BOOK   作:ゴマ助@中村 繚

25 / 75
みにくいアヒルの子02

 浜名を見かけたら、進路相談室に来るように言ってくれ。読人と正美にそう言ってきたのは、生徒たちの間で「薄杉」と呼ばれている1年A組の担任教師だった。

 本名は小杉(コスギ)だが、頭の天辺の髪の毛がかなり乏しいため「濃すぎではなく髪が薄すぎ」と言う誰かの発言から一気にこのあだ名が定着してしまい、生徒間の会話において彼が本名で呼ばれることが限りなく少ない事態に成り果てている。

 しかも、髪の毛だけではなく生徒人気も乏しかった。英語を担当しているが英文を読む際の発音がヤバいキモいと騒がれ、あからさまに成績上位者を気に入って贔屓をする等の行動に始まり、とにかく学力主義で生徒たちを偏差値の高い大学へ進学させたがっている。

 その薄杉――小杉にロックオンされているのが、我らが学年主席・浜名だった。

 彼は再三、進学は調理系の専門学校にすると言っているのに、小杉は何とかしてでも浜名を国立大へと進学させたがっているらしい、今日だってまた説得のために呼び出そうとしていたのだろう。だが、先手を取った浜名は既に部活に行ってしまったのだ。

 

「薄杉先生もしつこいね」

「だな。浜名を追いかけている暇があったら、他の奴らの進路相談すれば良いのに。来年、薄杉が担任になったら嫌だな」

 

 HRが終了して放課後となった暦野北高校にて、部活に行く前に購買で食料を補給する正美に付いて行った帰りの出来事だった。

 購買で買ったあんパンとパック牛乳を片手にバイトのためのエネルギーを蓄えながら、浜名を見かけても絶対にこのことは言わないでおこうと話し合う。あと、本日のサッカー部は近隣の高校との練習試合のため、放課後は学校にいないことも小杉には黙っていようと思った。

 

「大学か。この間高校に入ったばっかりなのに、もう進路決定しなきゃいけないとか早すぎないか?」

「と言っても、もう直ぐ2年だよ。早いな……マサは、大学でも柔道続けるの?」

「そのつもり。どこかの体育大学に、推薦で入れりゃ良いんだけど。読人は何か考えているのか? じいちゃんみたいに、大学で文学の勉強をするとか」

「いや、まだ……何がやりたいのか、分からないから」

 

 答えに詰まってしまった口を塞ぐように、あんパンを頬張って咀嚼する。あ、このあんパン、こし餡だった。自分は粒餡派なのに。

 そんな風に食べ歩き喋り歩きをしながら廊下を歩いていたため、曲がり角の影から飛び出て来た人物への反応が遅れてしまった。幸いにも正面衝突は免れたのだが、正美が肩にかけていた大きなスポーツバッグにぶつかってしまう。ぶつかったその人物は少しよろけてしまったが、ぶつかったのを詫びることなくその場から立ち去ってしまった。

 

「な、何だあいつ……」

「あれって、朝霞君だよね? どうしたんだ、ろう……!」

 

 あの特徴的な丸い髪型は朝霞だ、間違いない。

 浜名の話をしていたところに朝霞が現れるなんて奇妙な偶然だったが、この場から立ち去った朝霞を追いかけるように、曲がり角から押し寄せて来た奴らに読人は瞠目した。向こうに走り去って行った朝霞を追いかけて行ったのは、人間のように服を着てぺちゃくちゃと口――ってか、嘴?を動かすアヒルの集団だったのである。

 

『どうして1人だけ、こんなに出来が悪いのかしら!』

『本当にお前は弱虫だな。何も成果を出せない癖に、逃げ足だけは一人前だ』

『誰もお前になんか期待していない。家族も教師も、お前なんか認めない』

『どんなに頑張ったって無駄だ。お前は一生、出来損ないのままだ』

 

 喋ることのないアヒルたちが、こんな非難と否定の言葉を繰り返して翼をバサバサと動かしながら、朝霞の後を追って行ったのだ。

 何だあれ?

