私は惨めな女だわ。いくらどんな舞台で演技をこなしても、アイドルバンドのベーシストとして活躍しても、私には当然のことができないのだから。甘ったれているクセに素直に甘えたり、わがままを言ったりすることもできずに怒りを滲ませて、結果としてあのヒトの元から逃げ出した。こんなのただの八つ当たり。大切なヒトを傷つけて、行くアテもなく思い出に浸るために空を見上げるなんてそんな弱い女、きっとあのヒトだってお断りだって言うに決まっているわ。
「はぁ……一成は、こうやって空を見上げて、どんなことを感じていたのかしら」
初めて会った頃の、私が高校生二年生の頃の一成に少しだけ年齢が近づけた。近づけたのにココに来ても何もあのヒトのことはわからない。そう、あのヒトのことがわからない。
当然だわ、他人のことなんてどう頑張っても全て理解できるわけなんてない。それなのに私は、何もわからないクセになんて怒鳴って突き放した。何も言ってないのだから、わからない方が普通なのに、私はなんて浅ましい言葉を彼に突き刺したのかしら。そんな自己嫌悪が後から後から湧いてくる。
「ダメね。結局私は……蘭ちゃんや、日菜ちゃんのようには、なれない」
日菜ちゃんのカレシ騒動の時の彼の顔を、私は間近で見た。ああ、やっぱり私たちではあなたには相応しくなかった、そう諦めてしまえるようなそんな絶望を私は知っていた。それから一年後の舞台で練習の際に、裏方のヒトが彼に頼まれて個人的に様子を伺っていたことを説明された時は覚悟を決めた方がいいと思い、彼の向かい側に座った。その前に花音に相談したせいで、あの子は私のために彼を問い詰めてくれた。
「私は、そういうつもりで、先生に約束してもらったんじゃ……ないんです」
「どういうことだよ」
「確かに聞いた感じだと千聖ちゃんはあのヒトと相性がいい、って言ったら変かもしれないですけど、カップルになったら素敵だなって思います。だけど」
「ん? 待て松原、お前なんか勘違いしてねぇか?」
「……ふぇ?」
だけど彼は、彼は私が怯えていた言葉とはまったく違ったものをくれた。花音の影に隠れていた私を呼びだして、まっすぐ、恋人として一緒に過ごしてくれないかと言われた時にはもう、飛び上がるくらい嬉しかった。嬉しすぎて思わず泣きじゃくってしまうくらいにはあの時、全てから祝福されている気分になった。
「オレ相手じゃあもう、フツーの恋はできねぇだろうけど」
「そうね。あなたはいつだって浮気者で、クズで、私を泣かせるヒドいヒトよ」
「だろ? でもまぁ信じてくれると助かる。こうなったら泣かせた分の倍は幸せにしてやるからな」
「言ったわね? あなたは、いつだって私の
「ああ、成ってやるよ、お前の一番に」
でもそれがもしかしたら、同情から来る言葉ではないかと思い始めてしまった。彩ちゃんとマネージャーが立ち直って、二人で幸せになっていく姿にどこか虚無感を覚えながら生活をしていて、あの頃の一成は優しく、不安定な私を包み込んでくれるような安心感があった。だからその延長なのではと疑問を常に抱えながら今日まできた。
けど一成の覚悟は本物で、私以外に関係のあった、全員を断ってでも私の傍にいてくれた。彼を、一成を信じようと思えるには充分な行動だったけれど、その幸せの次に来た気持ちは、私なんかよりももっとリスクの少ない、他の子との未来もあったのはずなのにという不安だった。事務所からそういう圧力がある度に、私の心は摩耗していった。
「……最近は、顔を合わせることすら、少なくなって……もう、ダメなのかしら」
トドメになったのは最近、紗夜ちゃんに会ったということ。天文部にやってきて近況を報告してそれから彼の車で帰ったというのは、結良ちゃんから聞いたハナシだ。
なにもないワケがない。一成の表情からもそれはわかったし、紗夜ちゃんはまだ一成の想いを完全には振り切れていないことを知っていたから。だからそうやって二人で過ごしたという事実が私をより一層、不安にさせた。
──白鷺千聖では、清瀬一成を幸せにしてあげられないのではないか。もっと相応しいヒトがいるのではないのか。それなら、それならいっそ。
「別れた方が……いいのかしら」
「滅多なこと言うんじゃねぇよ、バカ野郎」
そんな悲しい結論に至った瞬間、後ろの扉から沈んでいく夕陽を浴びているのは、追いかけてきたはずなのに、もうその表情には少しの怒りもない、私の恋人の姿。
彼は苦い顔で私の隣までやってきて、いいか? と珍しくタバコを取り出した。断る理由もない私は頷く。
