──迂闊だった、としか言いようがないわね。パスパレ全員が集まる雑誌の撮影、私は今日、完全にプライベート……つまり日菜ちゃんと一成さんの揉め事、彩ちゃんと私の三角関係を切り離して臨んだ。プロとしてそうあるべきだと考えていた。それがそもそもの間違いだったことを後になって思い知ることになった。
間違いではなかった。プロとしての心構えとして私は正解だった、けれど、それはあまりにも自分本位でしかなかった。相手もその気持ちで臨んでいるかどうか、それを考えずに、何が正解だというのかしら。きっと一成さんに叱られてしまうわね。
ホンモノの悪魔と化した日菜ちゃんがまさかそこまでやるなんて思わなかった、なんて、危機管理が甘いなんてものじゃないし、言い訳としては最悪もいいところね。
「お疲れ様です」
そんな後悔より少し前、一通り撮影を終えて息を吐いた私は、その視界の端に嫌なものを見つけた。所感を語り合う麻弥ちゃんとイヴちゃん、それは大丈夫、いつもの光景だけれど、その横、マネージャーと笑いながら、どこかその関係以上のものを感じさせる彩ちゃん、そして、そこに満面の笑顔でやってくる、日菜ちゃん。その横顔はひどく寒気を感じさせるもので、綻んだ口許というよりは、真っ黒なモノが、三日月に裂けたような、おぞましさ。
日菜ちゃんはマネージャーと話してる。なにを? 頭に嫌な想像が膨れる。いくら日菜ちゃんでも、そんなことはしない。きっと、私の考えすぎよ。そんな風に考えながら、楽屋へと向かう。急がなきゃと少し、この胸のざわめきを抑えるために着替えながら三つのスマホ、そのうちの一番シンプルな、けれど今の私には一番大切なものを取り出し、電源をオンにした。
「一成さん……」
「それが、イマのオトコの名前、か?」
「──っ!」
ノックもせずに、そんな怒りがふっと湧いた。鏡に映ったのは、マネージャー。私が子役の時からの知り合いであり、かつて私を愛してくれたヒトであり、今は彩ちゃんを愛している、私が今でも忘れられない過去の遺産、素敵な思い出。
そう、思い出なの。あなたはあくまで思い出。二心を持っていると言ったけれど、私にとってのイマは、行くかと手を差し伸べてくれたあの日から、あのヒトだけ。
「……ええ、そうよ。言ったでしょう?」
「遊びはやめたのか?」
「あのヒトの前にそういう飾りはいらないもの。このスマホと同じよ」
スマホと同じく剥き出しのまま、彼にはそれでいい。結局は芸能活動に輝く女を抱くことに悦を感じたあなたにはわからないでしょうけれど。なにせバッシングを一番受け、世間から飽きられた元子役をあなたはアッサリと捨てて、夢にまっすぐ全力でアイドルをこなすあの子を選んだのだから。
「……なぁ、千聖。なんでだ? あの遊びは、別の男を探すために使っていたのか?」
「なんの話?」
「他のオトコなんて結局飾りで俺の気を引くため、そうじゃないのか?」
自意識過剰……と言いたいけれど、間違ってはいないわね。あなたに嫉妬してほしかった。あなたが捨てた女はこんなに価値があるのよ、と思い知らせたくて始めたアソビ。だけど、出逢ってしまったのよ。私は私を満たしてくれるヒトに、不誠実なうえにクズで、どうしようもなく愛しくて、カッコいいヒト。
「一成さんは他のオトコとは違うわ」
「──っ、な、んで……」
「飾りのついた女しか愛せないあなたには、一生わからないわ。いえ、わかってなんかほしくない」
女はステータスじゃないのよ。それをあなたはなにもわかってない。ああそれとも、嫉妬してほしいとカラダを汚す私すら、手に入れてると思って悦に浸ってたのかしら。機が熟して、それも無意味だとわかってまた芸能界で輝けるようになったら、甘い言葉で彩ちゃん諸共、手中に入れてしまおうと、そういう算段だったのかしら? 浅はかだわ。だから最近、あなたではなくプロデューサーの方を頼っているというのに。それにすら気付いていないだなんて。
