればよかったのに」
「ひまりちゃんのせいじゃないよ……私も、怖くて」
「違う……アタシら全員の危機感が足りなかったんだ。どっかで、他人事だと思ってた」
「でも、大丈夫──これからはあたし、たちがずーっと守ってあげるね〜」
それから、Afterglowのみんなも少しおかしくなった。つぐみとひまりは男性からの視線に敏感になって、俯くことが多くなって、巴は仲の良かった同年代のヒトを遠ざけるようになった。モカはしきりに、壊れたオーディオみたいに同じ言葉を繰り返すようになり、仲間に対して敏感に、近づいてくる男性に敵意を向けるようになった。
アタシの危機感のなさが、みんなのいつも通りを、壊した。アタシの迂闊さが、Afterglowを、ひとつじゃなくした。それは、今も。
「蘭?」
「……なに?」
「怖え顔してる」
「別に……考え事してるだけ」
一成に会ってそれはちょっとだけ良くなった。つぐみが倒れたり、モカがピリピリしてたりって色々あったけど、つぐみもひまりも、一成は平気だって言ってた。日菜さんのことを知った上でそう言ってくれた。ホントは生徒に手を出すようなヤツじゃないから、当たり前だって、アタシは笑った。
巴は、一年越しに告白をオッケーしたらしい。ニカッと笑って、あのセンセーのおかげだ、なんて言われた。自分のことみたいに誇らしかった。
モカも穏やかになった。まぁ、中一の時にモカが一目惚れした、なんてひまりから散々聞かされてたし、そんな一目惚れした先生に直接会って舞い上がってたのかもね。
だから一成はアイツとは違う。わかってるのに、折角オレはオレ、なんてカッコつけてまで、アタシを前に進ませようとしてくれたのに、鎖はアタシを雁字搦めにしてくる。
「……もう、帰らなきゃ」
「名残惜しそうに言うなよ……引き留めたくなる」
「ウソ、アンタはそんな強引じゃないでしょ?」
「そうだな」
「うん」
これ以上、一成の傍にいたくない。こんなに好きなのに、まだもっとずっと抱きしめて名前を呼んでほしいのに、引き留められたら嫌いになりそうで。
だから……だからアタシは、昨日と同じ服で、そっと夢の扉を閉めた。
雨降ってるし、送ってこうか? という言葉には首を横に振った。ごめん、代わりに傘は借りていくね。本当は傘をさしていたくなかったけど、きっとアイツは心配するから。
「ら〜ん〜」
「……モカ」
「ぐーぜんですな〜」
ウソばっかり。傘を二つ持ってるくせに、偶然なんて、全然隠す気なんてないじゃん。間延びした口調、眠そうな瞳に、アタシがいた。モカは優しげに微笑んで、行こ〜、って背を向けた。どこに? もちろんそれは、仲間のところだ。
アタシの大切な仲間、珈琲の匂いがするそこで、貸し切りと書かれた札のついた扉をくぐって、アタシは思いっきり泣いた。一緒に泣いてくれるひまり、蘭ちゃんは悪くないよと優しくコーヒーを出してくれるつぐみ、何も言わずに微笑む巴。大好きな仲間に囲まれてアタシは幸せだ。
「それじゃあ、あたしはちょっとでかけてくるね~」
「ドコ……って、アイツのところ?」
「うん」
──でも、やっぱりアタシはアイツのことも好きだ。だって、モカがアイツのところに行くって言ったとき、胸がずきって痛くなった。嫉妬してる、きっとそんなロマンチックな状況にはならないだろうけど、アタシじゃない誰かがアイツの家に行くっていうことが、堪らなく妬けてしまった。
矛盾してるよね、でも、アンタはその矛盾をロックだな、なんて笑うから最近は嫌いじゃなくなった。ありがと、先生。
あ、でも、でもさ。こんな風に最後みたいな言い方をするけど、さよならなんてしてやんない。アタシの処女を奪ったなら、最後まで、卒業までアタシを見ていてほしい。その過程で平気になったら……今度は、沢山シてほしい。だって、これで終わりなんかじゃない。これはアタシの青春、アタシのロック。その新しい一歩なんだから。
「アタシは青春ガールズロックを奏でるよ、一成」
だからまた、屋上……はしばらく雨だから、何処にいるのか教えてよね。アタシの大事な
「はぁ……アナタは下半身で生きているのかしら?」
「面目次第もございません」
「私の誘いをあんな風に断る資格、あるのかしら?」
「貴女の怒りは至極当然かと思われますが……ビッチに突っ込む棒は持ち合わせてねぇな」
「言ってることとヤってることが違う性欲に忠実な
