BOOK   作:ゴマ助@中村 繚

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青髭01

 薄暗い部屋の唯一の光は、パソコンのディスプレイだった。

 映るのは、最近人気のオンラインゲームの画面だ。

 ゲームの敵モンスターが襲いかかって来ては、プレイヤーの分身であるキャラクターが銃やら鈍器やらで徹底的にモンスターを殲滅する。イヤホンから漏れる音は、緊張感漂うBGMとモンスターの断末魔と、外野のモブキャラクターの悲鳴だ。

 それ以外に、この薄暗い部屋から聞こえるのはキーボードが規則的に叩かれるタイピングの音である。単調な音は、ある種のモンスターとエンカウントすればタイピングの音が激しく乱れた。

 美しく若々しく、目が大きくて肌の露出が多い、可愛い少女の姿に設定された女性型のモンスター……それらが現れれば、激しく、容赦なく、持てる限り全てのアイテムと火力を駆使して徹底的に殲滅された。レベルに見合わない。

 人気声優が声を充てているため、断末魔さえも可愛らしい。しかもビジュアル面からの問題か、いくら力を込めてキーボードを叩いても、ステージボスに挑むほどの高火力武装でオーバーキルに至っても彼女たちは光の粒子になって消えるだけ。

 鈍器で殴打しても、ピンクのツインテールが生える小さな頭は潰れない。サブマシンガンで弾丸を全て撃ち込んでも肉片にはならず、ナイフで滅多切りにしても血さえ飛び散らない。

 このゲームはR-15でもR-18でもないので当然であるが、喘ぎ声にも似た断末魔と共に綺麗に消えるその姿はどうしようもなく苛々する。舌打ちとタイピングの音が酷くなる。

 窓から通じる外界と、この部屋を隔てる分厚いカーテンの隙間から黄昏時の光が侵入して来た。それと同時に、キャピキャピという形容ができる甲高い少女たちの声が侵入して来るのは、近隣に高校があるからだろう。

 長年男子校だったはずなのに、昨年の春から共学となって何人もの女子高生が増えたせいでこの耳触りな声を聞くようになった。

 若くて美しいだけで、女子高生と言うだけで『JK』と言うブランドが与えられ、通常の人間と比べて無意味に価値が高騰する小娘たち……嗚呼、苛々する。

 

「ぐちゃぐちゃになれ、ぐちゃぐちゃになれ、ぐちゃぐちゃになれぐちゃぐちゃになれぐちゃぐちゃになれぐちゃぐちゃになれぐちゃぐちゃになれぐちゃぐちゃになれぐちゃぐちゃになれぐちゃぐちゃになれぐちゃぐちゃになれぐちゃぐちゃになれぐちゃぐちゃになれぐちゃぐちゃになれぐちゃぐちゃになれぐちゃぐちゃになれぐちゃぐちゃになれぐちゃぐちゃになれぐちゃぐちゃになれよ!!」

 

 ブツブツとそう呟きながら、キーボードが壊れそうになるぐらい叩いて画面向こうの敵に攻撃をしても、モンスター――両腕に翼を持つ少女は、はぐちゃぐちゃにならない。

 そして、ベッドの上にある白い【本】が、ディスプレイの光源しかない薄暗い部屋の中でボウっと、光を灯していた。

 

 

 

***

 

 

 

 高校生の春休みなんてあってもなくても同じだと言ったのは、確か、正美だったはずだ。

 冬の寒さは通り過ぎ、すっかり春の陽気に包まれた3月の下旬。卒業生を見送った暦野北高校では終業式が行われ、在校生たちは春休みを迎えたが……そう簡単に休ませてくれないのが、発展途上進学校である。

 平日は毎日のように講習が行われ、部活動に所属している生徒たちは午後に練習。これでも、1年生はまだマシな方だろう。

 来年は最高学年、そして受験を迎える現在の2年生は午後の講習も待ち構えて部活の時間まで削られているため、部活動の顧問・コーチ集団とひと悶着起こしたらしい。

 平日は講習と部活動、休日は春季大会前の練習試合で隙間のない正美のスケジュールを目にしたら、帰宅部である読人もげんなりしてしまった。

 

「ただいま~」

「お帰り」

「読人、これお土産」

「ありがとう」

 

 黒文字家において、最初に帰宅した者に割り振られている家事(朝に乾燥機へ放り込んだ洗濯物の取り込み・畳み)をしていた読人に、仕事から帰って来た母から一枚の細長い封筒が手渡された。

 商品券か何かでも入っていそうな封筒を開けてみれば、中から出て来たのはイベントチケット――参加者体感ゲームの参加チケットだった。

 

「トリック・脱獄ゲーム feat ダンジョン・プリズン……これって、最近CMやっているよね?」

「そ、出版社枠の招待チケットが余ったからって、営業の人がくれたのよ。こういうのは、若い人が参加した方が盛り上がるでしょ」

 

