青葉モカは当時オレのストーカーでヒナとの関係についてオレを脅迫してきたのが始まりだった。今の恋人のことをそう説明したところ、まぁ当然といえば当然だけど、天文部室には驚きの声が響いた。そうなの? マジで? 冗談じゃなくて? そんな矢継ぎ早の質問に、オレはいちいち肯定の意を込めて頷いた。
「……わ、わぁ……すごい」
「おい引くな」
「いや、びっくりもびっくりだよ。モカちゃん先輩って、すごくいいお嫁さんって感じだからさ。美人で、賢いし、先生の考えてることズバリ当てちゃうし」
「ただ料理はできねぇし、掃除の途中でマンガを読み始めるようなぐうたらの分際で専業主婦になりてぇとか抜かすからな」
「先生が料理できるからよくない?」
「よくねぇ。働かねぇってなら全然、これっぽっちもよくねぇ」
まぁきっと専業主婦云々は冗談だろうけどな。アイツはアイツで成りたいものがちゃんとある。だから、今はデザイナーの専門学校で、そして自分の母親のもとで、バリバリ腕を磨いてんだろうけどな。そう肯定してやると、結良はニマニマっつう効果音でも聞こえてきそうな、なんつうかやらしい笑顔でオレを見てきた。
「愛だねぇ」
「あ? なにが」
「恋しいヒトのことを考えて、そうやって笑うカズくん先生、割とカッコいいからさ」
「は?」
なに言ってんだコイツ。そう思って引いた表情をすると、結良はいいよ、どうせわかんないってゆーんだ、と頬を膨らませた。わかりたくねぇだけだ。そもそも自分のカッコいいところ自覚してるって割と寒いヤツじゃないか?
「そっすね~、寒くて寒くて~トモちんのオヤジギャグレベルじゃないかな~?」
「……モカか」
「は~い、ごぞんじ~、ちょーぜつびしょーじょじぇーけ……あ、いまはちがうや~、あはは~、とりあえず~
「……うぜぇし口上長ぇよ」
「あーまたそーゆーことゆーんだ~」
噂をすればなんとやらだな。まぁ今日は学校帰りに寄ってくるのは知ってたからその話をしてたってだけなんだが、青葉モカの登場だった。つか相変わらず口上がクソ長ぇよ。元超絶美少女JK、もしくは超絶美少女専門女子学生でいいんじゃねぇの?
そんなコメントを残すと、いやそうじゃないと思うよ先生とツッコミが入った。いいんだよ。コイツはマジで超絶美少女だからな。
「肯定しちゃうんだ……ホント、カズくん先生ってモカちゃん先輩相手だと凄くバカになるよね……」
「そりゃ~、バカップルだもんね~、かずなり~?」
「そうだな」
「ええ……ホントやだ、この二人揃うといちゃいちゃし始めるし……」
生徒の目の前だってのにも関わらず、座ってるオレの後ろから抱き着いてきて、キスをねだってくるコイツにキスをしてやると、流石の結良もドン引きだ。悪いな結良。
オレはモカのスキンシップを断らねぇって決めてるんだ。ここで発情されたら止めるけど。けど単純に引いて、オレやモカに幻滅してねぇだけ結良は物事の本質を見分けられるヤツだよな。その上で、
「帰るか、モカ?」
「もう、帰れる~?」
「まぁ、モカ待ちだったし」
「じゃあさ~、帰ろ~、ゆーたんは~?」
だからか知らねぇけど、モカは同時に結良のことをめちゃくちゃ視界に入れようとしてる。オレに一秒でも早く会いたかったっつうのも勿論あるけど、わざわざココに来るのは、モカが音羽結良を気に入ってる証拠だ。
「ううん、今日は遠慮するね」
「そっか~、じゃあね~、今度は二人でご飯とかいこーね~」
「うん、めっちゃ楽しみにしとく!」
そんな会話の通りだ。実に良いことだ。生徒がこうして、かつての生徒だったコイツを慕ってくれてるっつう構図は、オレが目指していた教師としての在り方の一つだからな。
あ、でもな、だからって、無理やりその理想に合わせなくていいんだからな、モカ。
