「あら、それは災難だったわね」
「災難、の一言で済ますな。マジで豚箱を覚悟したんだからな」
蘭の親父さんと出会うというハプニングから二日後、オレは同じく羽沢珈琲店にて、こころからの要望で天文部の活動っつう名目のお茶会が開かれていた。参加者はオレとこころ、あとは千聖と松原、っつうメンツだった。
「でも何事もないなら、とってもハッピーなことだわ!」
「そうね。過ぎたるは猶及ばざるが如し、とも言うし、一成さんがココにいるのだから、これ以上の言葉なんて無駄というものよ」
迎えてくれた羽沢の反応から何かあったのだと察知した千聖に根掘り葉掘り、語った結果が千聖のこのドライさだ。確かにそうなのかもしれねぇし、多分オレも千聖の立場だったら、もう過ぎ去ったことなんだからそれ以上なんて言うんだよバーカ、くれぇは言うだろうけど。立場が変われば、言葉なんてひっくり返ってなんぼだろ。
「えと、お父さん公認になった先生は蘭ちゃんと……結婚しちゃうんですか?」
「そんなワケねぇだろ……」
「でも、それを曖昧にしてまた蘭ちゃんだけ特別になったら……千聖ちゃんが」
松原は純粋に親友のためを思っての発言だったらしい。千聖が、花音は優しいし気遣いもできるしかわいいしいい匂いもするしで最高の親友だわ、とややアブナイ褒め方をしていた。相変わらず松原のことになるとガチだな、お前。なんか満足そうだし、これ以上は言わなくていいか。千聖のことだ、信じてるわ、っつう重くて軽い一言で済ますんだろうしな。
「あと花音はぎゅーってすると、柔らかいわよ!」
「そうね! 髪の手触りもいい、暖かくて……なんとか抱き枕にできないかしら?」
「ふえぇ……は、恥ずかしいです~」
まぁ、松原は包容力ありそうだし、童心に還りたくなったりするときには最適なのかもしれないけどな。大丈夫、オレはクズで最低の変態だけど子どもに戻りてぇって思ってねぇから。そこで同意したら犯罪だから。そんな外から眺めていたオレをちらりと伺った千聖は、にやりと口許を歪める、邪悪な笑顔を放った。
「……まぁそんなこと言う私は、今日は一成さんの抱き枕になるのだけれどね」
「わざわざ口に出す意味あんのか」
「ええ、蚊帳の外決め込んでる、自称大人なクズで変態を拗らせた29歳独身男性もちゃんと巻き込んであげないと、可哀想だもの」
「……改めてプロフィールさらけ出されると死にたくなるな」
まだ十の位が2なのを安堵すべきか、あと一年で3なのを嘆くべきか。特にそのいいトシしたヤツに独身男性ってつけるのやめような。精神的にダメージがくるっつうの。こちとら昔は25くらいで理想の教師になって結婚するプランだっただけに、余計にキツい。
「大丈夫よ。私がちゃんと行き遅れた一成さんをもらってあげるわね♪」
「んじゃあ、人間関係なんとかしてこいよ」
「……意地悪ね」
そうそう。ここで墓穴を掘ったから出せた話題だけど、変化は迎えても終わってはいねぇ。あのマネージャーは今、相当ショックだったようで精神的に病んでるらしい。それは丸山だけじゃどうにもならなさそうだってんで千聖も一緒に付き添ってる。三角関係が結局また、出来始めちまってるってわけだな。マネージャーの精神を支えるには千聖が必要だけど丸山はマネージャーの恋人で、千聖は別の男に連れ去られた。ややこしい状況で、かつそればっかりはオレにはどうにもできねぇことだ。
幸いなのは、丸山も千聖も、その原因を作ったヒナのことを仲間として受け入れていることだな。
「日菜ちゃんは問題を掘り出しただけ。いずれは、誰かが掘って、こうならなくちゃいけなかったのだから、恨むのは道理違いよ」
と、これは千聖の弁論だ。強くて美しい、千聖らしい言葉はオレをこれ以上の心配をさせまいとしての言葉だったんだろうけど、それが言えるようになっただけでも、充分成長してるよな。不器用なとこもあるもんな千聖も。
「……けれど、乗り越えてみせるわ。私はあなたを過去にしたくなんてないもの」
「そっか」
