BOOK   作:ゴマ助@中村 繚

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赤ずきん【Past】02

 切り裂きジャックは読人でも知っている。世界的に有名な殺人鬼だ。

 19世紀のロンドンで娼婦ばかりを何人も惨殺し、死体の一部分を持ち去ると言う凶行に手を染めたにも関わらず事件は迷宮入りとなってしまった。約100年が経過した過去の時代でも、読人が生きる現代になってもその謎は解明されていない。

 本物の切り裂きジャックの正体は未だに闇の中であるが、【読み手】たちを騒がせている赤いキャップの切り裂き魔の正体はまさかの少女らしい。しかも、可愛いと聞いてしまったら一回ぐらいこの目で拝んでみたいものだと軽口を叩いたのは、光孝と並んで夜道を歩く龍生である。

 

「龍生さんは怖くないんですか?容赦なくお腹を切り裂かれるんですよ……!」

「確かにおっかないが、死ぬ前に“なかったこと”になるなら元さ戻るし平気だろ」

「普通は、お腹を切り裂かれたらショックで死んでしまうものなんです!」

「大丈夫だ、お前は【読み手】じゃないから狙われねって」

「ううう……もう思い残すことはないって言ったけど、今年1年はしっかり生きていたいです」

 

【読み手】本人よりも光孝の方が怯えていた。

 紙袋を抱えて並んで歩く龍生と光孝であるが、地図を片手にうろうろと絶賛迷子中である。そろそろ冷蔵庫の中身が乏しくなって来たので買い出しに出た2人は、食材は無事に買えたが帰り道で迷い惑わされている内にあっという間に夜になってしまった。

 ロンドンに来て数日、未だに土地勘が芽生えていない。もう夕飯の時間を過ぎてしまったお腹も空いて来た。

 ちなみに、夕飯の時間と言うのは日本基準の時間のことで、現在は午後7時31分である。イギリスは夕飯の時間が7~9時と遅く、アフタヌーンティーのスコーンを詰め込まなければ胃袋が持たない時間帯だ。

 

「あ、電話BOXだ。一応、蔵人さんに連絡を入れましょう。迷子になっていますって」

「そうだな。頼む」

 

 ロンドン名物の赤い電話ボックスを発見すると、龍生が紙袋を預かって光孝は縦長の箱の中に入って行った。光孝が電話をかけている間にも龍生は地図を広げて辺りを見回しているが、よく分らずにハンチング帽ごと頭をガシガシと掻いた。

 誰か通行人に道を尋ねようとでも思ったのか、道路の方へ視線を移してもここは古い路地のために足元が悪くあまり人は通らないようである。彼ら以外、人っ子1人いなかった。しかし、読人は気付いた。別の細い路地から出て来た人影に。

 バスケットを手にした赤いキャスケット帽を目深に被った、ほっそりとした小柄な少女……彼女の姿が夢に浮き出た瞬間、声には出せない「あっ!」という読人の言葉は龍生には伝わらなかった。彼が再び地図へ視線を向けたその瞬間、少女はバスケットの中からハサミを取り出して龍生へ向けて投擲したのだ。

 布を裁断するための大振りなハサミ。刃先が鋭く尖った殺傷性の高そうなそれが、龍生に向かって一直線に飛んで来たのだが、命中することはなかった。サンダル履きの足元から湧き出て来た水が渦状の盾となってハサミを飲み込み、凹凸の多い石畳の上にカランと吐き出したのだ。

 

「赤い帽子? まさか、噂をすればの切り裂き魔か?」

「っ!」

「うわっ!?」

 

 赤いキャップの切り裂き魔――改め、赤いキャスケット帽の少女は次に、手にしたバスケットの中からマスケット銃を取り出した。

 

「え、え、龍生さん!?」

「光孝! そこさおれ!あと食いもん守っとれ!」

 

 サンドイッチやスコーン、ジャムなどの香ばしくて美味しそうな匂いがするはずの可愛いバスケット籠の中から、火薬臭い銃身が取り出され早速龍生に向かって一発撃って来た。

 どうやって収納していたのだろう?

