【完結】【自己ベスト記録】過ぎ去りし時を求めてSS~聖竜の勇者ルートRTA:24時間31分44秒22   作:四ヶ谷波浪

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両想う愛の話(終)

 空の歪みから光が弾けた。それすなわち、創世神話の決着である。このまばゆい光が神話に語られてきた邪神の末路なのか。

 

 世界を今以上の混沌の闇に陥れようとした深き闇は光に還り、目の前でその残滓が空へ消えていくのを見送る。間違いなく、私は今、歴史の転換点の見届け人となったのだろう。だが、そんなくだらないことに対する感傷に浸っている暇などない。私は歴史に名を遺す英雄になりたいわけでも、「聖竜の勇者」の伝説の語り部になりたいわけでもない。歴史書があとからどう私のことを書き記そうが、もう知ったことではないのだ。

 

 私が望むことはただ一人の、愛すべき少年の救済である。もう時間がない。

 

 冷たい風が旅装束の中を吹き抜けていく。私は身震い一つしなかった。

 

「ねぇ、みんな。

 あとひとりだけ、助けたい人が、いるんだ」

 

 ゆっくりとアイがつるぎを納めるのを見た。全身己の血でぐっしょりと濡れた姿は彼ら全員似たり寄ったりではあったが、アイは中でも肌も鎧も元の色の分からぬほど血まみれの様相だった。その声は細く、ささやくようだった。

 

「もしかして、セニカさまのこと?」

「流石ベロニカ。そうだよ、セニカさまを……あるべき時代に、お返ししようと思ったんだ」

「そう。もちろんみんなで着いていくわ。あの誰もが忘れ去ってしまった塔へ行きましょ」

 

 双賢の姉ベロニカがこっちを振り返って意味深に目配せした。他の人間も打ち合わせ通りもちろん私が「呼び寄せられた」ことには気づいているがアイには悟らせないように気配りしていた。彼女は天才を自称するだけあり……邪神との戦いの直後であるのに勇者の峰にいた私を「ケトス」の背に移動させるのを詠唱もなくやってのけた。紛れもないその天才は、しかして、己の勇者を救うことが出来ずに後ろに組んだ手を強く強く握りしめて耐えていた。

 

 さて、まだアイには気づかれてはいけないが。その心配はあまり必要ないように思えた。なにせ因縁の邪神を討ち滅ぼした戦闘の直後で気が抜けているだろう。物音を立てなければそうそう気付かれはしないはずだ。私はアイたちと違ってかなり尾に近い場所にいるのだから。問題はアイではなく、大樹の方だ。私が紛れ込んでいることにあの偉大なる母は気づいているかもしれないが、それをどう捉えるか。全く未知数だ。

 

 空を仰ぐ。雲一つない、つきぬけるような晴天は民衆を怯えさせていた闇のゆがみがすっかり消え去った美しい空だと言えるだろう。だがこの高所で吹き抜ける風は強く、ひどく冷たく、先ほどまでの世界とはすっかり異なっていた。先ほどまでならばこうも過酷だっただろうか。これでも机上の理論よりは人間が問題なく活動できる環境であるので「ケトス」のチカラかなにかがはたらいているのだろうが。

 

 アイの顔はもちろんここからは見えなかったが、仲間たちへ向けて穏やかに笑っているように思えた。悲壮な顔をした双賢の妹セーニャを見れば、その容態が芳しくないことくらいは察せられたが。彼女の放つ回復魔法の光が断続的にアイを照らしていたが、しばらくして無駄を悟ったアイがやめさせた。遠目にも完全には塞がらない傷口からは血こそ流れていなかったが、だんだんとアイに宿っていた闇のチカラが弱くなっていくのが分かった。

 最初はこの距離からでも息苦しいほどの闇のチカラだったが、今はそう強く感じ取れるものではない。それは……闇からアイが解放されているという良い意味ではなく、アイの体にもう闇のチカラに耐えきれてはいないのだ。その生命力も、回復魔法に詳しいわけではない私が分かるほど明確に弱まっていく。限界が近い。アイの命が。

 「勇者」は世界の存続を脅かす「闇」を打ち払う存在だ。役目を見事果たしたアイはもはや加護によって生かしておく意味はない。

 

 それでもアイは仲間と同じように「ケトス」の上にしばらく立っていたが、目的地に到着するまでにふらつくように座り込んでしまった。ロウさまが涙をこらえてアイに縋りついている姿がひどく痛ましかった。しかし、アイはこれから賢者セニカを救うのだという。ならばそれまでは、アイが息絶えることはないと考えていた。