魔王、悪魔の女帝からの気まぐれな連絡に、つい全部吐き出した結果、オレは一回り年下からありがたい罵倒の数々を浴びていた。というかクズ教師と書いて駄犬と読むのは高等テクニック過ぎてなんてコメントしたらいいのかわからんわん。けど
「というわけで駄犬さん? どうするおつもりなのですか?」
「おい白鷺、いいから駄犬呼びはやめろ」
「え?」
「なんで聞き返した」
「いえ、畜生に成り下がってなお、ニンゲン様を気取ることに疑問を呈しただけなのだけれど」
「……返す言葉もねぇけどテメーに言われるのが癪なんだよ」
わんわんと吠えてみるが、白鷺は反省することなく溜息を電話越しに吐き出した。お前だって気まぐれビッチな魔王だろ、つか用もないのに電話してくんなよ。仕事はどうした仕事は。その問いは聞くまでもなく白鷺が答えた。
「今、午前の仕事が終わって次の仕事まで時間が空いているのよ」
「あっそ、つか敬語は?」
「貴方は尊敬される対象だったかしら?」
うるせーよ、どうせヒナにも蘭にもモカにも敬語使われてねぇよ。あとその返しはデジャヴだ。赤メッシュの二番煎じだからやり直せ。そんなことを言えばまた余計な罵倒が追加されるか、今日はこの辺にしておいてやろう。
「はぁ、今日の貴方は濡れないわ」
「電話越しに興奮されても困るんだけどな」
「それじゃあ切るわね……あ、マネージャー、この後のホテルの予定だけれど──」
「……切るならとっと切れよ」
最後の会話は記憶から抹消するとして、頭を切り替えるとするか。ここから出ていく蘭は、まるで別れ際だ。追いかけて行くなって抱きしめてぇって思うくれぇに、これで終わりって感じだった。
──誘ってきたのは蘭だ。けど、理性が勝ってれば、止められたはずだった。なにせ、アイツは初心で、リードしたのはオレなんだからな。怖がらせずにシよう、とか思った時点でもう、オレは失敗してたってわけだ。
「……白鷺の言う通りだ、昨日のオレは、教師どころか、人間ですらねぇな」
美人に無心で腰を振る駄犬、ざまぁねぇな。結局オレは性欲を教師っつーカーテンで覆い隠しただけのケダモノだ。そこには理想とか夢とか、そんなのはどこにも落ちてねぇ。落ちてんのは、オレの寝間着と、パンツと、丸まったティッシュ。クズだな、言い訳のしようがねぇくらい。
──そんな自己嫌悪に陥っていると、鬱陶しいくらい小気味のいい呼び鈴の音が部屋に響いた。もしかして、蘭か? なんか忘れもんでもしたか、と素早く寝間着を着なおし、玄関を開けた。
「やーやー、せんせー、きのうはおたのしみでしたか~?」
ザァと雨の音に風の音が混ざって、少しだけ雨が降りこんだその飛沫を浴びながら、その訪問者を見つめた。
悪魔が来た。決してオレに抱かれるためではなく、仲間を傷つけられた復讐に燃える瞳をオレに向けて。蘭に恐怖を刻み付けた、その代償にオレの魂を奪いに、やってきた。
「あ……おば」
「はーい、ちょーぜつびしょーじょで~、せんせーだいすきモカちゃんで~す……勿論、入れてくれるよね?」
「……ああ」
口調だけはなんとかいつも通りだが、寒気がするほどの怒りを隠すこともない。嫉妬、じゃねぇな。青葉のこの刺すような敵意は、間違いなく蘭に手を出したことを怒ってる。狂ってしまうほど、今のコイツは、何も言わずにここからいなくなった蘭の代わりに、怒りを胸から湧き立たせているんだ。
「あ、言い訳とか聞かないから」
「その雰囲気じゃあな」
「じゃあ、今すぐそこの棚にある包丁で首でも切るか、屋上で飛び降りたら?」
「死んで解決すんなら、お前と会えてねぇよ」
「は? 解決するとかしないとかじゃないよせんせー。モカちゃんの精神安定のために今すぐ死ねって言ってんの、わかる?」
これはこれでまた、直接的でロックな罵倒だ。荒れ狂ってんな、つかホントにお前オレのこと好きなんだよな? と思うくれぇに瞳は冷めてる。つかほっといたら殺されそうだ、比喩とかじゃなくて、マジで。敵意が殺気にランクアップしてやがる。
「ねぇ、せんせーは知ってたんでしょ? 蘭が元カレにレイプされかけたこと知ってたんだよねぇ?」
「ああ、知ってた。蘭本人から聞いた」
「……じゃあなんでシたの? バカなのクズなの? 蘭から誘われたからってホイホイヤっちゃうくらい堪え性のないムスコさんなら切ってあげようか?」
