一成が倒れた。そんな関係のないヒトからすれば小さな事件かもしれないけど、少なくともアタシたちの中では大きな事件として瞬く間に情報が広がっていった。
原因は精神的なショックだって、モカが一成のスマホで連絡を取った精神科の先生は苦笑いをしながら言った。そして翌日、見舞いに行った時にそんな先生にアイツの過去の話を聞いた。
一緒に来てたのはモカと日菜さん。二人はそれぞれの面持ちでその話を聞いた。
「まず、清瀬くんの高校時代のハナシを、知っているか?」
「いえ……詳しくは」
「あたしも、カズくんの初カノジョが高校生の時ってハナシしか……」
「氷川さん、それじゃあ、そのカノジョがどうなったかは知らないんだね?」
「……うん、あ、はい」
アイツは、一成は自分のハナシをしたがらない。突っ込んで訊こうとしても、自分語りはしたくねぇなって躱して、アタシにも日菜さんにもモカにも、過去を明かしたことはなかった。だから、日菜さんの言ってた元カノのハナシも、ちょっとしか聞いたことはなかったから、自然消滅でもしたのかとでも思ってた。
「──清瀬くんの高校時代の恋人は、もう亡くなってるんだ」
「亡くなって……って、死んじゃってるの?」
「そう、彼が大学二年生に上がる寸前にね」
「……そんな、ウソ」
「ホントだよ、蘭」
動揺するアタシと日菜さんに対して、静かな肯定をしたのは、モカだった。メッセージの中身を見たモカは、その言葉がホントだって知ってるんだね。
だからかな。一成は思い出を探るような顔をすることが多いんだ。もう、一成が好きで、どうしても一緒にいたかった一人目のヒトは、思い出にしかいないことを、心のどこかで分かってたのかな。
「でも、カズくんと先生がなんで知り合いなの?」
「ウチの息子がね、大学の同期なんだ。それでかつ、清瀬くんが一番不安定なところを見て、ウチに招待した人物でもある。そういう繋がりさ」
「なるほど~」
ハナシによると一成の大学入学時からかなり不安定な時期があったらしい。それはさっきの元カノのことで不安定になってた。
一成がそのヒトに誓って、教師を目指して大学へとやってきてすぐ、その先生は病気で倒れてしまったらしい。だから一成はそれを三年間、気づいてあげられなかった自分を責めていたみたい。
「それじゃあ、最初はまだカノジョさんとも繋がりがあったんだ」
「そうだね、何度か大学を休んで地元の方に帰っては、その彼女に怒られた、と私に話してくれたよ」
そのヒトは、多彩な才能を発揮できる才媛と呼ばれたヒトだった。けど恋愛には全然興味がなくて高校教師になってからも独り身だった。そんな時、当時は星を見ることが好きな男の子に出逢った。それが、清瀬一成という生徒だった。
「……っと、こんなに話してしまっては清瀬くんに申し訳が立たないな。続きは、清瀬くんが語ってくれるよ、きっと今回は大丈夫だろうから」
その言葉を最後に今日はもう帰りなさい、と言われ日菜さんもモカも沈んだ顔で外に出た。ここまで知ったアタシたちに、流石のせんせーも話さざるを得ないだろうってタイミングの切り上げ方だってモカは呟いた。温和そうだけど、一成のメンタルをケアしてるヒトだけにそういうところは強かなヒトみたいだ。
「……それじゃあ、明日は来ないんだよね」
「多分、このまま泊まりでしょうし」
「そっか、カズくんは
「……仕方ないと思いますよ~?」
「仕方ないとかじゃないよ。あたしは」
「──仕方ないんですよ。日菜さんがどんなにワガママを言っても、せんせーはこの状態なんだから」
「そんなこと、あたしだってわかってるよ」
「ホントですか~?」
「ちょ、モカ、日菜さん、急にケンカは──」
仲裁に入るケド、明らかにモカの様子がおかしい。待って、モカは何か知ってるの? そんなことを問い掛ける前に、モカはさっさと何処かへ歩いていってしまった。まるで日菜さんやアタシ、なにも知らずにのうのうとしてる二人が許せない、とでもいいたげな背中を見せながら。