 

 勇者ローシュ伝説の悲劇のヒロイン、賢者セニカ。とうに死んだであろう彼女の魂をついに「邪神」を討ち滅ぼした今代の「勇者」が弔い、彼女の愛した勇者ローシュの元に送った……などという話は是非とも語り継ぎたい伝説となるだろう。「邪神」を打ち倒しただけではなく、いかにも民衆が好みそうな美談が追加されるまで大樹は意地でもアイの魂を拒否するだろう。まだ死ぬ時ではない、と。

 

 なんせこの世界の根本はあくまで闇である。光など闇にかかれば食いつぶされる。空に浮かぶ闇の大樹よりすべての命は生まれ、死してすべての命は大樹に戻るのだ。いつかまた邪神に変わる闇が生まれることは分かり切っていたし、その時になれば大樹はまた新たな「勇者」を遣わすのだろう。

 そんな未来にはかつて邪神討伐に失敗した「勇者ローシュ」の代わりに「勇者アイ」の伝説が必要だ。今度は魔術師ウルノーガのような存在に邪魔されることなく、世界の邪魔者をきっちり処理する機構をスムーズに働かせるために、世界中に「勇者伝説」の浸透を図るだろう。今度は「悪魔の子」などと流布させないように、大樹はおそらく手を打つだろう。そのための「伝説」の上塗り。

 

 まぁ、私がさせないが。

 

 なぜならアイは、私の可愛い一番お気に入りの部下であり、私の部下たちの親しい同僚であり、イシの村のペルラさんの息子であり、……盗賊カミュの相棒であり、双賢の姉妹の護衛対象であり、芸人シルビアの戦友であり、マルティナ姫の弟であり、ロウさまの実孫であり、グレイグにとっては親友の部下である。

 「聖竜の勇者」などというふざけた称号はここで断ち切らせてもらう。大樹に利用されてきた幼い命を見過ごすことなどこの双頭の鷲ホメロスが許しはしない。

 

 あぁ神よ。そして大樹よ。あなたの操り人形の糸は二度と繋がることはないでしょう。どうか悪く思え。

 

 息を殺してしばらく。一行は冷え冷えとした空を飛んでいたが、ようやく到着したらしい。「ケトス」の背から一行と同じく降ろされた私はアイに気づかれないように静かに後ずさり、距離をとった。アイは幸い一度も振り返ることなく前を見ていた。八人分の足音があれば紛れて私が離脱するのはたやすかった。

 

 アイが足を引きずりながらゆっくりと進んでいくのを、周囲の仲間たちがふらつく姿を時折支えているのを、一定の距離を置きながら私は追いかけた。激しい戦いで千切れ、ざんばらの髪になったアイの後ろ頭を見ていると今すぐ勇者のつるぎを奪い、破壊してやりたいのをこらえる。まだだ、まだ、その時ではない。

 アイの背中にある黒く変色した勇者のつるぎと、腰に差してある、大樹に奉納されていた方の勇者のつるぎ。今の弱ったアイからならば両方とも奪い取るのはたやすいだろうが、今ではないだろう。ホメロスよ、見極めろ。「その時」は必ず訪れるはずだ。熟練の狩人が息を殺して獲物を待ち構え機会をつかむように、必ず最適な時がくるはずだ。

 それにだ。勇者のつるぎを奪うだけでは足りない。大樹とアイの接続を断ち切ることこそが真意なのだから。

 

「セニカさまを、お救いしたら、セーニャが言っていた、聖なる火を、見に行こうね……ね、ベロニカ、そこにルーラで、……連れてって」

「しょうがないわね。ベロニカさまのルーラでちゃんと連れてってあげる。だから……だから、セーニャの回復魔法をやめさせないで」

「無駄だよ、魔力がもったいないだけ……」

「でも……」

 

 息も絶え絶えな声。咳き込んだアイの足元に鮮血が散る。思わず握りしめた拳の中で、爪が皮膚を破ったのが分かったが奇妙なことに大した痛みは感じなかった。

 

「ねぇ、見える? 忘れ去られた塔が……」

「あぁ、もうすぐじゃよ」

「ありがとう、じいちゃん、手を……握って」

 

