オレが持つ氷川紗夜の印象はとてもじゃねぇけど世間一般の、つまりはRoseliaの氷川紗夜とはかけ離れてる。
高校生の頃の紗夜は風紀委員を務めていて、これもRoseliaで演奏している紗夜に通じるような、まさに氷のような冷たさを感じるヤツも多くオレが感じた第一印象もコレで、けど一方で陽だまりのような暖かさのあるヤツだと思った。そしてそんな紗夜に惚れられ、手を出しそこで知ったのは、なんつうか難儀な女だということ。
愚直な紗夜の恋はその通りまっすぐで、良く言えば一途なんだが悪く言うと盲信的なところがある。だからこそオレはそんな紗夜に、別の男に目を向けろと言ったわけで。そうすれば盲信的な紗夜が成長できる、大人になれると思った。
「んで、そのまま朝まで一緒にいて、今帰ってきたとこだ」
「……そうですか」
そうした結果、ケンカした挙句にこんな風に浮気して土下座をするハメになるとは思わなかった。まぁ浮気どうのは多分コイツらが制服着てた頃から心配されてたことだと思うけど、腕を組む紗夜に見下ろされての状況に申し訳なさの中になんとも言えない気分になった。一周差なんだよな、オレと紗夜。
「起きてしまったことを責めても仕方ありません。今後の再発防止のために、傾向と対策を明らかにしなければなりませんね」
「そんな勉強みてぇな」
「誰が私の許可なく発言していいと?」
「すいませんでした」
氷だ。氷の女王様がいらっしゃる。穏やかな口調だからもういいかと思ったらめっちゃ怒ってた。おかげで話してぇと思ってたことが全部泡のように消えていっちまうな。
紗夜は大きくため息を吐きながら傾向と対策を練ろうと思案していく。そして色々、説明してぇのはヤマヤマなんだがここではとても口に出せないようなものを含めて色々と、表面的な再発防止策を口に出してから、そもそもの問題に取り組んできた。いや、最初のワンクッションいらねぇだろ。
「そもそもの話をしましょう。そもそも私が出掛ける前に言い残した言葉の意味はわかっていますか? いえ無意味な質問ですね。わかっていたら日菜に愚痴を吐いた挙句に性欲まで吐露するハズがないので答えはわかっていますが」
「……そうだな」
「では一成さん。一成さんにとって私とは、氷川紗夜とはどういう存在ですか?」
「それは……なんて言ったらいいのか」
言葉を迷わせながらもオレは紗夜にありのままを打ち明けていく。紗夜はオレを救ってくれたヤツの一人で、オレがまだ夢なんてもんに向かって教師をやっていられる、感謝してもしきれねぇくれぇのヒトだって、まぁ今朝ヒナにも同じことを言った以上の言葉は結局出てきそうもなかった。ヒナにそこがダメって言われてるけどな。じゃあどうダメなのか、オレはそこが知りてぇ。
「それでは質問を変えましょう。あなたにとって氷川紗夜は、未だあなたの生徒ということでしょうか? 恋人ではなくただ一人残っているから相手をしているだけの子どもという認識なのですか?」
「あ……」
「もし本当にそうなら私は、私は本当に哀れな女になりますね。無邪気に教師に対して恋をしただけの盲目な女に」
はっとした。漸く、スゲー手遅れだがオレの認識のなにがいけないのかを悟った。つまりこのままだとオレは、紗夜を未だ遊びで消費してるだけのゲスになるってことだ。ずっと紗夜はそれを怒ってたのか。付き合ってからもずっと、どこかで紗夜の幸せが別にあるような態度を取っていたことに怒ってたのか。
「ちゃんと私は言いました。私はもうギターだけが人生ではない、と」
「……オレが、清瀬一成がお前の人生に入ってんのか」
「当たり前です。でなければ一緒に暮らしたりしないでしょう? 一成さんがあの日、一緒にいてほしいと抱きしめてくれた日から私はあなたの傍を帰る場所にしたかったの」
そうかオレは、紗夜から見たオレを軽く見過ぎてたんだ。だからこんな風に紗夜を悲しませちまった。
救いの一人ってのはそうだ。確かに事実で、紗夜はオレを教師として立ち上がらせてくれた一人だ。けどもうそれだけじゃねぇんだ。オレが紗夜を同情とか最後だったからじゃなくて、どこにも行ってほしくねぇって思ったのと同じなんだ。