ライターの火がタバコの先端を焦がし、紫煙を黄昏に吐く姿は、私が初めて見たのと同じ場所、同じ顔だった。一成は、一成さんは何かを整理したように一泊置いてから私を見つめた。とても優しい顔で見つめてきた。
「まさか屋上にいたとはな。案外近くにいるもんだ」
「……出てったクセに、とでも言いたいのかしら?」
「いいや。ココにいてくれてよかった。感謝してぇくれぇだ」
「……そう」
ああ、なんだか随分久しぶりに見た気がする
だから少しだけあの頃の、子どもに戻ったつもりで私は言葉を続けた。
「怒って……いないのね」
「怒ってねぇ。そりゃ千聖の方が悪かったら、怒ってるかもしれねぇけど」
優しいヒト。いっそ肩を掴んでなにやってんだ、なんて叱ってくれてもいいのに。そうよね、あなたはクズ教師だものね。生徒にはとことんまで甘くて、けれど厳しいところが、一成さんのスタイルなのだから。
「……悪かった、千聖。全然、お前のことをわかってやれないクズで……」
「私こそ……一成さんは正しいことを言っていたわ」
「そうだな、きっとオレの方が正しかった。
やっぱりあなたは、私には勿体のないヒトだわ。正しいことをしたというのに、その正しさを否定しないまま、間違っている私に頭を下げられるようなヒト。私を大切にしてくれていることを、その態度だけで表せてしまえる彼に、私の嫌な部分が、素直になることを拒絶してくる。だから、本心とは逆の言葉が屋上の空気を震わせた。
「……同情のつもりかしら? 正しいクセに謝って、それでカッコつけてるつもりなの? 嫌味にも程があるわ。正義感に酔ってるいるのならば、今すぐ私の前から消えてちょうだい」
我ながらカッコ悪い言葉。いつもは守るために使う殻が私に寄り添ってくれる彼を攻撃した瞬間だった。本当に、あなたには紗夜ちゃんや、他のみんなのようにかわいげもあって、それでいて貴方をこんな風に困らせないヒトの方が、そう思って怒りの言葉を受け入れようとしたけれど、怒りは、降ってはこなかった。
──タバコが地面に落ちて、その赤を黒く染めていく。夕焼けの中で、私の影は一成さんの中に埋もれてタバコと彼の匂いが私を包んでいった。腰と背中には彼の手があって、そこから雨が降ってくる。
「……え?」
「バカ野郎。お前相手にカッコつけてどうすんだよ。ただ、フツーに戻ってきて欲しいだけだっつうの。このままお前のいない家に帰るのが、このままお前がどっか行っちまうのが、嫌で嫌でしょうがねぇだけなんだよ」
「……かず、なり? なんで、なんであなたが、泣いてるの……?」
抱きしめられて、顔の見えない彼の声は上から涙と一緒に降ってくる。一緒にいてほしい? 貴方が、私に? どうして?
そんな疑問が浮かんでは消える。それはたった一つの、シンプルな答えだから。
──清瀬一成は真剣に、本気で白鷺千聖を愛してくれている。その事実が私を包んでいた。
「ヒナがどっか行っちまった時にさ……オレの幸せは、教師生活の中にしかねぇと、信じてた。本気でそう思ってたんだ……お前の傍にいくまでは」
「私で……よかったの?」
「
それは、そんなの、私も同じよ。貴方の用意してくれた朝食を食べて出かけることがこんなに幸せだなんて思わなかった。遅く帰って来た時に、お疲れ、と声をかけてくれたことが、こんなに幸せだなんて思わなかった。
一人で眠った朝、目の前に貴方の寝顔があることがこんなに、こんなに幸せだなんて、私は思ってもなかった。
「私は、日菜ちゃんや紗夜ちゃんのように、素直でかわいくはなれないわ」
「それでいい」
「蘭ちゃんやモカちゃんのように、貴方に寄り添ってあげられないわ」
「それでいい……オレが愛してるってハッキリ口にできるのは、白鷺千聖だけだ」
そんな問いかけの繰り返しに、逆に一成に、お前はオレでよかったのか、なんて訊かれる。私は……訊かれるまでもないわ。
一成は、一成のままでいい。私がこうして
「……なんつうか、似たもん同士、だな。オレたち」
「ふふ……そうね。意地っ張りで、変に大人ぶって、だから喧嘩してしまうのかも」
「でも、その後笑えるんだ。なら似てんのも、嫌じゃねぇよ」
「ええ、そうね」
これからも、私と一成は衝突する。似たもの同士の私たちにとって、お互いはまるで鏡のようだから。
けれど、私たちは同じではない。同じではないから、私たちはこうして仲直りができるのだから。
それは……これから長い間、続いていくこと。私たちは、これからも、ずっと。
「明日、土曜よね? ……オフにしてしまおうかしら」
「おいおい、天下の人気アイドルがか?」
「活動自粛、と言ってほしいわね。なにせスキャンダルを起こした天下の人気アイドルだもの」
「言うじゃねぇか。久々に出かけるか?」