 再び空を仰ぐ。そうでもしなければそれどころではないのに水滴が地面に落ちるだろう。青く滲む視界の端、一時闇のチカラをすべてアイに流し込んでいた大樹はもはやそのほとんど取り戻して悠然と空に頂いていた。

 私と同じようにセーニャが大樹を睨む。彼女は何かを試すように手をかざし、私の方に僅かに振り返ると頷いた。彼女の方はいつでも準備は出来ている、ということだ。

 

 そびえ立つ不可思議な塔の扉を開いたアイはそこで父君の形見の鎧を脱いだ。そうでもなければもはや先へ進むことが出来なかったのだ。

 アイは兵士として過ごした二年間、いくら魔法が得意であっても、デルカダールの兵士として他の人間となんら体力の劣ることのない少年だったというのに。あのような甲冑程度、一日中着ていても平気な顔をして追加の鍛錬までしていたアイが。

 

 形見の鎧をグレイグに預けたアイは勇者のつるぎだけは誰にも預けることなく帯刀したままゆっくりと前へ進む。

 

 私は十分彼らが奥に進んだのを確認して足を踏み入れた。

 初めて目にする不可思議な塔の中は、甲高い耳鳴りがした。その光景は美しかったが、その空間は時が狂っているように思った。頂きより流れる大量の輝く砂、回り続ける大掛かりな歯車、数多の窓から差し込む夕暮れの光。どこからともなくぜんまい時計が時を刻んでいるような一定の調子が鳴り響く。思わずこの世のものとは思えない光景に目を見張ったが、アイたちはそれを見やることすらなく進んでいく。勇者の旅路で以前にも訪れた場所なのだろう。

 私は、人間はこの場所に長く滞在してはならないという正体不明の焦燥感に駆られ、ひどく落ち着かなかった。何かここで取り返しのつかないことが起きたのではないだろうか。

 

 アイたちを追う。この塔は登り詰めるのには動力源すらわからない古代遺物を使用するらしい。「歯車式機構」とでも呼称するべきだろうか。それらは一対しかなかったが、八人乗りこむのがやっとな「歯車式機構」の移動に同乗すれば気づかれてしまうだろう。周回遅れで後を追う。遅れた分の時間稼ぎはグレイグたちを信じるほかないが、今の私には他の誰よりも信じられる。

 

 急げ。急がなくては。私の歩く地面には時折点々と真っ赤な血が残されていた。足音を立てて駆け出したい気持ちを抑え込む。夕日に目がくらむこの場所で、今にも何か取り返しのつかないことが始まってしまうのではないかと、怯えながら。

 

 そしてとうとう、塔の最上階の空間にたどり着いた。下層よりもおごそかで静謐なこの場所ではいくら足音を殺しても反響してしまう。歩みを止めたアイたちにも私の足音は届いていただろうが……目の前の光景に夢中で私のことは思考の外にあるようだ。

 周囲には宙に浮かんだ光の玉が並び、中央に鎮座している台座には他の輝くオーブとは異なりひび割れた黒ずんだオーブが置かれていた。

 

 いや。彼らの視線の先はオーブではないようだ。そこいたのは不思議な存在。精霊と呼ぶにふさわしい奇妙なひとがた。彼……いや、彼女はやってきた一行を不思議そうに見ていた。

 彼女が、まさか?

 

「おや、まだここに用事があるのですか、聖竜の勇者よ。あなたは邪神を打ち倒し、役目を終えたのではないですか?」

 

 まったく抑揚のない声だ。それは女の声だったが、どこか遠くから響いてくるような虚無の声。人ならざる、神秘の存在。

 

「あなたを、救いに来たんだ、セニカさま。ローシュさまのもとへ、行く方法があるんです」

「セニカ……ローシュ?」

 

 相棒に肩を貸してもらってようやく立つことができるアイが勇者の紋章をかざした。その隙に私はアイたちにゆっくりと近づく。グレイグの影なら目立たないだろう。

 

 紋章は淡く光り、ひとがたも光り始めた。

 

「……あぁ」

 

 光が収束する。ひとがたから現れた女。彼女がかの賢者セニカだというのか。この神秘なる塔に伝説の時代から囚われていたのか?