キレッキレだな、青葉。けど、首を絞められないだけまだマシか。青葉に蘭とヤったことをバレたらどうなるか、その答えはコレだ。蘭に依存してる青葉が、蘭を泣かせるようなヤツは絶対に許せない青葉モカが、ここに来て相手が自分の好きな男だったから殺れねぇなんて言うはずねぇ。いや、もしかしたらちょっとは躊躇ってんのか、だから殺すじゃなくて死ね、なんだな。殺気は出てるけど、オレに手を伸ばすことはできない。悪い、オレもその提案を受け入れるのは無理だ。
「……蘭、泣いてたんだよ?」
「そっか」
「せんせーが、泣かせたんだ。せんせーが先生をしようとすると、蘭も日菜さんも泣かせ続けるんだよ?」
「そうだろうな。オレはこれからも蘭を、んでヒナを、青葉も泣かせるんだろうな」
「……幻滅した」
「ウソだな。お前はもう予感してたんだろ? だから今日、ここにいるし、きっと蘭は仲間に囲まれてる」
「うん」
優しいヤツ。さっきまでの攻撃的な言葉の数々は涙に隠された。蘭のためにこうしてオレにヘイトをぶつけて悪者になろうとする青葉の優しさ、それは大人のすることじゃねぇ。ちゃんとお前の気持ちが、沢山籠った言葉たちだ。だからオレも、きちんと受け止めて、返事をしてる。
「……わかってるよ。ここでせんせーが死んじゃったら、蘭はあたしを許してくれなくなる。けど、あたしはせんせーに暗い気持ちが止まんなくなる。気持ち悪くなる。でも、せんせーは、絶対に嫌だって言うから、あたしが殺さないと、ダメなんだ」
「できないんだな、やっぱり」
「恨みきれないもん。蘭が望んだことだし、せんせーの優しくて酷いところ、あたしも知ってるから」
「青葉は優しいな。ヒナだったら下手するともう刺されておしまいだよ」
「そんなことない。日菜さんだって、せんせーのこと、知ってるもん」
矛盾に矛盾を重ねた矛と盾のミルフィーユ。その相反する感情に青葉は壊れてしまいそうになっていた。
──オレが、オレが流されたから、オレが蘭を泣かせたから。ならどうする? また前のようにウジウジ悩んで、今度はヒナじゃなくて青葉のカラダに逃げるか? そんなことはしねぇ、したくねぇ。コイツの言う通り、蘭がまだオレに想いを残してんなら、オレは……青葉にも手を出す。コイツの純潔だって、オレが奪ったんだから。
「ほら、この距離なら、直接手を下せる」
「……うん」
「オレは酷いクズだから、自殺なんてしてやらねぇ」
「……うん」
「それどころか、青葉を抱きしめて、絆そうとする」
「うん……っ」
「誠意もなにもねぇけど、それがオレだから」
「うん……そんなせんせーが……すき、だよ」
「なら、このまま絆されちまえよ、
「そう、する……せんせー」
殺意はいつの間にか涙と熱に変わっていた。青葉……モカはこうするつもりだったんだろうな。ちょっと前までのオレだったらここでモカを拒絶して、黄昏て、きっと全部を捨てて命すらも捨てるだろうけど、オレはモカを抱いて、蘭を抱いて、逃げられねぇってことを再確認した。だから、モカの殺意を前にしてもそれすらも受け止めて、恋愛感情に訴えかけて流しちまう。
──つかお前、もしかしなくてもオレが死んだら死ぬつもりだっただろ。
「うん……だって、あたし、今、せんせーがいないと死んじゃうもん」
「……重い」
「え~、こーみえてつぐの次に軽いんだけどなぁ」
「体重のハナシじゃねぇよ」
「えへへ……でも、もしも、あたしの言葉に折れちゃったら、どうしようって……不安だったのも、ホントだよ?」
「それは……悪かったな、モカ」
「そんな不安にさせたせんせーは、あたしにお仕置きされなきゃダメなんだよ~?」
「お手柔らかにな」
「むり♪」
最近、土日はやけに腰が重くなるな。我ながら贅沢な休日だよまったく。
──蘭、これで終わりみてぇな雰囲気出してるとこ悪いけど、オレはお前の処女を奪った手前、こうなったら意地でも、最後までお前が卒業するまで構い続けてやる。例えそれで、お前の青春が散ってしまってでもな。オレはいつまでも、お前の好きな夕焼けを見てサボってるクズ教師だからな。
「オレは、どこまでいっても黄昏ティーチャーだ」
だから、雨の日は別んとこにいること、教えてやるよ。また、お前の顔が見てぇ、逢いてぇって思えるから。オレはお前らが制服を着る最後の日まで、ちゃんと教師でいるとするよ。最後の日は、笑ってお前の卒業を祝ってやれるといいな。
蘭はマトモな方として、残りがメンヘラ、ヤンデレストーカーとろくでもないメンツなんだよなぁ。