「私は千聖ちゃんの味方だからね?」
「ありがとう、花音」
そんな千聖と丸山、両方とそれなりにかかわりがあるのが松原で、こころ曰く、二人を笑顔にするためにいつも頑張っている、だそうだ。そうだよな、青春に必要なものは恋愛だけじゃねぇ。友達、仲間、ライバル、そういう裏表があって、一口じゃ言い表せねぇような関係も青春には必要だ。そういうことなら松原は千聖にとってある意味、オレ以上に欠かすことのできねぇ存在ってことだ。
蘭やモカにとっての幼馴染で、ヒナにとっての紗夜、紗夜にとってのヒナ、そんなのに近い感じだ。親愛、友情も、打算やいがみ合いだっていっそ、後になればアルバムのように、ノスタルジーに浸れるような一幕ってことだ。
「千聖をよろしくな、松原」
「はい」
「んで、こころは……」
「大丈夫! 花音を一人になんてしないわ! 絶対よ!」
「……悪い、どうやら余計な気回しだったな」
人は最後には一人だけど、独りじゃ生きてはいけねぇ。選択も決定も、結果を左右するのは自分自身でも、その結果に必要な過程は、独りじゃ生まれねぇ。んで、結果すらも、別の誰かに影響を与えていく。
世界は、決してオレたちを独りになんて、しねぇようにできてんだ。
「進展があれば、一成さんにもきちんと報告するわ。なくても、愛してほしくてウソをついてしまうかも」
「ウソなんてなくても、一先ず卒業までは構ってやるっつうの」
「言ったわね、信じるわよ、それも無償で、無邪気に、なにも疑いもなく信じてしまうわね?」
「ああもう勝手にしろ。つかどうせ口に出さなくても信じてんだろ」
「ふふ、うふふ……もちろんよ。けれど、けれどね? 口にしてくれた、ということが重要なの。暗黙よりも耳で聴いた言葉がある、というのが、私と貴方の間に赤い糸を結ぶのよ?」
そりゃ重畳、ってなもんだな、お前は。でもな、
「赤い糸、見えないのに赤いなんて、なんだか面白いわ!」
「そ、そういうことじゃないと思うな……頑張ってください、先生。千聖ちゃんはロマンチックで割と夢見がちなところあるから……」
知ってた。シビアに見えてがむしゃらに頑張る丸山に胸打たれてパスパレの千聖として頑張ろうとか思ってみたり、ヒナに思うところがあったり、コイツの頭は案外お花畑だ。ちびっ子の頃は言動ともにいとうつくしゅうていらっしゃったに違いねぇだろうな。古文苦手だからこんな語彙しか出てこねぇけど。
「……ねぇ? 一成さん?」
しばらく談笑する花音と千聖を横目にこころと、ヒナが見たがっていた流星群のハナシをしていると、脚に細くて白い指が這ってきた。堪えられねぇのかよ。ほら見ろ、そんな甘い声を出すから松原なんて苦笑いしてんじゃねぇか。それで隠してるとか言うなよ?
──ったく、普段の千聖からは考えられないほどの隙を見せられたら少しくれぇ、意地も悪くなるさ。
「ひゃんっ」
「どうしたの、千聖?」
「い、いえ……なんでも、っ……」
「どうした、千聖。顔赤いけど」
「……先生?」
別になんもしてねぇからそんな怖い顔をするな松原。ただ千聖がするのとおんなじように脚に指を這わせただけ。それで、千聖の方が過剰に反応したってだけだ。オレは悪いことなんざなに一切してねぇよ。ちょっと際どいトコを撫でたくれぇじゃここでなりふり構わなくなるようなヤツでもねぇし、偶には焦らされとけ。苦手は克服しなくっちゃな。
こころが首を傾げ、松原が苦笑いするようなやり取りを繰り返し、千聖に余裕がなくなってきたところで時間的にも解散となった。大人の見得で四人分の会計を済ませ、懐が寂しくなったオレに、熱っぽいカラダを持て余した千聖が、見上げてきた。
「……犯されてしまったわ」
「それはこれからだろって感想もなんか違うな」
「こんな、こんなに焦らされて、人前で、あんなことをされたの……初めてなのよ? 恥ずかしくて、いっそ今から死んでしまいたいくらいだわ」
「へぇ……嫌だったんなら今すぐ通報でもしたらどうだ? 強制猥褻、しかも18歳未満を、なんつったら一発でアウトだけどな」
