BOOK   作:ゴマ助@中村 繚

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赤い靴01

 年が明けて早一月、寒さもピークとなる如月の季節。肌に刺さるような冷たく乾燥した冬風に震えながら、桐乃は友人と一緒に異国情緒溢れる港町を散策していた。

 

「桐ちゃーん、見てみて結婚式しているよ~」

「本当だ。綺麗だな」

「もっと近くで見てみよう。ブーケトスもやってる!」

「待ってよ槙ちゃん」

 

 小野寺桐乃。私立墨筆芸術大学文学部2年生。

 本日の一時限目にて、受講している講義の全ての期末試験を終了させた。

 自作の短編小説をレポート代わりに提出するのには少々手こずったが、目に見える失敗もなく単位を落とす心配もなく3年生に進級できるだろう。

 なら、試験終了をお祝いしてパァーっと豪華なランチにしようと、友人である槙ちゃんこと槙乃に誘われる形で横浜にやって来たのだ。何でも、彼女が行きたいと思っていたお店が中華街にあるらしい。

 ステップを踏むように桐乃の前を歩く彼女、倉敷(クラシキ)槙乃(マキノ)とは同じ大学に在籍しているが、槙乃は芸術学部で油絵を選考しており桐乃とは学部が違った。しかし、1年生の時に食堂で同席してから妙に気が合い、お互いに時間ができればこうして一緒に出掛けることが多く大学では一番仲の良い友人である。

 朝一の試験を終えて横浜に来てみたが、お昼の時間にもまだ早いと言うことで繁華街から外れた町角を散策していた。何か有名な名所でもないかとネットで検索してみれば、この近くに有名なステンドグラスがある教会があると聞いたのでそこを訪れてみると結婚式の最中だった。

 白いタキシードと白いウェディングドレスを着た新郎新婦が幸せそうな笑顔で教会の扉から姿を現すと、参列者は彼らにライスシャワーをかけて一足早い春色の花弁を撒きながらたくさんの祝福を贈っている。

 残念ながら、結婚式をしていては教会内のステンドグラスは見ることができないだろう。しかも、幸せのお裾分けであるブーケトスには間に合わず、既に投げられて次の花嫁の手に渡ってしまったけれど、幸せそうな光景を目にすると新郎への憧れと神父への美しさで桐乃も槙乃も呆けた表情になってしまっていた。

 

「綺麗……良いな~素敵だな~」

「槙ちゃんは絶対ドレス似合うだろうね。可愛いし」

「桐ちゃんもきっと似合うよ! スレンダーなマーメイドラインとか……あっ」

「槙ちゃん!」

 

 うら若き女子大生たちが呆けた表情でウェディングドレスの話をしていたら、槙乃が足元の段差に気付かず足を踏み外して転倒してしまうそうになった。

 隣にいた桐乃が反射的に腕を伸ばしたが、槙乃の転倒を阻止したのは彼女ではなかった……槙乃の小柄な身体は、背の高い男性に支えられていたのである。

 

「ダイジョブ、デスカ?」

「はい。どうもありがとうございました」

「It’s okay.」

「クリムゾン神父、一緒に写真を撮りましょう~!」

「神父様ーー!」

 

 片言の日本語で槙乃へ話しかけたのは、首から十字架を下げた神父だった。参列者の女性に呼ばれて槙乃へ一礼してから式の方へ向かった彼がこの教会を管理する神父らしい。

 まだ若く、丁寧に撫で付けたブロンドの髪とパステルブルーの青い目を持った中々の美丈夫だ。支えられた槙乃が、若干頬を赤くして呆けて蕩けた表情をしている。

 

「槙ちゃん、大丈夫だった?」

「うん。桐ちゃん、あの神父さん……少女漫画から抜け出して来た人みたい」

「……そうだね」

 

 槙乃の言う通り、少女漫画の登場人物のような甘いマスクをしている彼は女性に人気のようだ。参列者の若い女性たちは神父が結婚できないことを知っているのかそれとも知らないのか、新郎新婦そっちのけでクリムゾン神父と一緒に自撮棒でツーショット写真を撮っている。

 ステンドグラスは残念だったが幸せそうな結婚式と素敵な神父さんを見ることができたし、じゃあランチへ行こうと教会を後にする。途中、道がちょっと解らなくなって交番に駆け込むと言うアクシデントもあったが、1時になる前には中華街へと到着できた。

 だけど、その駆け込んだ交番の老年の巡査が、彼女たちに気を付けてと言って来た。

 どうやらこの町の近辺では、年末から現在にかけて若い女性が行方不明となる事件が立て続けに起きているらしい。行方不明となっているのは分かるだけでも5人。

 これを受けて、県警でも夜中のパトロールや呼びかけを強化しているらしいが行方不明となった女性たちは未だに見付かっていないのだ。

 

