BOOK   作:ゴマ助@中村 繚

16 / 75
赤ずきん【Past】01

 その日の読人が視た50年前の【戦い】の記憶は、川を臨むことのできる広場から始まった。

 ロンドン市内から海へと繋がるテムズ川が見えるように設置されたベンチには、先日の夢で登場した『一寸法師』の【読み手】である龍生と、彼の話を熱心にメモを取っている蔵人が座っている。

 太陽が真上に見えるこの時間帯はランチタイムなのだろう。彼ら以外の人々は、フィッシュアンドチップスやサンドイッチを片手に、ファストフードを口に詰め込んでいた。

 

「……つまり、龍生君の実家に代々伝わっていたのがこの『一寸法師』の【本】なんですね」

「はい。うちは岩手の片隅で長年続いた神社です。その社を祀るきっかけさなったのが、檜垣の先祖の前に現れた1人の男と言われています」

 

 龍生の実家は、岩手県のとある神社だ。主に書籍供養を行っているらしいが、どんな氏神を祀っているかは話の流れではよく解らなかった。しかし、その神社の成り立ちは蔵人の興味をそそったようである。

【戦い】の歴史は、日本でいう平安時代から確認されている。優勝賞品である『竹取物語』の【本】がコノ世に現れた時期からだと蔵人は推測していた。つまりは約千年間、不老不死を巡る【戦い】が繰り返されているということになる。

 それからしばらく後の時代、龍生が語って蔵人がメモした内容は鎌倉時代手前まで遡る。奥州平泉・藤原氏……とかの時代、檜垣の先祖の前に1人の男が現れたそうな。その男は見た目こそ若い男であったが、百歳を超えた仙人のような人物だったとか。

 男が一晩の宿を所望したので、人の良い先祖は男を丁寧にもてなすとその男は見たこともないほどの金品を礼として払い、その夜には奇想天外・奇々怪々・摩訶不思議な御伽話を聞かせてくれた。

 

「書物に記された架空の物語が現実に飛び出して来る年がある。その年は、竜が空を飛び虎が火を噴き、天上の美しさを持つ姫が隣に現れる……そういう御伽話を語ったその男は、翌日には消えていた。宿代として先祖に払った金品と、何冊かの白い【本】を置いて。あの者は天の使いか何かだーって思った先祖は、その金品で祠を建てて男や白い【本】を祀って現代の檜垣家さ至るんですよ」

「ふーむ……ところで龍生君、その白い【本】と言うのは千年前でもこの本の形をしていたのですか? 右閉じ右開きの」

「へ?」

「その時代だったら書簡や巻物が一般的のはずですけど。もしその頃から【本】は現代の書籍の形をしていたら、まるで未来から迷い込んできた歴史の遺物のような気がしまして。オーパーツという物ですね」

「えーと……そこまでは、分らんです。でも、わしは小さい(ちゃっこい)頃からこう聞かされていました」

「成程成程」

「それと、その男は自分のことを化け物って言っていたって」

「“化け物”ですか……」

「うちの祖父()様は、天の使いであることが地上の人間に信じてもらえずそう呼ばれて迫害されたから、そう名乗ったんじゃないかって言っていますけどね」

「龍生君は、どう思いますか? その人は、“誰”だったのか」

「……その人、過去の【戦い】に勝利して不老不死さなった人間だとわしは思っています」

 

 老いることも死ぬこともできず、時間の流れに取り残されて孤独にただ存在し続けているだけの、可哀相な化け物――

 その者は、まだこの世界にいるのだろうか?

 あれから約900年もの間、放浪し続けて化け物と名乗り続けているのだろうか?

 だとしたら、あまりにも悲しすぎる。だから、龍生はそれを止めるためにイギリスまでやって来たのだろう。悲しい化け物をこれ以上に生み出さないために。人が人として死ねるように。

 

「私もそう思います。その身に不釣り合いな有り余る祝福は、呪いに近い」

「全世界の権力者が、血眼になって手に入れようとする不老不死は呪い……か。蔵人さんは良い表現を使いますね」

「どうもありがとうございます」

 