「……ねぇ、蘭ちゃん?」
「はい」
「お腹、減ったね」
「……そういえば、もうそんな時間ですね」
お昼はとっくに過ぎてる。日菜さんに指摘されて漸く、腹の虫も空腹を思い出したようにくぅ、と鳴いた。
いつもだったらムカつくし恥ずかしいから腹を殴ってやりたくなるけど、今は、その音に笑う日菜さんの雰囲気が和やかになったし、仕方ないから許すことにした。
「おねーちゃんたちがね、CiRCLEでランチ食べるんだって、よかったら一緒にどう?」
「……Roseliaのメンバーと?」
それは、つまり湊さんもいるってことだよね。アタシ、湊さんはあんまり得意じゃないし、あこは何言ってるのかわからなくて、白金さんは白金さんで会話が続かない。逆に紗夜さんは前までは会話は続かなかった。今は日菜さんと、なにより一成っていう共通の話題があるけど。あでも、今日は紗夜さんやリサさんに、一成ことを伝えないと。
「行きます」
「じゃあ、れっつごー!」
日菜さんはそうやってアタシの少し前を歩きだした。一成が倒れて、三人の中で一番ショックを受けてるのは多分、日菜さんなのに、いつも通りを維持しようとしてる。アタシが気にしないで済むようにいつも通りでいようとしてくれる。このヒトはホントに、一成に悪魔とか言われてる、日菜さんなんだろうか。それとも、一成に触れて、変わったのかな。
「ん? どしたの蘭ちゃん」
「……いえ」
このヒトは一成にとっての、最初の
「いやぁ、オレはヒナと向き合えてなんかねぇよ」
「……は?」
──けど、花咲川に行く前の一成はそうやってアタシの言葉を笑い飛ばした。ベランダに腕を置いて、タバコは吸ってないけど、その代わりに缶コーヒーを飲みながら、黄昏に照らされた、カッコいい大人は、くしゃりと特別なヒトにしか見せない子どもみたいな顔で、そうやって笑い飛ばした。
「だって、蘭はアレの言動、理解できてんの?」
「……無理、だけど」
「そう、無理なんだよ。理解なんてできるわけねぇ、精々、行動を見てからあの能天気な頭がどう動いてるかが分かる程度だよ。オレはあの天才ちゃんの考えてることなんて一パーも理解できちゃいねぇさ」
少なくとも日菜さんはそう思ってなさそうだけど、その差はなんだろうと考えてると、一成はアタシにキスをしてくれた。
教師からもらったは思えない熱の籠ったキス、返事はもちろんアタシからのキスで、アタシからは愛してる、という意味を込めて。
そんなセンセイとセイトの関係にしては不釣り合いな甘い時間の後、一成はにっと笑顔を見せた。
「ほらな、理解できるだろ?」
「……だね」
「ヒナにはそれがねぇんだ。でも、オレはそれでいいと思ってる」
「いいの?」
「アイツを理解できるなんて、それこそ
その言葉にアタシはとある哲学者の言葉を思い出した。怪物と戦う時、自分も怪物にならないよう注意しなければならないって、感じの言葉。
氷川日菜という人物を理解するためには、あのヒトと同じ思考をしなきゃいけなくて、一成はそうなったら自分の理想の教師になれないから。だからそれを否定して見せた。
「アイツを教師として正しく、間違ってても最後にはアイツにとっていい方向に導いてやるには、アイツと向き合うのはナンセンスで、理解なんてしちゃいけねぇんだよ」
理解しすぎたら同族嫌悪でヒナを拒絶しちまうだろうからな、と最後に付け足した一成に、アタシはそれがわかってるってことじゃないのか、とも思ったけど、上手い言葉がでなくて代わりに、他のヒトのことを熱く語った浮気者の腰に手を回して、向き合ってくれる喜びを噛み締めた。
生徒じゃなくて、アタシのことはその先まで見てるから、こうやって向き合ってくれてるのか、と思うと、嬉しかった。
──そんな一成とのなんでもない日のことを思い出して、また日菜さんの背中を見た。
今、一成はいないんだ。だったらアタシが。
「日菜さん。平気そうなんで余計なお世話かも知れませんけど……ヤなことがあるなら、アタシは先に行ってますから」
