詰みゲーみたいな島(四国)に人類を滅ぼす敵として転生した百合厨はどうすりゃいいんですか?   作:百男合

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須美ちゃんprpr

 季節は冬。吐く息も白くなってきた11月の頃。四国は香川県の大橋近くにある鷲尾邸。

 その日、鷲尾須美は日課の水垢離をしていた。

 「六根清浄」と念仏を唱え、気合の一声とともに桶に汲んだ水を頭からかぶる。その度に水を吸った行衣が身体に貼りつき、白い煙が天へ昇っていく。

 今、須美が身体にかけているのはお湯ではなく冷水だ。気温が低く水のほうが温かいのと須美の身体が熱いため、お湯のように白い煙が立ち上っているのだ。

 大赦に選ばれた神樹様の勇者候補。

 来るべき人類の敵、バーテックスから神樹様を、ひいては人類を守るための存在。

 それが須美にとっての肩書であり、鷲尾家に養女として引きと取られた理由。人生のすべてだった。

 今日も四国を守る神樹様を信仰する大赦の施設で勇者としての戦闘訓練をうけ、現在は家に帰ってきてからの自主訓練を終えた後だ。

 まだ足りない。まだ足りないと水をかぶるごとに頭は冷えるどころか、熱く沸騰するようだった。

 同じ戦闘訓練を受けている乃木園子。四国で知らぬものはいないほどの名家、乃木家の令嬢である。

 自分と同じ年齢で、普段はなんだかほわほわしている。おおよそ戦闘向きの性格とは思えない。なのに戦闘訓練の成績は自分を抜きいつも1番だ。

 納得いかない。自分はこんなに頑張っているのに。

 努力は人一倍しているつもりだ。いや、つもりではなく人一倍している。

 須美の武器である弓の訓練は朝日が昇る前から始まり朝食の準備をする時間まで行われる。学校が終わってからは大赦の訓練施設で大人でも音を上げるような苛烈な特訓を受ける。その後家に帰ってからは自主的に体力づくりや弓の稽古をしている。

 その甲斐あってか実戦を想定した移動しながらの曲射撃ちでも的を外したことはない。矢をつがえる速度も最適化し、矢を三連続けて放ち同じ場所を射ることもできるようになっていた。

 なのに、勝てない。模擬戦ではいつも須美に×が付き、園子には○。力量の差は日を追うごとに広がっていく気がした。

 やはり初代勇者の血は偉大だ。園子様は天才だ。鷲尾の娘もなかなかやるようだがやはり乃木様は格が違う。

 口さがない大人たちが言っていた言葉を思い出し、それを振り切るようにもう一回と頭に冷水をかける。

 だめだ。雑念が取れない。こんなことでは勇者失格だ。

 ふぅっと大きく息をつく。気を抜いたことでトランス状態が解けたのか、水を吸って重くなった行衣が身体に貼りつく気持ち悪さを感じる。

 視線を下ろすとおよそ小学生とは思えない立派な胸がくっきりと形を浮き出させていた。

 また大きくなった。胸にそっと手を当て恨めしく思う。

 成長期とはいえ周囲から奇異な目で見られるこれは何とかならないものか。

 戦闘にも邪魔になるしこんなものはいらないのだが、クラスメイトの女子からはなぜかうらやましがられている。

 うらやましがられるだけならまだいいのだがたまにご利益をくれと触ったり揉んだり時には拝まれたりするのは困ってしまう。そういう女の子は圧が強いというかちょっと目が血走っていて怖い。

 物思いをしていると風が吹き、水に濡れた肌に吹き付ける。

 急に寒さをおぼえた須美は水垢離が終わるのを待っていた鷲尾家のお手伝いさんに湯あみの用意を頼み、差し出されたタオルを受け取った。

 

 

 