 暦野北高校では生物は飼っていない、近くにアヒルが生息している池なんてない。と言うか、アヒルが服を着て喋っているなんて非現実的なことが起きるはずはないのだ……じゃあ、あれは。

 

「まさか、あれ……」

「読人……今、アヒルが通らなかったか?」

「っ!?」

「今、服着たアヒルが喋りながら……」

「え、ええ? そ、そんなのいたっけ? 俺には見えなかったよ! アヒル? アヒルがいたの?」

「っ、そうだよな! アヒルが服着て喋るなんて、そんな漫画みたいなことある訳ないよな! やっべ、腹減って幻覚見たかも!」

「あはははは!」

 

 そう言ってアンパンを口に詰め込んだ正美は、購買の袋の中から更にカレーパンの袋を取り出した。

 正美にも見えていた。日常の中へ突如現れた、非日常の存在が……服を着た喋るアヒルなんて、【本】の能力がなければ創造し得ないものだ。

 

「……と、言うことがあったんです。さっき」

『人間の真似事をして、罵詈雑言を吐くアヒル、か。妙なモンを創造した奴がいたね。お前さんの同級生が、どこかの【読み手】に襲われているって状況かい』

「う~ん……」

 

 アヒルの目撃を適当に誤魔化して正美とは生徒玄関で別れた読人だったが、そのままバイトへ向かわずに朝霞を捜して校舎へと戻り紫乃へ連絡を入れた。

 読人の予想通り、あのアヒルたちが【本】の能力で創造されたものだとしたら、朝霞はアヒルたちに追われ逃げていたということだろうか。あれは、偶然ばったり出会ってしまって攻撃されているというよりは、朝霞自身をピンポイントに狙った攻撃のように見えた。

 しかし、あんな風に、精神をガリガリと削って心に突き刺さる言葉で追いかけ回すほどの恨みを朝霞が買ったと言うのかと自問自答してみれば、何だか腑に落ちないのだ。

 

「朝霞君って、そんな感じの人じゃない気がするんです」

『知り合いかい?』

「俺が一方的に彼を知っているだけです。学校の図書室の自習室で、よく顔を見かけるんで。周りからは色々言われているけれど、彼は……良い奴、だと勝手に思っていて。朝霞君、必ず消しゴムのカスをきちんと纏めて捨てるんです」

『はあ』

 

 朝霞は気付いていないかもしれないが、読人は図書館で何度か彼の姿を目撃してすれ違ってもいるし、隣の席に座ったこともある。ちょっとだけ会話をしたこともある。名前と顔が一致する前から、「あ、見たことある」と言う顔だった。

 図書室という限られた空間の中だけのささやかな交流を持っているだけ、殆ど赤の他人同然の同級生だが、図書館内で目にした行動から朝霞は良い奴だと感じている。

 それが、消しゴムのカスだった。

 自習室の使用が自由なのを良いことに、同室の机を使用する生徒の中には横着して後片付けを怠る者が多い。消しゴムのカスがその代表例であり、机の上に散らかっている状態の時もあれば床にばら撒かれている時もあった……そんな中で、自習室常連の朝霞はきちんと消しゴムのカスを片付けている光景を読人は目にしている。たくさんのカスをティッシュでまとめてゴミ箱へ。

 消しゴムだけではない、朝霞は使用した机の後片付けをしっかりやってから自習室を去って行く。きちんと会話をしたことはないし、向こうは読人のことを知らないだろうけれど、読人は朝霞の行動を快く感じていたのである。

 

「そんな行動する人が、誰かに恨まれるなんてことはないと俺は思っています」

『……本当、お前さんは人が良すぎるね。なら、こう言う可能性はないかい。【本】で創造してしまった能力を制御できていないと言う状況だ』

「制御できていない?」

『だとしたら、急いでその子を捜しな。通話はこのままにしておきなさい』

「はい!」

 

 紫乃と繋がったままのスマートフォンをコートのポケットに突っ込んで、朝霞の姿を捜す。彼が走り去って行ったのは生徒玄関とは反対方向だったので、外に出たと言うことはないだろう。一応、A組の下駄箱を確認してみたら、朝霞の靴は残ったままだったので校舎の中にいる可能性が高い。

 朝霞を、彼を追って行ったアヒルを捜す読人だったが案外簡単に足跡を追えた。アヒルの白い羽根が廊下のあちらこちらに落ちていたため、その羽根を辿れば直ぐに見付けることができたのだ……屋上に続く、生徒立ち入り禁止の階段の踊り場に、座り込んで頭を抱える朝霞の姿がそこにあった。

 

『誰もお前に期待していない。お前の進路なんて、下らないものに時間を裂きたくないよな!』

『朝霞って何も取り柄がないよな。外見はキモいし、運動もできないし、浜名に勝つこともできない!』

『本当に、生きていて恥ずかしくないの? 何も出来ない癖に、結果も出せない癖に!』

『お前の存在意義なんて、最初からなかったんだ』

 

 深夜から朝霞の前に現れたアヒルたちは、親がいる前や授業の最中には現れなかったが、朝霞が1人になった途端に何羽も湧き出て来たのだ。家族の姿と声を模したアヒルだけではなく、暦野北高校の制服を着たアヒルに担任の小杉に似たアヒル、一度も成績で勝ったことのない浜名の姿と声をしたアヒルが現れて、口撃を開始したのである。

