身体の芯まで冷え込みそうな2月の第二週目。読人の通う高校では、来週の期末試験に向けてのテスト週間に突入した。
この一週間は勉学に集中しなさいと言うことで部活は禁止。部活動に所属していない読人は、バイトを休止して教科書やノートと格闘を続けていたのだが、何となく身に入らなかった。
その理由は、例の過去の夢が良いところで終わってしまったからである。滅茶苦茶続きが気になる場面で強制終了、しかもあの後から過去の夢を視ていない。
好きな漫画が急に長期休載に入ったような気分である。あの後、『赤ずきん』の【本】の読み手である少女と蔵人の【戦い】はどうなったのか?
「……その内、続きも視れるかな」
『読人~何回目の休憩だ? お前、物理ヤバいんじゃなかったのか?』
「そうだった!」
右手を首に添えて傾げていたら、火衣がオレンジの蛍光ペンをコロコロと転がしながら手元にやって来た。
基本的に文系の頭の作りをしている読人は、物理や理数系の計算が苦手だ。特に物理は、自分の飲み込みが悪いのか担当教師の教え方が悪いのか、サッパリ理解できずまさかの赤点になるやもしれないところまで追い詰められている。
三学期末に赤点はまずいと、2時間ほど物理の教科書とノートを開いて勉強しているが、やっぱりサッパリ分からなかった。
ベッドサイドの目覚まし時計を確認すると、時刻は午後9時の数分前。そろそろお風呂が開いたと、母か父が声をかける頃かなと思いながら椅子の上で大きく背伸びをした。
「あ、見て火衣。雪が降って来た」
『今日も寒かったからな。こりゃ積りそうだぞ』
読人の勉強机は窓に面している。カーテンの隙間から白い綿雪がちらちらと待っているのに気付いてカーテンを開けると、真っ暗な空間に白い息が花のようにぽわっと咲いていた。
明日の交通機関はどうなるのだろうとぼんやり考えながら冬の空を眺めていたら……突如、ソレが現れた。天から降って来る綿雪を掻き分けるように、静寂な冬の空をかき乱すように。甲高い汽笛が読人の心臓を跳ねさせて「ぼんやり」をどこかへ追いやったかと思うと、真っ暗な空の向こうから黒い汽車が走って来たのである。
「っ!! 汽車?!」
『あれは……!』
円柱型の煙突からは真っ白な煙を吐き出し、レールの敷かれていない冬の空を道として車輪が忙しなく動いて、あっと言う間に読人の目の前を通過して行ったのだ。
その姿は正に蒸気機関車。子供向けの絵本の挿絵やスチームパンクの小説、蒸気機関が最盛期を迎えた頃を舞台にした映画で見ることのできるレトロで懐かしい黒い汽車があっと言う間に現れて、あっと言う間に空の彼方へ消えて行ったのである。
「……空を走る汽車、銀河鉄道」
『宮沢賢治だな。と、言うことは』
「あれは、【読み手】に創造されたものだ!」
この時の読人には、はっきりと【本】のタイトルが浮かんでいた。
童話作家、宮沢賢治が書いた、美しくも儚く哀しい星の海の物語『銀河鉄道の夜』――きっとあの汽車は、その【本】から想像して創造されたものだろう。
充電器に差しっぱなしにしていたスマートフォンと『竹取物語』の【本】、そしてこの冬で一気にボロボロになったコートを手にした読人は家を飛び出した。声をかけて来た母に、「コンビニに行って来る」とか適当な理由を付けて、肩に火衣を乗せてあの汽車を追い掛けたのだ。