「あなたはカッコつけすぎなのよ。私の前でそんなに強くなろうとしなくていいの」
「紗夜、でもオレは」
「あの時だって、そうじゃない」
紗夜の言う通りだ。あの時オレは、一度紗夜を突き放そうと思った。思ったけどできなかったんだ。あの一瞬だけはオレは生徒に対して教師として失格の、ただの男としての弱みを見せた。もしもその弱みを隠せて、紗夜を真に生徒として見送る覚悟があったならオレは思った通りの言葉が口から出てたんだろうな。
けど、変なハナシだとオレ自身も思うけど、弱くてよかった。弱くていいんだ。みっともなく紗夜を求めて一緒にいることが幸せだと口にしても、いいんだな。
「カッコ悪くても、カッコついていなくても、一成さんは私にとって最高のヒトです」
「そっか……そうだった。紗夜はいつだって教師としてのオレも、カッコ悪いオレも、どっちも含めて、惚れていてくれてたんだったな」
「変わったりしないわ」
「んじゃあオレは紗夜には、紗夜だけには、ダサくて惨めで弱っちい、
ケンカっつうか、再確認だ。これってきっと付き合った頃、いや付き合う前に気付くべきだった認識なんだよな。それを漸く、改めて一年以上遅れた出発を今日ここですることになるんだろうな。
あの四人と紗夜は決定的に違う。元生徒、それは変わらねぇけどそれ以上に紗夜は、氷川紗夜って女はオレにとって最高の女性だって、これからは不安にさせねぇように伝えてかなきゃな。
「あ、そうだ。ツアーお疲れ様、今日はゆっくりしてくか?」
「ええ、そうさせてもらうわ……けれど、明日は……」
「わかってる。偶にはテーマパークでも行くか? リサとヒナが紗夜は案外ああいうところが好きって聞いたんだけど」
「……ええ。それに、あそこは音楽とかも刺激になるし、いいところなのですよ?」
「なんだ、行ったことあんのか」
「男性とは……まだ、です」
それじゃあ、今日はゆっくり休んで、明日は夢を見に行くとするか。ソファに座って、漸く目線の高さが同じになって、紗夜がゆっくりとオレに体重をかけてきた。
細い身体は軽いと思いきや、案外質量を感じて、オレはそれを全身で受け止めると同時に、久々に触れる紗夜の温もりに息を吐いた。
「……おかえり、紗夜」
「ただいま……一成さん」
「寂しかった」
「……ふふ、私もよ」
いなくなってセンチメンタルに浸ってたけど、結局いない間も、想ってたのはお互いのことか。そう思うと、熱が上がるのを感じた。
こんな歳になって一周差のカノジョが好きで好きで仕方がねぇなんて、なんだか恥ずかしいな。とてもじゃねぇけど、ヒナや蘭、クラスのヤツら、結良にだって堂々と見せられそうにはねぇよ。
「一成さんが案外甘えんぼうなこと、私は知っていますから」
「……うるせぇ」
「素直になれない、仕方のないヒト」
あーもう、まとわりついてくんな。なんでそんな幸せそうなんだよいつもいつも。お前は昔っからそうだ。今思い出した。オレがパソコンで仕事してるところにやってきて、お前はその姿を幸せそうに待ってたよな。んで、見兼ねて声をかけると満開の花を咲かせる、そんな陽だまりみたいな優しいヤツだった。変わらねぇってか、昔よりパワーアップしてやがるな。
「沢山のヒトに魅力的だと言ってもらって、一つだけ気づいたことがあるの」
「なんだよ」
「私は、追いかけられるより、追いかける方がその、燃えるようですし」
「なるほどな、なんとなく理解した」
オレが知ってる紗夜はオレを追いかけてはキラキラしてた。結局、その時がお前にとって一番幸せだった、っつうことだな。
それを知った今だから、お前はこうしてオレを求めてくるんだな。
「じゃあ、隣を歩いてる今は、そのうち冷めてくるか?」
「そんなハズありません。あなたの見ていた景色を見ていられることが、こんなに幸せなのですから」
「紗夜は……なんつうか、成長したな」
「はい。
もうそこに、かつて自分の音をつまらないと思った氷川紗夜はいなくなった。走って走って、切り立った山を越えた先にあるものを目指して、そしていつの間にか、いや最初から持っていた翼でその先に届いたんだ。
ちゃんとオレとの約束通りきっちりと大人になってそれでもまだ傍にいてくれる。紗夜らしいな。愚直で少しだけ盲信的なところがあって、紗夜は紗夜のまま大人になった。
