この安アパートに逃げ込むような形で住み始めて、もう三ヶ月経った。
小説家になると決めて仕事を辞め、とても他人には恥ずかしくて言えないくらい出版社の応募にことごとく落ち、貯金を食い潰したあげく、それまで住んでいたマンションの家賃では厳しくなって入った不動産屋で、「とりあえず安い順に見せてください」と真顔で頼んだ時は、さすがに担当者も頭がおかしいんじゃないか?と思ったはずだ。何より自分が頭おかしくなったかと疑った程なのだから……
何軒も内見していた中で、このアパートに巡りあったのは奇跡と言っていいだろう。再就職した職場までは自転車で通えるし、とにかく近くに墓地がなく、他の部屋でも事件は一切無い。
ちょっと近くに墓地があろうものなら金縛りで眠れなくなる自分にはとてつもなく好立地と言って良かった。
アパートの大家さんも内見の時に何故か一緒に部屋を案内して、俺の顔をじっ、と睨み付けるように見て、
「ま、あんたが良ければいいよ」
と言われて、何となくほっとした気持ちになったのも理由の一つだ。大家さん……ちょっと怖かったし、「こっちが選んでんだよ!」と言う気持ちも多少はあったけれど。
とにかく、このアパートは自分が好きなことをするには都合が良い。捨てる神あれば拾う神あり。昔の人はよくもまぁこんな言い回しを思い付いたなと思うが、正しくその通りになった。
小説家になる夢を諦めた、大して前職に華々しい成果もない自分でも、このアパートでぼんやりしていると、何となく、「これも悪くないなぁ」と思えてくるのは不思議だ。
アパートの名前は「ヴィラ」。
まぁ、村って事だろうなと思ったら、大家がニヤリと笑い、
「悪役ってね、ヴィランって言うんだよ?」
……おいおい、ここの住人は悪の組織の構成員かよ。入隊試験くぐり抜けられるんなら、俺にくぐり抜けられる出版社あったはずだろうが。
そんなこんなで決めたアパートの住人とも、それなりに挨拶をしたり、積極的に話しかけてくる人もいてなかなか楽しくなってきた。
「オハヨ」
「おはよーございます。いつも通り眠そうですね」
大抵休みに早く起きた朝に挨拶してくるのは、アパートでは「キリトさん」「ぶんちゃん」と呼ばれてる二人だ。
キリトさんは、工場で働いていて、夜勤か日勤しかないからか自分が目覚める時間には起きているか寝る前のどちらかで、いつも外の喫煙所でタバコをふかしている。アパートの一階が庭に近く、その庭が適度に広いからこのアパートにしたらしく、近くにバイクのための駐輪場を借りて、休みの日には一日バイクをいじったり洗ったり、震えるような重低音を響かせて風になったりしている。大抵の事はまともなことを言うけども、アパートの名前に一番近いのはこの人なんじゃないかね。
「うーん……寝れんからバイク乗ってくるかな」と呟いて、吸いきったタバコを灰皿できちんと煙がでなくなるまで消したら(こういうところは本当に世間の喫煙者よりかなりマトモだと思う)、部屋に戻っていった。多分着替えるんだろう。
ぶんちゃんは大学生なこともあってか、いつも目覚めるのが早い。
いや、自分が大学生の時は真面目に早く起きた事なんて単位がヤバかった時くらいだから、普通に優秀だと思う。
今の大学は休みの日でも平日教授の都合で休んだりした時は課題があったりでなかなか大変そうだけど、早くから起きて走りに行ったりしてるから、精神的にも健康なんだなぁ、とぼんやりした頭で思う。
「カナデさん、ほんっとに朝弱いですよね。顔色悪いですよ」
「太陽の光って、何であるんだろうね……」
「……いやいや、無いと人間死にますよ」
「それで死にそうになってる俺って……」
「やはり人間では……ない?」
「真顔で言わないでほしい。割と自分もそう思う」
「いやぁ……」
いや、そこで言葉が詰まるのはやめてくれよ、本気で吸血鬼とかみたいじゃないか。夏でも長袖着てたりするけど。
「あ、ユーヤさん。おはよーございます」
「おは~。カナデさんもおは」
「おはよう、今日は早いね」
ぶらっと片手にごみ袋を持って出てきたのは「ユーヤさん」だ。
あっ……そうだ!ごみの回収日!全然まとめてない!
