BOOK   作:ゴマ助@中村 繚

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赤い靴02

「キリノ、と言うのですか。残念、私の好みではない……しかし、貴女が媚びるなら可愛がってあげても良いですよ。この足の持ち主たちのように!」

「持ち主……?!」

 

 叩き落としても打ち落としても、白い足に痣ができるだけで歪な翼も赤黒い靴も消えることはない。神父の指示で桐乃を蹴りに飛んで来る足たちの追撃を『嘘吐きの鼻』で防ぐが、至近距離で目にしたその足首にあるそれに気付いた。

 切り落とされた足首の断面に、槙乃の足首に出現した赤いキリトリ線と同じ物がある。このキリトリ線に添って、人間の女性から足が切り取られたような跡だ。

 まさか、この十四足の足は神父によって創造された物ではない?

 桐乃が『嘘吐きの鼻』で殴打したことによって痛々しい青痣ができてしまったあの足は、本物の人間から切り取られたものなのか?

 桐乃の背筋に一瞬の悪寒が走り、動揺したその僅かな隙を敵は見逃さなかった。赤い靴が踊り狂うように木造の床の上でステップを踏み、二足の足が桐乃の脚を蹴り付ける。そして、歪な翼を生やして空を飛ぶ足は鳩尾に踵をめり込ませたのだ。

 

「……っ!」

 

 痛みを訴える声を上げる余裕もなく壁に叩き付けられた桐乃への追撃は止まらない。向かって来る足たちを避けて床に転がり、何足もの蹴りが壁に向かって刺さると身体を翻して教会内の左右に並ぶ長椅子の影に一旦身を潜ませた。

 

『もし、あの足が本当に人間のものだったとしたら、無暗に攻撃できない。でも、あの足の持ち主たちは……!』

 

 槙乃の足首にも、足たちにある赤いキリトリ線が現れた。『赤い靴』は、足を切断することによって踊りの呪いから逃れた。

 そして、交番で聞いた女性の連続行方不明事件……桐乃の中で点と点が微かに繋がって、「まさか」と言う考えた頭に浮かんだその時、床からか細い声が聞こえた気がしたのだ。

 否、気のせいではない。確かに足元から、小さく高い声が聞こえる。必死にこちらへ声を届けようとする、助けを求める声が。

 

「……そういうことか!」

 

 床に耳を寄せた桐乃の中で、点と点がしっかり繋がったと同時に足による追撃がなされた。十四足の足が一斉に雪崩れ込んで袋叩きにでもしようとしたのだろうが、間一髪で避けたために長椅子を一脚破壊しただけで終わったのだ。

 

「この“事件”に関して、怒っていないよ!」

「っ、何をする!?」

 

 盛大な嘘を吐いた。本当は、今までにないぐらい、桐乃の感情には怒りが込み上げている。

 勢いよく伸びた『嘘吐きの鼻』はヴァージンロードの真ん中に突き刺さり、床に穴を開ける。赤い絨毯を取り払ってその穴の中を覗き込んで見ると、そこにはおぞましい光景が広がっていたのだ。

 月明かりが差し込むその穴の中は地下室になっており、そこにいたのは猿轡を噛まされた若い女性だった。

 髪は乱れ顔には青痣が残り、ボロボロに破かれた服とかろうじて原型を留めている下着を身に着けているだけの状態で、後ろ手に腕を拘束されている。覗き込んだ桐乃を目にすると、必死に唸って助けを求めた……その両足は、ない。

 彼女だけではない。裸の女性も、ぐったりとして動く気配がない女性も、引き千切られた跡があるセーラー服を着た少女もいた。みんな両足がない。あの足は、彼女たちのものだったのだ。

 

「やっぱり……女性の連続行方不明事件の犯人は、お前だったのか!!」

 

 この女性たちの中に、次の獲物と定めた槙乃も加えようとしたのである。

 桐乃の怒りが爆発した。こんな畜生が聖職者を名乗って新郎新婦の門出を祝福したことも、桐乃の大切な友人を毒牙にかけようとしたことも……この、テッド・クリムゾンと言う存在そのものに、憤怒と軽蔑と嫌悪を爆発させたのだ。

 しかし、当の神父……否、もう神父と呼んで良い存在ではない。当のクリムゾンは桐乃の怒りなんてどこ吹く風で、少女漫画の登場人物のように整って書き込まれた顔を歪ませて、ニッコリと微笑んだのである。