「……ゆーたんのことはホントに好きだよ? だって、一成の新しい生徒だもん」
「ソレ、ソッチの意味も入ってんのか?」
「うん」
うん、ってお前、オレは気付かねぇようにしてんだからあっさり肯定すんなよ。そう思ってると、モカはそれを読んだ上で、最低だね、と冷たく言い放った。
さっきの間延びした口調は霧散し、オレが慣れ親しんだ青葉モカの表情に変わる。のんびり屋なのは生来だが、コイツの正直イラっとするくれぇ長く伸びる口調は、完全に演技だ。つかオレに対してはわざと、演技とホントの口調を分けて使ってくる。
「結良への牽制だよな、いつもいつもキスすんの。やりすぎてバレかけてるからな」
「あれは、最初は牽制だったけど、今じゃシたくなっちゃうんだもん」
「あ、そう」
欲望に一直線なのは、高校ん時から変わらず。今年でハタチになって、ちょっと残ってた幼さの消えたモカはもう、超絶美少女ってよりは超絶美人、だな。モノトーンのクセにやけに鮮やかさを感じる、矛盾した灰色を揺らす曇天に咲く雪柳は、今日も満開だな。
「でたー、一成のクズポエム」
「なんだクズポエムって」
「だってそれ、キライだもん」
「……モカ」
けど、コイツの好き嫌いは大きく様変わりしてた。様変わりというかまるで真逆になっちまっていた。
コイツは黄昏が嫌いで、赤色が嫌いで、カッコつけたポエムが嫌いで……自分を置いていってしまうような眩いばかりの理想が、大嫌いだ。
そしてなりより、コイツは美竹蘭って女の存在がどこまでも嫌いなんだ。
「一成」
「……いいだろ、昔は──」
「昔は昔、今は今だよ。あたしは蘭なんて、キライだもん」
青葉モカはもう、バンドをしていなかった。いやそれ以前にそもそも。
──Afterglowなんてバンドは、もう存在してねぇ。幼馴染で結成した仲良く、それでいて正統派ロックを奏でる夕焼けは、この世界のどこにもねぇんだ。
原因は、色々あったんだと思う。オレだって直接この目で崩壊を見たわけじゃねぇから、なんとも言わねぇけど、羽沢は苦しそうに、ただ私たちはモカちゃんのことをわかってあげられなかったんです、とだけ教えてくれた。
「ねぇ、一成。今日は泊まってっちゃ、ダメ?」
「ダメだ。帰らねぇと、明日はお袋さんにポスターのデザイン見てもらうんだろ?」
「……うん」
そんなモカの最後に残った、青春の残滓のようなもの。それが
蘭やモカの卒業の日、オレは蘭の親父さんに頭を下げた。それは親父さんを納得させるのに、多分、不適切ではあるが、わかったと言わせる内容だったらしい。
「モカを幸せにしてやりたいんだ。だからモカのことを、選ぼうと思う」
「そっか。一成は、選べるようになったんだ」
「ああ、だから悪いな、蘭、お前とは今日で終わりだ」
「ううん。アタシは沢山幸せをもらった。だから……だから……っ、ぜったい、しあわせにしてよね……アタシのだいじな、幼なじみ、なんだから、なか、せたら、ぶっとばす……から……っ」
「約束する。ありがとな……蘭。お前のことも充分すぎるくらい、愛してたよ」
それが最後の言葉、蘭とはそれっきり、会ってねぇ。ただ、風の噂っつうか羽沢珈琲店で、羽沢つぐみが蘭のことをそれとなく教えてくれて、知ってるだけ。
どうやら結婚するらしい、ってのも、相手が良家の次男坊だけど、ちゃんと蘭が選んだヤツだってのも、そこで仕入れた情報だ。それからコイツらが卒業して、僅か三ヵ月でAfterglowは崩壊した。
──ホントに、アタシたちの青春だったのかもな。ワインレッドの髪を揺らしながら、宇田川はそう言っていた。
「じゃあな、モカ。また明日」
「……うん。また、明日」