「……変態教師」
「最高の褒め言葉をどうも」
実はここだけのハナシだが、千聖はエロ関連のスイッチが入るとやや押しが弱くなる傾向がある。強引なのは最初だけで、ホントのところは主導権を握るより握られたほうが性癖に刺さるタイプ。いわゆるマゾっ気ってヤツだな。だからオレもスイッチが入るとついつい言葉が強気になっちまうんだけどな。ここで普段の千聖のテンションに戻ったら多分ここがアスファルトだろうとなんだろうと額を地に付けて詫びなきゃなんねぇとこなんだが。今はもじもじと内腿を擦り合わせるだけ。千聖ってキツい印象だけど、実は小柄でかわいらしい一面もあって、その上でこう発情と照れを混ぜ合わされると……アブナイものに目覚めそうだ。いつもは上に乗られてるせいなのかもしれねぇけど。
「ほら、いつもみたいに誘わねぇの? つかさっきも誘ってきてたし」
「……いわ」
「ん? ワンモア、もういっかい」
「……家に、一成さんの家に、行きたいわ、行きたいの」
結局のところ、千聖のハジメテの男であるマネージャーは、この一面を引き出すことは叶わなかったらしい。そこだけは、ガッツポーズしてぇくれぇに嬉しいトコでもある。無責任に、マネージャーから千聖を奪い去ったオレとしては、比べられるっつうことが少しだけ怖いからな。
負けたくはねぇんだよな。カッコつけて奪い去ったクセに、結局はマネージャーの方が良かったってなったら、それは千聖を幸せに導いてやれてるとは言えねぇ、それはオレが囲いたくて、私利私欲のために奪っただけってことになる。それは千聖が認めてくれるようなヒーローの所業じゃねぇからな。
「わかった。んじゃあ、行くか」
「……ええ」
オレは恋人、配偶者、セフレが欲しくて教師をやってるわけじゃねぇ。ヤりてぇだけなら、正直こんな面倒な回り道をしなきゃなんねぇ職業なんてしてねぇさ。クズではあるが、オレはオレを先生と呼んでくれるヤツ、先生と慕ってくれるヤツのために、より良い方向を進んでいけるように道を教えてやりたくてこの道を生きてる。この言葉だって、行為だって、そうだとどっかで信じてるから、もうある種の諦めを含めて、ノるだけ。そりゃオレだって男だ。美人とヤれるならヤっちまいてぇなんて、あたりまえに持ってる感情だから、できることなんだけどな。
「……ねぇ?」
「ん?」
「やっぱり私、焦らされるのは嫌いだわ」
「そうか」
それからすっかり日も暮れ、お互い服もなにも身に着けずに、ベッドに転がって体温と布団でぬくさを感じ始めたころ。千聖はオレの腕に頭を乗せ、くっつくことで顔を合わせずに、言葉をポツリ、ポツリと紡ぎ始めた。なんだかんだでスイッチ入ってたし、気にいってたのかと思ってたけど、そうじゃなかったのか。そんなやや失礼なことを考えながら、相槌を打っていると、千聖はいつもより幼い印象のある声で、小さく、その理由を語ってくれた。
「気持ちよくないわけじゃないの。でも、そのままで終わってしまうんじゃないかって思うと、満足させてくれないんじゃないかって思うと、ダメなの」
「でも、今までの経験上、焦らすの好きなねちっこいオッサンとかいたろ?」
「ええ、いたわ。けれど、あんまり……その、長いと、私が冷めてしまって……」
なるほどな。それでいつしか満足させてくれねぇんじゃねぇかっつう恐怖が、お前に苦手意識をすり込んだってわけか。案外繊細だよな千聖は。人間関係も芸能界での生き方も、全部、その鉄のような笑顔の下に、繊細で傷つきやすくて、なのにハッキリしたいっつうちょっとケンカしちまうような本心があって。それがお前を魔王にしたてあげたんだな。
「でも、一成さんはちゃんと、私を見ていて、タイミングを見て……そうやって細やかなところに目が行き届く。こんな時まで、あなたはカズ先生なのだもの」
「美人とヤるんなら満足させてこそだ。せっかく男が食いつくような女が靡いてくれるんだから、っつう、浅ましい欲だよ。別に教師としてなんか関係ねぇって」
