「んじゃあ、今日はここまで──と、ちょうどよかったな」
キリのいいところで言葉を発し、それに合わせて終業のチャイムが鳴った。時間をいっぱいに使うことは目標としてるけど、ここまで気持ちよく終わることもそう多くはない。教材を纏めて一年生の教室を出ていこうとしたところで、せんせー! と声を掛けられた。
「どうした?」
「えっとね、前のところでどうしても訳せないところがあって……」
「ノートは?」
「……えっと」
オレンジの短髪、小柄な肢体は大きな瞳と同じで良く動く、見るからにスポーツ少女、といった感じの元気娘の名前は北沢はぐみ。どうやら英語が大の苦手らしく、クラスメイト曰く英単語の小テストで追試を何度も受けてるらしい。いや、ノート取らねぇのが悪いと思うんだけどな。
「……まぁ、いいや。ノートはちゃんと取ること。少なくともオレが担当してるところは、わかりやすけりゃなんでもいいから」
「え、ノート提出とかはしないの?」
「それじゃあオレがわかりやすいものになっちまうだろ」
脳に定着させやすいものってのは個人差があるんだから、提出させたら評価しなきゃいけなくなるだろ。黒板を忠実に、ってので授業態度は確かに見れるからもしんねぇけど、それが覚えやすいかと言われればそうでもねぇんだよな。
つかそうかこの間に一回定期テストあんのか、バカじゃねぇの。なんで他所の高校の定期テスト作んなきゃいけねぇんだよ。
「北沢は英語のなにが苦手なんだ?」
「うまく言えないんだけどね、えーごって、にほんごと違いすぎて……」
「文法とかが、っつうことか?」
「うん……」
言っちまえば日本語の主語の後に述語にあたるもんが来ずに長々と言い訳から入るって言葉のスタイルそのものが珍しい部類なんだがな。日本語を母国語にしてるオレたちには自然な流れも、英語や中国語にとっちゃ異端ってことだ。
「あと、SがどうとかVがどうとか……そういうのも」
こりゃあ入口から躓いてんだな。英語ってのはそこまで複雑な言語じゃねぇってのに。母国語だってのを除けば、日本語の方がよっぽど難解で複雑で、かつめんどくせぇ言語もそうはねぇんだよな。
「そうか……それじゃあ今度時間取ってどっかで基礎から教えてやる」
「ホントっ!? ありがとせんせっ!」
「まぁ、せっかく教えてんだから嫌いとは言われたくねぇからな」
──とまぁ、こんな感じで花咲川での教師生活も順調、っつうところだな。羽丘に比べて騒がしいヤツが多いけど、今の北沢とか、おんなじクラスだと、もう一人いたな。ほかにも前からの知り合いとか、果てはオレの秘密も知ってるようなヤツもいるから、正直気が休まらねぇクラスでもあるが。
「せんせー! 今日も寝ずに頑張ったよー!」
「それがフツーだっつうの」
「あはは……それが香澄の場合はフツーじゃないですから」
休まらねぇ原因、それが戸山と、それよりもその隣にいる山吹のことだ。戸山は天体観測で会った猫耳娘だからな、ある程度は好意的だが、そんな戸山がオレに近づくとぜってぇ近くに来る山吹はオレに対してあんまり友好的な感情は持ってねぇ。まぁ、初めてモカとやまぶきベーカリーに行った時が悪い。
ありゃ、いつの話だったか、そうそう梅雨の時期だったな。モカに誘われて、曇天の中、オレはその香ばしい匂いのするそこに入ったんだった。
「いらっしゃいませー……あ、モカ」
「やっほー、さーや」
「さー……や?」
オレはこんなところでモカと同じ年頃の少女に会うなんて思ってもなかったから、油断しきっていた。行きつけ、とは聞いていたけどな。そのせいかモカとの距離感を間違えてた。
──モカは腕に抱き着くかたちで、にへら、と嬉しそうな顔をしてやがった。
「……え、っと、モカ~? そのヒトは?」
「このヒトはね~、清瀬一成せんせー……羽丘の先生だよ~」
「せん……せい……? そ、それにしては~、距離、近くない?」
「あー……それは、だな」
「モカちゃんの全てを奪ったヒトだからかな~」
その言い方は誤解を生む……つか誤解ではならないんだろうが、オレの今後が危なくなるだろうが、というツッコミも機能する前に、山吹は笑顔を凍らせ、そして汗をかき始めた。この顔はぜってぇやべぇと思いつつ、モカにこそっと山吹のことを聞いた。
「下ネタとか、そういうことに耐性のあるヤツなのか?」
「さぁ~? 少なくとも~あたしが知ってるさーやの情報は、パン屋さんの手伝いで忙しくって部活とかにも入ってないってことかな~?」
「……その情報が真実なら、カレシとかいたことねぇだろうな」
「そだね~、聞いたことないね~」
そんなんなのにいきなり真実をつまびらかにしても無駄だろうな。通報待ったなしっつう恐らく最大のピンチにモカは、大丈夫だよ~、と間の抜けた声を出した。いや、その場合の大丈夫は全く大丈夫じゃねぇんだけど。お前ってやっぱり全く信用ならねぇ。
「あの……援助交際って、犯罪……ですよね。しかも教師が、生徒と、って……」