「……あはは、そこは胸に飛び込んでもいいよ、じゃないんだ」
「アタシは、一成じゃないし、日菜さんでもないんで」
「……そっか、そっかそっか♪」
なるほど、謎だと思ってた日菜さんと一成はこうやってコミュニケーションを取ってたってことか。アタシは日菜さんをこれっぽっちも理解して言った言葉じゃない。けど、日菜さんにとってはそんな言葉こそが、言われて嬉しいものでもあるんだ。
そうするとつまり、一成はそうやって日菜さんを認めながら、サラっと躱す、そんなカッコいい大人を目指して失敗したってことか、ホント、色々残念な大人だ。
「日菜さんは認めながら、こうやってそのヒトのありのままでぶつかるヒトが好きなんですね」
「んー、よくわかんないケド~、そんな感じかも? あたしをわかろうと頑張るヒトより、あたしが他のヒトと違うことを知った上で、自分はどうするか教えてくれるヒトが好きだよ」
「一成はピッタリですね」
「そうそう。だからカズくんは一緒にいて楽しいよ」
天才だから、凡人には考えも及ばない。だからそれを凡庸な言葉で当てはめてなんかほしくない、か。
アタシが湊さんや日菜さんを苦手にするのは、そういう壁を感じるからなのかもしれない。いや、こればっかりはアタシが凡人だなんて認めたくないけど。でも、そっか、一成が言ったことがアタリなら、逆もまた真実だ。
──怪物と戦いたければ、怪物を理解して、怪物になればいい。だったらアタシは日菜さんを理解したいな。
「なんかヘンなこと考えてるかもだけど、蘭ちゃんは充分、コッチ側だと思うよ?」
「え?」
間の抜けた声が思わず出てしまった。コッチ側って、まさか、湊さんや紗夜さん、日菜さんがいる場所ってこと? でも、いつも差を感じて、アタシは焦って、噛みついてばっかりで、そんな追いついてるだなんて、まだまだなのに。
「だって、カズくんが言ってたよ? あたしと蘭ちゃんのソリがビミョーに合わないのは、
「……一成が」
アイツは、色々なものを遺していく。いや、死んじゃったワケじゃないけど、アタシには日菜さんのことを、日菜さんにはアタシのことを。そうやって笑って、時々真剣に語ってた言葉はこうやって一成がいなくなってから、バラバラの二人を繋ぐ橋になってる。
争うくれぇなら、二人でも三人でも纏めて後ろ暗くても構わねぇよ。そんな風に、けど腰を痛そうにさすりながら言ったこともあるアイツは、一体どんな世界が見えてたんだろう。やっぱり、大人って自称するだけはある。
「カズくんってさ、ホントクズだよね」
「ええ、ホントに」
「あたしには蘭ちゃんのこと惚気けてくるんだよ?」
「アタシには日菜さんのこと惚気けてきますね」
「一緒だ!」
「はい」
アタシは、日菜さんとこうして話ができてる。それは、意味が分からない言動の多い日菜さんを、一成が認めてるから。
アイツにとって、日菜さんは、多分アタシと同じくらい、いなくなってほしくないヒトだからだ。悔しいけど、妬けるけど、このヒトは一成が悔いのない教師として生きる上で、必要なヒトだ。つまり、それはアタシにとってもおんなじってこと。
そんなことを思っていると、日菜さんは、いつもの人懐っこそうな笑みを維持したまま、
「……あたしさ、誰かに負けたこと、なかったんだ」
「……そう、なんですか」
「うん。スポーツも、勉強も、一度もね。そりゃあじゃんけんとかは別だけどさ、そういうのじゃなくてさ、えっと、んー、上手く言えないけど、蘭ちゃんなら分かるよね?」
「ええ、まぁ」
「よかった、コレが伝わらないと理不尽だもんねー」
周囲の気温が下がったんじゃないかってくらいに鳥肌が立つのに、ヒリヒリしそうなくらい、日菜さんは熱い感情をアタシに向ける。こんな熱いのにいつも通りで……多分、こんな熱いのにいつも通りだからこそ、余計に日菜さんから視線が離せない。今すぐにでもこの悪魔はアタシの首元に刃を突きつけてくるんじゃないかってくらいだ。
