オレが失意の暗闇で何もかも嫌になってた時、平然とソイツは現れてオレがどうしようもねぇクズだってことを突きつけてきた。まだ熟れてもねぇ女を武器にしやがって、何もなかったオレにたったひとつだけ、ココにいる意味を押し付けてきやがった。
「カズ先生はさ、天文部の先生なんだからさ、ちゃんとあたしが部活してる間は学校にいてよ」
「は? 勝手に活動すりゃいいだろ」
「もー、それじゃあダメなんだってばー」
「あのな氷川、悪いけどちゃんと理由も添えてくれ。オレを置いてけぼりにすんな」
「あーひかわってゆったー、ペナルティだよー? はい、えっち1回ね」
「そんなルール追加した覚えはねぇよ」
そんなくだらねぇやり取りがいつの間にか嘘ついたらペナルティとかいうルールに変わっていくんだが。まぁそれは置いとくとして、ヒナはそんな風にあっけなくオレに居場所をくれた。オレにとって、ヒナが部活終わりにやってきて会話にならねぇ会話をしてくる時間が、何より充実してた。教師として最悪の行動がオレを支えていた。
だからオレは、ヒナに強烈に依存してたんだと思う。居場所はヒナのところにしかねぇ気がして。
「あ、カズくん!」
「よう、ヒナ。部活はもう終わりか?」
「うん。カズくんはお仕事終わったの?」
「ちゃんと終わらせてきたとこだ。タイミングよかったな」
そんな少し前の過去を黄昏の屋上に置いて、オレはひまわりのように明るい笑顔を向けて抱き着いてくるヒナの頬にキスをした。そんな行為が教師として最悪だとかそんな小さなことに拘るオレはもうココにはいなくなっちまって、傍からみりゃ、暑苦しいバカップルなんだろうな。
「よかったぁ、これで明日はバッチリだね!」
「まぁ、そっちは終わってなくても行くけどな。流石に黒服サマ方にまかせっきりってワケにはいかねぇよ」
「そっちよりもみんなが怒るよ、多分」
「……だろうな」
明日は、春のように弦巻家が持ってるペンションで天体観測だ。けど最初の頃はこころとヒナだけだったメンバーは、いつの間にやらえらく人数が増えていた。それはまるで、ヒナに依存してた怖がりのオレが、いつの間にか教師として悪戦苦闘していった時間のようで、笑えちまう。
ヒナがはい、と差し出してきたタバコとライターを受け取り、火を点ける。仕事を共にこなしてきた相棒はこうして部活の終わりを告げる小さな狼煙へと姿を変えていた。
「カズくん、火、ちょうだい」
「……好きだなお前も」
「えへへ~、だって、あたしとしかしたことのないキス……だもん」
唇じゃなくてタバコ同士をつけるキス。呼吸を合わせて、新品だったタバコに火が点いていく様子は、ヒナじゃねぇけど、ヒナとしか味わえねぇもんがあるな。高校ん時も大学ん時は当たり前だった隣で誰かと一服なんてものは、今じゃヒナだけのもんだからな。
「そういや、ヒナは銘柄違うの買ってみよう、とか思わねぇの?」
「え、うん」
「なんで」
「だって、コレはカズくんの味で、カズくんの匂いだもん。あたしは、タバコが好きなんじゃなくて……カズくんが好きだから」
悔しいけど、その気持ちはめちゃくちゃ良くわかった。オレもおんなじだったから。由美子の味で、由美子の匂いだったコイツを、オレは欲してた。高校ん時、未成年の分際で吸ってたのは別にそれがカッコいいとかじゃなくて、由美子の感じてるものを感じていたかったからだ。それは、大学に入ってからもおんなじで。
「あ、でもカズくんがずっとおんなじってのも似合わないよね~」
「は?」
「えー、知らないの? タバコの銘柄を変えないヒトは、一途なんだって。浮気者のカズくんっぽくないじゃん?」
乾いた笑いが出た。うるせーオレは元々一途なんだよと言いたいところだが、結局浮気で由美子をほったらかしにしたオレはそこには黙ってることしかできねぇ。ヒナはオレのリアクションに何故か楽しそうにタバコの先端を赤くして紫煙を吐き出した。
「こーやって、カズくんとゆっくりお話しするようになってさ、色んなことあったよねー」
「あったな、お前はいつもオレを困らせてたな」
「あたしだけじゃないでしょ~?」
そうだけどな、ヒナは特にだよ。けど、それがあったから今のんびりできてるんだけどな。まぁ結果だけ見れば、オレはヒナに感謝してる。こうして教師としてまだ生きてられるのは、多分、ヒナのおかげだしな。
「さて、帰るかヒナ」
「うん! カズくんちでごはん?」
「別にヒナが食いてぇもんでいいけど」
「カズくん!」
「性欲じゃなくて食欲で語ってくれるか?」
そっちはどのみち食うんだろうが。そうじゃなくて、晩メシどうすんだよ。そうやって部室にタバコを置いて鍵を閉めていると、ヒナはなんでもいいよとか言い始めた。それじゃあオレが困るんだよな。