 最初の“犯行”は、年も明けぬクリスマスの夜だった。

 教会で行われたクリスマス・バザーの後片付けを終えた深夜の時間帯、懺悔室に1人の女性がやって来たのだ。

 しかし彼女が語ったのは懺悔ではなく愚痴。酒に酔って教会に乗り込み誰でも良いから話を聞いてもらいたいと、幕一枚を隔てた向こうにいるクリゾンへ遠距離恋愛中の恋人への愚痴と言う名の罵詈雑言を吐き出した。

 仕事が忙しいからクリスマスは会えないし、年末年始も帰れない。怒りが酒と共に醒めると今度は哀しみに襲われ、顔の見えない女性の声は震えて嗚咽を吐き出した。

 この時に、神父にはあるまじきことをした。簡単に言えば、彼女を自室へ誘ったのだ。

 そして、同じベッドの上で朝を迎えると最初の被害者となる彼女は「帰りたくない」と零した……だから、永遠に帰れなくしてあげたのである。恐怖と暴力に怯えて抵抗することができず、それでも微かな快楽に顔を悦ばせる女性の白い肌にたまらなく興奮した。

 この、錯覚した性癖を可能にしてしまったのは、教会に誰も知らない地下室があったからだ。大戦時代、防空壕替わりに造られたそこは、強度にしばしの不安があったが見られてはいけない行為をして秘密を隠すには絶好の場所だった。

 年が明けるまでにもう1人増えた。それから、不可思議な手段を得てしまったクリムゾンの欲は加速することとなる。前任の神父が置いて行った荷物の中に、白い【本】を見付けたのだ。

 靴のリボンをくるくる揺らして踊るドレスの少女の紋章。『赤い靴』が語った不老不死を巡る【戦い】には、興味を持たなかった。ただ、この【本】の能力を自身の色欲と征服欲と独占欲に使ったのである。

 

「片言の日本語で少し話しかければ、どんな女も婀娜っぽい顔をして付いて来た。時には娼婦のように誘う女もいた。最高だな大和撫子は! どんなに身持ちの固そうな女でも、ブロンドの美形の誘いにはホイホイと乗って来るんだ!」

「黙れ……」

「大体の女は、朝になると「帰りたくない」と言ってくれる。だから、帰さなかっただけ。それの何が悪い? 帰りたくないと言ったから、こうして足を切り取って帰れなくしてあげたんだ」

「黙れ!!」

 

 目の前にいる男は神父服を着ただけの畜生だ。こう言っているが、実際のところは彼女たちを監禁しやすいように足を奪っただけだ。

 赤いキリトリ線に添って足首を切断すれば血も出ず、切り取った足は腐ることもなかった。切り取った足を、持ち主の目の前で愛でてやった時の彼女の表情は今思い出しただけでも身体が熱くなる……クリムゾン好みの、自身の顔に見惚れた可愛い女だったら尚更だ。

 足元にいる女性たちを散々凌辱して、侮辱して嘲笑うその声に吐き気がする。桐乃の中にはもう、怒りはない。もう怒りを通り越した。

 血が上っていた頭の熱がすぅっと冷めて、どうやってこいつを叩きのめそうかと脳細胞が冷静に、それでいて活発に動き始めた。

 

「お前だけは、許さない」

「許さなくて結構。お前は、遊んでやったら殺してやるよ!」

「創造能力――」

 

 桐乃はライダースーツの内ポケットに入れていた『ピノッキオの冒険』を取り出し、新たなページを捲る。再び、被害者たちの十四足の足が桐乃を攻撃するために一斉に飛んで来たが、桐乃は蹴り潰されなかった。

 身を翻して軽やかにその場から脱出すると、追撃として向かって来る足を『嘘吐きの鼻』で攻撃するのではなく、壁を駆け上ってそれを避け続けているのだ。

 

「っ! 何だ、その超人的な身体能力は!」

「さあね、教えてあげない!」

 

 赤黒い靴を履いた足を攻撃せず、ただただ避け続ける。この時の桐乃は、確かに超人的な身体能力をしていた。重力に逆らって壁を走り、長椅子を足場にして跳ねて、アクション映画のスタントマン顔負けの動きをしているのだ。

【本】を手にして、何をした?

 何を創造した?