 須美が勇者として人類の敵であるバーテックスと戦うことになるとされる日まであと半年を切った。

 これは大赦に所属する巫女たち複数の預言から導き出した結論であり、絶対だ。逃れることのできない未来だとされていた。

 その日に向けて須美は大赦の訓練施設で戦い方を学んでいる最中であり、他の2人の勇者候補との連携なども訓練しているがうまくいっているとは言いがたい。

 須美が人付き合いが苦手な堅物ということもあるが、他の2人の勇者候補も問題なのだ。

 三ノ輪の娘は分け隔てなく人と接することができる性格といえば聞こえはいいが、須美からすれば気安い。こちらの触れてほしくない領域にもずけずけ入り込んでくる態度は少々思うところがある。正直苦手なタイプだ。

 戦闘も直情的というか、よく言えば勇ましい。悪く言えば猪武者。

 考えなしに突っ込んで返り討ちにあったり予期せぬ敵の罠にでも落ちたらどうするのだろうか。武器の性質柄後方支援の須美としては心配の種だ。

 乃木の娘は先ほどのこともあるがつかみどころがない性格で、不真面目にしか須美には見えない。訓練中もたまに寝ているし、休憩中「一緒にお昼寝しよう」と誘われたのも1度や2度じゃない。

 その度に「まじめにしなさい」と叱っているのだが、こたえている様子は全くない。むしろ最近は須美もその態度にあきらめの境地に達していた。

 ただ戦闘面では天才的であり時々「ぴっかーんと閃いた」と須美が思いつかないような方法で不利な状況からも一転攻勢を仕掛けてきて形勢が逆転されてしまう。

 いずれにせよこの2人をまとめるのは大変そうである。と須美は考えていた。

 頭の中では当然自分がリーダーで、西暦時代に大国を相手に大日本帝国海軍を勝利に導いた山本五十六元帥のように2人を指揮してバーテックスに勝利する映像が浮かんでいる。

「私がしっかりしないと」

 と一般家庭ではありえないほど広い旅館のような浴室で湯あみを終えた須美がつぶやく。そういう本人が一番壁を作っていることに、この時はまだ気づいていない。

 寝巻に着替え、大赦から常に身に着けておくようにと言われているスマホを手に取ろうとして――けたたましい音に驚いた。

「な、なに!?」

 画面を見ると大赦で開発された勇者専用アプリNARUKOが起動しており、【樹海化警報】という赤い文字が表示されている。

 突然のことに動揺し、大赦で教わった神樹様の結界にバーテックスが近づいたという知らせだと気づくのに少し時間がかかった。

(嘘っ――あと数か月は大丈夫じゃなかったの!?)

 心臓が早鐘を打つように鼓動を早くする。風呂を出たばかりなのに冷たい汗が背中を走った。

 なんで、どうして、怖い、いやだ、逃げられない、私がやらないと、早すぎる、準備しなくちゃ。

 言葉が頭を埋め尽くし、足の力が抜けていく。警報のアラームが耳鳴りと重なって、吐きそうな気持ち悪さを感じる。

「お嬢様! 須美お嬢様大丈夫ですか!!」

 そんな須美の意識を正気に戻したのは、鷲尾家のお手伝いさんの声だった。

 たまたま近くにいてスマホのアラームになにごとかと思って近づいてきたのだろう。血の気が引き顔が真っ青を通り越して真っ白な須美を見つけ心配している。

 そうだ、自分は人類を守る勇者なのだ。この人や、父と母や学校のクラスメイトを守らなければいけないのだ。

 たとえ、自分の身を犠牲にしても。

「ああ、お嬢様!」

 奮い立ち、立ち上がった須美を見て、お手伝いさんが安堵する。

 須美はそのまま右手を上げ敬礼をし、

「鷲尾須美、お国のために行ってまいります」

 内なる恐怖を飲み込んだまま、ほほえんでみせた。

 

 

 