それってすげぇことだよ。オレにはできなかったことで、きっと大人の誰もが成ろうと思って成れるもんじゃねぇから。
「私は、一成さんもそっちのタイプだと思いますが……」
「そうか? 自覚ねぇな」
「いつもそうです。先生をやっていた時から、あなたは時々、子どもみたいに笑いますから。私たちがあなたの言葉で幸せになっていく度に、とても晴々と笑っていました。だから私は、そんな一成さんの真似をしただけです」
「オレの真似、か」
にしては、オレには似てねぇ気がするんだけどな。それは紗夜のオリジナルが混じってるからってところだろう。オレの足らねぇところを紗夜が補って、より完璧にしてくれた。こんなに教師としても嬉しいこともねぇってくれぇに紗夜は優等生すぎるな。
「教え方がうまい、からですね」
「持ち上げんなよ。褒めても特になんもでねぇからな」
「ふふ、本当ですか?」
紗夜はいたずらっぽく微笑んだ。なんだよ、その千聖みてぇな仕草は。そう思ったら、ちょっとだけ恥ずかしそうにコホンと咳払いをした。なんかちょっとかわいいと思っちまったし、こういうちょっとポンコツっぽいところもまた、紗夜っぽいな。
「その、白鷺さんから、一成さんはこういった、えっと……あ、あざ、なんでしたっけ」
「あざとい?」
「そう、あざとい仕草に案外弱い、と聞きました」
「んー、間違ってはねぇけど」
千聖にまでそれを知られてるのはなんだか嫌なところだな。と思ったら、オレの女の趣味や嗜好は共通の話題だったという事実を紗夜から聞いて驚愕した。お前ら、そんな風にして仲良くなってたのか。ヒナとモカといい前々から気になってたけど、そういうことだったのか。
──にしても、懐かしいな。アイツらとは長く二人きりじゃなくて三人とかで過ごしてたな。
「恋しくなりましたか?」
「……ちょっとな」
アイツらがどうなったか、最近はあんまり報告には来てくれねぇからな。けど、それでもしアイツらがヒナみてぇに誘ってはこねぇっつう保証がねぇからな、それは困るんだよ。いくら紗夜一筋っつっても、オレはいつまで経っても流されやすいクズのまんまだからな。
「いいんですよ。浮気は良くありませんし、それをあっさりと許すわけにはいきません。けれど……あの頃を思い出して、またみんなで一緒にいたいのは、私だって同じですから」
「……なら、こころに頼んでみるか?」
「ええ」
その日は、紗夜とカラダの語り合いの後、少し過去のハナシに想いを馳せた。笑っちまうくらい楽しいことばかりが思い出されて、ずっと、そのハナシをしていた。
ヒナの真意を確かめるためにわざわざ羽丘にまで足を運んできた雨の日の紗夜。その後、夏休みにやってきて、監視します、とオレに敵意を見せたあの日。蘭やモカに言われ、オレの見方を変えようと思ったらしい。
んで、あの三週間で紗夜は今の紗夜の原型を作り出した。色々あったけど、紗夜もアイツらも音楽に、恋に、友情に、青春をそうやって生きてきた。そこに後悔も当然あるだろうけど、それをオレが否定しちまったら、ダメだったんだよな。
「理想を失わないでほしいわ。いつまで経っても、あなたはあなたの中の、最高の先生を目指していてほしい……私は、決してあなたの理想を食いつぶすために、ココにいるのではないのだから」
「わかってる。紗夜……」
なぁ、紗夜。オレはどうやら屋上でタバコを手に不良教師をやってた頃よりも、更に弱い男になっちまったらしい。いつも黄昏に浮かばせてた理想を、もうオレは独りじゃ保つのすら難しい、惨めなクズになっちまったよ。
「オレはもちろん。今までみてぇに紗夜が世界に羽ばたいて、その帰る場所としてココにいる。だから」
「はい。私は、今までのように一成さんが教師として理想を遂げて、その帰る場所として、ココにいます」
オレには紗夜が必要だ。みっともねぇ依存かもしれねぇけど、ホントにアイツらを幸せにしてやれたのか、別の方法があったのかと考えちまう今、それを吐き出せるような存在が、どうしても必要なんだ。