 マスケット銃の大きさとバスケットの大きさが、物理法則的に噛み合わない。某国民的猫型ロボットの四次元ポケットみたいだと読人は思った。

 

「ド●えもんのポケットか?!」

 

 あ、龍生も同じことを思っていた。ちなみに、連載開始は1969年である。

 話を戻そう。火薬の爆発に弾かれた弾丸は龍生を狙ったが、渦から形状を変えた水の壁に飲み込まれて彼には届かなかった。水の壁は流動して波になると少女を取り囲み、龍生は『一寸法師』の【本】を片手にサンダルを脱ぎ、お椀の光沢を持つ雪駄を創造して両足に履いた。

 一方少女はと言うと、弾丸を撃ってしまったマスケット銃を放り捨てるとバスケットの中からもう一丁を取り出して引き金を引いた。今度は真っ直ぐ突き進む弾ではない、銃身から飛び出て四方に飛び散ったあれは散弾だ。水流の上を滑る龍生には当たらなかったが、その威力はやはり普通の散弾ではない。命中した水流を突き抜けて、一瞬だけポッカリと小さな穴が開いてしまったのである。

 

「あ、あわわわわわ……!」

『光孝君? 粟を買って来たんですか? 私、粟は苦手なんですよ。オートミールとかも独特の舌触りがどうも……』

「くくく、蔵人さん! 出ました! 赤いキャップの、切り裂き魔が!【読み手】が! 龍生さんが襲われています」

『おや、思った以上にお早い登場ですね。分かりました』

 

 光孝は食糧の入った紙袋を電話ボックスの中に引き込むと、固く扉を閉めてその中に立て籠もった。蔵人との電話も切らずに焦っていたため、蔵人も現場の状況の音をいくらか拾っていたのだが……確かに、まさか情報を聞き入れた当日に現れるとは誰も思わない。

 腹裂きと言う残虐行為に怯えていた光孝であったが、蔵人の声を聞いて幾分か落ち着いたようだ。電話ボックスの中から外を覗き込み、龍生と少女の一挙一動を目で追って時には唾を飲み込んで大きく息を吐いた。

 そう、彼はこの【戦い】が観たくてイギリスまでやって来たのだ。メルヘンやファンタジーの世界とは程遠い、あまりにも血腥い現場の状況を聞いて肝が冷えたが彼の目の前に広がる光景は、確かに現実には想像し得ない非日常的なものであった。

 

『ところで光孝君。赤いキャップのお嬢さんは、どんな物語の【読み手】でしょうか?』

「蔵人さん! 【本】のタイトルは見えません。お嬢さんと言うより、どこかの国の兵隊のようです! さっきから小さなバスケットの中から何本も鉄砲を取り出して、龍生さんを撃っています……わぁ!?」

『撃たれましたか?』

「電話BOXに! 流れ弾が来ました! 龍生さんは、水流に乗って逃げ回っています!」

『流石龍生君』

 

 チュイン!と音を立てて、光孝が立て籠もっている電話ボックスの上部に流れ弾が命中し、煙と共に穴が開いた。貫通したので二個も開いた。だけど、狙われている張本人である龍生には一発も当たっていない。少女を取り囲む水流を滑り乗る機動力で回避し続けているのだ。

 凹凸の多い石畳の裏路地は、龍生が創造した『一寸法師の川下り』に浸食されて冠水が発生し、路地がそのまま流れの速い川になってしまった状態だ。その川の上に、バランスを保って立つ『一寸法師』の【読み手】と流水によってブーツがすっかり水浸しになってしまった少女が向き合うと、彼女が切り裂き魔と呼ばれるには些か可憐すぎる容姿がはっきりと解ってしまった。

 

「こりゃ、随分とめんこい子だな。何であんたみたいな女子が、バカスカと銃ば撃ちまくっている?」

「……」

 

 赤いキャスケット帽の下には、ままごと人形のように可愛らしい少女がいたのだ。

 キャスケット帽の下から覗くのは緩くウェーブがかかったブロンドの髪、白い頬にはほんのりと桃色が差し込み小振りな鼻はスっと筋が通っていて形も良い。そして、アーモンド形の目に縁取られた瞳は紫がかった青だ。その色に気品さえ感じさせる、人形のように可愛い少女である。

 しかし、そんなにも可愛く、龍生に言わせてみれば「めんこい」少女なのだが、光孝が言った兵隊のようだと言うのもあながち間違ってはいない。少女が身に着けているのは、ふわりと裾が広がるワンピースでも活発な印象を与えるオーバーオールでもない。一見すると、軍服にも見える厳つい深緑色のジャケットだったのだ。

 そして、彼女はバカスカとマスケット銃を撃つのを止めた。手にしていたマスケット銃を捨て去ると、再びバスケットの中に手を入れて何かと取り出しそれを空中に放り投げる。

 何を投げたのかと、龍生の顔が上を向くと……夜なのでよく見えなかったが、巨大な質量を持ったナニかがヒュルルル~と音を立てて、彼の頭上に落下して来るのだけは見えたのだ。

 