「ホントになんでもいいもーん」
「それはそれで困るんだけどな……」
「じゃあ、ファストフードでいいよ。ぱぱっと食べれるのがいいな」
そうかよ。んじゃあお嬢様の望みのままに、っつうことで。ぱぱっと食べてナニすんのかしらねぇけど。まぁそこもヒナの望みのままに、っつうことだ。
ファストフード店に寄って、持ち帰りのポテトとバーガーを買って、ご機嫌なヒナを部屋に連れこんでいった。
「ねぇねぇ、カズくん」
「ん?」
「こんなに好きにさせて、どうしたいの?」
電気の消えた部屋でヒナが、布団から少しだけ顔を出してそんなことを訊いてきた。そんなこと言われてもな。好きになってんのはお前の自由だろうが。オレはヒナを惚れさせてどうしようとか考えたこともねぇよ。
──逆に、嫌われたくねぇってのはあるかもしれねぇけど。
「あたしが大人になったら……カズくんはどうなってるかな?」
「さぁな。逆にヒナがどうなってるのか、わかんねぇよ」
「あはは、そうだねー」
未来、なんてのはわかりっこねぇよな。でもそうやって未来のことに想いを馳せられるっつうこの時間が、オレは堪らなく温かい気分になった。
やっぱり、ダメだな。暗闇でもわかる屈託のねぇ笑顔でオレに抱き着いてくるヒナをオレはどうしても千聖や紗夜たちと同じには見れねぇ。そういう意味でも、この日常はなに一切変わりがねぇんだ。
「……ヒナ」
「あ……カズ、くん?」
「オレは……」
抱きしめて、全部誤魔化せればよかったんだけど、オレはオレを裏切ることなんてできねぇ。それを生徒たちにさせなかったから、ウソをペナルティなんて決めちまったから、言葉にしようとしちまった時点で、なんでもねぇ、なんて言えねぇ。
蘭にも感じたことだけど、オレは、やっぱり、自分のこの鼓動に逆らうなんて、できそうにねぇんだ。公平な教師なんて存在しねぇように、オレもまた、不公平に、生徒に好き嫌いを押し付けちまうんだ。
「……オレはヒナが好き
「……やめてよ」
「ヒナ……」
「やめてってば、そんなこと言われたら……あたし、どうしたらいいのか、わかんないよ」
「でも、事実なんだよ」
もしもだ、これがもしも
「カズくんはヒドイよ……そうやって、蘭ちゃんにも言えちゃうんだから」
「……そうだな」
まだギリギリ、蘭には口にしてねぇけどヒナはダメだった。こうやって口にしちまった。気のせいなんかじゃねぇ気持ち、こうやって抱きしめて触れるたびに胸に火が灯ったみてぇに熱くなる気持ちは、錯覚なんかじゃねぇから。
「なのにそんなことゆって、あたしが嬉しいわけないのに」
「喜ばせてぇわけじゃねぇ。これはオレのわがままだ。今まで伝えずにいられなかった、オレの弱さだから」
「カズくん……」
闇に溶けるヒナの星空を見て、また少し、由美子の気持ちがわかった気がした。
結局、オレたち大人だって、恋に落ちることがある。それが年下のガキ相手だってことも当然のように。んで、恋は大人をただの子どもに変えるチカラがあるんだ。いや、それとも恋に大人も子どももねぇのかもな。キレイも汚いも、良いも悪いも、何もねぇ。ヒトとヒトが繋がっていくから、そこに貴賤があるはずねぇんだ。
「じゃあカズくん、もう一回、えっちしよ? それで許してあげる」
「……いいのか?」
「だってそういうルールでしょ? ウソついたらペナルティ。あたしにずっとウソをつき続けてきたのを、一回で許してあげるんだから、嫌だなんて、言わせないよ?」
そうじゃねぇよ。お前はオレのそんなクズでどうしようもねぇところを、その一言で、その欲求の解消だけで、許しちまえるのかよ。
オレは、そこに流されるだけのクズだってのに、お前は、それでいいよ、なんて笑えちまうのかよ。
「みんな、そうだよ。だって好きなんだもん……カズくんがさ」
「いいのかよ……」
「
けど、オレが好きだったなんてことを認めちまったら、全部茶番になる。オレが教師としてヒナを遠ざけてきた意味がなくなる。だから、幸せだなんて思ってはくれねぇ。
──オレは、氷川日菜のことだけは好きになっちゃいけなかったんだ。だってコイツはずっと、教師としてのオレを煽り続けてきたんだから。
「ふざけてるな」
この事実に湧いてくるのはどうしようもねぇ怒りだ。無力で弱い自分への怒りだけど、こんなにムカつくことはねぇよ。こんな理不尽で、
ヒナはずっとオレを奮い立たせてくれたんだ。教師でいることを諦めてた時も、教師でいることに疲れた時も、教師であり続けるっつう覚悟をした時も、ヒナはずっと、傍で笑ってくれてたのに、そんな女を笑顔にできねぇのが、オレの目指した教師であっていいわけがねぇ。コイツの青春がそんなもののために消費されていいわけがねぇんだよ。
