時間、空間、自分。あらゆる事象の変化と思考スペースの空きにより、人は生まれた意味をふっと考えてしまう時がある。そして大抵はネガティブな思考にしかならない。ネガティブな思考に陥る一番の課題は、生物として避けられない寿命という存在である。
諸行無常。
確かに人に限らず生物はどこかの段階で終着駅へと向かわなければならないが、ネガティブな思考が循環している内に、自らの意思でその駅へと進んでしまうのは得策ではない。
いつかきっと未来の希望へと反転する時期が訪れるからだ。
☆
それは突然やって来た。
「……ふぅ」
一息ついて目の前にあるモニターから、目を離し天井を見上げる。
上を向いた私の右端のタイルに黒い染みが見える。その汚れなのかサビなのか分からない黒い染みは私がここに配属されてからずっとある。
あの染み、何とかならないかしら。
この部屋に誰もいないのをいい事に、私は拳銃のように形作った右手を上に掲げ、人差し指という銃口から撃つ仕草をしてみせた。
消せるものだったら、消したいわよね。
過去の記憶。人工的な記憶を、ニューロンを通して海馬に移植され、書き換えられた記憶はあの黒い染みのように自己という存在を認識できた時にはすでにあったのだ。
私には弟がいた記憶は持っている。だがその記憶は私の記憶ではなく、別の誰かの記憶を移植したからそう思い込んでいるだけに過ぎない。本当の私は一人っ子で、育児放棄した親によって捨てられた子供だったのではないだろうか。そのように考えれば、ネスツが私を実験台にしたのにも合点が行く。捨て子であれば、煩い人間はいなくなる。多少の正義感で首を突っ込むジャーナリストも消してしまえばいい話だ。私はネスツによって都合の良い行動を取る様に改造され、今を生きている。だから私の行動一つ一つは全て彼らにとってコントロールされてしまっているのではないか。自分の意思で動いているつもりが、本当は自分ではない誰かの意思によって行動しているのではないだろうか。もはや科学的に生み出された私という存在を証明してくれる居場所は世界中どこにも無いのではないだろうか。
私は答えが無い問題を大真面目に考えていると、ピピっという電子音で私は世界に引き戻された。
認証キーで施錠された自動ドアから入って来たのは私と同じ軍服を着た男二人と女一人、そしてもう三人……。
「あ! 傭兵のおじさんが言った通りセーラがいるー」
走りながら栗色の長髪をなびかせ、子供のように純粋無垢な笑顔を浮かべたクーラが私に飛びついてきた。彼女の重さと温もりが私の身体を包んだ。
「こ、こら。クーラ」
私は驚いたが、彼女を拒絶するような事はしなかった。
「おいおい。お姫さん。室内で走るのはマナー違反だぜ」
機械の身体を持つ大柄な男マキシマはやれやれと言いたげに両手を広げる。
「アイツがそんなお行儀よく出来るんだったら、こんな鬱陶しくなってねぇよ」
全身黒を纏い、目元をサングラスで隠している男K’(ケーダッシュ)が面倒くさげに言葉を吐いた。
「……マキシマ、K’」
私は自然と笑みがこぼれた。
「おいお前ら! 浮かれるのは結構だが、軍事施設を保育園にするんじゃねぇぞ!」
私の上司であるラルフ大佐とクラーク中尉、そして姉妹のように接してくれるレオナがクーラ達の後ろからゆっくりと歩いてきた。
「大佐こそ浮かれないでくださいね。教官も今日がどんな日か分かっているとはいえ、ミーティングをいつもより五分ほど早く終わらせたんですから」
「中尉、ひと月のミーティング平均時間から考えると六分二十三秒です」
レオナの突っ込みに中尉は苦笑いを浮かべて、サングラスを整える。
「なぁに、いつもより報告内容が少なかっただけだ。特別な意味はねぇよ」
大佐がそう言うと、中尉は表情を隠すかのように帽子を整える仕草をした。