「前々から思っていたけれど、この世界は恋愛が中心じゃないのよ? もちろんあなたのように下半身でしか物事を考えられないクズもいるでしょうけれど」
「それはっ、それはそのカズナリってヤツも同じだろ!」
「……一緒にしないでもらえるかしら?」
「日菜から聞いたんだ! その男は自分やほかにも複数人の女を囲って、飽きれば捨てるようなクズだって、お前はその男に騙されてるんだ!」
──やっぱり、日菜ちゃんがコイツに話していたのはそういうことね。日菜ちゃんは私を一成さんから引き離すために煽ってみせた、と。よく彩ちゃんが許可して……ああ、どのみちこの事件を引き起こせば、私はコイツから離れずにはいられない。そこまで計算してあるのね。さすがは日菜ちゃん。
「騙されてる……そうかもしれないわね」
「なら……!」
「けれど、一成さんには、騙されてもいいさえ思えるわ。あのヒトの温もりと優しさ、なにより弱さに触れて、素敵だと思えるのよ」
あなたにはその弱さを認める力がない。飾りにまみれたあなたに求めることが酷なのかもしれないけれど、どこまでも、それこそ複数の生徒を囲ってでも、教師であろうとするその姿勢は、私にはカッコいいとすら思える。
けれど、今の彼にはなにを言っても無駄みたいね。しかも眼が、怒りと、嫉妬に狂って、なにをしでかすかわからない、という感じね。これは……一成さんに連絡を、そう思った時、マネージャーは、いえ、もうマネージャーとすら呼べないただの獣は、私の手首を掴んできた。
「……なに?」
「お前は、俺が必要なんだろ? 俺に助けてほしくって、まだカズナリってヤツを構うんだろ?」
何か的外れなことを言っているわね。日菜ちゃんの入れ知恵かしら? そんなことはないとばかりに大仰にため息をついて私の手首を握る手を睨みつけた。
いつもなら、そこで怯んでしまうほどの怖がりなのだけれど、どうやら日菜ちゃんの魔法は臆病な獣を魔獣に変えてしまったようで、血走った眼で私を見る。
──その時、スマホから呼び出し音が鳴った。一成さんから、そう思った瞬間、唇をふさがれた。
「……っ、は、ん、なんの、つもり? ふざけているのかしら」
「──ふざけてるのは千聖だ、お前は俺のことをまだ想ってるんだろ?」
「今ハッキリ確信したわ。あなたのことなんて、もうなんとも思っていない、過去を引きずるのはもうやめましょう? あなたも私も、お互いの幻を見ていたのよ」
少なくとも、愛しているヒトに虚飾なんてもう、求められたくない。白鷺千聖をありのまま見てくれる飾らないヒトが今はいるのだから、あなたも、もう彩ちゃんにあの頃の私の影を見るのをやめて。けれど、獣には何を言っても通じない。男女であるが故に膂力の差は歴然、そのまま、もう一度唇をふさがれ、楽屋の床に押し倒されてしまった。
昔はこのヒトのとのキスは認められている、という感覚で好きだったのに、今はもう、気持ち悪いものでしかない。舌の感触も、胸に触れてくる手も、押し当てられる股間も、なにもかもが、気持ち悪い。
「……っ、こんなことしても私は戻ってこないわよ」
「うるさい! お前が悪いんだ。お前が素直にならないから、こうして、こうするしかないんだ……」
最悪だわ。嫉妬に狂った獣は、こうも性欲でしかモノを考えられなくなるのかしら。こんなことをされても、私は気持ち良くなんてない、精々なんの反応もない
ただ、このままはまずいわね。妊娠で既成事実なんてごめんだわ。そう思って一応の抵抗をしていると、また、一成さんからコールがあった。一成さんは……ふふ、まるでヒーローね。もしかして、駆けつけてくれるのかしら?