「そういうことにしておくわね……だから、これからもそれは変えないでいて」
ったく、お前はオレをキレイにさせたがるな。そんな体裁なんて必要もねぇくせに、自分が汚れていて、それをオレが慰めるっつう構図に、どうしてそこまで拘る。どうせそれは打算が生み出した感情だろ。もしかしたら、そんな気持ちが、自分を穢れた女だと貶めるんだろ。
「なぁ、千聖。お前を生徒として認めた時のこと、ちゃんと覚えてるか?」
「あなたとの初夜ね」
「言い方おかしいだろ……まぁいいけど」
初めてヤった夜のことだからあながち間違いじゃねぇけど、言葉の端に事実以上に情報を盛ろうとする意図を感じる以上、肯定はしねぇからな。
まぁ、コイツが覚えてねぇなんてこれっぽっちも思っちゃいねぇけど。それでも言われなきゃ忘れてることだってあるからな。
「シてしまった以上、私もあなたの生徒。別に言いたくないなら言わなくてもいいけれど、悩みや苦しいことは、味方になってくれる……そんな内容だったわね」
「100点満点で覚えてんじゃねぇか」
「あなたが先生としてくれた言葉は、大切にしているわ」
「そうかよ……んじゃあ、オレがこれから言おうとしてることは、わかるか?」
千聖は、少しの間があってから、ええ、と答えた。ちょっと迷ってんだろうな。それこそ、テスト範囲の重要な問題をその担当の教師に直接、個別に訊くようなもんだ。不平等の範囲がどこかわかりにくいんだな。今のお前の悩みは、それとおんなじようなことに関するようなもんだからな。
「……マネージャーは結局、悪ではないの」
「そうだろうな。オレとおんなじだ。自分がこうやって千聖に触れることが、千聖にとっての最良だと信じてた」
「けれど、私はあのヒトを悪だと詰って、とても酷いフり方をしてしまったわ」
強姦されそうになったんだから充分すぎるくれぇ優しかったとオレは思うけどな。ずっと一緒に芸能界で生きてきたんだ。今更憎むなんてできねぇんだろうな。そういう無償の愛ってのがわからねぇわけじゃねぇから、千聖の言葉はオレの胸を、少しだけ傷つけていく。
「今、彩ちゃんが傍につきっきりで、あのヒトを癒そうと必死になっているの。私も、マネージャーは芸能活動をしていく上で大切なパートナーだったから、なにかできないかと思うのだけれど……違うのよ。何かが、決定的に」
「マネージャーが千聖を見る目が違う、丸山が千聖を見る目が違う、事情を知るヤツの目が違う、か」
「……ええ」
当たり前と言えばそれまでのことだ。マネージャーにとっては自分を捨てた女。丸山にとっては自分の愛したヒトを傷つけた敵、事情を知る蚊帳の外から見れば、マネージャーによって強姦未遂に遭った、可哀想な子。でもそれは、どれも千聖が望んだものじゃねぇ。マネージャーのことは今でも、男女の感情ではなくとも千聖の中では大切なヒトだろうし、丸山は仲間、自分はそんな可哀想なヤツなんかじゃねぇって思ってる。だからそんな自分と周囲のギャップに苦しんでんだな。だったら、オレができるアドバイスなんて、ロクなことじゃねぇさ。
「オレを頼っていい。千聖の抱えるもんは、お前ひとりで抱えるには重すぎる」
「……一成さん」
「ホントは難しくなるのはもっと後だと思ってオレも言ったんだ。その甘い見通しの詫び含めて、オレは手を尽くす。千聖はオレの大事な生徒だからな」
「ごめんなさい……ありがとう」
謝る方はいらねぇよ。大人でクズ教師なんだ。子どもで生徒の前ではカッコつけとかねぇとな。前に丸山が教えてくれたことには、絡まった糸の中にはオレやヒナも交じってるらしいからな。関係ねぇってそっぽ向いてたら足元を掬われる危険もあるしな。
いざとなったら、クズらしく糸全部を燃やすくれぇの勢いで、オレは手を出すからな。そんな過激なオチにならねぇように、頑張れよ、千聖。雨続きのお前の空に、ちゃんと虹の橋が架かっていけるように。雨上がりに傘を閉じて、そこで夕陽に染まる景色に見惚れちまえるように、オレは千聖を構い続けてるからな。