「行方不明って、連続誘拐事件かな?」

「かもしれないね。でも身代金の要求とかないみたいだし……いなくなった人たち、無事だと良いんだけど」

 

 熱々の小龍包を囲んだランチは、何だかしんみりとした空気で迎えてしまった。

 槙乃が来てみたいと思っていたその中華料理屋は、ディナータイムになると一人前数万円となるコース料理を提供する高級店であるが、ランチは比較的良心的なお値段で提供しているところだった。

 槙乃の父が自分の名前で予約を入れていたらしく、店員から「お待ちしておりました」の言葉をもらい、待ち時間もなく個室に案内された……実は彼女、誘拐したら相当な身代金を取ることができるほどのお嬢様である。しかも件の父があまりにも過保護で、出かける時は出かけ先を報告しなければしつこく連絡を入れて来るため困っている。

 だが、折角の父の気遣いは有難く頂いておこう。

 白い蒸気を纏って蒸籠の中から顔を出した小龍包をレンゲに乗せ、モチモチの皮に箸を立てると琥珀色のスープが旨味を伴った香りと共に溢れ出す。それにフーフーと息を吹きかけながら冷まして、酢醤油と生姜と共に頬張れば、ちょっと熱いけれども肉と野菜の旨味がスープに乗って口の中に流し込まれ空きっ腹にじんわりと熱が伝わった。

 

「「~! 美味しい~」」

 

 物騒な事件の話をしばし忘れ、美味しい小龍包で再び蕩けた幸せな表情になる。が、はやり桐乃の頭の中からは、行方不明事件が消えることがなかった。

 あの教会で、微かに聞こえた呟きも。

 

「……あれ、何これ?」

「どうしたの?」

「何だか蚯蚓腫れっぽいのが」

 

 ランチを終えた後は2人でショッピングすることにした。お互いに、そろそろ春物の靴が欲しいと意見が一致したので靴を取り扱っている店舗を中心に、冷やかしたり熱心に吟味したりしていたのだが槙乃が自身の異変に気付いたのだ。

 気に入ったパンプスを見付け、試着してみようと靴屋のソファーに座って履いているショートブーツを脱いだ時にそれに気付いた。細身のパンツから覗く白い足首に、赤い線ができている。

 槙乃の言う通り、蚯蚓腫れかもしれない……だけど、桐乃には別の物に見えた。槙乃の両足首をぐるりと一周するそれは、赤いキリトリ線。工作の説明書に出て来る点線ができているのだ。

 

「何だろうこれ? かぶれちゃったかな?」

「……」

「桐ちゃん?」

「あ、ごめん。何でもない。帰ったら、薬を付けた方が良いかもね」

 

 その赤いキリトリ線を見た桐乃は、嫌な予感がした。

 あの時、幸せそうな結婚式を行っている教会の前で場違いな呟きを耳にしたのだ。低く、ぞっとするような厭らしい声が桐乃の耳にだけ届いていた……女性の連続行方不明事件。槙乃の足首に現れた謎の赤いキリトリ線。

 日常が非日常になるこの一年の二月目。この町の裏側でナニかが起きていると、桐乃は悟ったのだ。

 

 

 

***

 

 

 

 文明開化の頃に建設されたと言うその教会の天井には、美しいステンドグラスがあった。

 ヨーロッパ諸国の礼拝堂のように、豪華絢爛で息を飲む美しさと謳われるようなものではない。神への祈りを捧げたその時に、ふと天井を見上げてみるとそこには光に彩られた聖母がいるのだ。

 頭上十数mの場所にある天窓には、硝子の聖母に跪き足先にキスをする天使。淡い色の硝子で描かれたその美しい物語は太陽の光が差し込むと神々しい輝きを放つのだが、夜に月の光が差し込むと儚く幻想的な白い光がただ一筋だけ赤い天鵞絨のヴァージンロードに現れるのだ。

 もう直ぐ日付が変わる、23時51分。聖母の恩恵を受けた月の光に照らされて、クリムゾン神父はただ1人、そこに佇んでいた。

 彼女を待っているのだ。深夜0時に逢いましょうと、連絡をくれた可愛い女性を。

 鎹がきしむ音を立てて、オーク調の扉が開かれる。彼女が来たのかと顔を上げてそちらへ青い双眸を向けるが、そこにいたのは“彼女”の隣にいた女性――ライダースーツを身に纏った、桐乃がいたのだ。

 

「お誘い、どうもありがとう……槙ちゃんじゃなくて、残念だったな」

「……」

 