 焦りを見せたクリムゾンだったが、身を翻した桐乃の身体がステンドグラス越しに差し込む月光の下に来て気付いた。彼女の腕や脚、肩と全身から伸びる細い糸の存在に。肉眼では捉え難いその糸は、天井に向かってピンと張られている。

 伸びた糸の先にあったのは、教会にあるはずはない劇場の暗幕。その暗幕の暗がりの中には、桐乃から伸びる糸を手にした仮面を被った二体の人形がいたのだ。

 それはまるで人形劇。人形が人間を操る、異色の劇が開幕していたのだ。

 

「まさか、あの人形に自分を操らせていたのか?!」

「創造能力・歓喜のマリオネット! 糸の支配から解放されて歓ぶマリオネットたち。今度は人間を、その手で操る!」

 

 不思議な能力が宿った木材から作られたピノッキオは、自分の意志で動くことができるしペラペラと喋ることもできる。あまりにも口が達者すぎて、ジェペット爺さんを警察に連行させるような糞ガキでもある。

 しかし、いくら糞ガキでも彼は糸に繋がれたマリオネットたちの憧れの存在だった。それこそ、ピノッキオが登場すればみんなで歓声を上げて演じるはずだった人形劇をボイコットするぐらい、マリオネットたちにとってのピノッキオは人気者のスターなのである。

 そのエピソードから発想を得た桐乃が想像して創造したのは、糸の支配から解放されたマリオネット。今度は逆に、自分たちを繋いでいた糸を器用に使って人間を絡め取ってしまう二体のマリオネットだった。

 道化のアルレッキノと老人のパンタロネがケタケタと木製の口を動かしながら、桐乃に繋がった糸を動かして足の攻撃を回避し、徐々にクリムゾンとの距離を縮めている。

 人間の手によって思うがままに操られる人形のように、人間にはあり得ない動きをしていたのだ。

 

「調子に乗るなよ、クソアマが……!」

「アルレッキノ! パンタロネ!」

 

 クリムゾンには、バック転状態で自身が創造した能力を説明した桐乃がドヤ顔にでも見えたようだ。少女漫画の主人公と例えられた整った顔が荒々しく歪み、怒声と共に足たちがラテンナンバーよりも激しいステップを踏みながら、桐乃を狙って蹴りを入れて来る。

 しかも今度は、足を操る赤黒い液体までもがボゴボゴと音を立てて湧き上がって来た。火にかけたスープから出て来る灰汁を連想させるその液体は床を這い回り、天井付近にいる桐乃へ赤い飛沫をかけて来たのである。

 逆の方向に降る雨のような飛沫は全部を避けられず、何粒かが桐乃の身体に付着したのだが腕に付着したその飛沫がぐるりと円を描き、ライダースーツに包まれた左腕に赤いキリトリ線ができた。

 左腕だけではない。右脚の太腿に胴体の臍から少し上の場所に左足首に、首に、ハサミを添えて切るためのキリトリ線が現れたのである。

 

「足置いてけクソアマーー!!」

「やって堪るかーー!!」

 

 クリムゾンは教壇に置いたままにしていた『赤い靴』の【本】を手に取っていた。

 別のページを開いて【本】に光が集中すると、創造されたのは巨大な十字架……材質は真鍮でも銀でもない。白い乱れ刃が厭味ったらしいほど美しい、刃でできた十字架が桐乃を狙って天井から降って来たのである。

 その姿はまるで、罪人の首を狙って落ちて来るギロチンのようだ。

 一昔前の子供向けの『赤い靴』の物語では、靴に呪いを受けた少女・カーレンの足を切断したのは森の木こりとも書かれているが、実際の物語では確か罪人の首を落とす処刑人だったはずだ。自分の思い通りに行かない女に対して、死刑を執行しようとでも言うのか。

 もう反吐も出ない。こんな奴に吐き捨てる罵詈雑言のための呼吸も言葉も、もったいない。

 前方には十字架のギロチンが降って来て、背後からは十四足の足が飛んで来る。あれらをすり抜けるには若干隙間が狭い。一か八かだ……!

 

「『処刑人に切り落とされた足は、そのまま踊りながら森の奥へ消えて行きました』――慈悲の執行(アシカリ)!!」

「『荒れ狂う海の底から姿を現した化け物は、渦巻く波と暴風と共にピノッキオを呑み込みました』――荒波の鯨鮫(モンストロ)!!」

 

 教会を内側から崩壊させてしまいそうなほど巨大な鯨が創造され、鮫が飛び出て来る口を大きく上げると十字架のギロチンを口に受け止めて、そのまま噛み砕く。海の捕食者に相応しい固い刃が、しょっぱい潮の飛沫とバキバキと言う音を立てて処刑の執行を阻止したのである。

 十字架のギロチンはモンストロに任せた。桐乃はアルレッキノとパンタロネの糸の動きに合わせ、背後から迫って来る足を回避するが、何足かが背中やら腕やらを蹴り付けて鈍痛が走る。頭を掠めた左足は、桐乃の髪を纏めているお気に入りのバレッタを破壊して、肩まで伸びた黒髪が乱れ舞った。