 龍生の話を一通りメモし終わると、蔵人は左手の万年筆ともにメモ帳をジャケットの内ポケットにしまった。

 2人が出会ったロンドン塔での夜の後、イギリスに来たばかりで拠点がなかった龍生は蔵人が借りているフラットに転がり込んで同居している。異国で同じ日本人がいると心強いと、人懐っこい笑顔でそう言った龍生と、まあ部屋は余っていますし、1人暮らしにしておくには広いフラットですしと言った蔵人の意見の一致で始まった生活は割と上手く行っていたようだ。

 今夜の読人の夢は、それから数日経った頃の過去の出来ことのようであるが……それから再び、蔵人のフラットに同居人が増えていた。

 

「蔵人さん! 龍生さん! ランチ買って来ました~!」

「おー! 待ってた!」

「ちゃんとマダム・ココのお店で買って来ました! 蔵人さんはシュリンプサンド、龍生さんはフィッシュアンドチップスですね。僕は、迷いましたけど卵にしました」

「お疲れ様、光孝君。龍生君、いくら魚のフライが好物でもそう毎回食べては身体に毒ですよ」

「はーい」

 

 テムズ川の流れに逆らう方向から、紙袋を抱えて走って来たのは声変わりしたばかりのボーイソプラノだった。新しい登場人物である彼は、色褪せたキャップを被った小柄な日本人の少年――名前は、(カエデ)光孝(ミツタカ)といった。

 光孝は先日、ロンドンのスラム街に迷い込んで襲われかけていたところを蔵人に助けられた。イギリスに来たばかりで宿も金もないと言っていたまだ16歳の少年を、じゃあうちのフラットに来ます?と軽く誘ってみたら、次の日から男3人暮らしになったのである。

 やはり50年と言う時代の差だろうか。夢の中の光孝は読人と同い年か一つ年下であるが、高校の同級生たちよりも随分と小柄で童顔で中学生ぐらいの年齢に見えた。蔵人と龍生に頼まれたランチを抱えて、冷めない内にと急いで運んで来た姿は後輩という感じである。

 ちなみに、最近の彼らにはお気に入りのお店がある。中東系フランス人の夫婦が経営する食堂は、蔵人の勘と龍生の舌を駆使してやっと探し当てた店だ。一般的に飯が不味いと言われるイギリス料理が美味く安く食べられるということで、ロンドンを訪れる諸外国の人間にとっての穴場のスポットだった。

 特に、マダム・ココと慕われる夫人が作るフィッシュアンドチップスは絶品だ。

 高温の油でサっと揚げたフライは、衣に混ぜたエールの麦の香ばしい風味が鼻に抜けふわふわの白身魚とホクホクの芋の、淡泊な味と絶妙に調和する。と、グルメ漫画の感想のように語っていた。

 初めてマダムの料理を食べた蔵人と龍生が、「今まで食べたフィッシュアンドチップスは何だったのでしょう」とか「イギリスに来て初めて美味い物食べた」とか真剣な声で言っていたのを見て、本当に美味しいんだな~っと思ったと同時に、どれだけ他の屋台の料理は不味かったんだと感じた読人であった。

 ちなみに、その次に美味いと感じた物はブレックファーストの定番、缶詰に入った豆のトマト煮だと先日の朝食の場面で龍生が言っていた。そして蔵人も小さく頷いて同感だと言っていた。

 そういえば、イギリスで美味い物を食べたかったら三食朝食食っていろ!とかいう、自虐のようなネタがあったのを思い出した。

 

「やっぱりマダム・ココのフィッシュアンドチップスは美味い!」

「日本に出店しても売れる味でしょうね。イギリスの伝統ファストフードだと謳えば、流行に敏感な若者が3時間は行列を作るんじゃないでしょうか」

「東京の人間って、飯食うのに3時間も並ぶんですか?」

「マクドナルドが初出店した時は、凄いことになっていましたよ」

「そもそも、Fast Foodを食べるためにそんなに行列を作ったら駄目じゃないですか」

 

 ちなみに、マクドナルドが日本に初上陸したのは1971年のことである。ハンバーガーの値段が一個80円の時代だ。

 光孝の「ファストフード」の発音がやけに上手いのが気になったが、日本にはまたアメリカの店が出店するとかどうとか話しながら、まだ若い男3人はペロリとランチを平らげる。