「ええ、少し、羽を伸ばしたいわ」
「りょーかい」
これからもずっと……でしょう? 出逢いはほんのちょっとした偶然でも、私と貴方が心を繋ぐのは、必然だと、信じているわ。
幸せにするわ。貴方のこと。ずっとずっと……いつまでも。
んでこっからは蛇足だ。まぁ解決したようで問題はなに一切解決してねぇんだけど、取り敢えず、オレと千聖が破局することは免れた。その後は待ってくれてた結良と三人でメシを食って、送って、その帰り道だ。
その車の中で千聖のマネージャー、つっても前のマネージャーは彩の専属になって、トラブルを避けるために同性の新マネージャーなんだが、千聖は端的に二つの決定事項をソイツに突きつけた。
「別れません、なんと言われようと私たちそのものの関係が悪化しない限り、別れません」
「白鷺さん!? そ、それで許されると思ってるんですか!? 冷静に考えてください! 白鷺さんはまだまだこれからで、そのこれからのためにリスクは──」
「──リスク? そんな
「自粛ならせめて隠してもらえますか!? 自粛とか言っといて! だいたい氷川さんも丸や──」
えげつねぇ。途中で切りやがったし。せめて言い分を聞いてやろうとかそういう優しさも最早捨て去ったらしい。それどころか千聖は、オレと喧嘩をした時とは別の怒りを滲ませる始末だった。
──あと、あとさ、どうでもいいけど、最後のセリフ、ぜってぇ問題は千聖だけじゃねぇよな。
「小娘だと思って下に見るからよ。いっそ移籍でもしてしまおうかしら」
「パスパレはどうすんだよ」
「パスパレがあるからまだいるようなものだわ。こんな無能事務所」
「おいおい……」
子役からの恩とか義理とか、そういうのは……ねぇんだろうな。そもそもコイツはその恩を仇で返されっぱなしだしな。今では大切にしてるとは言え、パスパレも当初は事務所の都合で勝手に加入させられただけだしな。そのデビューライブでやらかしたアテフリ、いわゆるヤラセのおかげで千聖の評価は一時期地に落ちた、っつうハナシだし、そこから今の輝かしい来歴に戻すのは、千聖自身相当な挑戦をさせられたんだろうな。そして、根に持ってる、と。
「女の怒りは根深いものよ」
「そうだな」
女心は秋空に例えられるほど移ろいやすいけど、それは恋とかそういう感情だったり、怒から楽、哀から喜といった感情のシフトが早いだけ。その時に怒ったことは、かなり根深く、ちょっとしたことで再来するらしい。面倒くせぇ。
「それで、どこへ連れてってくれるの?」
「そうだな、マリンアンドウォーク、なんてどうだ?」
「あら、ショッピングに付き合ってくれるなんて、珍しいわね」
「いいだろ。電車が苦手なお前が、一人、もしくは親友と二人で行けるなんて思わねぇしな」
「一言余計よ?」
千聖に凄まれながら、漸く、といった気分で家に帰ってきた。真っ暗な部屋の明かりを点けると、まるで部屋そのものがおかえり、と歓迎してくれてるようで、少しだけオレの心にもリビングと同じ僅かにオレンジの明かりが灯る。まぁ、暖房もついてねぇから寒いんだけど。暖色系の明かりには不似合いの寒さだな。
「……暖房付けても、暖かくなるのには時間がかかりそうね」
「だな」
チラチラこっち見ながらそんなこと言うなよ。フツーに口に出せばいいんだけどな。まぁ、それがすぐできたら千聖じゃねぇか。大きなブランケットを出してきて、リビングのソファに座りながら、左側にスペースを作った。
「うふふ……おじゃまします♪」
「どうぞ。全く、素直になれねぇのな」
「無理よ。そうやってもうハタチを過ぎてしまったのだから」
そう言って笑う顔は、なんつうか高校生の頃から変わんねぇんだよな。ぐっと大人っぽくなったけど、結局お前が一番幼い気がするよ。無邪気に笑いながら嬉しそうに身体を寄せてきたら、そうも思いたくなる。
けど、そんな甘い空間が長持ちしねぇのが、白鷺千聖ってヤツだ。
「……ねぇ、早く」
「情緒ねぇな、相変わらず」
「昔からずっと、言っているでしょう?」
焦らされるのは苦手だったな。はいはい、お前はいつだって、オレに一途になったって、どっかでそのビッチ魔王っぽさは抜けてねぇんだよな。つか最近のコイツ、よく我慢できてたな。オレの方が帰りは早くて、しかも寝ちまってることが多かったから、オレは我慢するとかしねぇとかじゃねぇけど。
「……訊かないで。恥ずかしいじゃない……」
「まぁ予想はついてたけどな。つまり、ずっと焦らされてたっつうことか」
「……バカ、クズ、早く触って」
これまた随分とアダルティな雰囲気を出した罵倒だな。
なんだよ、そんな誘ってきやがって、デートは昼からってことでいいんだな?