「……
「負け知らずだって、いつかは負けますよ」
「あはは、まぁ、確かにね、おんなじ負け知らずのこころちゃんとかいるしね。でも、そうじゃないよ。こころちゃんも夏休みのことがあるけど、誰にも負けたくなかった、負けるなんて思ってなかったカズくんとの時間を、横から蘭ちゃんが奪った、ってゆうのが、ダイジなトコだよ?」
「奪ってなんていませんよ。一成は誰かを選んだりしませんよ」
「あは、言うねぇ、蘭ちゃん。もう理解者気取り?」
「まさか、アタシは真似をしてるだけ」
引いたら負けだ。臆したら死ぬんだ。アタシが今いる場所は、誰でもない、一成がここに居てくれって言ってくれた場所なんだ。
「……カズくんの口癖、知ってるでしょ?」
「なんですか?」
「カズくんは明日を信じない。信じられない。そんなカズくんが卒業まで面倒なんて、見てくれると思う?」
「それは」
一成が倒れる前なら、思ってます、って啖呵切れたけど、今は、言葉が続かない。
アイツは明日を信じない。今ならその理由がわかるけど、信じて裏切られてるから。ずっとなんて言葉、一成は本気で口にしたことはない。一成が信じるものは明日じゃなくて過去だから。
「蘭ちゃんはカズくんにとっての未来の希望だったのかも。でも、その未来を信じてないカズくんが蘭ちゃんを希望だなんて本当に思うのかな?」
──いいか、不信は毒だ。一度信じれなくなっちまうと、それが周囲を腐食して、いつか全部が信じれなくなる。
そんな言葉の通りだ。少しだけ感じた不信感が、一成の言葉を溶かしていく。アタシの中で大切だった言葉が、意味のない音の羅列に変わっていく。
「結局、カズくんはまた離れちゃうのが怖かっただけだよ。だから生徒だ、って言って女の子を囲うクズで、そうやって求められる自分がキモチイだけ」
「……だとしても、日菜さんだって、そういうことになりますけど?」
「そうだね。あたしは別にそれでもいいよ? あたしが気持ちよくて、カズくんがキモチイならさ。求めてあげるし、えっちだってシちゃえるから」
それは、都合の良い関係だ。浅ましくて、剥き出しの性欲に身を任せるだけの、都合の良い関係。日菜さんは、それを許容してたんだ。それを認めることを指して、一成に好きだって言葉にしてただけ。一成も、それを許容して日菜さんを抱いてるってこと。
「あはっ、蘭ちゃんにはムリでしょ。カズくんがホントに欲しいのは、あたしたちに求められたいってゆう気持ちと、カラダだけだもん。蘭ちゃんはそんなの、認められないもんねっ、認めてあげられるのは、あたしだけだもん♪」
一成はずっと、大人であろうとした。理性的であろうとした。それはコレを懸念してたんだと、アタシは今になって気付いた。
自分がいなくなった時、なにが起こるか。それは日菜さんの暴走に始まる、一成の争奪戦。モカはそれをいち早く察知して、アタシたちから離れていったんだ。
初めて負けた氷川日菜という天才が、死にもの狂いで欲する勝利、清瀬一成の独り占め。ああ、止めなきゃいけないのに、今のアタシには止められない。このまま日菜さんの思い通りになったら、一成は今度こそ教師を全うできないままになる。それだけは、例え、アタシがアイツといられなくなっても、それだけは阻止しないと。
無力を噛み締めながら、アタシは日菜さんと反対の方へと歩いていく。先手が打たれてるなら、わざわざ
「……ですね。でも、アタシはアタシの信じる一成を信じます。それが──アタシが目指す、青春ですから」
「いいね、そうこなくっちゃ!」
今日で、温かったアタシたちが奏でる青春ガールズロックと、それを受け止めて日常に帰る黄昏ティーチャーの関係はここでおしまい。
ここからは、アタシたちによる、泣いて、怒って、出し抜いて、自分の信じる一成のための、修羅場の始まり。
──アタシと、日菜さんの戦争の始まりだ。
薄氷の上で成り立っていた関係は、楔を失って崩れていく。
そうやって、取りこぼして、繰り返す。何度でも。