 

「セニカさま。勇者のつるぎを、お使いください。これがあれば、時のオーブを壊せるんです。あなたの大事なひとのもとへ、さあ」

「……あなたは、ローシュの生まれ変わり?」

「残念ながら、あなたの記憶は……ありませんが、そう言われています」

 

 「再臨」した彼女から見てもアイの様子は尋常ではなかったらしい。

 

「いいえ。覚えていなくて当然です。死した魂は大樹に戻り、洗われるのですから」

「僕ではなく、セニカさまが会いたいのは、ローシュさまでしょう? さあ、どうぞ。あなたの勇者のつるぎです」

 

 アイが差し出した勇者のつるぎを彼女はおそるおそる受け取った。そして、彼女がつるぎを受け取るのと同時にアイの手に宿っていた紋章の光がすべて賢者セニカに移るのを、見た。

 

 チカラの譲渡を目にし、今だ、と思った。これ以上のない絶好の機会。他の人間もそう思ったろう。しかし、アイの方に駆け出そうとした瞬間、体が突如硬直する。指一本動かせない。呼吸さえ抑え込まれ、しかし表情一つ動かせぬ。なにがしでかした残酷な仕打ちなのかはすぐに分かった。

 

 おのれ、おのれ! 人のことを何だと思っているのか、大樹め!

 

「……勇者アイ。私は、愛する人の魂だって救われて欲しいと思います。その満身創痍の姿は、あまりにも痛々しい。あなたの様子を見てみぬふりして、私の悲願はこのような形で叶えられていいものなのでしょうか」

「僕は、ローシュさまじゃありませんよ」

「そうですよ。でも、あなたのまなざしはローシュに似ている。その魂はあの人と同じ色。衆生を救わんと立ち上がり、絶望を知り、共に戦って……擦り切れ、死んでいったのです。ウラノスがニズゼルファの闇に飲み込まれなかったとしても、ローシュの死は確定的でした。少し早いか遅いか。それだけです」

「セニカさま、僕のことは、いいんです」

 

 賢者の目がアイから移る。順繰りに動けない私たちを見やり、最後に私を見て、一瞬目を見張った。勇者の仲間ではないことを悟ったのか。しかし、それを指摘しアイに伝えることはなかった。

 

「勇者アイ。あなた、すでに過ぎ去りし時を求めたのですね……」

「そう、そうです、だから……あなたが、愛する人のもとに行けるって、知っているんです」

 

 アイは呼吸の封じられた私たちよりもよほどもがく吐息交じりの声で言った。

 

「それで、これでね、ぜんぶおしまいなんです。セニカさま、さあ行って!」

 

 セニカは双賢の妹の強いまなざしそっくりの目を私に向けた。

 

「わかりました。勇者アイ、どうかあなたの愛が報われますように。

 ただ勧告をさせてください。私が消えた瞬間から解放されるでしょう。

 方法はあります。かつてウラノスは悪夢の出来事ではあったでしょうがやってのけましたからね。ロトゼタシアに闇が生まれた時、光の子もまた遣わされる。その過程が破綻したことを大樹は理解できません。もっとも根幹に近い、いえ根幹そのものである大樹だけは今もなお神の目があると信じ込んでいる。大樹かくあれかしと存在しているのですから。

 あいの盟友たち、忘れ去りし時よ。悲劇の()()の時です。勇者のチカラは魂に刻まれたもの。記憶も、魂に刻まれしもの。私がそれを呼び覚ましましょう。うまくやって!」

 

 私たちに光明を示したセニカは鋭く踵を返すと勇者のつるぎを振りかぶった。そして古代呪文を唱え、()()()()オーブを叩き割った。

 

 オーブが割れた瞬間、彼女の姿がまばゆい光と共に掻き消える。カミュが振るう者を失って空を舞った勇者のつるぎを受け止め、私に向かって放る。それを受け取った瞬間、セニカの呪文が発動した。古代の移動呪文だったのか。

 

 しかし、実際にはもたらされたのは座標の移動だけではなかった。

 土の地面に投げ出された私は頭を抱えてうずくまった。記憶が混濁する。視界がくらむ。視界がぐらぐらと揺れ、頭の中に()()()()()()記憶が私を揺さぶる!