そういうと千聖はもう一度だけ、もう、クズね、なんて微笑んできた。ああそうだよ、クズだよ、悪いかよ。
オレだって久々でテンション上がってんだから、長くなってもそりゃ当たり前ってもんだろうが。
「あ、その前にシャワーを……きゃ」
「……どうせ後で風呂入るだろ、お前は」
「けど……」
「焦らすなって言ったのは千聖だろ?」
「……っ」
こうなるといつも思うことがある。まだ教師と生徒だった頃は、一応オレは自分のこのどうしようもねぇ性欲を、制御できてたんだな、と。もちろん誘われたら応えてたけど、流されてヤっちまってたけど、そうじゃなくて……どっかで、相手はガキだからっつう抑制はきちんとできてたらしいことを、千聖と付き合ってから知った。
なにせ当時、遊びで、ある程度の行為に慣れてたはずの千聖が、激しい、と文句を言うくれぇだからな。溶けるような愛おしさは、マジに理性を、溶かし尽くしちまうらしい。だから、今回もまた、千聖はこの後、お風呂で寝てしまったらどうするのよバカ、と言いながら風呂に向かおうとすることになるんだけどな。
「んじゃあ、一緒に入るか?」
「……そんなことしたら、また始まるじゃない」
「今のは誘ったつもりだった」
「知ってるわよ、クズ先生?」
「おい」
誰もが思いつきそうで誰も呼ばなかったんだからな、その呼び方。そうやって煽ってきた千聖とオレが寝たのは、結局それから更に数時間経ち、空が段々と白み始めてきた頃だった。
最初に言ったけど、まだなんにも解決してねぇ。スキャンダルのこととか、事務所がどう出るとか、問題は山積みだ。けど、まぁきっとなんとかなんだろ、っつう楽観的な思考がオレの頭にも、千聖の頭にもあった。
もう、この問題に対して一人で抱え込むことはねぇからな。一人じゃ無理でも、二人なら、オレと千聖っつう暴論カップルが組めば無敵なんだからな。
それにどうやらオレたちの味方はまだまだいるようだ。それを、昼前に起きたオレたちは知ることになる。
「イヴちゃんなら正に下剋上、とでも言いそうな展開ね♪」
「そうだな。まぁ事務所の態度が軟化すりゃ、オレはそれでいいよ」
「そうね、私もそれで文句ないわ。けど、そういう甘さを見せたら漬け込まれるから……徹底的にやっちゃいましょう」
やっぱ、パスパレ……特に千聖とヒナだけは敵に回しちゃいけねぇ存在だと思うな。オレは密かに、これから引っ掻き回され、各所に頭を下げるハメになるだろう事務所の大人たちに同情の念を送りつつ、もう我慢する必要もねぇなとばかりに千聖の手を握った。
「行きましょう、あなたは私の一番なのでしょう?」
「ああ、んでお前はオレの一番だよ」
──鷺草はその花を綻ばせてくれる。たまらなく幸せなその一瞬を胸に。このもしもを知った千聖はなんて言うだろうか。
アイツは確実に文句を言って、また泣くんだろうな。アイツの成りたかったもんは女優でも、アイドルでも、誰かに愛される幸せな女でもねぇ。オレの一番なんだから。
つまりはこうなるところを生徒に見せられないからクズはクズなんだよな。大人とか子どもとかなくて、大人な事情に理解を示して愛したいと言えないところ。
この話は昔の女の後悔を使ってクズの問題点をつまびらかにするという目的を含んでいるので、さすが弦巻、オレにたちに――(割愛)
次回も前後編ですのでお楽しみに。