──ヒトは、独りじゃ生きていけないんだよ一成。誰かに縋って、頼って、そうやってみっともなく生きていく。でも、だからさ、ヒトは、ヒトを好きになれるんじゃないかな? 子孫を遺したいとか、そういう本能じゃなくて、もっと優しい理由で誰かを好きになれるんだと思うよ。
ああ、今頃になって由美子の言ってたコトがわかった気がした。死ぬときは一人でも、独りじゃ生きていけない。アンタもホントは死ぬのがどうしようもなく怖かったんだな。オレに置いていかれて、ゆっくりと自分が終わりに近づいていくのが、めちゃくちゃに怖かったんだな。ホントはガキみてぇに泣きじゃくってオレを引き留めたかったんだな。
「お願いしてもいいか、紗夜?」
「え、ええ……内容によりますが」
「オレは明日を信用してねぇ。それは、知ってるよな?」
「……はい」
「だから、もういつか、なんて思うのはやめた。まだなんも準備してねぇのにいきなりこんなの、カッコ悪いかもしれねぇけど」
もうこの時点でカッコ悪いんだよな。グダグダ、肝心の一言がどうしても口から出て来やしねぇ。思ったよりも勇気のいる行為だな。やっぱり、告白ってのは。よくも紗夜たちは平然とできたし、オレも紗夜に勢いに任せられたな。
けど、紗夜のなんか、わかっているからゆっくりでいいわよ、みてぇな顔に力が抜けた。嬉しそうだな、お前。追いかけるのと待つのは、お前の幸せだって、よくわかったよ。
「け、結婚、して……くれねぇか」
「ホントに、急ね」
「明日、オレが死ぬかもしれねぇ、紗夜が死ぬかもしれねぇって思ったら、今じゃねぇとって思ったんだよ」
実際、口にしてみて、それを言葉にするのがどうして怖いのか、実感した。由美子にはいつか、いつかと後回しにしてた言葉だからだ。口にはしたけど、それも口約束みてぇな曖昧なもので、だから由美子が逝っちまって、宙ぶらりんになった言葉、やっと、やっとだ。やっと、オレはあの時描いた幸せに、追いつける。
──悪いな由美子。アンタじゃなくなっちまったけど、オレはやっと幸せになれる。あの日の夢を思い出せたんだ。
「一成さん」
「おう」
「浮気はしませんか? ましてや、明日……まぁ役所に届け出等提出しなければ正式に夫婦にはなれませんが、それはともかく口に出したのなら明日からは浮気ではなく不倫になります。それを絶対にしないと誓えますか?」
「……それはだな」
「そこで正直なのはいっそ尊敬に値しますが、ここはきちんと、口だけでもカッコつけてほしいわ」
ふっと柔らかく微笑まれ、なんだよ全然信用してねぇんじゃねぇかとツッコミを入れそうになった。なるべく、紗夜が失望しねぇように頑張るとするかな。流されやすい、流されやすいと言っても、明日からは紗夜の言う通り正式じゃねぇとは言え、夫婦になるんだ。そのくれぇの誓いを立てれねぇとな。
「しねぇ。不倫したっつう基準は紗夜の判断に任せる。紗夜なら、正しい判断を下せるだろうからな」
「はい。なにもしゃべったり、日菜とご飯に行ったりしただけで断罪するほど、束縛するつもりは最初からありませんから」
「……ヒナ指定なんだな」
「ええ、同様にあなたの生徒、というなら、判定は若干甘くなりますから……安心してください」
厳しいのか甘いのかよくわかんねぇな。けど、これからは紗夜を悲しませねぇようにしないとな。オレは、ギターしかなかった紗夜にとって、人生を懸けるに値する男だと認められたんだ。だったらオレも、紗夜に、そして紗夜が目指してほしいと願う理想を追いかけることに人生を懸けよう。
いつか、自分たちの子どもに、呆れられるくれぇのストーリーが出来上がるようにな。
「なぁ紗夜」
「はい」
「オレはカッコ悪くて、弱くてもいいんだよな。幸せになりてぇってガキみてぇに喚いても、いいんだよな」
「もちろんよ。そんなことであなたを罰するヒトなんてどこにもいないのだから」
──青薔薇は朝露に陽を反射させて煌めいた。たまらなく幸せなこの一瞬を胸に。このもしもを知った紗夜はなんて言うんだろうな。
いや、アイツはなんも言わねぇ。言わねぇけどオレがホントにキツい時にそっと手を差し伸べてくれる。そういう女だ。
強がりで生徒の前じゃカッコつけたがりのクズ。今回はそんなクズが是正されました。
コイツマジでボコボコ悪いところ出てくるな