ほら見ろ、明らかに誤解してるしクズを見るような目でオレを睨みつけてるじゃねぇか。つか察するにAfterglow以外のお前の幼馴染なんだろ、なんとかしろよ。そう目で訴えかけ、モカは危機感がなさそうに口を開いた。
「さーや、いつものメロンパンある~?」
「そうじゃねぇだろ。援交じゃねぇって言えよ」
「せんせー、奢ってよ~」
「今奢ったら言い訳しきれねぇだろ……悪い。山吹……でいいか?」
「……はい」
モカのせいで警戒心がマックスだ。山吹になんとか通報は待ってほしいと説得を試みようとはするものの、まぁ、これはあんまり効果がなさそうだとため息を吐いて、それでもなんとか豚箱エンドだけは避けようと努力はすることにした。
「モカとの関係が通報されたらアウトってのは否定しねぇけど……別にコイツを女として使おうとか、そういうんじゃねぇんだよ……わかってほしい、とは言わねぇ。でもオレは、教師だ」
「お~、カッコいい~。惚れ直しちゃうな~」
「はいはい、後でな」
「は~い」
こんなこと言っておいてつい、抱き着いてきたモカをあしらうために腰に手を回して落ち着かせたら意味ねぇと思うだろうが、これはもうクセみてぇなもんで……やってから、あ、しまった、と自分のしでかしたことに気付いた。
山吹の重すぎる沈黙を破ったのは、カランコロン、とドアを開けた新たな来客だった。そこには見覚えのある猫耳娘と、黒髪ロングがサラリと空気になびく、スレンダーなミステリアスビューティーの雰囲気を纏った、恐らくJKが店にやってきて山吹に手を振ったのだった。
「さーや~、遊びに来たよ~!」
「私も、来た」
「か、香澄! おたえも!」
「あ~、やっほ~」
「モカだ、やっほー」
「……と、天体観測の時の先生だっ! お久しぶりです!」
「おう、四月ぶりだな、戸山」
一人は戸山で、もう一人は、おたえ、というなんとも特徴的な渾名を持つ、花園たえ。いや、フルネーム聞いたら、安直だけど。花園は戸山の反応を見て、オレの顔をまじまじと見てから、唐突に、ウサギ、と言い出した。この時から察していたが、コイツはミステリアスなんじゃなくて不思議ちゃんなんだよな。ミステリアスだとクレバーな印象が出るけど、コイツは間違いなく戸山と同じ部類だ。
「……香澄とも、知り合いなんですか……まさか」
「そのまさかは完全に違う方向に行ってるな」
「先生は日菜先輩、ですよね!」
「……ふーん」
「あ、待て、なんだその手に持ってるスマホは、ちょっと、話を聞いてくれ!」
「あははは、やっぱり、このお兄さん、面白いヒトだ」
「そーなんだよ~、めちゃめちゃ面白いよ~」
「いい先生だよね~、モカちゃんが羨ましい!」
「お前らも言ってねぇで山吹を止めろっつうの!」
──とまぁ、こんな感じで回想終了。こんなファーストコンタクトで良好な関係が結べるはずもねぇよな。まさかこんなところで再会するなんてな
ちなみにこのクラスには件の花園もいるんだが、今日はそういう気分じゃねぇようで、チョココロネを食べてる小柄な少女と楽しそうに談話中。助けてはくれねぇ。
「さーや、先生はいい先生だよ? そりゃあ、ちょっと問題はあるかもだけど……」
「いやいや、問題だらけでしょ」
「え!? せんせーってなにか悪いことしてるのっ!?」
してるしてる。北沢には多分言ってもわかんねぇと思うけどな。山吹曰く、一応はモカもすごく嬉しそうだったし、巴もいいヒトだ、って言ってたから通報する気はないけど、香澄たちに、私の友達に手を出すようなら考える、だそうだ。つまり監視者ってわけだ。オレじゃなくて千聖を監視しといてくれ。花女での問題は白鷺千聖ただひとりなんだからな。
「まぁ、詳しいハナシはこころと奥沢にでも聞いてくれ。アイツらが多分一番北沢にわかるように説明してくれると思うからな」
「こころんとみーくんだね、わかったよ!」
「……そこで投げるんですか」
「オレの口からはやべぇだろ」
「確かに」
そんな山吹との会話を最後に教室から移動した。ホント、気の休まらねぇトコだ。いかに羽丘で、オレのことを知ってるヤツらがそれを最早当たり前だと思っているのかがわかったよ。ホントは山吹とか、紗夜みたいに、異常だと反応するのがフツーだっつうのにな。
「清瀬先生」
「……と思ったところにお前か」
「どうかしましたか?」
「いいや? 一年になにか用でもあったのか?」
噂をすればなんとやら。ちょうど階段から氷川紗夜が降りてきたところだった。双子ってだけに何度見ても瓜二つの顔立ち。印象は違えから流石にもう間違えたりはしねぇけどな。
紗夜はオレの質問に、いいえ、と少し暗い表情で首を振った。えらく沈んだ声だな。
「先生は、今から職員室に戻りですか?」
「まぁな。その後は生憎、暇してるけどな」
「……あなたが言うと、とてもいかがわしく聞こえますね」
「おい、どういう意味だよ」
「逢い引きを誘っているように聞こえる、ということです」
そりゃ結構な解釈だな。せっかくヒトが親切心を出してんのに、顔まで逸らしやがって。オレの顔見てそうなったってことは、大体ヒナだろ。またアイツがなんかやらかしたか? それとも、オレ関連か?