 そう言った桐乃が手にしていたのは、メッセージアプリのIDと名前が書かれたメモ用紙だった。

 これは槙乃のコートのポケットにいつのまにか忍ばされていた物だ。ショッピングを終えてカフェで休憩をしていた際、槙乃が化粧室に立ったその時に失礼して探らせてもらいこれを見付けた。

 メモに書かれていた名前は、Fr. Crimson――クリムゾン神父。

 神父は結婚を禁止されているが、別に神様の目を盗んで恋愛しても構わないさ。だけど、悪趣味な愛の囁きとプレゼントを友に贈るのならば、こちらとて容赦はしない。

 

「日本語は片言のはずなのに、あの時の呟きだけは妙にしっかりとした“日本語”で聞こえたよ……確か、「次の獲物だ」だったか? あんた、【読み手】だろう」

「……バレていましたか。誰かに気付かれてはいけないと思い極力口は開かないようにしていましたが、あの時はあまりにも嬉しくてつい」

 

 白い【本】を手にする【読み手】同士は、例え母国語が異なっていても言葉が通じる。神父が早口で英語をペラペラと話している今も、桐乃には流暢な日本語で聞こえるのだ。

 昼間の呟きも、本人は早口の英語で口にしたのだろう。だが、言葉が通じる【読み手】がそこにいたのは想定外だった。

 

「槙ちゃんに何をする気だった?」

「言ったでしょう、次の獲物にするつもりだったんですよ。私はね、不老不死とか【戦い】とかどうでも良いんですよ……ただ、偶然手に入れた能力を、自分の欲望のために使っているだけなんです」

「っ!」

「しかし、バレてしまったからには……貴女を生かして帰さない……!」

 

 教壇に置かれていたのは白い【本】だった。神父が淡い光を宿したその本を開くと、教壇の周りには赤黒く粘度の高い液体がゴボリと湧き出て来たのだ。

 

「『カーレンはその綺麗なダンス靴を履いている限り、一生踊り続けなければならない呪いを、赤い靴にかけられたのです』――創造能力・赤い舞踊(Crimson step)

「【本】のタイトルは『赤い靴』か!」

 

 赤黒い液体の中が形を変えて歪な翼になった。しかし、その翼の持ち主は天使でなければ鳥でもない……液体の中から這い出て来た白く小振りな、ほっそりとした女性の足だったのだ。

 足首から下にかけて、爪を整えてペディキュアを塗ったその足に液体が纏わり付いたその様は、ステップを踏む度に長いリボンが揺れる赤い靴のようだった。数は左右合わせて十四足、それらが神父を守るように周りに漂っているのである。

 名はテッド・クリムゾン

【本】のタイトルは『赤い靴』――神を怒らせたがために、履いていた赤い靴に死ぬまで踊らなければならない呪いを受けた少女は、呪いから逃れるために赤い靴ごと両足を切断した。

 背筋の凍る赤い靴を巡る物語が、桐乃を狙って飛んで来たのだ。

 

「っ、随分と素敵な能力ですね!」

 

 二足の赤い足先を前に『ピノッキオの冒険』の【本】を開いた桐乃は突如、心にもないことを口にした。すると、彼女の手元から木製の棒が伸びて飛んで来た足を払い床に叩き付ける。

 小さく狭い教会内では、巨大な鯨であるモンストロを創造すると動きが制限されて邪魔になる……ならば、自分自身で【戦い】に飛び込んだ方が良い。

 

「何て、言うはずないだろう――武装能力・嘘吐きの鼻。嘘を吐かないと伸びないのが、ちょっとした難点さ。お前がどんな外道でも下種でも、これが【読み手】同士の【戦い】ならば名乗りましょう。名は小野寺桐乃。【本】のタイトルは『ピノッキオの冒険』……じゃない!」

 

 再び、桐乃の手元から伸びた木の棒が右足の一つを打ち落とす。彼女の手にあるのは木製のトンファーのような武器であったが、その手元にはニタニタ笑いをするピノッキオの顔がある。

 嘘を吐けばピノッキオの鼻が伸びるのは有名だ。そのエピソードから発想を得て桐乃が創造した武装能力は、魔法にかかったように伸びるこのトンファーだ。ただし、あくまでピノッキオの鼻から発想を得たために、嘘を口にしなければ伸びないのが難点である。

 桐乃の身体能力は低くはない。常日頃から大型のスポーツバイクを乗り回せるぐらいの運動能力は身に着けている。それに、この【戦い】は自分自身で特攻したい気分だった……大切な友人を“獲物”と称して、厭らしい声を出して自身の欲望を満たすためのこの糞神父を、数十発ぐらいぶん殴りたいのだ。




激おこ桐乃さん

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