『読人! お前、自分から【戦い】を仕掛けるつもりか?』
「いや、そんなんじゃない……だけど、あの汽車を見た瞬間、凄くわくわくしたんだ」
『わくわく?』
「うん! 何て言えば良いんだろう……もっとあの汽車――鉄道を、間近で見たい!」
星の海を走る銀河鉄道――隠れることなく、星の見えない空を線路として威風堂々と汽笛を鳴らすその姿に、思わず心が躍った。わくわくして、酷く憧れたのだ。
『銀河鉄道の夜』の物語は何度も読んだ。それをモデルにした昔のアニメも、再放送で観たことがある。宇宙を旅する鉄道の物語と言うのは、どうも少年の心を擽る要素がたっぷり詰め込まれていて、読人もきっとそれに惹かれたのだろう。
「子供の頃に見た映画、銀河鉄道をモデルにしたその映画が大好きだったんだ! 何度もおじいちゃんに強請って、何度もDVDを再生してもらった! それを思い出した」
『子供か!』
「良いだろ。あんなにファンタジーな創造は、始めて見たんだ!」
『まあな』
確かに、武器やら爆発する橋やらしか見ていない【本】による能力の中で、あんなにも素敵な鉄道が現れたら見惚れもする。あれはきっと、ただ単に『銀河鉄道の夜』への憧れを想像して創造した産物だ。
でなければ、こんなにも胸が高鳴ることはないだから。
家を飛び出した読人は、銀河鉄道が走って行った方角を目指して綿雪が散る夜道を走った。もし、銀河鉄道に追い付いて【読み手】と対面したら【戦い】になる可能性もあったが、どうにもこの衝動は抑えられなかったようである。
息が切れそうなほど走り続けると、やがて町外れの丘までやって来てしまった。
その丘には、市内の小学校や幼稚園が植樹した記念樹や、海外の姉妹都市から贈られた記念彫刻等が置かれてちょっとした公園のようになっているのだが……その丘の上に、あの銀河鉄道が停車していたのだ。
シュシュシュと、いう煙突の音が風に抜けて機体は微かに振動している。人間が乗って旅ができる大きさの銀河鉄道が、駅の乗客を待っているかのようにそこにいたのである。
「うわ……本当に、銀河鉄道だ。凄い凄い! 写真撮って良いかな?」
『で、ここまで来てどうするんだ? 【読み手】を捜すのか?』
「あ、どうしよう? 別に、こっちから戦う意志はないんだけど……あ!」
パシャーっと、フラッシュを焚いてスマートフォンのカメラで写真を一枚撮った読人だったが、その瞬間に銀河鉄道が車輪を回して動き始めたのである。
まさか撮影はお断りだったのか?
煙突から輪っかになった煙を吐き出しながらゆっくりと前進する銀河鉄道を追って、読人が走り出してしまった。
『読人! 乗るつもりか?』
「えーと! 一回くらい乗ってみたい!」
『いくらテスト週間だからって、現実逃避しすぎだろ!』
「あ! あの最後部、飛び乗れそう……火衣!」
『オイオイ、まさか……』
読人が想像した時点で、その考えは火衣にも伝わる。
読人が考えた通りに火衣の身体が最大まで大きくなると、ギリギリ最後部のデッキまで両手が伸びたので手すりをガッシリと掴み、読人が巨大化した火衣の身体に抱き着けば一気に中型犬サイズまで縮んだのである。
大きさを自在に変えられる火衣をゴムのように使って乗車完了。いや、これって無賃乗車とか言われないか?