「放課後、屋上来い。強制な」
「……貴方なら、そう言うと思いました。だから会いたくなかったのに」
「んじゃあタイミング悪かったと諦めるんだな」
そんな気になる顔しといて、ハイそうですかなんて見逃すような薄情な教師にはなりたくねぇんでな。余計なお世話でも、鬱陶しい大人のお節介でも、なんであっても、ガキが重い荷物を持ってんのに、笑って通り過ぎるようなことは、オレにはできねぇからな。
「屋上……タバコは吸わないでくださいね」
「わかったよ」
「それでは……失礼します」
そう言って、あくまで気丈に振る舞って、紗夜はオレから背を向けた。
なんつうか、ホント、生きづらそうなヤツだな。独りでなにもかも抱えやがって、それが正しいと信じてる。そうじゃねぇだろと思うんだけどな。
「もっと周りを頼りにしてもいいんだけどな」
「それを教えるのも、先生の仕事ということね!」
「まぁ、教える必要がねぇやつも世の中にはいるけどな」
「あら、それは誰のことかしらっ?」
「……いつの間にかオレの隣に立ってるお前とかな」
あら、じゃねぇんだよ気配を消して突然出てくんな。お前に教えることなんてねぇよ。つかココに来て気付いたけど、特に英語はオレが教えるようなレベルの内容なんて完璧に頭に入ってんじゃねぇか。英語ペラペラとか聞いてねぇ。
「紗夜のこと、先生はどうやって攻略するのかしら?」
「人聞きの悪いこと言うんじゃねぇよ」
「あら、違うの? 美咲はそう言っていたけれど!」
「アイツ……ったく攻略ならもっとオレの役目じゃねぇな。オレは背中を押すだけ。あんまりにも素直になれねぇバカ姉妹のな」
アイツを傷つけるヤツがヒナだってんなら、許せるのも、またヒナしかいねぇんだよ。最後はあの二人が自力で思ってることを伝えあわなきゃ意味がねぇ。それが、わかり合う、関係がよくなるってことだからな。
「……頑張って、魔法使いさん。先生の魔法ならきっと、日菜も紗夜も、笑顔にできるわ!」
「こころからお墨付きもらえるなら心強いな。うまくいく、そんな気がしてくるよ」
オレには、世界を笑顔にできる、なんて自信はどこにもねぇ。それが子ども相手なら尚更だ。今もこころに言葉を掛けられなかったら、結局紗夜をなんとかしよう、なんて思わなかったかもしれねぇ。
──どんだけ失敗しても、同じ失敗はしねぇ。向き合えずにした失敗は、向き合うことでしか、払拭できねぇからな。
「ありがとな」
「あたしはなにもしてないわ!」
「……いや、ココで教師やってるから、オレはオレを見失わずに済んでるよ」
「そういうことなら、もっともっと、思うままに先生でいて欲しいわ!」
「そうさせてもらうよ……それじゃあ、行くかな」
オーナーの望みとあれば、ここでも自由気ままにクズ教師をやらせてもらうとするかな。せめてオレを先生、と呼んでくれるヤツを笑顔にするため、裁きを受けるその日まで、クズと罵られながら教壇に立たせてもらうさ。
こころと別れたオレは、教師としての仕事にキリをつけてから、屋上へと上がった。そこには既に、風を受けて髪を靡かせる、青い薔薇が佇んでいた。
「呼びつけておいて遅れるなんて、随分ですね」
「仕事が遅いもんでな」
「もう少しまともな言い訳をしてもいいと思いますけど」
「必要ねぇだろ。悪かったな」
「……いえ」
こころが設置してくれたらしい灰皿を挟んで、オレと紗夜は街を見下ろしていた。所在なさげに目を泳がせる紗夜は、まるで迷子の子どもだった。左右もなにもかもを失って泣きじゃくるガキに、オレは目を向けた。
「で? なにがあった?」
「……先週、テレビで初めて、日菜のギターを聴きました」
「そっか。一歩、踏み出したんだな」
「……でも、その一歩で、なにも分からなくなって……自分のギターが、酷くつまらないものに感じて……」