「ユーヤさんのお陰で助かった、ごみ捨てなきゃ」
「えっ、カナデさん、それで早く起きたんじゃないんですか?」
「ぶんちゃん、昨日の夜はちゃんと覚えてたんだよ」
「……なるほど」
「あと一時間くらいでくるから、早くまとめた方がいいよ、うちは昨日豚肉をリンクシュート!したからね、夜のうちにまとめといたんだ」
「ちなみに私も30分前に捨てました」
「……偉すぎてなんも言えない……」
「キリトさんも捨ててましたよ?」
「追い打ちをかけるな!!」
ユーヤさんは結構家庭的な男性だ。仕事が忙しいのかあんまり手の込んだ事はしないみたいだけど、たまに良い匂いが部屋から溢れてる。仕事帰ってあの匂いはちょっと暴力的です、俺もちょっとやってみようかな。しないね。
「昨日も彼女と飯食ったから最高だったな」
始まった。このアパートで唯一彼女がいる人の惚気話が。
「朝からアツアツですねぇ」
「同棲してると楽しいよ、次のデートが楽しみです」
「くっそう!」
「これがリア充爆発しろ、ってやつですね。2chの」
「「ぶんちゃん世代じゃないっしょ」」
それは自分が高校か大学の時だ、もう何年経っていると。その番組は終わったんだぞ。
「クリスマスに物騒な予告とかあったよね」
「カップルに向けて宣戦布告するとか、愚かな……具体的にどこがと言われると困りますが、愚かな……」
「ユーヤさんのとこに布告したらそれはもう大変そう」
「軽くて膝蹴りくらいじゃないかな?」
武闘派なんですよね、彼女さん……
「カナデさん、だべってないでゴミまとめた方がいいですよ、本当に。何日ためてるんですか」
「うーん……」
「そこはちゃんとしよ!綺麗な部屋にしとこ!」
ちょっと呆れられた。眠いのだから仕方ないじゃないか。
こちとら吸血鬼三歩手前くらいなんだぞ?
何故この世は朝にゴミを捨てるとか、朝から晩まで仕事するとか、朝に色んなものを詰め込んで何が楽しいのだ。
年下の男性(ぶんちゃん)に急かされるように部屋に戻ってみると、まぁ捨て損ねた紙やらゴミやらがある部屋で、小さめの机とベッドと本棚などの大物家具以外の場所は、それなりに生活出来そうな場所のある生活臭を特盛ニンニク野菜マシしたような部屋のゴミを一気に集めて捨てる。
なんで一週間あれば45Lのごみ袋が簡単に二つも出来てしまうのだろう?
もしかして魔物が……?
魔物の正体はとっくの昔に分かっている。今までなんとか書こうと、仕上げようと思って書き捨てた小説の残骸。
いや、小説になっていないのだから、ネタの端切れみたいなもんだろうな、と思うと、形に出来なくて申し訳ない気持ちになる。
他にはまぁ、作るのが面倒臭くて買ってきたスーパーやコンビニ惣菜の空パックとか、つい気分が乗ってしまって買った行き場のない嗜好品エトセトラエトセトラ……
とりあえず捨ててしまうか!と捨てていると当たり前のように三袋になった。
なんとか部屋から二本の手で三袋を持って出ていくと同じタイミングで斜め向かいのドアが開いた。
「あ、カロさん。おはようございます」
「おはよう。というかまぁ寝てないので自分的にはこんばんはなんですけどね」
またかよ……
「カロさん」は、このアパートの古株の一人で、とにかくめちゃくちゃな生活してる人。徹夜したりする日もあれば、一日中音を立てず眠ってる日もあるし、なんなら他の部屋から朝出てきて挨拶して仕事行ってる日もあるヘンテコ生活の人だ。よくわからんけど社会人(他人の事は言えない)やっているので、ちゃんとしてる日はあるみたいだけど、そんな感じを一切見せないのは普通に才能だと思う。
「ゴミ捨てのために部屋から出たんですか?」
「いんや、これから大家さんに家賃渡して、飯食いに行くからついでに」
「はぁ……?」
とにかくカロさんは大家さんと仲が良い。家賃滞納しても何も言われないみたいだし、ちょっとしたお願いとかも受けてる。なんなんだ、この関係性は……?
