BOOK   作:ゴマ助@中村 繚

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 しおりを挟む~閑話③

 春うらら。

 桜前線が日本列島に顔を出し始め、西日本ではお花見のシーズンへと突入した。景色が薄桃色に色付く、咲みの季節である。

 今年の東京の桜は少しだけ寝坊助のようだ。

 現在の様子は六分咲き。布団に引き籠るかのように、つぼみを固く閉じた薄桃色の花たちは顔を見せずにいた。

 暦の上はすっかり春。春風の到来を出迎えた蔵人の自宅前には見知った宅急便のトラックが停まり、コンテナからはいくつもの段ボールを運び出されていた。

 

「お疲れ様でしたー」

「梅村さん、全部運んでも良いですか?」

「うん。頼むよ、読人君」

 

 唐突に家主を喪って2か月以上、蔵人の家に新しい住人がやって来たのである。

 彼――黒縁眼鏡と少々腕がだらけたカーディガンを着た青年が、蔵人の元教え子であり黒文字家に家賃を支払うこととなった梅村(ウメムラ)(ジュン)だ。

 梅村は、蔵人が大学教授として教鞭を採っていた頃の最後のゼミ生の1人である。彼と読人は幼い頃から面識があり、ちょっとした理由で他の教え子たちよりは印象が色濃く残っている。

 ぼんやりとした記憶しかなかった蔵人の葬儀を抜かせば会うのは5年以上ぶりだったが、梅村は大学時代とほとんど容姿が変わっていなかった。元々年齢不詳気味であったが、三十路になった今も下手をすれば大学生でも通用するかし、三十路と言われれば納得する外見をしている。人畜無害そうな表情と、男性にしては円い目をした童顔気味な顔立ちのせいで脳が混乱するのだろう。

 大学院を出た後に地方で非常勤講師をしていた彼は、来年度からめでたく正規講師として某国立大学に雇われることとなったのだ。

 

「悪いね、引っ越しを手伝ってもらっちゃって。バイト代はきちんと支払うよ。大して出せないけれど」

「いえ、今年からバイトを始めたから大丈夫です。手の怪我、お大事に」

「ありがとう。紙でスパっとやっちゃってね……あれ、痛いよね」

 

 うん、確かに痛い。切ってしまった瞬間はあまり気付かないのに、後からじわじわと痛みがやって来るタイプの怪我である。

 段ボールを運ぶ梅村の左手には、紙でスパっと切ってしまった傷を隠す白い包帯が巻かれていた。

 引っ越し先はテレビも冷蔵庫も洗濯機も備え付けられ、しかも独身の1人暮らしとなれば業者に頼むほどの荷物でもない。本来ならば梅村1人でも片付くはずだったが、手の負傷してしまったことにより読人にバイトと言う名の手伝いが梅村から申し込まれたのは1週間前のことだ。

 実印を持って黒文字家を訪れて、母と正式な賃貸契約を交わした時も包帯をしていたが、どうも治りが遅いようである。

 

「先生の家、昔と全く変わってないな……でも、あんなに小さかった読人君が、もう高校生だもんな。道理で、僕も歳を取るはずだよ」

「梅村さんは、10年以上前とそんな変わらない気がしますけど」

「読人君、覚えている? 昔、みんなで百人一首をやったこと。詠み人知らずの札を、自分のだって意固地になって取ろうとしていたよね」

「お、覚えていませんよ! そんな昔のこと……」

 

 否、はっきりと覚えている。あれは小学校に進学する前、まだ祖母も存命だった頃だ。

 蔵人や祖母は、年始や卒業等の節目に教え子たちを自宅に招き、新年会等を催したりしていた。その中に読人も混ぜてもらっていたのだが、教授の可愛い孫は大学生たちにも随分と可愛がられた記憶がある。

 そして、年始の恒例行事として『百人一首かるた大会~黒文字ゼミ杯』が行われ、読人もちゃっかり参加していた。と言っても、齢一桁の幼児が百人一首をできるかと問われれば無理である。いろはかるたじゃないんだから。それでも、数枚ならば覚えている札はある。

 その中で読人がなんちゃって得意札としていたのは、一番と五番の札だ。特に五番と言うのが、自分の札であると意固地になって、どうにかしてでも取ろうとした一枚だった。

 

「『奥山の 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき』……百人一首の五番、蝉丸が詠んだ歌とされているけれど作者不明の説もある詠み人知らずの歌だ。“詠み人”知らずだから“読人”のだ~って。先に取った僕の手をどかそうとしていたのも、懐かしいな」

「だから、昔の話ですって……」

 