 イベントに参加するゲストたちは実際の建物内に閉じ込められたり、悪漢に扮したキャスト襲われたりしながら僅かなヒントを基に散りばめられた謎を解き、クエストをクリアして脱出・逃走を目指すゲームイベントだ。よくCMも放映している。

 この手のイベントは主に有名なアニメやゲームとタイアップすることが多いが、今回は最近人気のオンラインゲームのようだ。

 で、何故この手のイベントの参加チケットが読人の母の手に渡ったかと言えば、彼女の就労状況から説明しよう。

 読人の母こと栞は、都心の駅ビルに入る大手書店で働いており、外国書や翻訳書籍を担当している。本人曰く、専門性は高いがコミック・ライトノベル担当に比べれば平和な部署らしい……他は平和じゃないのか。

 確か、このオンラインゲームの原作はアメリカのファンタジー小説だったはず。その日本語訳を出版しているのは、母が担当している出版社。そして、その出版社の営業は母の大学の後輩……成程、このチケットが読人の手に渡った経緯が読めた。

 

「マサ君を誘って行ってみたら?」

「開催日は、次の日曜日……あ、駄目だ」

 

 正美はその日、埼玉の高校との練習試合を控えている。

 折角のチケットなので、誰か誘って行ってみようかと2人分のチケットを手に脳内で誰かを検索してみる。

 しかし、この手のイベントに誘うような友人たちは軒並み部活だったり、既に遊びの予定が入っていると事前告知がされた者ばかり。賢哉も予備校の新学期テストがあると言っていた、桐乃は……こんな風に、気軽にイベントに誘える関係では、まだない。

 と、選択肢に異性である桐乃を入れた瞬間に、閃いてしまったのだ。夏月を誘ってみようかと。

 

「うー……ん」

『いつまで唸っているつもりだ? さっさとかけちまえよ』

「いや、でも、断られたら……」

『ほれ』

「あ゙ーーー!!?」

 

 夕食も入浴も済ませたこの時間帯になっても、読人は悩み・唸っていた。

 ゲームイベントに夏月を誘ってみようかと閃いて浮足立ったが、いざ連絡を入れるとなると動悸が激しくなってしまう。メッセージボックスに入力した「今、電話しても良いですか?」の一言が送信できずに、あれこれ20分以上悩んでいるのだ。ベッドの上でだらだらしている火衣に呆れられている。

 断られたらどうしよう、興味がなかったらどうしようと決心が付かずにうだうだしていたら、火衣に「送信」をタップされてしまった。しかも直ぐに「既読」が付いた、もう逃げられない!

「大丈夫だよ~」と返って来た。うわぁ!

 

「どどど、どうしよう!?」

『腹を括れ。さっさととっとと電話しろ』

「わ゙ーーー!! 何してんの火衣!!?」

 

 そして火衣は再び勝手にスマートフォンを操作して夏月へと電話をかけてしまった。

 呼び出し中の画面を目にして慌てて飛び付いた読人であったが、既に通話中になってしまい夏月の「もしもし」と言う声が聞こえた……覚悟を決めなければ、腹を括らなければならなくなった。

 

「こんばんは、竹原さん。あの、『ダンジョン・プリズン』って小説かオンラインゲーム、知っている? そのイベントが次の日曜日にあるんだけど……参加者体感ゲームっていう、建物から脱出する奴」

『参加者体感ゲーム……ああ、テレビのCMで観たことがあるよ。本当に閉じ込められたり、リアルな事件が起きたりして、結構難易度が高いって聞いたよ』

「その、イベントのチケットが2人分あるんだけど、マサが用事で行けないみたいだから……一緒に、一緒に行きませんか!」

 

 少し早口で捲し立てて、最後になると語尾が上がってしまい、かなり挙動不審なお誘いになってしまったのには気付いていた。こいつ、もし断られたら屍になるんじゃないかと、様子を見守っていた(?)火衣も夏月の動きを待つ。

 そして、少しの沈黙……なんてものもなく、すぐに明るい声が聞こえて来たのだ。

 

『え、良いの? ありがとう、一回参加してみたかったんだ!』

「っ、本当、ですか?」

『うん。あ、原作あんまり知らないから予習しておくね』

 

 読人の背後に花が咲いた。

 次の日曜日は、夏月と一緒にお出かけ。つまり、デート……え、これってデートになるの?交際している訳ではないが、気になっている女の子と2人きりで出かけるなんて、読人の16年と少しの人生の間で経験したことなんてない。