 逃げても逃げても、逃れられなかった。屋上に追い込められて、でも屋上の鍵は閉まっていて、後ろを振り返れば階段にはびっしりとアヒルの群れが規則正しく並んで押し寄せていたのだ。

 真っ白な翼を広げて、聞き覚えのある声が次々と突き刺さる。家族のアヒルは勉学で結果を出せない朝霞を責め、同級生や教師のアヒルは外見や普段の行いを非難して、浜名のアヒルは存在そのものを否定した。

 誰も助けてくれない。

 アヒルたちに追い詰められて踊り場に座り込んでしまった朝霞に、手を差し伸べる者は誰もいないのだ。

 

「幻覚だ、これは幻覚だ……全部、僕の頭が作り、出した……! 統合失調症だっけ、きっとそれだ。頑張りすぎて、見えないものが見えたり聞こえたりしているんだよきっと!! 消えろよ! 早く消えろ!!」

『幻覚じゃない、これは……お前が創り出した、真実だ』

「っ!」

 

 兄の姿をしたアヒルが、兄の声でそう告げたその時……朝霞の胸から、ポキっと、爪楊枝を折った時に出る音がした。

 そして、アヒルの群れは彼を取り囲み、翼を広げて襲い掛かって来たのである。

 

「火衣!」

『どけ鳥頭ども!!』

『熱っ! 熱っーー!!』

『丸焼きになるーー!』

『北京ダックになるーー!』

『自分たちが高級食材とでも思っているみたいだぞ、このアヒルら』

「朝霞君! 大丈……ぶっ?!」

 

 だが、アヒルたちが朝霞を呑み込もうとしたその時、階段の下から真っ赤な炎が這い上がってアヒルたちを攻撃して来た。急な炎の襲来でパニックに陥ったアヒルたちは、バサバサと羽根を落としながら逃げ惑う。

 こいつらは北京ダックになっても不味そうである。

 炎の主は火衣、そして頭を抱えて蹲る朝霞へと手を差し出したのは『竹取物語』の【本】を手にした読人だったが、彼の手は朝霞に拒絶されてしまった。たくさんのテキストや参考書が詰め込まれた、かなりの重量がありそうな朝霞のリュックが読人に投げ付けられてしまったのだ。

 地味に痛い。

 

「来るな! 来るな、来るな……どうせ、どうせみんな僕を見下しているんだろ……! 高校受験に負けて公立に入って、ここでも浜名に勝てない! あいつみたいにスポーツもできないし、人の輪の中に入れる訳でもない、友達だって……いないよ!」

「朝霞君? お、落ち着いて!」

『そうだ! お前友達いないもんなー!』

『あっち行ってろ!』

『ギャース!?』

 

 読人の手を拒絶した朝霞は、自分を守るように両腕で頭を抱えて踊り場の隅へと身体を押し込める。

 彼がネガティブな発言をする度にアヒルが元気になって、嬉々として彼を口撃して来るが火衣が燃やすとバタバタと逃げ出した。

 そして、気付いた……朝霞が投げ付けたリュックから、様々な参考書とノートが飛び出て散乱してしまった中に、裏表紙に紋章が刻まれた白い【本】が飛び出て来たのを。

 

「【本】?! 朝霞君のリュックの中にあったってことは、まさか……」

『【読み手】はその子自身だったみたいだね』

「師匠! やっぱり、朝霞君が【本】の能力を制御できていないってことですか?」

『無意識の創造。己の深層心理にあったモノが、創造能力に反映されてしまったみたいだね。さっき、お前さんに言った言葉が、その子が危惧して腹の底に溜めていた“本音”さ。いや、被害妄想とでも言った方が正しいかもしれない』

「本音……被害、妄想」

 

 読人が火衣を創造した時、幼い頃に思い描いた『火鼠』のイメージが反映されて炎のハリネズミが創造された。「これを創造しよう!」と具体的にイメージを練ったのではなく、幼い頃の記憶・深層心理にあったイメージを無意識に創造してしまったのである。

 それと似たような事例、と言えば良いのだろう。計らずもこの白い【本】――『みにくいアヒルの子』の【読み手】となってしまった朝霞は、意識せずにこのアヒルたちを創造してしまった。