 景色が一変し、須美の目の前にはカラフルな和紙を使った切り絵のような現実とは思えない異質な世界が広がっていた。

 ところどころに広がる巨大な植物の根のようなものを見て、ここが神樹様の結界の中だと知る。

 あまりの異様さと美しさに、須美はしばらく言葉を失っていた。が、今はそんな場合ではないと頭を切り替える。

 周囲を見渡し、ここにいるのが自分だけだと気づく。まだ他の2人の勇者候補は来ていないことから自分が一番乗りらしい。大赦の訓練施設で何度も行ったように変身するためスマホの画面をタップしようとして――指が止まった。

 

 そこに、すでにいた。

 

 目を離した、ほんの一瞬。音もなく、信じられない速さで近づいてきた得体のしれない何かが。

 気配だけだが、鮮明に感じられた。須美はやめろと必死に警鐘を鳴らす本能を抑え込み前を見て――後悔した。

 巨大な口にむき出しの歯。明らかに生物とは違う異質としかいいようのない真っ白の体躯。

 11歳の自分を噛み砕いて飲み込むのに何の問題もない大きさの化け物は、しかし何をするでもなくそこにいた。

 なぜ攻撃してこないのか、なぜ何もしないのか。

 そんな疑問は、頭に浮かぶ前に消えていた。ただ目の前にある明確な死の恐怖に、須美は金縛りにあったように動けない。

 自分は餌だ。目の前にいるこいつにとって、人類は餌なんだ。

 やがて白い化け物は口を開く。あの大きな口に自分は飲まれ、むき出しの歯に噛み砕かれるのだろうか。

 嫌だ、こわい、こわい、こわい!

(誰か助け)

 瞬間、白い化け物――座学で星屑と教わったことをようやく思い出した――が止まった。口を半開きにしたまま。

 何がと思う間もなく、赤い何かが飛び出しガチン! と金属を激しく叩きつける音が耳を打つ。

「うちらの仲間に何してんだコラァッ!!」

 聞き覚えのある声に見ると、そこにいたのは須美と同じ勇者候補生の三ノ輪銀だった。

 なぜ彼女がここにいるのだろう。

 一瞬ポカンとした須美だったが、星屑をにらみつける怒りと闘志を込めた瞳に安堵し知らず泣きそうになってしまう。

 先ほどの大きな音は銀の武器である巨大な2丁の斧を振り下ろした音だろう。パワーなら須美はもちろん園子も負けるかもしれない重い一撃だ。

 しかしその不意打ちを星屑は易々と躱し、追撃の攻撃も右に左にといなすように避けていく。そして何かに気づいたのか急に方向転換し、銀の攻撃で誘導された先から必殺の一撃で繰り出された槍を歯で受け止めた。