 今、読人が運んでいた段ボールが『食器類』と書かれていなければ、これを放り出して梅村を止めに行っただろう。

 きちんと記憶にある。おぼろげになって忘却してしまう50年前の記憶よりも、はっきり覚えている。

 蔵人が読み上げた上の句から、下の句の札を取った梅村の手に飛び付いてその手をどかそうとしたのだ。「これは自分の札だから、取っちゃ駄目」と、詠み人知らずは自分の物だと駄々を捏ねた姿を、蔵人にも他のゼミ生にも苦笑されていた。

 そのため、梅村の印象は随分濃く残っていた……と、言う訳でもない。また、かるたとは別の理由がある。

 

「今日はどうもありがとう。はい、バイト代」

「良いですよ。ただ運んだだけですし」

「良いの良いの、取っておいて。学生時代は五百円とか千円とか、しょっぱいお年玉しかあげられなかったんだから。先生のお孫さんをただ働きさせたとなったら、夢枕に立たれてしまう」

「それじゃあ、ありがたく頂きます」

 

 そう言って、和紙でできたポチ袋をありがたく頂戴したのだが、読人にとって梅村が印象深かった理由がこれだ。このポチ袋に理由がある。

 話は黒文字ゼミの新年会に戻るが、その新年会に参加していた当時の読人はゼミ生たちからお年玉をもらっていた。

 お年玉と言っても、大学生の身分ではそう高額なお年玉は出せないし、読人もお金の価値を理解できるほどの年齢でもない。もらっても千円程度のささやかなお年玉だ。しかも、読人にとってはお年玉本体よりもお金が入っているポチ袋の方が嬉しかったのである。

 そのポチ袋であるが、大体のゼミ生は新幹線や特撮ヒーローなど小さな子供向けの、柄が大きい全体的に青く黄色い物を使用していた。要するに男児向けである。

 その中で、梅村だけは違っていた。自動車もヒーローも印刷されていない、生成り色の和紙に梅が描かれたポチ袋でお年玉をくれたのが梅村だった。

 その当時は、お兄さん扱いしてくれたと感じてとても嬉しかったのだ。他のとは違う、祖父母に届く手紙が包まれた封筒にも似た雅やかなポチ袋は、一際立派に見えた。

 だから、梅村の印象が他のゼミ生たちと比べ、読人の中で色濃く残っていたのである。大人っぽいお年玉の学生さん、と。

 

「そうだ、梅村さん。俺、おじいちゃんの本の中で探している一冊があるんです。でも見付からなくて……もしあったら、連絡くれませんか?」

「良いよ。どんな本? タイトルは?」

「真っ白な装丁の『古事記』です」

「分った、見付けたら連絡するよ。先生の形見、かい?」

「そんな感じです」

 

 読人の家にあった合鍵は、貝の鈴のキーホルダーが外されて梅村の手に渡った。これでもう、自由に蔵人の家に出入りはできなくなってしまい、此処は他人の家となる。

 蔵人が50年前に手にしていた白い【本】は結局、発見することはできなかった。

 

 

 

***

 

 

 

 日本では春の訪れで新しい季節の幕開けを感じ、4月から何もかもが新しくスタートを切る。学生たちは4月1日から入学・進学となり、社会人も4月1日に入社式を迎えるのが殆どだ。

 春の季節の到来と同時に、新年度という新しい生活が始まるのだと聞いて……母国とのズレを感じたと、ハインリヒはそう語った。

 日本は全てが春から始まるが、ドイツで年度初めと言えば夏真っ盛りの8月から。ドイツのみならず、欧州諸国の殆どは8~9月からが新年度である。某有名な魔法学校の小説でも語られていただろう、9月1日に入学式があるのだ。国際的に見れば、日本のように4月からの年度初めと言うのは珍しいのである。

 しかし、母国がどうとかこうとか今は関係ない。郷に入ったら郷に従えと言うことで、日本に滞在しているならば日本式で行動しなければならないというのが、師の教えなのだ。

 が、この鍛錬は勘弁して欲しい。二本の棒を片手に、右手が吊りそうになりながら硬いヒヨコ豆を皿に移し替えながら頭の片隅で辟易していた。ちなみに、上手く移し替えることができずにヒヨコ豆はテーブルに散乱しまくっていた。

 

「日本人って、手先が器用だな。自動車もゲームもアニメも凄い物を作るし、こんな棒で飯を食うし」

「棒ではありません、箸です。Brückeを意味する橋とは発音が違うので、気を付けなさい」

「先生! 別に食事も日本式にしなくても良いだろう! きちんと言葉は覚え始めた」

「箸は日本の食事のマナーです。国際化の昨今と言えども、海外の者だからと言って常に無償でフォークやスプーンを提供していただけると思ってはいけません。もし、貴方が学友に誘われて和食や中華の店舗で食事をする際に恥をかきたくなければ、精進することですね」