 混濁する記憶の中、デルカダールメイルを着た「ホメロス」が大樹を登っている。しかし、私の記憶ではグレイグと共にあったはずだ。だというのにその記憶の私はひとりで大樹を登っていた。前を行くアイたちに気づかれないように気配を殺していたのは同じだったが、同時に背後にあるグレイグと我が王に気づかないふりをしながら。何かがおかしい。致命的に食い違っている。

 

 ほどなくしてたどり着いたのは闇の根幹たる聖竜の大樹。私は勇者を追う。()()()()闇に包まれた大樹の中を私は進んでいた。心地よいはずがない! あんな畏怖するべき場所に長居したくはないと思ったはずなのに、あぁ混濁する。記憶が複数、混ざり合う。

 

 そして勇者たちは大樹の魂にたどり着いてしまう。勇者は紋章を晒して、いまいましい「勇者のつるぎ」を大樹の魂から取ろうとする。私は、ウルノーガの攻撃を横から斬り捨てようとして……。違う。私は闇のオーブを手に、闇の魔法を静かに詠唱している。なぜだ?

 

 あぁ、記憶の中で。私が、アイを攻撃したのか?

 

 私が? そんなはずはない!

 

 苦悶の顔を浮かべて倒れるアイを見下ろす。糾弾するグレイグを嘲笑う。我が王の肉体を乗っ取っていたウルノーガが正体を現し、私はウルノーガにうやうやしく頭を下げて……。

 

 悪夢だ、私が、闇のチカラを使役している。アイをこの手で攻撃し、アイが苦悶の中、ウルノーガに()()()()()()()()()()()のを見た。ウルノーガは紋章を宿して勇者のつるぎを手にすると勇者のチカラを握りつぶし、すべての命が宿るはずの大樹のチカラを根こそぎすべて奪い去り……破滅的な爆発が視界を覆う。世界の終わりだ、アイもグレイグも、ここにいる人間全員がこれでは死んでしまうではないか! だというのに私は、愉快そうに笑っている……。

 

 違う! 違う違う違う! 私はここでウルノーガと戦ったではないか! グレイグやアイと共闘し、我が王を取り戻した! 十四年間に渡って君臨していた邪悪をついにここで倒したのだ! だというのに、これは……この記憶は、かつてと真逆の悪夢を見せている!

 

『過ぎ去りし時を求めたのですね』

 

 脳裏によぎったのはセニカがさっき言った言葉だ。過ぎ去りし時を求めたらしいアイは、セニカにとうに死んでいるはずの人間のもとへ行けると言った。そして、この意味深なセニカの言葉の意味は……。もうすぐで、繋がる。

 

『そうだ、今日、運命が変わったんです。ホメロスさま。どうしてもそれが言いたかった』

 

 ウルノーガを倒した日の、アイの、あまねく命を見守る勇者然とした高貴な微笑み。失った何かを見せないで。

 

 私は理解した。この世界は、いや、アイは()()()()()のだと。「知っていた」から私を救えたのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 グレイグが、涙にぬれた顔をぬぐいもせずにとうとう意識を失ったアイを抱えている。勇者のつるぎはすでに大樹の魂に両方とも放り込んであった。それを私は離れたところから見ていた。

 

 さぁ始めよう。悲劇の再演だ。観客は大樹のみだが構うまい。恐ろしき母のための、子の反逆を見ているがいい。

 

「これが大樹の魂……なんという大きさなのかしら」

「世界中の魂が、全部、ここに集まっているからな。これくらいデカくないと……おさまらないんだろ」

 

 マルティナ姫が涙を流している。カミュが、言葉に詰まりながらかつてのせりふをなぞる。

 

「こうして傍で見ていると怖いわね。なんだか飲み込まれてしまいそう」

 

 そう言いながらシルビアが大樹の魂に触れようとすると、弾かれる。全く同じだ。かつてと同じ光景。再演には何人か演者が足りなかったが、状況再現で許してもらおうか。

 

「やぁん! なあにこれ、弾かれちゃったわ!」

「ふむ……やはり勇者の紋章を持つ者しか大樹の魂の中には入れないんのじゃろう。

 そしてあれこそが勇者のつるぎであろうな」

 

 ロウさまはグレイグの腕の中でぐったりと動かないアイを見た。

 

「アイさま」

 

 髪の長いセーニャが進み出る。到底返事の出来ない状態まで追い込まれたおのれの主を優しく見やった。

 

「勇者アイさま。今こそ勇者のつるぎをお取りください。そしてお示し下さい。その後も、我ら双賢はあなたの歩む道に付き従い、その剣となり盾となります」

 

 呼応するようにグレイグが進み出た。ぼろぼろになったアイの左手を取ると、その手を大樹の魂に触れさせようとして……。

 