「大丈夫、鷲尾さん!」

 声の主は乃木園子だ。突いた槍をすぐ手元に戻し、いつでも攻撃できるよう警戒しながら須美をかばうように前へ出た。

 そこで須美は、初めて自分が地面に座り込んでいるのに気づいた。恐怖から腰が抜け、いつの間にか立っていられなくなっていたのだ。

「すまん遅れた。あいつ、星屑だよなバーテックスで一番弱いっていう」

「うん、だけど…」

 銀の言葉に園子も肯定したが、同時に否定の言葉も出た。

 星屑は園子の槍の射程圏外へすでに移動し、ただじっと宙に浮いている。

 こちらの様子をうかがっているだけなのに、何か異様な気配を感じた。

 下手に近づこうものなら手痛い反撃を受けそうだ。格上の戦闘教官と闘ったときと似た感覚に2人はいっそう警戒する。

 一方須美は衝撃を受けていた。

 性格や戦闘面に問題があるとどこか見下していた2人が即興でここまで連携できていたこと。指揮するどころか守られてお荷物になっている現状。

 まじめに頑張っている自分が1番リーダーにふさわしいという妄想は、とんだ傲慢だった。むしろ今となっては滑稽ですらある。

 守られているだけの自分を恥ずかしく思い、同時に怒りもわいてきた。

「乃木さん、肩を貸してくれる」

 一瞬驚いた様子の園子。銀は2人の前に立ち、星屑を警戒している。

 こういう時こそ自分の出番だ。

 園子に立ち上がらせてもらい、スマホの変身アプリを展開する。白菊の花が咲き誇った。

 身体が光に包まれ黒いインナーの上に薄紫を基調とした勇者の戦闘服を身にまとい、武器である弓矢を手にする。

 なにがお国のためだ。なにが私がしっかりしないとだ。

 2人が来るまで、何もできなかった。恐怖にとらわれ、震えるしかできなかった。

 こんな自分が、勇者などであるものか。

 須美は弓を構え集中し、射線上の星屑を捉える。

「南無八幡大菩薩」

 裂ぱくの気合とともに放たれた矢は、しかし当たることなく躱された。

 無論そんなことは織り込み済みだ。勇者2人の攻撃を躱したのだ。当然だろう。

 だから須美は必殺を込めた矢とは別に、矢を3連番えていた。避けた先を狙い、今度こそと放つ。

「嘘っ!?」

 攻撃は、当たらなかった。星屑は矢をギリギリまで引き付けてから転がるように移動し、何事もなかったかのようにこちらをうかがっている。

 園子が驚いたのは、その反応速度だった。園子の目から見ても、今の攻撃は完全に入っていた。躱せない攻撃のはずだった。

 だというのに、最弱のはずのそいつは傷ひとつなくただ浮遊している。矢が放たれたのなど幻だったかのように。

 まだ数巡しか打ち合っていないが、実力差ははっきりしていた。こちらは全力でやっているのに、向こうはこちらを見ているだけで反撃してこない。

 からかっているのだ。お前たちと自分はこんなに違うのだと。所詮人間はこの程度だと。

 相手に絶望感を植え付け、獲物を飲み込む蛇が獲物を飲み込むようにじっくりとなぶるつもりなのか。

 今度は敵の反撃が来る。そう思い身構える3人だったが、

「え?」

「なんだ、なんでだ?」

「逃げていく」

 星屑はあっさり身をひるがえすと凄まじい速さで結界の外を目指し去っていった。

 結界の中にいるのは3人の勇者だけ。あまりにも唐突でこちらの虚を突いたある意味見事な逃走に須美は呆然自失していると、

「ふぇえええ、こわかったぁあああ」

 完全に星屑が視界から消え、警戒を解いた園子が脱力して尻もちをついていた。槍が手から離れ音を立てて転がり、慌てて拾おうとするがなかなかつかめないようだ。

「なんなんだよあいつ。あれで最弱とか嘘だろ」

 銀も緊張の糸が切れたのか、脱力しその場に座り込む。その言葉に須美も激しく同意したい気分だ。

 あれが最弱ならそれより強い巨大バーテックスとはどんなにだろう。考えて戦慄する。

 大赦はあんな化け物と戦えという。それはまるで大東亜戦争末期の軍部からの指令に等しい無茶ぶりだと思えた。

「それにしても、わっしーすごかったね。あの4連撃!」

 まだ見ぬ敵に恐れおののいている須美に、園子が破顔していう。

「おー、須美のあれすごかったな。なんで訓練では出さなかったんだ」

 と銀。普段は鷲尾さんと呼んでいたはずだが、いつの間にか下の名前で呼ばれていた。

「え? 乃木さんわっしーって? 三ノ輪さんもなんで名前で…。えーっとあれはまだ完全じゃなかったから。2人の攻撃を避けた敵だから最初の矢は避けられると思って避けた先を絞って狙ってみたんだけど」