そもそも家賃渡して飯食いに行く金はどっちが出すのだろう、と具にもつかない事が頭を過ったけども、そこはそれ。
「カナデさん珍しいね、起きれたんだ?」
「まぁ目覚めたのはぶんちゃんとユーヤさんのお陰ですが……」
「キリトさんは起きてた?」
「喫煙所で会って、寝れないからバイク乗るって言ってましたよ」
「夜勤で寝てないのにそれやばいんじゃ……」
やばいのはカロさんもですよ、とは言わずに、
「どうせ寝れないなら気晴らしの方がいいですよ、無茶するタイプじゃないでしょうし」
「確かに。無茶してバイク傷付けるタイプじゃないからな」
「そこだけは絶対的な安心感ありますよね~」
と、歩きながらゴミ捨て場に向かう。
カロさんのごみ袋は小さいビニール袋で一つきり。どうやってこの人生きてるんだろう……と考えながら、ゴミ捨て場にゴミを置く。
「さて、先々月の家賃払うかぁ~、今日は天丼の気分なんだが、どうなると思う?」
「えぇ……?先々月……?普通はファストフードの牛丼屋とかになりますよね?」
「いいや、チェーン店なら俺は天丼屋を推すね!だって蕎麦セットあるもんな!」
先々月の家賃を払いに行くのに、ニッコリ笑っているカロさんになにも言えない。
「おーい、カロニキ、また大家に飯たかるの?」
ひょいっと、ライダースーツに着替えたキリトさんが出てくる。ニキってのはアニキの略だ。
「たかってなどいない!正当な報酬だ!」
「大家さんに与える正当な報酬が家賃ってことはわかってるよな?」
ニッコリとキリトさんが笑う。
「……すいません、今月もギリギリっす……」
「よろしい、じゃあ先月分も払おう」
「鬼だ」
「まぁまぁ、大家さんも待ってくれるんですし……」
「冗談だよ、冗談」
なんとなくぐったりしながら、カロさんは大家さんの居る一階へ、キリトさんもささっとバイク置場に向かって歩いていった。
今日は何しようかな、寝直すか?
「あっ、カナデさん、おはようございます」
不意に声をかけられて振り向くと、モミジさんがスーツ姿で立っていた。仕事かな?
「モミジさん、おはようございます~。仕事ですか?」
「いや、ちょっと近くのデパートの呉服売場いこかなと、あんま下手な格好でいくのも好きじゃないし……良ければ行かない?文房具も付き合うよ」
「やった!俺今日どうするか迷っていたのでちょっと待ってて貰ってもいいですか?」
「はいはーい」
モミジさんはアパートの入り口で待っていてくれるようだし、さっさと着替えましょ。
「……なぜスーツで被せてきたの?」
「服代は全部他のもので消えておりますので……」
「あっ……まぁ行こうか」
いや、なんですかその間は?察してくれてありがとうございます。
デパートは家族連れとかもいてなかなか入口は盛況だけど、昨今の状況もあり、呉服売場は静かなものだ。とりあえずスーツで呉服売場で色々見て回るそこそこ若い成人男性とはなかなか面白い組合せで、販売員さんも声を一回かけたきり。まぁ買うわけではないのは丸分かりだろうし、かえってありがたいよ。
「ねぇこれすごい!かっこいいよ!」
モミジさんは結構気にせず、売場を見て回ってる。なになに……え?こんなすんの?デパートこわっ……
「買う訳じゃないのに値段はみなくていいっしょ。うわーすごい手触り、正絹かなぁ?」
「ショウケンってなんですか?」
「えーと、絹の中でも100%絹でできてるのよ。絹って元々蚕から採るんだけど着物一着で何千匹の蚕の繭とるから、めっちゃ高いのよ。レンタル着物とかでもたまにあるけど、あんま触る機会無いから触ってみ」
一着でこの値段……そんな気軽に、と店員を見ると、どうぞどうぞといった感じ。えっ、いいの?マジで触るよ?