ヒナと紗夜はすぐわかりそうなことだけど、真逆の感性を持ってる。天才肌で感覚に身を任せるヒナと、努力と経験に裏付けを大事にしていく紗夜。だからギターひとつでも到達点は別にありそうなもんだが、紗夜はヒナの音楽を到達点だと感じたようだな。自由と感覚、楽しいことを見つける旅のようなアテもなにもねぇ音楽……でもオレから言わせれば、違ぇだろ、と言いてぇけどな。
「……お前が自分の演奏をつまんねぇってんなら、そうなんじゃねぇの?」
「──っ、そ、そう……ですね」
「そうだよな。お前は、正しすぎるお前が嫌いだもんな」
「……正しいというだけに意味はない、と先生なら言うのでしょうね」
「まぁな。正しいだけだったら音楽なんて打ち込んじまえば、それが完璧だろ。音楽ってやつはな、
オレはガキのころ、ジャズを好んで聴いてた。好きな女が好きだったからってだけの浅ましい理由だけどな、思いのほかハマっちまって、呆れられたっつう過去もあるんだが、その中でその時の気分でアレンジの入るジャズに魅せられたからこそ、メトロノームとチューナーじゃ、音楽はできねぇって知ることができた。正しいだけじゃ、何も得られねぇってことを、オレは音楽から学んだんだ。
「……なら、私はギタリストに、向いてなかった、ということですね……それなら、納得できます」
──そんなオレの言葉に紗夜は項垂れそんな諦めの言葉を吐いた。正しさを追いかける自分には、ギターは向いてない、ヒナにできて自分にはこれ以上は無理だ、と見えねぇ表情と沈黙で語る紗夜に、オレは……ありったけバカにした顔で煽ってやった。
「はぁ? お前の脳内どうなってんだよ。妹同様お花畑なんじゃねぇの」
「なっ、どうして、そんなことっ……! 」
「どうしてだと? 言ってやるよ。お前がとんでもねぇバカだってわかったからだよ」
「バカにされる筋合いなんてありません! 私は私なりに、苦しんでそう答えを出しました!」
「それがバカだっつってんだよ」
「ならどうしたらいいのよ!」
怒り、ひょっとすると近隣住民にまで聞こえそうな声量に、目に涙を浮かべた必死な表情。もう諦めると言ったくせに、オレの言葉に縋るような表情。
諦めたくねぇならそう言えよ。私にはギターしかないのよ、だろ? 変なとこで行儀良くなってたって、損すんのはお前だけだっつうのに。
「……オレが知るかよ。お前の音楽だろ、てめぇの芸術なんて、てめぇで認めてやるしかねぇだろ」
「そんな風に上から見下ろさないで!」
「見下ろすだろうよ。お前はガキ、オレは大人だからな」
それ以上言うことはねぇから、オレは紗夜を置き去りにする。
やれやれ、嫌われたかな。あ、いや紗夜には前からか。どうやら魔法は失敗しちまったかな。まぁ、オレが答えを与えてやんのはカンタンだけどな、それじゃあお前は、ヒナとまっすぐは話せねぇだろ。だから自立しやがれ。ヒナに依存して何かを成そうとすんのは、もうやめろ。
「……優しい魔法使いさん? 今日は雨が降りそうね?」
「気づかなかったな。なんだ、傘でも貸してくれるのか? 太陽さん?」
「それなら、あたしは隠れてしまっているから、無理そうね」
「んじゃあ……雲に隠れてる間、失敗続きのダメな魔法使いとデートでもしてくれるってのか?」
「それなら、とーっても楽しそうねっ」
「そりゃよかった、どちらまで? エスコートなら任せな」
「貴方が笑顔になれるところまで、素敵な魔法を見せて欲しいわ」
焚き付けた手前、そうやってオレを慰めてくれるとはな、なんともまぁ、ホントにオレなんかが教えること、なんもなさそうだな、太陽サマは。
──んじゃあまぁ、付き合ってもらうとするかな。雨が上がるまで、オレの魔法が良い結果を運んでくれることを願ってな。
魔法は不発、残念でした。