「ぶっつけ本番だったの!? わぁー」

「実戦で成長するタイプか。カッケーな」

 突如自分ではもう敵わないと思っていた相手に褒めちぎられ、須美は困惑する。

「かっこよくなんかないわ。私、何もできなかったもの」

 思い出す。星屑が目の前に来て戦意喪失したことを。あのまま2人が助けに来てくれなかったら、あの大きな口に食われていただろう。

「変身もできなくて、情けない。いざというときは私がなんて考えていて……こんな私が勇者だなんて、おこがましかったのよ」

 須美の自尊心は完全に砕かれていた。

 大赦に選ばれた神樹様の勇者候補。たくさんいた同年代の候補生のなかで、自分こそが最も優れているという自負があった。

 自分以外の勇者候補生を表面だけの印象で判断し、本質を見ようとしなかった。銀の勇気も蛮勇と、園子の土壇場における発想力もたまたま思いついた作戦がうまくいっただけだとその才能から目を背けていた。

 都合の悪い情報は無視し、他の勇者候補生をどこか格下に扱っていた。

 だが実際はどうだ。この場にいる3人のなかで1番のお荷物は、1番の臆病者は、役立たずは。

 誰が足を引っ張っていたかなんて、明らかだった。本当に情けない。

「情けなくなんかないよ!」

 そんなことを考えていた須美は自分にかけられた声に驚き、うつむいていた顔を上げる。園子が自分を見つめる真剣な瞳に息をのんだ。

「1人だけであんなのが目の前にいたら、わたしだって戦えたかどうかわからないよ。それにほら」

 差し出された手は未だ震えていた。

「手の震え、止まらないんだ。怖くて。訓練の時と実戦は全然違って。もう動けないかもー」

「そうだなー。あたしも勢いで飛び出して斧ぶんまわしてたけど、正直ひやひやだったもんな。足なんか震えてたし」

 と銀。笑いながら言ってはいたが、その笑顔にいつものような明るさはなく陰を感じた。

 そうか、みんな怖かったんだ。未知なる敵に。不意に訪れた命を落とすかもしれない戦いに。

 考えてみればそれは当たり前で、11歳の自分たちには重すぎる試練だったのだろう。

「じゃあ、私…いいの? 2人と一緒に戦って」

 須美の言葉に、

「もちろんだよー。わっしー」

「いやいや、ここで1抜けとかやめてくれよ。あんな化け物、園子と2人じゃ勝てる気しねーよ」

 応えてくれる2人。

 それが嬉しくて、湧き上がってくる生まれて初めての感情をごまかすため大声で明るく言う。

「よーし、じゃあ明日から猛特訓の開始よ!」

「おう! 今度は絶対あんなやつに負けないからなー」

「だねー。あ、でもお昼寝の時間は」

「「しばらく我慢しろ(しなさい)」」

「うぇー、わかったんよー」

「それと乃木さん。最終選考で残った3人の中でリーダーは私がやろうと思ってたけど、あなたにやってほしいの。いい?」

「乃木さんなんて堅苦しいよーそのっちって呼んでわっしー。…へ? わたしがリーダー?」

「園子がリーダー…マジか?」

「大マジよ。訓練の時から思ってたけど、あなたの発想力には光るものがあるわ」

「ええ! わっしーに褒められた!? 」

「明日は雨が降るかもな」

「それと三ノ輪さんは考えなしに突っ込むところは直したほうがいいわ。今回はその…助かったけどあれがバーテックスの罠かもしれなかったわけだし、次からはよく考えてね」

「銀でいいって。ひょっとして心配してくれてるのか」

「あ、当たり前でしょ! 私たちは同じ勇者で、仲間なんだから」

「わっしーがデレたぁ! ビュォオオオオオオ」

「本当に明日は雨…いや、初雪が降るんじゃないか」

「あ、あなたたちねぇ」

 

 その日、初めて勇者候補だった3人はチームになった。

 これは鷲尾須美の物語の始まる、ほんの少し前のお話。

 

 

 