「でぇぇぇーー!?」

「龍生さーん!?」

『実況の光孝君、龍生君はどうなっていますか?』

「あ! まだ蔵人さんと繋がっていた! えーと……龍生さんの頭上に、何やら巨大な鈍器のような物が落ちて来て……あ、あれって、ワインボトル?」

『バスケットから銃に、ワインボトルですか』

 

 間一髪。川の中に飛び込むようにして回避したが、龍生の頭上に落下して来たのは、人がすっぽり中に納まってしまうほど巨大なワインボトルだった。

 結構な重力を味方に付けて落下して来たはずなのに、砕けてもいなければヒビも入っていない。逆に石畳を粉々に破壊したその様は、もはやガラスの瓶ではなくただの鈍器である。

 そして、蔵人は光孝を実況呼ばわりし始めた。

 

「あ、危なっ……!」

「成程、ただの愚者という訳ではなさそうですわね」

「っ、やっぱり切り裂き魔か」

 

 少女のジャケットの胸元から白い【本】が発する淡い光が漏れ出した。そして、やはりバスケットの中に手を入れると、今度はマスケット銃以上に巨大な武器が姿を現す。

 少女の身の丈ほどもある、巨大な裁断ハサミだ。持ち手に白い布が巻かれて、手が滑らないようにしているそれが本気度を表しているようにも見える。

 水面に突き刺した刃先が石畳に突き刺さった甲高い音が耳に痛い。バスケットが消えたと言うことは、あのハサミが一番の武器と言うことか。

 ハンチング帽へ手を乗せてしっかりと被り直した龍生は、そのハサミの登場にゴクリと唾を飲んだ。確かに、目の前の少女は可愛い。恋愛感情等ではなく、頭を撫でで愛でたくなるような容姿をしている。だが、その紫がかった青い目には冷たい光があった。読人も理解した……光孝が、彼女のことを“兵隊”と称した理由を。

 どんな手段を使ってでも任務を遂行する、揺るぐことのない鋭く無機質な目をしていたのだ。

 

「創造能力・一寸法師の川下り!」

「武装能力・腹裂きのハサミ(Incision-Schere)!」

 

『一寸法師』の【本】が光を放ち、路地を川へと変化させていた水流が鎌首を上げて、十数頭の蛇のようにうねり少女に襲いかかる。一方、片手で軽々と巨大なハサミを持ち上げた少女は、ジャキン!と言う、心地良いほどの綺麗な金属音を立ててその水流を切ったのだ。

 蛇の頭のように上げた水流の先端が見ことに切り落とされ、巨大な雫となって地面にボタボタと落ちる。何でも切るハサミか。人や物だけではなく、水のような流動体までをも。

 襲いかかる水流を切り落として、ハサミの切っ先が向かうのはその奥にいる龍生だ。水流の群れを創造しても水の壁を創造しても、それをいとも容易く切り開いてしまう少女の冷徹な瞳に呑まれかけている。慌てて退行しようとする龍生の足首にハサミがかかり、電話ボックスの光孝が悲鳴を上げたが2人の【読み手】の間に割り込んで来た黒い影によって、龍生の足が胴体と離れるのを回避できた。

 

「蔵人さんの烏!」

『光孝くーん? もしもーし? 光孝君、聞こえます?』

「蔵人さん! 八咫烏さんが来てくれました!」

『八咫君は現場に到着したようですね。では、私も今からそちらに行きます』

「え?」

 

 両者の間に割って入って来た八咫君によって龍生と少女に距離ができた。

 光孝が電話越しに八咫君の到着を知らせると、その言葉と共に電話は切れてしまう。そして、八咫君が闇夜に同化しそうな黒い羽根吹雪を散らすと、三本脚の烏の姿は消えてそこにいたのはいつものように、揃いのスリーピースのスーツを着て帽子を被った蔵人だったのだ。

 

「蔵人さん!」

「どうですか龍生君。以前から移動が面倒だな~と思っていたんですけど、八咫君と私の居場所を交換することで、瞬間移動を可能にする術を創造してみました。見事に成功です!」

「凄く勝ち誇った顔をしていますね」

 

 羽根の向こうから姿を現した蔵人の表情は、読人に言わせてみればとんでもないドヤ顔だった。

 八咫君を介しての瞬間移動を成功させ、ドヤ顔と共にテンションが上々の蔵人を余所に八咫君によって【戦い】に水を差された少女は、苦虫を何匹も噛み潰したような顔になっていた。可愛い顔が台無しですよ、と声をかけても良いぐらい酷い表情である。

 