「なんだってんだ……なんでお前はこの状況で、笑っていられるんだ!」
「……アレはもう、一成さん専用なのよ。私が電源を入れている以上、アレに出ないということは私に何かあった時なのよ。その意味がわかるかしら?」
「……なんだって?」
「ヤるなら早くしないと、気持ち良くなる前にヒーローに退治されてしまうわよ?」
「千聖……!」
それでも、逃亡ではなく私を組み伏せるなんて、愚かなヒト。ああ、そうだったわ。このヒトは普段からは考えられないくらいに、かわいらしく喘ぐ私に興奮するとか抜かしていたわね。残念だけれど、それはあなたに応えただけ。私が本気で余裕のなく男を求める表情をしたのなんて、黄昏に煙を燻らすクズ教師だけ。あのヒトにハジメテを奪われてしまったわ。
だから制服のボタンを外されても、脚を無理やり開かれても、私は彼の前で少女のように泣き叫ぶことはしない。彼を、睨みつける。
「……ココにソイツが来ると思うか? 女を複数囲うようなクズがお前ひとりのために、こんなところまで助けにくると?」
「ええ、それが、私の先生だもの」
「なんでだ! 俺の方がお前を幸せにしてやれる、導いてやれるんだ!」
「無理よ。私を理解した気でいるあなたには、一生」
一成さんは理解なんてしてくれない。だから寄り添ってくれる。わかってるフリもしない、理解した気にもならない。だから、あのヒトは、私の、そして……なにより日菜ちゃんの心を奪ったのだから。
そろそろ抵抗も限界、彼が鼻息荒くベルトを外したところで、楽屋のドアが開いた。ほらやっぱり、彼はやってくるでしょう? スマホを鳴らしたということはそういうことなのよ。鍵を閉めなかったのは本当に愚かなミスね。
「一成さん」
「よう、千聖。連絡しても出ねぇから迎えに来たんだが……お取込み中だったみてぇだな」
「あー、確かに、お邪魔しま~すって感じですな~」
勇者一行のご到着、ってところね。こころちゃん、モカちゃんを連れて、待ち望んだ私の
平気だと思っていたけれど、本当はそうでもなかったみたいで、よかった。私は、壊れずに済んだのね。
「……お前が、カズナリ」
「なんだ、オレの名前、知ってたんですね。まさかマネージャーさんに覚えてもらえてるとは、光栄です」
対峙する男にあくまで慇懃を意識して話しかける。なんか煽られると弱そうな感じだしな。つか、冷静に考えてアイドルの口車に乗って担当のアイドルを押し倒して無理やりって、なんだかな。オレが知り合う大人にはロクなヤツがいねぇとは思ってたけどコイツは最たるもんだな。お巡りさんは今日も非番か? オレも陽の当たるところで教師やってるし、正義もなにもねぇやってられねぇ世の中だな。
「千聖を救うヒーロー気取りか、女を食い散らかすクズの分際で」
「担当アイドル食い散らかすクズに言われたかねぇな」
「せんせーもうけーご剥がれてるよ~」
あ、しまったつい。悪いな、煽り言葉に弱いのはオレも一緒なんだよな。そしてアイツの言うことに間違いはねぇ。つまりお巡りさん来たら捕まるのはオレも一緒ってことだな。言い訳もなにもねぇ、オレにとってはままならねぇ世の中だ。
「まぁいいや。つかさ、オレが会話してんだからとりあえず千聖から降りとけとよこのゲス。自分が何してんのかわかってねぇのかよ」
「お前に説教をされる筋合いはない!」
「あのさ、同じ穴の貉として声を掛けてやってんだよ、コッチはさ」
見たとこオレとトシはそう離れてなさそうだ。つまり、コイツも一回り年下に欲情する変態クズってこった。まいったな親近感湧いてきちまったよ。
けど、性欲のまま子孫繁栄の本能に生きる畜生に成り下がってレイプなんて、そんな気持ち悪いことをするヤツを仲間として迎え入れたくはねぇけどな。
「コイツは……千聖は、俺じゃないとダメなんだ。俺が、俺が……俺がっ、傍にいてやらなかったから、カラダの関係を始めて……俺がもう一度最初から、全部愛してやらないといけないんだ……だから、だからこれは、下心じゃない、俺は正当な理由を持ってるんだ」
「わ~、このヒトきも~い、って感じですな~」
「ヒナのヤツ……何を吹き込んだんだ」
なんか目がイッちまってやがる。支離滅裂、現実逃避、それで股間腫らしてカラダ触ってたら下心だろ。そう思っていたら、千聖がその男の頬を張った。しかも思いっきり、いい音したな。オレがモカに食らったのといい勝負だ。やっぱり親近感湧いちまうな。ドンマイ。