メシ食ってる最中も、ヤってる最中も、満たされた表情をしてても、帰り際になるといつもこんな表情だ。物足りねぇんだろうな。もっと一緒にいたい、もっとなんてそんな欲望がオレにまで聞こえてくるようだな。
けど、それを許せる状況と、許してやれねぇ状況があるっつうこと、モカもちゃんとわかってはいるんだろうな。
何度も振り返っては捨て猫のような目をするモカを置いて、オレは帰路についた。この一人の時間は、オレの思考を加速させる。ワンルームの部屋のベッドで寝転がり、オレは窓から外を眺めた。
「星はいつだって……か。そうだな、ヒナ」
モカがストーキングしてねぇことが確信できるから言えることだけど、オレとモカの関係は表面上で見るよりも遥かに、遥かに上手くいってねぇ。なんつうか歪で、どうにも恋人っつう関係に無理やりお互いを嵌め込んでるように感じて、苦しいし痛ぇ。そんな鬱屈した関係にそれでも前に向けるのは、背中を押してくれた生徒たちの言葉があるからだ。
「星はいつだって見れるよ。だから、カズくんは迷ったら星を探して、あたしや、みんなと見たことを、忘れないで。だからあたしは、この一年で、春夏秋冬全部の星を、見たんだから!」
「……そっか。ありがとな、ヒナ」
「うん! 約束だよ、カズくん!」
ヒナとはそれが最後。去年の冬の、天体観測の時に残した言葉が最後の会話だった。モカはそれ以来連絡もしてこないヒナに対してポツリとたった一言だけ、なにそれと呟いてたっけ。あれは、なんの怒りだったんだろうか。
あの後から、モカはしきりにオレから離れたがらなくなったな。なにかあったんだよな。けどそれは、いつまでもアイツの胸の奥に隠したままだ。
「……ダメだな」
喧嘩なんてしたことがねぇ。浮気も、なにもしてねぇ。停滞だ。凪いでる状態で、とても順風満帆とはいいがたいな。風のない、息のつまりそうな変わらねぇ日々が、オレとモカの周りに渦巻いていた。なんなら付き合う前、生徒と教師だった頃の方がマシにお互いを曝け出してた。でもなんでだろう、アイツは、オレの過去を全部知ってるんだけどな。
眠れなくて、冴えちまった頭で考えてると、スマホの明かりがぱっと点いた。誰からだ、と思っていると、そこには、白鷺千聖の文字が躍っていた。
「もしもし?」
「一成さん、起きていたのね」
「電話してきたヤツのセリフとは思えねぇな。つかなんで毎度風呂で電話すんだよ」
「そういう気分だからよ」
千聖は、よくオレに
「別にいいじゃない。ヤってる最中に電話してるわけじゃないのよ?」
「万が一したら着信拒否してやるからな」
「ヒドイ先生ね」
「ヒドイ生徒なんだよ、お前は」
それからは千聖の相談が始まる。服を褒めてもらうにはどうしたらいいだとか、髪型が変わって気付く瞬間はどういうの、とか。千聖は妙に、青春の悩みを継続してる。つうか高校の時にマトモに恋愛してねぇからそれで悩むハメになってんだけどな。
「ありがとう一成さん。それで、お返しではないけれど最近困ってることはないかしら?」
「……丁度、困ってることだらけだよ」
「珍しいわね。素直じゃない」
「生徒の前で素直になるならない、とか言ってる場合じゃねぇんだよ。今は藁にも縋りてぇ気分だ」
「モカちゃんのことよね」
そうだ。オレは、アイツに好きだと言って、生徒であることじゃなくて、恋人として愛してやれば、アイツは幸せになると思ってた。卒業を控えて、信じてきたいつも通りの終わりが近づいていて、どんどんと笑うことが減っていたモカをなんとかして笑顔にしてぇ、今までもらうばっかりだったアイツに、少しでも何か返してやりたくて、その答えしかねぇと、
「バカね。それは大きな間違いよ」
「……そうなのか、やっぱ」
「貴方はモカちゃんが苦しんでいることを、わかってないわ。それは
「あ?」