 出番だ。私は一歩踏み出すと、グレイグの背中めがけてドルマを唱えた。この距離だ、外すわけもなく命中する。

 とはいえ先に呪文防御魔法で固めてあるグレイグはびくともしないわけだが。打ち合わせ通り衝撃を感じたグレイグはそっとアイを地面に横たえさせた。そして忠義の騎士らしくロウに向かってグレイグは進言した。

 

「ご覧ください! ホメロスこそが闇の手先だったのです! 勇者こそが悪魔の子だというのは私たちの間違いだったのです!」

「ふむ……」

 

 考え込むふりをしたロウさまの横から進み出たマルティナ姫が「前」で習得した魔を宿す姿に変身する。代役であるが、これ以上の適任はいないはずだ。

 

「かかったなこの浅慮なる者どもが! あとをつけていたことに気づかぬとはな!」

 

 悪役とはこのようなものだっただろうか。此度の君主役のマルティナ姫に恭しく頭を下げた私はアイ以外の人間にも威力を絞ったドルマを一発ずつ当てていく。全員が地面に派手に倒れこむふりをしたのを確認して、マルティナ姫は浅く呼吸を繰り返すアイの胸に闇の魔力を限界まで込めた手を突っ込んだ。

 

 かつてとはちがい、アイはもはや、苦痛に反応すらしない。

 

「勇者のチカラ、もらい受ける!」

 

 その言葉に反応したのか、ようやく「勇者だった」少年の危機を感じ取った大樹が葉をざわめかせたが、もう遅い! アイの胸からつかみだした勇者のチカラは今やマルティナ姫に宿り、姫はすかさず勇者のつるぎを二本とも大樹の魂から引きずり出す。そして勇者のチカラを触媒するオリハルコン製のつるぎを経由し、かつて目にしたように大樹のチカラをも奪い取るのだ。そのチカラは今回はすべてアイに注がれていく。大樹に宿った魂のチカラが、死にゆく少年に注がれて、回復魔法さえ効かなかった傷が生命そのものともいえるチカラによって癒されていく。

 そうだ、今回吸い上げているのは生命力だけだ。闇のチカラなど我らに必要ではなかった。

 

 そして大樹に闇のチカラだけが残った、と判断した瞬間。

 

「いくわよ!」

 

 沈黙を守っていたベロニカが移動呪文によって我らを離脱させる。「ケトス」の上に私たちを移動させ、チカラを失って傾いていく大樹に向かって聖女が瞳に宿した恩讐の炎を隠そうともせずに叫んだ。かつて姉を悼んだ聖女は今、大切な人間をすべて失ったただの人間として今こそ復讐する。残った闇のチカラなどこの世界には不要なものなのだ。

 

「焼き尽くせ!」

 

 その声は当然ではあったが、勝気な姉そっくりだった。

 一拍おいて、大樹は大きな炎に包まれた。私は()()()()悪役などもうこりごりだなと実感しながら、勇者のつるぎをホムラの里で入手した聖なる種火で原型を失うまで溶かしつくすとまだ熱いインゴットを海に向かって投げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 みんな。みんな、今そっちに行くよ。もう痛みも苦しみも感じないんだ。だからすぐ、そっちに行けるはず。ウルノーガを倒したよ。邪神だって倒したよ。みんなの大事な人は誰も失われなかったし、世界が滅んでしまうことはなかったんだ。

 だから、もうそっちに行ってもいいよね?

 

「悪いな相棒。念には念を入れよって言うだろ? ちっとばかり痛いかもしれねぇけど、我慢してくれよな」

 

 遠く聞こえるのはカミュの声だ。まだ耳が死後の世界になれていないのかな。言葉がよく聞こえない。でもカミュだってわかった。カミュ、あぁカミュ、会いたかったよ。あっちの世界ではね、ちゃんとマヤちゃんを助けたよ。向こうのカミュは僕が死んだら悲しむかもしれないね……。

 

「ええい、痛みを感じさせない魔法はないのか聖女よ。聖地ラムダの秘伝のひとつでも見せてみろ」

「ホメロスおじさま、ありましたらとっくにやっておりますわ」

「そうか……」

「ちょっとセーニャにエラソーな口きかないでよね! あんたはアイの上司だけど私たちにとってはただの目つきの悪いおじさまよ!」

(かしま)しいわ!」

 

 早口で誰かが話し合っている。セーニャとマルティナかな? もしかしたらベロニカもいるかも。だって死んだ後の世界なら何でもありに違いない。それくらい期待するくらいいいじゃないか。

 