 バクバク鼓動する心臓の音が夏月にも聞こえていないかと少しの杞憂を感じながら、当日の詳しい場所や時間は後でメッセージを送るとの連絡事項と、少しの雑談を終えて電話を切る。心臓は未だにバクバクし続けているけれど、頭の中はふわふわしていて何だか現実味がない。だけれど、夏月へ電話した着信履歴と彼女からの「YES」の返事をもらえたのは真実だ。

 次の日曜日は、夏月と一緒にデート……。

 

「っしゃぁ!!」

『おめでとさん』

 

 と、大きく両腕を掲げるガッツポーズをした読人だったが、次の瞬間に我に返って現実的な問題に直面した。

 

「服、何着て行こう!?」

 

 これが、正美や男友達と出かけるならば、適当なインナーにカジュアルなアウターを合わせて、下はジーンズにスニーカーと気楽な服装で出かけるだろう。しかし、今回は一応女の子とデートなのだ。

 一体何を着て行けば良いのか、そもそも着て行く服があるのか。

 黒文字読人、16歳――特にファッションには興味を抱かず、所有する衣服も十人並み。

 強いて言えばシンプルで少し綺麗めな服装を好むが、お洒落に敏感な同級生たちが好むブランド品の類は片手で数えるほどしかない。

 制服を伴わないデートの場合、男子の私服と言うのはポイントの配分が高い。ここでダサい服なんて着て行ったら、次のデートはおろか学校での接点もなくなる可能性があるのだ。

 

「どうしよう、着て行く服あるかな? 新しく買うか、雑誌も買うかおうか……?」

「読人」

「ひぃっ?! って、父さん」

「ごめん、聞こえていた」

 

 廊下にも聞こえてしまうほど派手に盛大に騒いでいたらしい。控え目のノックの後に開けられたドアの隙間からお風呂上りの父が覗き込んでいたため、火衣は急いで枕の下に隠れた。

 一部始終を聞いていたらしい父の登場に驚いたが、その父はこっちこっちと手招きをして読人を自室へ招き入れると、クローゼットの奥からスーツカバーに入った一着を取り出した。

 

「読人、テーラーって知っているかい?」

「うん、スーツの仕立て屋だよね。本で読んだことある」

「そうだ。昔は安価な専門店とかなかったから、自分の身体に合った一点物のスーツをテーラーに仕立ててもらっていたんだ。おじいちゃんが着ていたスーツも全て、有名な老舗仕立て屋のテーラーに作ってもらっていたんだよ」

「おじいちゃんのスーツ、凄く高そうな物ばっかりだったよね」

 

 教壇上や学会の場のみならず、日常生活の中でもカッチリしたスリーピースのスーツを愛用していた蔵人のクローゼットには、一着何万もしそうな美しいスーツが並んでいた。

 今では遺品となってしまったそれらは全て蔵人の身体に合ったサイズで仕立てられていたため、誰かに譲ろうにも父や読人が着るにもサイズが合わない。父は上半身がパツパツだし、読人はパンツの裾が余るしと、今考えれば随分とスタイルの良い老人だった。

 青年時代のスーツも、時たま着こなしていたらしいし。

 

「これ、母さんと結婚した時におじいちゃんからもらったんだ。おじいちゃんが贔屓にしていたテーラーさんに仕立ててもらった一点物だぞ。読人にあげよう」

「え、良いの? これ、父さんがもらったんじゃ」

「もう、この腹じゃ着れないしな。箪笥の肥やしになるよりは、読人が着た方がおじいちゃんも喜ぶだろう」

「結婚してから10kg太ったんだっけ?」

「惜しい、12kgな」

 

 そう言って、愉快そうに腹をポンと叩いた父ではもう着ることができなくなったのだろう。蔵人が娘婿のために注文して、新人時代の父のスーツの着こなしの手伝いをしてくれたと言う。このダークグレーのベストは。

 スーツカバーの中から出て来たそれは、一つ一つの縫い目が均等に並び、それでいてしっかりと布と布を繋ぎ合わせている。お洒落にそれほど興味のない読人でも分かる。これ、高い奴だ。

 首元のVゾーンが広いボタンの五つ掛け。腰にはサイズ調整のための少し大きめの武骨なバックルと、シンプルなデザインが読人の好みにピッタリ合致している。

 本当はスーツに合わせて着る物だが、あまりフォーマル過ぎないデザインと材質はカジュアルに着回すこともできるだろう。

 

「ありがとう父さん。大切にする」

 

 また一つ、祖父から受け継いだ物を得て、また一つ嬉しくなった。

 読人はデートに来て行く服として、父から受け継いだテーラー仕立てのベストを手に入れた。

 一方その頃、読人とデートの約束をした夏月はと言うと……。

 

「もしもし、茜? 男の子と遊びに行く時って、どんな格好して行けば良いの!? 新しい服を買った方が良い? 何を着て行けば良いの!!?」

 

 同じく、着て行く服に悩んでいた。




父の体重増加、それは幸せ太りと言う。

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