「の、乗れた!」
『乗れた! じゃねえよ! でも、乗っちまったもんはしょうがない……もう、途中下車はできないみたいだな』
「っ! うわ~!」
感嘆の溜息。それしか出なかった。
都会の空に星は出ない。けれど、下には確かに銀河があった。
上空何百mの高度まで飛翔した銀河鉄道から見える景色は、駅前のカラオケ店や居酒屋、スナックのネオン看板が様々な色で混ざり合い、一般家庭から洩れるLED電球の光は白い洪水を起こしている。
100万ドルの夜景という言葉があるが、流石にそれには及ばず宝石箱をひっくり返したと言うほどではない。しかし、綺麗に磨いたガラスの欠片をばら撒いて色と光が複雑に絡み合ったとか、そんな表現ができる銀河だ。
こうして空から覗いて見ると、今まで何気なく目にしていた物がとても美しかったことに気付いた。
「すっげー……っえくしゅ!?」
『やっぱり二月は寒いな』
「中、入っちゃおうか?」
『無賃乗車する気か? 財布は持って来なかっただろう』
高校生1人とハリネズミ1匹の運賃を払えなかったら、最悪の場合この上空から叩き落とされる覚悟は持った方が良いだろう。だけど、身に刺さる寒さには耐え切れなかったので読人は最後部の扉の、真鍮でできた冷たいドアノブに手をかけて車内へと侵入した。
で、扉を開けて侵入したら……目の前に、赤い帽子を被った背の高い車掌がぬうっと現れたのだ。
「ひぃぃぃーー!?」
『みぎゃーー!?』
『……切符を、拝見』
「切符? え、持ってないけど……」
『切符』
『ん、読人。【本】だ』
「分かった」
読人が手にしていた白い【本】にちらちらと視線を送っていたので、赤い帽子を深く被った車掌へ【本】を見せると小さくこくんと頷いた。
『ご乗車、ありがとうございます』
『どうやらこの鉄道の主は、【読み手】を歓迎しているみたいだな』
「うん、でも……どんな人なんだろう?」
『精神年齢は低そうだな』
車掌に招かれて銀河鉄道へ正式に乗車してみると、中は暖房が効いていていた。窓の向こうには都会の夜景が映っている。
読人と火衣以外にも乗客がいた。彼らの直ぐ隣のボックス席には、黒猫と柴犬。向こうの席には、窓に張り付いて離れない仔猫がニャーニャーと楽しそうに騒いでいる。そう、乗客は人間ではなかった。猫や犬が服を着て帽子を被って、獣の姿のまま擬人化されて二足歩行で社内を歩いている。
きっとこの乗客たちも銀河鉄道と一緒に創造されたのだろう。随分と可愛らしく、そしてきっちり乗客まで想像して創造したこの鉄道の主に、ちょっと好感を持った。
「宮沢賢治の作品は、登場人物が猫でアニメ化されることが多いから、乗客が猫?なのかな」
『犬も混ざっているから、ただ単に【読み手】が動物好きかもしれないぞ』
「会ってみようか、車内のどこかにいる【読み手】に」
『おう』
最後部の車両から先頭の運転席への一本道。見送る車掌に小さくお辞儀をしてから、読人は次の車両へと移動した。
『……切符を、拝見』
***
乗客は二足歩行の猫と犬。楽しそうにお喋りしたり窓の外を眺めたり、うつらうつらと船を漕いで眠っていたりと、彼らは読人たちに興味を示さず乗客の役割を演じていた。
銀河鉄道の車両は、外から数えてみれば八両編成だったがきっと内部はその限りではないのだろう。何枚も車両の扉を開けて、いくつもの座席を通り過ぎたが未だに先頭車両に辿り着けなかったのだ。
「ここは」
『食堂』
「ここは」
『展望車両』
「ここは……」
『座席がちょっと豪華だから、グリーン席だな』
「いつまで続くんだろう」
『知るか』
もう八両以上移動しているはずなのに、様々な車両を目にしたのに運転席が見える先頭車両が見当たらない。
時々、車内販売のワゴンを押すエプロン姿の三毛猫とすれ違ったりしたが、彼女に話しかけても「ニャー」としか答えてくれないので、「先頭車両まであとどれぐらいですか?」と尋ねることもできなかった。
次の車両が外れだったら、少しだけ座席で休もうと読人は真鍮のドアノブに手をかける。が、実は次がゴールだったのだ。
横開きの扉を開いた読人と火衣が見たのは、丸い硝子の向こうに見える石炭炉と、背の高いレバーが並んだ運転席だった。
「着いた!」
『乗客は……いないな』
「いるけど」
「ひぃっ!? ……っ、え?」