 この群れは物語の登場人物の中の、みにくいアヒルの子をいじめる兄弟アヒルたちがモチーフになっている。

 無意識に人の目を気にして、本当は口に出さないだけでみんな自分に対してこう思っているのではないか……何かきっかけがあれば、周囲と馴染めていない朝霞を排斥にかかるのではないか。朝霞自身も気付かない内に溜め込んでいた、周囲に対する疑念が被害妄想の塊のアヒルが現れたのだ。

 一番言われたくはない言葉を自分自身で創り出して、自分自身を傷付けていたのである。

 

「朝霞君がみにくいアヒルの子で、こいつらがアヒル……」

『読人、早く【本】を閉じろ。紋章を奪っちまえば、こいつらは消える』

「でも、それだけじゃめでたしめでたしにならないよ」

 

 アヒルたちは消えてしまいました、朝霞賢哉は心の深い傷を負いました。めでたしめでたし……なんて、ハッピーエンド、あってたまるか。

 きっと、彼の“傷”は【本】を閉じても()()()()()()にもならないはずだ。

 だけど、読人が手にしている『みにくいアヒルの子』の【本】を閉じなければ、アヒルたちは延々と非難と否定を繰り返すだけである。

 ぺちゃくちゃと、色々な人間の声で朝霞を罵倒し続けて実に五月蠅い。黙れと声を張り上げようとしたら、より一層声のボリュームを上げて派手に翼を羽ばたかせて読人の声を遮ろうとしたのだ。

 

『朝霞賢哉はいらない子!』

『朝霞賢哉は役に立たない駄目な子!』

『朝霞賢哉は存在しても意味がない!』

『朝霞賢哉は誰にも見られない、認められない!』

「そんなことない!! 俺は、俺は朝霞君のことを知っている! 朝霞君は図書館の自習室を使った後、ちゃんと後片付けして机を綺麗にして行くし、俺が図書カードを落とした時に拾ってくれた。踏み台がどこにあるか捜していたら、あっちにあるって教えてくれた! 朝霞君が良い奴だって知っているし、毎回試験で学年2位を獲り続けることが凄いことだって知っている! 俺なんて、今までの最高順位はこの間の77位だよ! 77位!! 2位と比べたらずっと低い! 2位だって十分凄いよ! 1位じゃないと意味がないって言う人もいるかもしれないけれど、ずっと1位に張り付いて頑張ることなんてそう簡単にできないじゃないか!!」

「……っ」

「さっき、友達がいないって言ったけど……なら、俺と友達になってよ! 朝霞……賢哉!」

 

 そう叫んで手を差し出した読人の顔を、朝霞は腕の隙間から覗き見た。

 先程の図書カードや踏み台のエピソードで思い出した、何度か図書館で顔を合わせる前髪の長い同級生の姿を。前髪の下は、そんな顔をしていたんだ……何でそんなに必死に怒って、読人自身が貶されたみたいに哀しい顔をしているのだろうか。

 ヘアピンによって前髪が上げられた読人の顔は、彼の感情をストレートに語っていた。

 アヒルから出て来る非難と否定にのみ込まれないほどの大声で叫んだその言葉に、朝霞は頭を上げてしかと彼の姿を目にするとそこには、炎の針を逆立てて燃え滾らせるハリネズミと炎の衣に包まれた読人の姿があったのだ。

 

『こいつら全部、丸焦げにしてやろうぜ。読人』

「やれ、火衣!」

『こいつなんかと友達なんて、悪趣味だな!』

『どうせ社交辞令だろ!』

『試験期間の間だけの友達だ!』

「勝手に言っていろ」

 

 階段を埋め尽くさんばかりに増えたアヒルたちは、読人をターゲットとして一斉に襲い掛かって来る。だが、今の彼に近付くと言うのは、自らオーブンの中に突っ込んで美味しくローストされに行くような行為だった。

 読人の頭の上に飛び乗った火衣から燃え盛る炎は、彼がアヒルたちに抱いた怒りの感情のように大きく燃え上がり、一瞬でアヒルの群れを全て呑み込んでしまったのである。

 悲鳴を上げて逃げ出したアヒルもいたが、家畜としての進化を遂げてしまったアヒルたちの翼は退化してしまい、白鳥のように大空に羽ばたくことはできない……階段も踊り場も侵略して炎の海としてしまうほどの火力からは逃れられず、真っ白な羽根は瞬く間に黒焦げとなり消し炭となって消えてしまったのだ。

 

「めでたしめでたし」

『想像力と言うより、妄想との戦いだったな』

「朝霞君、大丈夫?」

「……」

「朝霞、君」

 

 そして、『みにくいアヒルの子』の【本】を閉じられると、裏表紙の紋章は『竹取物語』へと移動した。これで朝霞は脱落となってしまったが、この様子では【戦い】のことも不老不死のことも知らなかったように見えた……実際、朝霞は何も知らなかったし、どうしてアヒルたちが現れたかも理解できなかった。