 この時代は、21世紀の現代に繋がるものがたくさん現れた。新しい道へ我武者羅に走り続けた時代だった。

 大阪万博でケンタッキーが日本初出店をして、同じ年に日本初のファミリーレストランがオープンし、長年愛されるお洒落雑誌も創刊された。カップヌードルが発売されテレビ通販が始まり、『仮面ライダー』が放送され、アニメーションがその地位を確立したのも1970年代である。

 オイルショックによるトイレットペーパーの買い占め、浅間山荘事件、チャップリンの死去、長嶋引退etc……21世紀生まれの読人にとっては、全て教科書の上の出来事だ。その時代が、祖父たちの青春だったのだ。

 そして、青春映画にはヒロインが付き物である。野球部のマネージャーとか。マネージャーではないしヒロインと言うほど可愛いイメージではないが、男3人の画面の中に彼女が再び現れたのである。

 

「またお会いしましたね、黒文字蔵人」

「こんにちは紫乃さん。今日は、暖かいお天気ですね」

「ええ。春の訪れも近いようです」

 

 確かに、今日は3月のロンドンにしては暖かい日のようだ。ヒールの低いパンプスを鳴らして広場を歩いていた紫乃も、厚手のカーディガンを脱いで腕にかけ、ブラウスと膝下のスカートに紫のリボンが付いたボーラーハットと言う服装であった。

 

「あれ、もしかして……蔵人さんの良い人だったりします?」

「決してそのようなことはありません」

「だそうです。彼女も【読み手】ですよ。紫乃さん、彼は『一寸法師』の【読み手】であり檜垣龍生君です」

「初めまして。綺麗なお姉さんと会えて嬉しいです」

「はあ……」

「座りますか? ベンチどうぞ」

「いいえ、結構です」

 

 本当に嬉しいのだろう。子供のように表情を明るくさせた龍生が、彼の武器である人懐っこい笑顔で紫乃に頭を下げた。

 一方、紫乃はそんな龍生へ懐疑的な視線を向けて品定めするように彼の全身に視線を動かす。最近の若者らしい長めの髪に、右手には挨拶の際に頭の上から取ったハンチング帽、服装は動きやすいジーンズ。

 紫乃の視線が脚まで動いて足元で止まる。龍生の足元はスニーカーでもなければ革靴でもない、素足にサンダル履きだったのだ。彼が『一寸法師』の【本】で創造するものとそのスタイルを見れば素足なのも納得が行くだろうが、それを目にしていない紫乃にしてみれば春口にサンダル履きのちょっと頭が湧いた存在にも見えなくない。

 龍生にあまり良い印象を抱かなかった紫乃に対し、龍生はそれを知って知らずか、立ち上がって譲ったベンチの席を断られてもニコニコと笑顔を絶やさなかった。

 

「琴原紫乃と申します」

「琴原さんも【読み手】なんですか! 【本】のタイトルは何ですか? 紋章はいくつ持っていますか?」

「光孝君、失礼ですよ」

「この子は?」

「あ、彼は【読み手】じゃありません。ただの一般人です」

「はい! 僕、楓光孝と言います! 【読み手】同士の【戦い】をどうしてもこの目で見てみたくて、ロンドンに来てしまいました!」

「【戦い】を見に来たって……そのために、1人で日本からロンドンへ?」

「いいえ、ブラジルからです。10年前に移住して実家はコーヒー農園をしています!」

 

 幼い頃、祖父から聞かされた【読み手】同士の【戦い】を御伽話のように憧れた。想像力が創造力になり、物語の登場人物が現実となり退屈な日常が破天荒な非日常へと変貌する……そんな、1年間。

 今年がその1年に該当すると知り、ブラジルに現れた【読み手】から主戦場がイギリスだと聞いたらいても立ってもいられず、なけなしの金を引っ掴んで渡英したらしい。数日前に、ロンドン郊外の貧民街で助けた少年は、ブラジル訛りのポルトガル語とたどたどしい英語と、教科書のお手本のような日本語で蔵人にそう語ったのだ。

 表記は「三等客室」のはずなのに、外見と待遇は八等ぐらいの客室という名のボロ船の倉庫にすし詰めにされて何日も波に揉まれ。ロンドンに着いたら着いたで貧民街に迷い込み、最近景気の良いアジア人だと目を付けられて身包み剥がされそうになった。

 それでも、蔵人に出会った時の光孝はそんな苦労を微塵も感じさせず、ただ、蔵人の持つ白い【本】をキラキラとした目を見詰めていたのである。

 