「じいさん、手当の準備は良いか?」

「うむ。カミュよ、辛いことをやらせてすまんな」

「オレが思いついたんだから他のやつにやらせるわけにはいかねぇよ。恨まれるとしても譲らねえぜ」

 

 ロウじいちゃんも、母さんも。エマも、ルキも、みんないるのかな? さあ、目を開けてみよう。

 みんなに会える喜びに胸をときめかせ、決意した瞬間、鋭い痛みが左手を襲った。

 

「痛ぁ!」

「お、痛いって言うアイは久しぶりだな。どんどんつらいことは言えよな」

「今癒すからのう。少しの辛抱じゃぞ」

 

 痛みが和らぐ。あぁ、あったかい。なつかしいじいちゃんの魔力だ。じいちゃんにもまた会えるなんて、頑張ってよかった。

 

「おはよう、アイ。気分は大丈夫?」

 

 マルティナの声もする。みんなを早く見たくて無理やり目を開ける。目を開けても最初はひどくかすんでいたけれど、だんだんはっきりしてきた。ここはどこだろう。どこだって同じか。みんながいればなんでもいい。何か言おうとしたけれど、喉が張り付いてまともな声が出なかった。

 

「アイちゃん、ほらお水よ。ゆっくり飲みなさいな」

 

 シルビアが、きっとまぶしい笑顔で僕に水を飲ませてくれる。冷たくて、おいしい水を飲み干すとやっと僕は理解してしまった。死者が水を飲むだろうか? なら僕、死んでないのか。あんなにボロボロになってもみんなのもとに行けなかったのか。暗い絶望が襲い来る。だけど、僕の無事を喜んでくれるみんなの前でそんな顔できるわけなくて、いつものように笑顔を浮かべた。

 

「みんな、おはよう。介抱してくれたの?」

「思っていたよりはすぐに起きたぜ。

 なぁ、アイ、ちょっくらオレたちお前に言いたいことが山のようにあるんだが……まぁ、この中で一番付き合いが長い人間に最初は任せるとするか。

 知ってるかアイ? オレたちの旅の時間よりもデルカダールで兵士をしていた時間の方が長いんだってな」

「……そうだね。僕、二年間兵士していたから」

 

 そうかもしれないけど、なんで今、その話をするんだろう? 首を傾げる。

 

「ちょっと勘違いしてるだろ。アイ、お前が過ぎ去りし時を求める前の旅の時間を合わせても二年も経ってないんだよなぁ。一番初めからいたオレが言うんだから間違いねぇ」

「え……?」

「なぁ相棒。また、約束通り旅ができたな。だがオレの出番は二番目だ。じゃあ一番付き合いが長い奴に譲るから」

 

 ねぇ、それって。それってさ、その言葉が出てくるってことは、もしかして、みんな、みんなも。

 みんなが涙で目を潤ませている。僕は混乱しきって、胸がいっぱいになって、何も言えやしなかった。

 

 そして進み出てきたのはなぜかホメロスだった。確かに今回闇に堕ちることもなかったけれど……そうか。カミュの言っていたことは。二年間。もっとも付き合いが長く、もっとも日々を過ごしたのは確かに、そうだ。

 

「やっと起きたかアイ。起き抜け早々だが聞こう。気分は悪くないか?」

「は、え、……」

「ふむ、混乱しているようだな。ロウさま、キアラルを」

「主もたいがい過保護じゃのう……」

 

 あのホメロスが、泣いていた。「前」の闇に堕ち友情を違えた悲しい男の顔でも、「後」の運命を変えた正義の将軍の顔でもなく、ただ、はばかることなくホメロスは泣いていた。そしてかさついた手で僕の左手を握った。思わず手を見れば、勇者の紋章が消えた僕の手はずいぶん血まみれになっていた。紋章があった場所に四角く新しい白い肌があって、その手を確かめるように握っているホメロスの手は真っ当な皮膚がどこにも見当たらないほどのひどい火傷まみれだった。まるで溶岩に直接手を突っ込んだようだ、と思った。

 

 だけど彼はそれに気にかけることさえなく、嗚咽を抑えつつ止まらない涙をそのままにとてもへたくそに笑いかけてくれた。かつて大樹の根が見せた少年のホメロスが少年のグレイグと過ごしていた時のように。このひとは、こうして笑うのか。

 