「……よく考えることね。あの子は私たちの願っていた幸せとは根本から違うということ」
「おい」
最後の言葉はやけに意味深で、けどなんつうかそれまでの千聖とは違った雰囲気がした気がして、ああなんて言ったらいいのかわかんねぇけど、それは間違いなく千聖がくれてた明確なヒントだったんだ。
「モカちゃんは、その理想と現実のギャップに苦しんでるのよ。それは、あの子の幼馴染がかつてした失敗と同じよ」
「蘭、だな……」
「ええ、蘭ちゃんもあなたも、理想に羽ばたこうとして、置いていっちゃいけないものを置いていったのよ」
それは間違いなくオレがやろうとした間違いでありモカにとって欠けたピースだ。幼馴染、かつて何よりも大事だと言った、美竹蘭との決別。そしてヒナに対してモカが放った言葉、それが組みあがった時がモカの幸せっつうことだな。
そう確認をすると千聖は少しだけ考えて、ええそうねと寂しそうに肯定した。
「けれど、それはもう戻らないものだわ」
「戻らねぇ、か」
「ええ、その欠けたピースには私がいる。きっと、紗夜ちゃん、こころちゃん、リサちゃんも……もうわかっているのでしょう?」
「そうだな」
まだハッキリと確信したわけじゃねぇ。けど千聖が言ったことを総合すると、モカの求める幸せは、それこそ
最悪だな。ずっと気付いてたはずなのにな。オレとモカは相性が最高のようで、ある一点でその相性が最悪に変わる。その一点が、今回だ。
「悪い。ヒントくれた手前申し訳ねぇけど少し、一人で考えさせてくれ」
「わかったわ……けれど一つだけ、最後に言わせて?」
「なんだ」
「一成さんは、自分のことを絶対に見失わないようにして。それはモカちゃんと貴方の未来に、とても重要なものよ」
千聖はそれだけを言うと、それじゃあ頑張ってね、
──ここで何を考えたとしても、それはただ憶測にしかならねぇ。真意は、真実は直接、本人から訊かなきゃなんねぇ。それはモカの逆鱗に触れるに等しい行為だろうな。最悪、オレとモカの関係は修復不可能になる。
「そんなんならいっそ……いや、それもダメだな」
今からでもオレじゃなくて、新しい恋でも見つけりゃいい。そういうことも考えてたしな。でもそれをしたら間違いなくモカはオレの前から消える。連絡も何もしてこなくなるし、それこそ今の蘭かあるいはヒナのようになっちまう。あのストーカーは、あくまでストーカー気質なだけで、オレに構われねぇのに、オレがもう振り向く可能性はないのにストーカーを続けられるほど、神経が太くねぇ。
蘭のようにケジメとかそういうんじゃなくて、恨みだとか未練が残ってそれでもその未練に押し潰されてる自分を見つけられねぇようにするに決まってる。あのバカは、そうやって大人のフリばっかりするようなヤツだから。
「……傷つけるにも、覚悟がいる。オレは今その覚悟ってヤツを、試されてんのかもな」
真綿で首を絞められて死ぬくれぇなら、いっそ一発刺されて致命傷の方がマシだ。このまま温くて、風邪でも引いちまいそうな停滞に甘んじるくれぇなら、いっそ、いっそ……最後に本音を聞いて別れた方がマシなんだ。
そうと決まれば、オレの行動は一つだ。まずは結良に連絡をして協力を仰いで、んで、細工をするとしますかね。
モカを幸せにするのに足らねぇもんがあるなら、轍をなぞってでも幸せにしてやる。手段なんかもう選んでやらねぇ、クズ教師に戻ってやるからな。
オレはもう覚悟をした。お前にも覚悟してもらうからな、青葉モカ。
本編のクズはこうなることを恐れていました。モカが一人残ると崩壊することを予期していました。ただ彼女は誰かを選んでも、誰も選ばなくても、恨みと未練を残してしまう。ただ一つ彼女にとってのハッピーエンドは、別のところにあるから。