猫の乗客も犬の乗客もいなかったので、先頭車両は空っぽだと思っていたら1人だけいた。座席からのっそりと起き上って読人の前に現れたのは、キャメルカラーのコートを着た自分と同じぐらいの年齢の少年だった。
誰もいないと思っていたのに、人がいた。それだけで驚くこと案であるが、それ以上に読人を驚かせたのはその少年の顔だった。
きっと、笑えば人懐っこそうな笑顔になるはずの鉄道に乗った少年に見覚えがあった。
実際に会ったことはない。しかし、夢で一方的にその顔を見ている。
「……檜垣、龍生さん?」
その少年は、50年前の『一寸法師』の【読み手】である檜垣龍生と瓜二つだったのだ。
本人のはずはない。読人が知る「檜垣龍生」と言う人物は、もう50年も前に若者であった人物だ。それに、あの頃の龍生が21歳と言う青年に対して、小さく欠伸をして頭を掻く少年……そう、読人と同じ高校生ぐらいの少年は、龍生よりも幼さが残っているし髪の色も若干茶色がかかっている。
普通に考えれば、彼はきっと龍生の血縁だ。むしろ、こんなに瓜二つの顔で血が繋がっていないと言う方が詐欺である。
「乗って来たの?」
「あっ! はい……」
「ようこそ、銀河鉄道へ! スゲーだろ、これ俺が創造したんだぜ! 遠慮しないで座りな。あ、ゼリー食べるか? めんこちゃんゼリー」
「うん! 凄かった。本当の物語の世界に来たみたい……って、君何者?! 名前は?」
「あ、自己紹介してなかったかー。俺、
少年――響平は、『銀河鉄道の夜』の白い【本】を手に、ニカっと人懐っこい笑顔を見せた。読人を向かいの席に招くと、袋から取り出した赤とオレンジの一口サイズのゼリーをコロンと読人の手に転がしたのだ。
「めんこちゃん、ゼリー?」
「もしかして知らない? 東京は売っていないって本当だったんだ。冷やした方が美味いんだけどさ~温くてごめん」
「どうもありがとう。あ、俺は黒文字読人」
「お前もさ、【読み手】だべ」
緑色のゼリーのフィルムを剥がしてとゼリーを啜った響平の言葉に、読人は大きく肩を震わせ隣に座る火衣は威嚇するように静かに背中の炎を滾らせる。こんな派手な銀河鉄道を創造して、隠れる気配もなく夜空を運行しているのはまさか、読人のような【読み手】をおびき寄せるためなのか?
一瞬、そんな戦略的な罠を張っていたのかと疑った。しかし、当の響平はゼリーを咀嚼し終わって殻を手持ちのビニール袋に入れると、眉尻と目尻を垂れた人懐っこい笑顔を見せたのだ。
「別に戦う気なんてないから、心配すんな。自分から【戦い】を仕掛けるようなことはしねぇって。こわぇし」
「怖い?」
「んー……疲れるってこと。テスト勉強の息抜きしてんのに、【戦い】で疲れるのも嫌だから」
「響平もテスト週間なんだ。ちなみに、ヤバい科目は?」
「物理」
「俺も同じ!」
「訳分かんないよな~。そう言えば、いくつ? 俺は高一」
「俺も高一だよ」
欠伸を一つして頭を掻いた響平に拍子抜けしたが、苦手科目から話が弾み、気が付けば2人は幼い頃からの友人のように楽しくはしゃいでいたのだ。
響平は昔から『銀河鉄道の夜』が大好きで、【読み手】として覚醒したら真っ先にこの鉄道を創造して、夜に家を脱け出しては色々な場所を走って回っているらしい。乗客が体感している以上の速度で飛行走行できるこの銀河鉄道は、彼の家がある岩手県から東京まで約30分もあれば到着できると言う。
「俺のじいちゃんが、元々賢治さん……宮沢賢治のファンでよ。ある日、凄く嬉しそうな顔でこの白い【本】を買って来たんだ。「賢治さんの物語が【本】になった!」って。小さい頃から、何回もじいちゃんに読んでもらった本にまさか、魔法みたいな能力があるなんて最初はビックリした」
「響平の【本】もおじいちゃんから……ねぇ、響平のおじいちゃんの名前って……」
響平本人の口から確信を得ようとした読人だったが、響平の祖父と思われる人物の名前を出そうとしたタイミングで、先頭車両に新たな乗客がやって来たのだ。
Name:檜垣響平(ヒガキキョウヘイ)
Age:16歳
Height:170cm
Work:県立印束高等学校1年2組
Book:『銀河鉄道の夜』
Name:檜垣龍生(ヒガキタツオ)
Age:21歳/71歳
Height:168cm→162cm
Work:『天流神社』宮司
Book:『一寸法師』