「アイ。すべて、記憶がある。ここにいる全員だ。私も、かつての記憶を持っている。闇に魅入られ、闇の手を取った哀しい男の記憶がある。

 もしかしたら、お前にとっては大した理由ではなかったのかもしれない。お前にとっては、ただかつての障害の一つを未然に防いだだけなのかもしれないが。それでも……私は、アイの無事を喜べる人間としてここにいるのだ。悪の手先として天空魔城で討たれることなく、今もなおデルカダールの双頭の鷲として、約束をたがえることなく、正義の人として存在している。アイよ。あの日、運命が変わったのだ」

 

 違う、僕が変えたんじゃないよ。ほんの少しのかけ違えだけで運命に翻弄されただけなのに。なのに、たったそれだけのことのために、死にかけの僕を救うために、あなたは。ホメロスをよく見れば、さっきの僕より見ようによってはひどい怪我だった。伸ばしていた髪も服も焼け焦げ、手以外も全身火傷まみれだった。

 

 もうどこにも勇者のつるぎも、紋章もなかった。もうこの世界に両方ないんだろうと確信した。紋章のチカラは感じ取れず、あんなに大きなチカラを持っていたつるぎの波動も同じように行方不明だった。つまり、みんなが僕の命を救うためにやったことなんだろう。ホメロスも、そのためにこんなに怪我をしてまで。みんな、恩知らずに、ただただ死にたかった僕を救うために、影ながら戦ってくれたのか。

 

 黙り込んだ僕の顔を優しく覗き込んだホメロスは、流れる涙を拭ってくれた。

 

「おかえり、アイ」 

 

 そうだ、二年間だ。カミュの言う通りだ。「前」も「後」も合わせても、旅路は二年もなかったんだ。だから僕はこの不器用な人と過ごした時間が一番長かった。僕はカミュが投獄されるまでの間あわよくば、という気持ちでホメロスに話しかけ、懐柔しただけのつもりだったのに。

 このひとはそれも理解した上で僕の無事を喜んでくれるのか。

 

 わずかなかけ違えによって運命に打ち勝ったそのひとが、僕の死の運命を捻じ曲げてくれた。巡り巡って、変化した運命によって、僕はみんなと再会できたのか。

 

 なら、返さないと。この人がこうまでして取り戻したかった日々を。だから、僕は久しぶりに敬礼した。

 

「三等兵アイ、ただいま戻りましたっ……」

 

 本当に、ひどい火傷だった。傷口に涙の塩が染みてしまうかもしれない、なのにいつしか僕はホメロスの手に縋りついて大声で泣いていた。




これにて「【自己ベスト記録】過ぎ去りし時を求めてSS~聖竜の勇者ルートRTA:24時間31分44秒22/両想う愛の話」完結です。
約五か月の間連載し、無事に完結することが出来たのはひとえに応援してくださった皆様のおかげです。

この話を書くにあたってほとんど書き溜めをしていなかったので更新のたびに「次の更新を三日後にするのは無理ではないか?」と思っていたのですがみなさんが毎度あたたかい感想をくださったので最後までやる気の燃料が尽きることなく書ききることが出来ました。

一度、大好きなRTA小説を自分でも書いてみたい! と言う事ではじめた今作でしたが、思っていたよりもずっと調べ物が多くて大変でした。ですが、とっても楽しかったです。
想像していたよりも読者の皆さんは好意的で、しかもたくさんの人に読んでいただけたことも嬉しかったです! 特に、字数があったのに一気に読んでくださった方! 聖竜RTAを読んでドラクエ11を始めたと教えてくださった方! たくさん感想をくださった方! 本当にありがとうございました。大好きです。

よろしければ最後に感想ください。感想こそ作者の生きる糧であります。感想ください。読了は完結した日付からしばらく経っているでしょうか? 構いませんください。お願いします。命が救われます。

最後に。ここまで30万字をこえる読了、本当にありがとうございました。 
四ヶ谷波浪

どこ好き?

  • RTA部分:数値付き解説
  • RTA部分:ストーリー解説
  • RTA部分:走者の他作語り
  • 小説部分:アイ視点
  • 小説部分:カミュ視点
  • 小説部分:セーニャ視点
  • 小説部分:マルティナ視点
  • 小説部分:ロウ視点
  • 小説部分:シルビア視点
  • 小説部分:グレイグ視点
  • 小説部分:ホメロス視点
  • 小説部分:その他視点
  • 全般:再構成ストーリー
  • 全般:原作死亡キャラ生存
  • その他(感想・コメントへ)

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