 危なかった。と俺は全速力で神樹の結界から離れながら自分のうかつさを呪う。

 勇者の使命とはバーテックスから神樹を守ること。

 バーテックスが神樹のもとにたどり着いたら世界が終わる。

 そんな物語にとって大前提な原作の知識が、頭からすっぽり抜け落ちていた。

 そして原作キャラの鷲尾須美に出会った瞬間、自分が星屑であることも忘れて見とれてしまったのだ。

 黒く美しい髪。湯上りなのかほんのりと上気した顔。レアなパジャマ姿。

 そして小学生とは思えない立派なお胸。

 思わず近くで見たいと強く思った瞬間、須美ちゃんが目の前にいた。

 あ゛あ゛あ゛須゛美゛ち゛ゃ゛ん゛だ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛! か゛わ゛い゛い゛な゛ぁ゛!!

 ハァハァ、かわいい。マジで小説の表紙絵と同じじゃないか。なんかおびえてるけどその表情もいいよ! 眼の端に溜まった涙ペロペロしたい。prprしたい!

 思わずprprしようと口を半開きにして、気づいた。舌がない。

 それもそのはず、今の俺、星屑じゃん! 今の今まで忘れてたわ。

 そりゃおびえるわけだよ。決してテンションが上がった俺にドン引きしているわけじゃない。断言しよう。

 何とか危険な存在じゃないとアピールしようとするが声を出せない。

 考えてみれば星屑には声帯と呼ばれる器官が存在するのか怪しい。これでは「ぷるぷる、ぼく、わるいほしくずじゃないよ」と呼びかけることもできない。

 そんな八方ふさがりでどうしようかと思って周囲を見渡すと、牡丹の花が舞い赤い衣装を身にまとった勇者がこちらへ目掛けとびかかってくるのが見えた。

 銀ちゃんだ! 須美ちゃんに続いて銀ちゃんも来た! ぎんすみイヤッフゥウウウ!!

 姫を守る騎士のような銀ちゃんの登場に俺の興奮は最高潮。心の中で歓喜の声を挙げながらステップを踏む。

 それで偶然銀ちゃんの斧攻撃を避けることができたが、問題はそのあとだ。

 2人に敵意がないとわからせるため立ち止まり、せめて怖がらせないようにとでかい口のある顔を背けてみせたら――ー鋭い槍の一撃が、口の中に飛び込んできた。

 攻撃がたまたま前面からで、噛んで止められたのは幸いだった。もし体躯のほうに刺さっていたら絶命していただろう。

 殺気に満ちた攻撃。この時になって俺はようやく自分が彼女たちにとって倒すべき敵だという事実に直面した。

 須美ちゃんを守るように立ちふさがる銀ちゃん、その後ろで須美ちゃんを助け起こすそのっち。近い近い。

「あら^~」と思わずコメントを打とうとして、指どころか腕もないことに気づいた。小学生組てぇてぇです。ありがとうございますありがとうございますと感謝して心の中で拝む。

 そんな殺気満々な彼女たちに、「ぼくは君たちがイチャイチャするのを見にここに来ただけだから危険じゃないよ。さ、どうぞ気にせずそのままイチャイチャして」と万の言葉で語ったとしても通じるとは思えない。

 この時、脳裏によぎったのは動物番組で腹を見せる犬だった。

 あらゆる動物共通である服従のポーズを見せれば相手も何か思うところがあるかもしれない。そう思って仰向けになろうとして、バランスが取れず転がってしまう。

 その瞬間、さっきまでいた場所に矢が4つ刺さっていた。

 星屑には冷や汗を流す器官がないのに、体躯を冷たいものが伝うのが分かった。もしかして、ここにいたら……死ぬ?

 と同時に頭から抜け落ちてきたバーテックスの設定をようやく思い出し慌てて逃げてきたのだ。

 ちなみに今回の出来事が原作より早く須美、銀、園子のわすゆ組が仲良くなるきっかけ。アニメ本編よりも戦力を向上させて初陣に臨むことにつながるのだが、その時の俺は知る由もなかった。

 


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