元ネスツ所属という事で私は形式的に非常時以外の定例ミーティングへの参加は許されていない。蚊帳の外という疎外感は無く、むしろ元々組織という物に嫌悪感がある私にとって心地良かった。それに大佐達がいつもミーティングの内容をまるで漫才でもしているかのように、面白おかしく伝えてくれるからだ。
「大佐達は何かこの後、ご予定が?」
私は何気なく質問した。するとみんな呆気にとられた顔をした。
「あ、あれ。何か私へんな事を……」
「ねぇセーラ。自分の生まれた日、忘れちゃったの?」
クーラからそう言われて私はハッとした。
「誕生日……そういえば、今日」
私が独り言のようにそう呟くと、レオナが近づいてきて「本当に気付いていなかったのね」と言って後ろ手から前に手を持ってくると、その手には白い箱があった。
「開けて見ろ。ウィップ」と中尉。「少し冷たいかもしれんがな」とマキシマ。
私は氷のように冷たくなっている箱を開けると、その中からダイヤモンドのようにキラキラ光るケーキがあった。
「セーラ! 誕生日おめでとう!」
とクーラが満面の笑みを私に向ける。
「少し冷やしてくれとは言ったが、まさかここまでやるとはな」
大佐が困った顔をして頭をポリポリと掻く。
「なら今度は温めてやろうか」
K’の赤いグローブから炎が浮き出る。
「おいおい。折角のケーキを黒こげにする気か」
マキシマが呆れた声を出す。
「そうだよ! それにクーラはこっちの方が好きだもん!」
クーラは凍ったケーキを手にとってウィップに差し出す。
「はい! セーラ! クーラと半分こしよ!」
私は苦笑いして「あ、ありがとう」と言った。
「おいおい。食べられるわけないだろ。それ」
大佐が口を挟む。
「え? そうなの」
「え、ええ。……あいにく私、今ダイエット中なの。だからクーラが全部食べていいわよ」
「いいの! やったー。セーラ優しい! 大好きー!」
クーラがペロペロキャンディのように凍ったアイスを舐め始める。
「……ごめんなさいね。もっときちんとしたの用意すべきだった」
レオナが無表情な顔で謝る。
「いえ、いいのよ。私なんかのためにここまでしてくれただけで私は嬉しいわ」
そもそも誕生日も偽りの記憶なのかもしれない。だからお祝いなんてものも本来ならば必要ない。
「ウィップ。あなた『なんか』ではないわ。あなた『だから』私達は側にいてあげたい、特別な記念日には何かしてあげたいと思ったのよ。それは私だけじゃない。大佐、中尉、教官、そして彼ら」レオナが目線でクーラ、K’、マキシマを示す。「も同じ気持ち。生まれた事実を恥じる必要はないし、後悔する必要もないわ。ここにいるあなたは私達にとって代えの利かないただ一人の人間なの。だからあなたも自分を偽らずにありのまま接してほしい」
私はレオナにそう言われると、今まで考えていた事が恥ずかしくなり、顔が紅潮したのを隠すため少し俯いた。
☆
私は彼らに作られた存在なのかもしれない。でも私は死ぬために生まれて来たわけじゃない。
たとえ記憶が作り物だったとしても、私がこれから綴る物語は誰にも干渉されない私だけの記憶なのだ。
「ねぇねぇセーラ」
「ん?」
「クーラね! セーラがいて、けーだっしゅがいて、おじさんがいて、アイスが美味しくてクーラはすっごい幸せ! セーラはどう?」
「私?」
「……まぁケーキをアイスにしたのはお姫さんだがな」
「…………」
「こんだけ祝われて嬉しくねえはずねえだろ! 明日からはお前もちょっとは俺に敬意を示すように」
「大佐。そういう所ですよ」
「何か言ったか?」
「いえ。大佐殿のお言葉はいつも心に深く突き刺さりますな」
「フフ……誕生日おめでとうウィップ」
「レオナ……。そうね。私はすごい嬉しいし。今とても幸せ。ありがとう、みんな」
いえ、記憶は私だけの物じゃない。きっとみんなの記憶の中にも私がいて、共有の記憶を持って未来に向かっていくからこそ、生きていく意味にも繋がるのだろう。
誕生日おめでとう……ウィップ。
生まれて来てありがとう……セーラ。
「つーわけで、これからもよろしくなムチ子!」
「ウィップです!」
終