「祖父から聞かされていた通り、魔法にかかったような【戦い】ですね! 東京オリンピックと【読み手】の【戦い】を生で見ることが僕の野望だったんです! もう思い残すことはありません!」

「面白いでしょう、光孝君」

「この子を()()()と称する貴方の神経が不可解です」

 

 キャップ越しに光孝の頭を撫でる蔵人が、何故彼を自身のフラットに連れて来たのか。その理由は解ったが、紫乃の言う通り蔵人の神経はちょっと不可解である。

 要は光孝が気に入ったのだと、読人はそう解釈することにした。

 

「ところで、紫乃さんはこれからランチですか? それとも、ランチを終えて春の陽気に誘われたお散歩ですか?」

「昼食は終えましたが、ただの散歩ではありません。人を探していて、この広場を待ち合わせの場所に指定されたのです。蔵人、貴方も知っている方ですよ」

「おや、誰でしょうか?」

 

 そう言って左手を首に添えて微かに傾けるが、知り合って間もない蔵人と紫乃の共通の知人と言うのは限られて来る。「シノ!」と呼ぶ声に気付いて振り向くと、テムズ川の流れに沿ってこちらへ歩いて来るのは、あの日の夜に脱落した『金の斧・銀の斧』の【読み手】であった青年・ナルキッソスだった。

 

「シノ、来てくれて嬉しいよ。そして、君もいたのか。クロード」

「先日ぶりです、Mr.ミューズ」

「蔵人さん、誰ですか?」

「紫乃さんに負けた【読み手】の方です」

「【読み手】の方ですか!? 何の【本】だったんですか?」

「負けた人か~紫乃さん、強いんですね」

「クロードだけではなく、君たちもぶん殴りたい衝動に駆られるんだが……!」

「あれ、紫乃さんに負けて脱落したのに、言葉さ通じるんだな」

「本当ですね。どうやら、言語の疎通は紋章のある・なしに関わらないようですね」

「それは、私も驚いている。1年間だけの参加賞として受け取っておくよ。それより、シノ以外の【読み手】もいるのなら話を聞いた方がいい。随分と、過激なNymphがいるようだ」

 

 Nymph――ニンフとは、ギリシア神話に登場する美しい妖精たちのことだ。

 ギリシア人のナルキッソスの口から、流暢な日本語で紡がれたのは情報だった。随分と過激な、妖精と例えられる【読み手】がいると言う話である。

 先日、1人の【読み手】が闇討ちに合った。それは珍しいことではない、不老不死を咽喉から手が出るほど欲する【読み手】同士ならば目と目が合ったら直ぐに戦闘が開始される。だが、その戦闘スタイルが過激だった。脱落した方の【読み手】の悲鳴を聞き付けた夜回りの警官がその光景を目にすると、警官も同じく悲鳴を上げたと言う。

 

「その【読み手】……名は解らないが、『金のガチョウ』の【本】を手にしていたらしい。彼の腹が、バッサリと切り裂かれていたそうだよ。物語の中のガチョウのように、内臓が見えるほど」

「っ!」

「どったら【本】だよ、それって……」

「まあ、【戦い】が終わったらそれも()()()()()()になったが、『金のガチョウ』の【読み手】は精神的なショックで病院に運ばれたそうだ。頻りに呟いていたらしい、赤いキャップの子供にやられたと」

「子供? 腹を裂いた【読み手】は、子供だと言うのですか?」

「そうだ。それも、妖精のように可愛らしい少女だった」

 

 神々に愛を囁く妖精のように可愛らしい少女だったから油断でもしたのか、バッサリと腹を切り裂かれて精神的に重傷を負い、紋章を奪われて脱落した。ナルキッソスも人伝にその話を聞いた時は驚いたが、既に脱落した自分には関係ない話だと虚しさも感じた。だが、何を思ってか、自分に勝利した紫乃へこのことを伝えようと彼女を呼び出したのである。

 赤いキャップの殺戮妖精にご注意を、と。

 