 けれど、なんとなく理解はしてしまったのだろう。自分の奥底にあった、無意識の内に感じてしまった被害妄想が表に出て来てしまったことを。

 読人が心配そうな顔で朝霞を覗き込んだが、彼はそのまま読人の顔を見ずに俯いたままリュックを拾い、そのまま立ち去ってしまったのだ。読人と頭の上の火衣が、何事も()()()()()()になった踊り場に残されてしまい、返しそびれてしまった『みにくいアヒルの子』の白い【本】はまだ彼の手の中にあった。

 

 

 

***

 

 

 

 読人が四つ目の紋章を手に入れた翌日。その日は、真冬並みの寒波に襲われた寒い日だった。

 小春日和が続いてすっかり油断していたところで、1月に逆戻りしたかのような風の冷たさに震える生徒たちが食堂に駆け込めば、温かい麺類メニューがよく売れる。

 暦野北高校の食堂は、不味い訳ではないが凄く美味い訳でもない。小・中学校で出た給食によく似た味だと言う感想が随分と多い。

 特にラーメン。カップラーメンやお店で食べるラーメンとは違うけれど、醤油・味噌・塩の味だとしっかり分かるスープに妙に柔らかく煮込まれた野菜。桃色の渦巻のナルト。そして、1人前ずつ袋に入ったソフト麺が食堂のおばちゃんたちの手で湯がかれて、次々と食券と交換されて行った。

 

「さっむ~!」

「もう一枚着て来れば良かった」

「この寒さ、明日も続くみたいだよ。明日はきつね蕎麦にしよう」

「げっ、明日って卒業式の予行練習があるじゃねぇか」

「体育館絶対寒い!」

 

 そう言う読人と正美も、それぞれ味噌ラーメンを注文して丼の熱で悴んだ手を温めていた。考えるのは皆同じらしく、この寒さに耐えかねて温かい麺類や汁物を求めた生徒たちによって、本日の食堂は随分と込み合いテーブルの空席が見当たらない状態になっている。

 読人たちは、授業が終わって直ぐに駆け込んで来たのでまだ込み合う前に4人掛けのテーブルを確保することができていた。しかし、テーブルの上には正美の昼食――ラーメンを汁物として、他に親子丼とパック売りのサラダ、朝にコンビニで買ったパン数種類のために、一見するともう2人ぐらい席に着いているような有様になっていた。柔道部は、よく食べる。

 もそもそとラーメンを啜りながら体育館にも暖房を付けてくれと、2人でぶつくさ言っていると、彼らのテーブルに湯気を立てた塩ラーメンが乗ったお盆を手にする1人の男子生徒が近付いて来た。何だか食堂に馴染まない雰囲気の彼が読人たちのテーブルまでやって来ると、大きく深呼吸をしてから味噌ラーメンのナルトを咥えた読人に声をかけたのである。

 

「あっ、あの!」

「え?」

「合席しても、良い?」

「あれ、誰だっけ?」

「その眼鏡、まさか……朝霞君?」

「朝霞っ!?」

 

 レンズの大きい眼鏡は確かに朝霞の物だったが、丸いフォルムの頭はスポーツ刈りと言えるほど髪が短くなってしまっていた。

 あの後……昨日、読人が『みにくいアヒルの子』の【本】を閉じた後、その場から逃げ出してしまった朝霞は、千円札を握り締めて駅中にあるクイックカットに駆け込んでいたのだ。

 彼が何を思って髪を切ってしまったのかは、読人には分からない。だけど、こうして話しかけてくれたのが嬉しいということは、自分の隣の椅子を引いて朝霞を迎え入れることで表現したのだった。

 ねぇ、知ってる?

 虐められて仲間外れにされて、居場所を失くしたみにくいアヒルの子は最終的には美しい白鳥になったけれども、その間に世界に絶望して死のうと思ったことがあったのを。それでも、みにくいアヒルの子のままで死なずに、仲間の白鳥たちを見付けることができたのは……彼は、希望を探すことを諦めなかったからだよ。




創造能力・お池のアヒル
朝霞賢哉が無意識に想像して創造してしまった、精神攻撃特化能力。
みにくいアヒルの子をいじめたアヒルたちが、対象者の最も聞きたくないことを口撃してくる。もとい、対象者の被害妄想を引き出し・誇大化させて心を折る。
普通に使っていたらある意味最強だったんじゃあないかな?

数字の2はなぁに?
お池のアヒル~♪(うちのオカンはこう歌っていた)

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。