「ところで龍生君、彼女はどのような【読み手】でしょうか?」

「めんこい顔して苛烈な子ですよ。容赦ないです」

「むふむふ。ところでお嬢さんのお名前は?」

「あ、聞いてないです」

「駄目ですね。【読み手】同士の【戦い】は名乗るのが礼儀ですよ、リトル・レディ。切り裂きジャックのように誰それ構わず襲撃するのは、ベイカー街の探偵のお世話になる方々と同じです」

「……っ」

「と言うか、わしも名乗ってないな」

「今度から礼儀を弁えましょうね、龍生君」

 

 ほらまただ、また苦虫を噛み潰したような顔になった。

 丁寧な言葉使いの中に毒が数滴混ざっていることがよく分かる。と言うか、蔵人自身が隠す気がない。

 生前もこんな感じだったよな~と、在りし日の祖父との想い出が蘇りかけた読人の視界に、キャスケット帽を脱いで顔をはっきりと見せた少女の姿が移り込んだ。帽子の中に押し込んでいた背中まで伸びる綺麗なブロンドが、湿った夜風に吹かれてサラサラと揺れる。

 また、霧が出て来そうだ。

 

「ご無礼をお許し下さい。貴殿たちが、礼儀を尽くすのに相応しい者たちか判断しかねましたので。【本】が創り出す財宝に欲を出し、わたくしの姿に手を抜いた痴れ者たちとは違うとおっしゃりたいのですね」

「おっしゃりたいですか、龍生君?」

「わしに話を振らないで下さい。えーと、めんこい子だな~とは思いましたけど」

「ちょっと煩悩が出ていましたね」

「うん」

「では、わたくしのダンスのお相手は、そこの烏の羽根の殿方がして下さるのでしょうか」

 

 社交界デビューを果たした令嬢の初々しいダンスのお誘いなんかではない。蔵人に向けての挑発だ……少女の標的は完全に移行した。通り魔のように襲いかかった龍生から、正面から【戦い】の誘いをかけて来た蔵人へ。

 

「私なんかでよろしいのですか? お嬢さん」

「ええ、貴殿のその口に、岩を詰めて針と糸で縫ってしまいたい衝動に駆られます」

 

 ほらね、とっても物騒だ。

 

「わたくしは西ドイツが名門・アーベンシュタイン家が一員、イーリス・アーベンシュタインでございます。【本】のタイトルは『Rotkäppchen』!」

 

 日本語のタイトルは『赤ずきん』。少女――イーリスが手にする白い【本】の裏表紙には、頭巾を被った少女がナイトキャップを被ってベッドに寝る狼に近付くシルエットの紋章が刻まれていた。

 ほっそりとした腕に再びバスケットが現れると、距離をとって跳躍しそのバスケットの中身を蔵人へぶちまけるようして大きく振る。バスケットの中から出て来たのは焼き立てのパンでも、お見舞いのワインでもない。狼の腹に詰められた……と言うより、これから蔵人の口に詰め込まれる予定の岩が雪崩の如く降って来たのだ。

 だが、そんな痛そうで苦しそうな攻撃を素直にいただく訳にはいかない。口に入れたいのは、岩よりもローストビーフだ。

『古事記』の【本】を開いた蔵人と、隣にいた龍生及び光孝を電話ボックスごと呑み込んだのは、蔵人曰く引き籠るための岩戸。彼の手にする【本】が『古事記』だと判明した時点で、これが何か分かる。日本神話の最高神・天照大神が弟の蛮行にブチ切れて引き籠り、世界から太陽を消滅させてしまったあの神話に出て来る『天岩戸』だ。

 岩戸の中に引っ込んで降って来る岩雪崩を防御すると、再び戸が開かれて蔵人が中から出て来る。ちょっと困った時の癖で、左手を首に添えながら。

 

「日本から参りました、黒文字蔵人と申します。【本】は、『古事記』。一曲踊って頂けますか? お嬢さん」

 

 

 

***

 

 

 

 蔵人のその台詞を遮るように、目覚まし時計のけたたましいアラームが乱入して来た。

 読人を叩き起こそうとしている目覚まし時計の時間は6:30。母が買ってきたボタニカル柄のカーテンの向こうからは、微かな冬の朝日が差し込んでいる。読人はパジャマ、前髪には寝癖、ここはベッドの上。足元で丸くなって眠っている火衣が、湯たんぽみたいで温かい。

 つまり、起きた。

 蔵人とイーリスの【戦い】が始まったばかりの場面で。

 

「……、……まさかの、前後編?」

 

 はい、前後編です。




『レッドキャップ』とは。
イギリスの民間伝承に登場する、殺戮妖精。
所謂悪い妖精で、赤い帽子は犠牲者の血で真っ赤に染まっているとか……。

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