「妖精と言うよりは、切り裂きジャックのようですね。ここ、ロンドンですし」

「何ですか、その切り裂きジャックって?」

「龍生君はご存じないですか? ロンドンを代表する有名な殺人鬼ですよ。フィクションの世界では、かのシャーロック・ホームズとの対決が実現したり……」

「Mr.ミューズ、貴重な情報をどうもありがとうございました」

「構わない。しかし、この話を聞いて思うが、シノのような美しい女性に敗れて私は幸せみたいだ。それと、しばらくこの店でピアノを弾かせてもらうことになった。是非来てくれ」

「ええ、その内に」

「おや、帰国はしないのですか?」

「本来ならば、こんなに早く脱落する予定ではなかったのでね。しばらく、君たちの【戦い】を観戦させて頂くよ。クロード、君にも」

 

 ナルキッソスが紫乃と蔵人に手渡したのは、ロンドン市内の三ツ星ホテル内にあるパブのカードだった。そして、紫乃の手を取って跪くと彼女の白い手にキスを贈る。音楽と女性を愛したギリシア神話の神・アポロンのように、気障な仕草であった。

 

「……蔵人さん、どう思います?」

「どうでしょうね」

 

 さて、どんな可愛らしい少女なのだろうか。赤いキャップの妖精改め、赤いキャップの切り裂き魔と言うのは。

 

 

 

***

 

 

 

 そしてこれは、読人が夢で視た訳ではないけれど、50年前のその日の夜に起きた出来事である。簡単に言うならば、蔵人が体験したものではなく紫乃の記憶だ。

 蔵人たちと遭遇し、龍生と光孝と自己紹介をして、ナルキッソスから情報を得たその日の夜、紫乃はもう1人の男性と会う約束をしていたのだ。

 待ち合わせ場所は駅前にあるレストラン。比較的庶民的な値段で、そこそこの料理を提供するその店で出て来たシェパードパイに手を付ける前に、紫乃は驚いてフォークとナイフを落としかけた。

 

「脱落したって……伊調さん」

「すまない琴原さん。ロンドンに来て1日で、このざまだ」

 

 紫乃の正面に座る男性。伊調(イチョウ)延一(エンイチ)は彼女の知人で、『四谷怪談』の【読み手】だ。紫乃より遅れてロンドンへやって来たのだが、悔しそうに語るその通り渡英して早々、【戦い】に敗れてしまったのである。

『四谷怪談』の白い【本】の裏表紙は真っ新だ。あったはずの紋章が奪われてしまっている。

 

「誰に敗れたのですか?」

「名は名乗らなかった。だけど、その姿はしっかりと見たよ。赤い帽子を被った白人の少女だった」

「っ!」

「自分の背丈ほどの巨大なハサミを手にして、夜道を襲われてね。()()()()()()になったが、バッサリと断ち切られてしまった」

 

 そう言って、伊調は左の肩をトントンと叩いた。左肩を断ち切られ、一時的に腕と胴体が離れ離れになっていたことを示している。

 昼にナルキッソスから聞いた【読み手】の情報を一致する……赤いキャップを被った、切り裂き魔の少女。紫乃が把握している範囲で、もう2人の【読み手】が襲われ紋章を勝ち取られている。

 

「伊調さん、少女の外見は? 巨大なハサミの他に創造した能力は? 【本】のタイトルは?」

「外見は……16、7歳ぐらいの白人で、目の色は青っぽかった。もしかしたら、実年齢はもう少し下かもしれない。恐らくゲルマン系だ。言葉は通じたが、節々にドイツ語が混ざっていた」

「ゲルマン系、ドイツ人?」

「それと、能力なんだが……」

 

 少女の身の丈ほどの巨大なハサミと、それから。紫乃へ【読み手】の情報を伝えようとする伊調だったが、炭酸水のグラスを持つ彼の手が小刻みに震えていた。

 赤いキャップの少女に襲われた【読み手】は、精神的ショックで病院に運び込まれた。彼と同じで、伊調にもその恐怖が染み付いてしまっている。

 一体どんな【本】の【読み手】なのだ?

 腹を裂くハサミ……この時の紫乃の頭の中には、数冊の物語が候補に挙がっていた。

 これが、蔵人たちの知らぬ場所で起きていた出来ことである。伊調はこの後、敗者として日本へ帰国した。




伊調延一(28)
紫乃さんの知人で『四谷怪談』の【読み手】……なのだが、参戦して早々に脱落してしまった。ぶっちゃけ相手が悪かった!
出身は青森県下北半島。実家はお寺に関係する古い家らしいが……?

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。