「オレは、関わった生徒全員を笑顔にしてみせる。そう誓った。できもしねぇ妄想で終わらせんのは、オレのプライドにかけてさせねぇ」
「でも、カズくんはあたしのことも、蘭ちゃんのことも……生徒として不公平になる気持ちを持ってたんでしょ?」
その言葉は、オレを追い詰めるものじゃなかった。逆にオレをさらなるクズへと陥れる、悪魔の囁き。啓示にも似た、ナニカ。
流石オレの
──全員、平等にしてやればいい。スタートを同じにしてやれば、ゴールも同じところにあるんだからな。それならカンタンだ。どうせ一度は抱いちまったんだ。依存させたり絆したり、散々教師と生徒っつう関係が裸足で逃げ出すようなクズ
「決めた」
「へ?」
残念ながらここは現代日本だ。一夫多妻は認められてねぇから、それ以上先はお前らの前で大口開けて待ってるだけのクズでいるさ。
けど、どうせなら、全員、カラダの関係以上の何かはあるんだ。それを愛しちまえば、いいんだ。
負けヒロインのない勝ちヒロインだけの世界、最低の平等に、最悪の公平さが、そこには存在するんだ。こうすりゃヒナを笑顔にもできるだろ? その先のことなんて知ったことじゃねぇ。オレは全員を愛してやることにするさ。
「さいってー、クズなんだ!」
「けど、それで嫌いになるような女じゃねぇだろ?」
「ムっカ……つく! ホントにハーレム気取りなんて信じらんない! カズくんのクズ! バカ! 変態!」
「あーうるせぇうるせぇ、今夜中だから、声のトーン落とせっつうの」
オレに抱きしめられながらヒナは、割と本気の威力で胸に握りこぶしが叩き込まれる。ぽこぽこ、なんて生易しい表現じゃ絶対に伝わらねぇっつうか痛ぇ。
それからバカヒナが落ち着くまでかなりの時間を要した。荒い息を吐いて、オレの腕に収まるヒナは、最後にもう一度だけ、クズ、と言葉を零した。
「クズだな、オレは」
「いっぱい痛い目見るよ。刺されちゃうかも」
「実は殺されるかと思ったことはあってだな」
「その気持ちがハンパだったらあたしが殺してるから」
ぞっとした。いや、ヒナならマジでその辺の本棚から辞書でも取り出して滅多打ちとかしかねねぇからな。そうじゃなくても、千聖には思いっきり足とか踏まれるだろうし、モカは絶対に爪を立ててくる。蘭にはどつかれるだろうし、紗夜はどうだろうな。わかんねぇっつうのが逆に怖ぇな。
けどもう惚れたのは過去なんだから、下方修正はきかねぇんならインフレさせるしかねぇだろ。今の教師として欠かせねぇっつう気持ちを、男女の爛れたソレに変化させるしか、オレには思いつかなかったんだからな。
「……けど、嬉しいな」
「なにが?」
「あたしも、カズくんに愛されて幸せって思っていいんだってところ。それだけは、嬉しい」
「今まで苦しい思いさせたんだ。ヒナはぜってぇ卒業式で泣かせるくれぇ、構ってやるからな」
「……ぷっ、あは、あはは、それはムリだよ、絶対、ゼッタイ、ムリ!」
なんでだよ、と問おうとして気付いた。それはオレの心境の変化にもあったことだ。卒業式で泣けるのは離別だからだ。今日でさようなら、明日からは離れて、別の人生を歩むから、泣けてきちまうんだ。ヒナにはそれがねぇことを、オレはちゃんとわかっていた。
──今更、卒業なんかで終わる関係なんかじゃねぇよな、オレとお前は。卒業してからも、こうやって外で会って、デートして、メシ食って、オレの部屋でハダカで朝を迎える。そんな明日が待ってそうなんだから。泣けるわけねぇよな。
「それじゃあヒナを泣かせるのは、お前が本気で幸せになりてぇって思った時かな」
「……それがいいな。そうしたら、泣いちゃうかも」
泣き顔が見れるかどうかは、ヒナ次第。そんなクズな言葉にオレは笑った。オレはこのやり取りを明日……いやもう少ししたら朝が来ちまうから、今日か。
星を見ながら、アイツらにも言わなきゃなんねぇんだな。どんな表情するんだろうな。紗夜は呆れて、蘭は怒って、千聖も、モカもキレちまうんだろうな。
あ、いや、多分
「あ、ちゃんとペナルティのえっち一回は、シようね!」
「……また今度な。流石に今からシたら、夜までもたねぇよ」
とはいえ、今は、このメンヘラクソ悪魔に殺されなかった喜びを噛み締めて、まだ宵闇に包まれた朝を迎えるとするかな。外は雲のない空が広がっていて、ちゃんと明日も晴れそうで、助かるよ。
そう思いながら、ヒナに誘われるがままにシャワーを浴びに行った。
――そこがもう間違いなんだけどね。