掌に伝わる感触は、これが服?と思えるくらい滑らかで、どうだこれぞ着物だぞ、と言わんばかりの高級感を放っている。
自分の着ているスーツとは、とちょっと茫然としていると、モミジさんはその間も他の帯なんかも見ながら楽しんでいる。好きだなぁ本当に。
「はぁ~……満足した。美術画廊とかにたまには出てもいいのにね」
「堪能してますね~」
「和装は正義だからね!」
なんか物凄く何かを吸い上げてツヤツヤしてる。
「さー、次は文房具だよ!」
「まぁ普通に万年筆しか見ませんけどね」
「充分人の事は言えないくらい堪能するからなぁ」
「ぐっ……」
デパートの文房具売場は面白いのたまにあるのよ……
「ペン一本に……ひゃくまん……!?」
「まぁまぁこのくらいはそれなりにありますし、買うわけじゃないですし」
「うへぇ、言い返された」
「あ、新商品出てる……思ったのと違うなぁ……」
ケースの外から見たり、販売員さんに出して貰ったりしながら、ぶらぶらと見て回る。
「これってさ」
モミジさんが隣で見ながら、
「どれがいいの?」
と難しい事を聞いてくる。
「明確にコレってのはないですねぇ。軸が好きか書き味が好きか……とか色々ありますし、着物みたいに物が高いから良いかって言われるとそうでもないです」
「はぇ~」
お店の人も苦笑してる。じゃあどうすりゃいいの?ってなるよね~
「あ、これって色違いありましたよね?」
「ございます。お出ししますので、少々お待ちください」
販売員さんがごそごそ在庫を漁ってる。あるといいなぁ。
「お待たせ致しました。こちらは今字幅が異なりますが、二本ございます」
「おぉ、あった。ありがとうございます。試してもいいですか?」
「今インクをつけますので、お待ちください。どちらもお試しになりますか?」
「お願いします」
「かしこまりました」
「…ねぇ、もしかして買う気?」
「うーん、、書き味次第ですかねぇ」
「買う気あるんだ……」
「良い書き味のって探すの大変なんですよ」
何度買えば良かったと思ったことか。インクをつけてもらった万年筆でちょこちょこ試してみる。
あ、良さそう。
「じゃあこっち買いますね」
「本当に買ったよこの人」
「ありがとうございます。インクはお持ちですか?」
「ありますので、本体だけで結構です」
「かしこまりました」
そのまま本体だけ支払いする。うわぁ衝動買い、また今月もギリギリ。良しとしよう。
「あっさり買っちゃったね」
「しばらくはこればっかり使わないといけないですねぇ」
「書き味良いんじゃないの?」
「それとこれとは、また別っていうか」
「えぇ……」
意味がわからないって顔された。使ってみれば分かるんだけどねぇ。
ぼんやりと他のフロアを流し見して、あとはとりあえず昼飯でも食べますかって流れになったので、デパートを出てランチとしゃれこむことにした。デパートランチ?高くて無理だけど?手持ち無いし。
定食にするとなぜかご飯がおかわり自由になる謎のシステムを持つ天丼屋に入り、一番安い定食を注文(モミジさんは季節の天丼)を頼むと、
「やーうまい。これで二日は食えるね」
「その前にあんたは飯をまともに食える環境を作れ」
「いやぁ、なーんでかしらないうちに金がすっとんでるんですよね」
と、なんとなーく聞き覚えのある二人の会話が……
「カロさんと大家さん?」
「でしょうねぇ」
その声で振り向いた二人が、
「あれ?どしたの二人とも。どっか行ってたん?」
「どもども、モミジさんに誘われて、ちょっとデパートに」
「買い物したのはカナデさんだけですけどね」
「は?また万年筆?やばくね?」
「あんた千手観音にでもなるのかい?」
「それで小説書ければ御の字なんですけどねぇ……」
「手が増えても頭が一つじゃね」
「大家さん、それ、死体蹴り」
「オーイミナサン、ホンニンイマスヨー?」
「居るから言ってるんだよ?」
「オバキル案件やん」
全員の口撃が集中するのを完膚なきまでに被弾しつつ、飯をかきこむ。
「こうなると普通にカロさんとカナデさんって大丈夫なんですかね」
二人で顔を見合わせて、
「「まぁ明日は生きていけるよね」」
「ハモるポイントそこ?!」
「若い子には反面教師でいいだろうさ」
うるさいやい。悪の組織に貯蓄が必要なのは大家さんだけだい(諸説あり)
結局喋りながらご飯をかなりおかわりした二人と、食べ終わったあと微妙に胃もたれした二人が並んで帰る奇妙な絵柄になったお昼ご飯でした。