 後少しだ……あと少し近付けば、あの濁った青い目を見開かせて追い詰めることができるんだ。

 また、心にもない嘘を吐いた。「貴方のような男性、タイプなんですよ」という、天と地が引っ繰り返ったって真になることはない嘘を誰にも聞こえない小声で呟くと、手にしていた『嘘吐きの鼻』が高速で伸び出してクリムゾンの咽喉に突き刺さった。

 

「が、はっ……!?」

「そんなに、そんなに足が欲しいか? だったら、くれてやる!!」

 

 呼吸もままならない状態で伸びた鼻に手をかけるが、身体はそのまま背後にある祭壇の壁に叩き付けられて身動きが取れなくなった。その状態で、あれだけ欲しがっていた足が飛び込んで来たのである。

 ドンっ!!っと、大きな音を立てて桐乃の足が壁に蹴りを入れたのだ。クリムゾンの脚と脚の間の壁に。

 俗に「股ドン」と呼ばれる体勢であるが、彼女の脚が立てた音を聞く限り完全な暴力だ。あと少しだけ足の位置が上だったら、男の最大の急所を容赦なく潰されていた。

 その現実を認識したのだろう。クリムゾンの唇と腰と両脚がガクガクと震え出し、自身が女性たちへ散々与えて悦んでいた恐怖を目の前の桐乃に感じたのである。

 そして、力が入らなくなっている奴の右手から白い【本】を抜き取ると、ページを閉じた。

 

「めでたしめでたし」

 

 

 

***

 

 

 

「桐ちゃーん! おはよう!」

「おはよう、槙ちゃん」

「あれ、いつものバレッタはどうしたの?」

「壊れちゃったんだ」

「えー、桐ちゃんに似合っていたのに。そうだ、あの蚯蚓腫れね、すっかり消えちゃったんだ。桐ちゃんに言われた通り、薬を塗ったのが良かったみたい」

「良かった、消えてくれて」

 

 期末試験を終えた学生は一足早い春休みに入っていたが、桐乃は図書館から借りていた本を返却するために大学に登校し、キャンパスへ向かう道中で槙乃と出会った。彼女も本来ならば春休みに入っているのだが、制作中の絵を描き上げたいからと登校して来たらしい。

 彼女たち以外にも、本日の試験を控えている学生たちが行き交う大学の敷地内。ある者は音楽を聴きながら、ある者はテキストを読みながら、そして大多数の者はスマートフォンを操作しながら歩いている。

 その中の何人かは、ネットのニュースサイトでとある記事を目にしただろう。『変態神父、淫蕩鬼畜な所業!』と言うタイトルを。

『赤い靴』の【本】は閉じられて、紋章は桐乃の物になった。監禁されていた女性たちの足も元に戻り、半壊した教会も()()()()()()になった。が、壊れてしまった桐乃のバレッタだけは壊れたままだった。

 まあ、隣でニコニコと笑顔を見せてくれる友人を守れたなら、安い犠牲である。




テッド・クリムゾン(29)
アメリカ出身。ネグレクトの末に教会に預けられて育てられる。
外面がよく真面目にミサに参加している体を装うが、ミサの最中の頭の中は常に不真面目で神への祈りなど一度も真剣にやったことはない。
神父となったが、それは全て外面を整えるため。自身の容姿と神父という外面があれば、禁断の関係を勝手に解釈した女がホイホイ寄って来るため……これも全て救いだというのが、常套句の言い訳。
『赤い靴』の【本】は前任者の神父が置いて行ったものを地下の防空壕と共に見付けた。


創造能力・赤い舞踊(Crimson step)
主人公・カーレンから切り落とされても踊り続けて消えて行った赤い靴を履いた足。
人間から切り取った足を自由に使役する。足そのものではなく、足を操る赤黒い液体そのもの。
クリムゾンが獲物を見つけると獲物の足に赤い切り取り線が出現し、その線にそって切り取れば出血もなくショック死もない。工作気分とか言ってんじゃねーぞ。
ちなみに、足だけではなく腕とか首にも切り取り線は出る。


創造能力・慈悲の執行(アシカリ)
カーレンの足と切り落とした森のきこり……ではなく、原典の死刑執行人が使う仕事道具。
早い話が十字架の形をした巨大なギロチン。足を狩り、首を狩り、邪魔者を狩るための殺戮刃。
厭味ったらしいほど美しい姿に「慈悲」の名前が入っているのが盛大なる思い上がり。

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