「いい加減にしなさい! あなたのソレは犯罪以外の何物でもないのよ? それであなたを純粋に愛してくれている彩ちゃんを傷つけるつもりなの?」
「……ち、さと……?」
「目を覚まして……お願い。あなたは、彩ちゃんにとって大切なヒトなのよ?」
そうだな。こんな煽られてクソ犯罪者になっちまうようなヤツでも、丸山は大切に想ってる。それはオレだって容易に理解できた。千聖にとってもかつては自分の傍にいてくれた、大切なヒトだ。そんなヤツが暴走してんのを、見過ごせねぇよな。
「──っ、千聖……俺は、俺はお前が……彩は、千聖は、あ、ああ、なにがいけなかったんだ、なにが、なんで、なんで、ナンデ……!」
「うわ〜、バグっちゃった」
「千聖! 大丈夫かしら? ひどいことされてない?」
「……ええ、タイミング良くてびっくりしたわ」
後ずさりして、椅子に引っかかって盛大にコケて、それでも茫然自失としてやがる。コレが、ヒナにおかしくされたヤツの末路、つまりは前までのオレの。アイツ、マジでなんとかしねぇと。それより、今は救い出したオヒメサマの心配だな。
「……ムネ、触られた程度か?」
「キス二回、舌も入れられたし胸とそれと脚と……股間にはアレを擦りつけられたわ」
「詳しく説明すんなよ……」
「訊かれたから答えたまでよ。酷いヒトだわ」
涙は流しているものの、いつも通りでとりあえずは安心した。けど、そこから帰り道、蘭と羽沢が明るい顔で迎えてくれる羽沢珈琲店でも千聖はオレの傍を絶対に離れなかった。気丈に振舞ってるだけ、か。そりゃそうだろうな。蘭は特にそんな千聖を気遣う姿が見られた。
──同じような経験を持つからこその気遣い。千聖が遭ったコレは蘭にも少なからず、ダメージを与えたってことか。そこまで計算しての行動なんだろうが、ヒナのヤツえぐいこと考えやがるな。蘭は、それでも、いつもより口数の少ない千聖に声をかけた。
「千聖さん、今日……一成の家に泊まっていってください」
「いいのかしら? 明日はデートなのでしょう? だからココにいるのに」
「今、離れて辛い思いをしたら、一成や
意外な言葉が蘭の口から飛び出たから、オレも千聖も、幼馴染たちも驚きの顔をした。今までの蘭には考えられない言葉だもんな。元々引っ込み思案だし、どこかに他のヤツとは違う特別っつう意識があったのか、あんまり歩み寄ることはなかったからな。
「……そう、なら、お言葉に甘えさせてもらうわね。ありがとう」
「また今度、ゆっくりお話……聴きます」
「……ええ」
なんだよ、蘭、お前はすげぇヤツだ。最高だ。いつの間にそんなこと言えるようになったんだよ。心の中で絶賛していると、ジロリと蘭に睨まれた。なんだよ、割と本気で褒めてんのに、怒んなよ。
「明日、うっかり千聖さんと寝坊、なんてやめてよね」
「うふふ、それは一成さん次第、かしら?」
「どう考えてもお前次第に決まってんだろクソビッチ」
「私から誘っているような言い草ね」
「そう言ってんだよ」
コイツ、わかってて言ってんだろ。つか途端に機嫌よくなりやがって、何がそんなにうれしかったんだよ、まったく。蘭がそうやって誰かとコミュニケーションをとったことか、それとも単純に、譲ってもらえたことか。どっちでもいいけど、その眼はやめろ。蜂蜜のような甘くて、ドロっと煮詰まってるみてぇな、感情。お前はそれを恋慕の情だとか思ってんのかよ。
蘭やモカたちと別れ、千聖を連れて家に戻った。ようやくだな。待たせて悪かった。
──千聖は、玄関で泣き崩れた。
「怖かった……怖かった……来てくれると信じていなければ、私……わたしっ」
「大丈夫。もう大丈夫だ」
肩を震わせる千聖の支えとして、オレはコイツをただ受け止めた。泣きつかれて眠るまで、キスをして、頭を撫でて、幼い子どもをあやすように。お疲れ、千聖。お前はゆっくり休んでろ。ヒナの件は、オレや紗夜でなんとかしてやるから。
「……かずなり、さん」
「どした?」
「さよちゃんが……」
「紗夜? 紗夜がどうした?」
「あぶない……の。次にひなちゃんが排除するとしたら……さよちゃんよ」
ヒナの狂気は、紗夜にも手を出すってのかよ。そうするとリサも、巻き込まずに……なんて都合の良い展開にはならねぇだろうな。
こうなったら、とことんまでヒナに付き合ってやろうじゃねぇか。また、オレの生徒として、過ごせるようにな。