「……ビルネ、ショージンって何だ?」

「とても頑張る、とても努力する、です」

 

 日本語、難しい。ついでにこの箸も難しい。やはり日本人の手先の器用さはクレイジーだ。

 こよみ野市の最も外側、23区に隣接して交通の便が良い東側の松露(ショウロ)町。そこは地価が高めの、市内の住民には高級住宅地と認識されている地区である。

 かつては、電車一本で都心に出られる割に、こよみ野市内へのアクセスが不便で商店街等の商業施設が少ないと言う理由で安い物件であった。だが、隣県に住むよりは都民でいたいと言う者たちの間で穴場として知られ始め、新しいマンションや新しい一軒家が増えつつある。

 そのマンション群の中で昨年末、外資系企業が建てた外国人向けの小奇麗なマンションが建った。ドイツの不動産女帝と呼ばれるイーリスが用意していたマンションだ。ハインリヒと彼のお目付け役であるビルネは、ここを拠点として読人の『竹取物語』を虎視眈々と狙うこととなる。

 

「奥様、お時間です」

「分かりました。では、身の回りの世話はアルノルトに任せます。学業と【戦い】にしっかり励みなさい」

「ハイ、先生」

「何かあった時は時差など考えずに連絡をしなさい。こちらも、他国の【戦い】の情勢に何かありましたら、情報を回しましょう」

「了解しました、おばあ様」

「それと、もう一つ……この【戦い】に参戦した、もう一つの()()を忘れてはいないでしょうね?」

「『Rotkäppchen』……50年前のあんたの【本】を、探せば良いんだろう」

「ええ、日本語のタイトルは『赤ずきん』。行方知れずとなっている、わたくしの【本】です」

 

 今から45年前、アーベンシュタイン家で窃盗事件が起きている。

 犯行があったその日はイーリスの結婚式が開かれ、アーベンシュタインと繋がりのある各界著名人たちが何人も祝賀パーティに参加していたため、人の出入りが激しい1日であった。参加者たちの財布や貴重品を狙ったのだろう、祝福の空気と慶事の浮かれでできた警備の隙間をすり抜けて、招いてもいない窃盗犯が紛れ込んでしまったのだ。

 その窃盗犯は、参加者の金品をいくつかとアーベンシュタイン家の美術品を数点盗み出したのだが、その美術品の中に『赤ずきん』の【本】があった。鍵がかかった豪華な箱に入れられていたため、宝石箱か何かと勘違いして盗まれてしまったというのが当時の警備主任の見解だ。勿論その人物はクビになった。

 イーリスにとっては美しい絵画やダイヤのネックレス、銀食器よりも価値がある【本】を盗まれ、あらゆる手を使って取り戻そうとしたが結局は現在に至るまで『赤ずきん』は保護されてはいない。それから45年の月日は流れ、イーリスにとっては二回目の【戦い】が開かれた。

 もし、今回の【戦い】においても『赤ずきん』の【本】が能力に覚醒し、真の価値に気付いている者が【読み手】に選ばれているのならば参戦して来るはず。必然的にこの日本に【本】が集まって来るはずだ。そう考えて、ハインリヒとビルネにもう一つの任務を課した。

【戦い】を勝ち抜いて『竹取物語』と不老不死を手に入れることともう一つ、行方知らずとなった『赤ずきん』を取り戻すことである。

 かつての相棒の捜索任務を孫と教え子にそう述べてから、イーリスは執事のガーベラが運転するフォルクス・ワーゲンに乗り込んで空港へと向かったのだった。

 

「アルノルト、あの子たちを頼みましたよ」

「承知しました。しかし奥様、ビルネお嬢様はともかく、あのような者に奥様の【本】の捜索を任せてもよろしいのでしょうか? 奥様の決定であることは重々承知ですが……」

「ハインリヒ……あの子は、根は真面目で素直ですが、困難に突き当たると楽な道に逃げる悪癖があります。ズッキーニのように曲がりかけた根性を、箸のように真っ直ぐ矯正できたらあるいは……」

「確かに。思い出してみれば、奥様の授業も旦那様の授業も、逃げ出したことは一度もありませんでした」

「そちらの矯正も、任せます」

「然るべく」

「苦労をかけさせますね。貴方にも、伯父のアルフレートにも」

「いいえ。アーベンシュタイン家にお仕えすることが、我がガーベラ一族の喜びです。ビルネお嬢様もハインリヒ様も、このアルノルトにお任せ下さい」

 

 郷に入っては郷に従え。日本に来たなら日本語を話せと言う教え子に語ったその言葉通り、空港へ向かう車内でガーベラと2人きりになってもイーリスの口からはドイツ語が出ることはなかった。

 教え子と孫と、彼らをサポートする執事を日本に残してイーリスはドイツへと帰国する。

 1月1日から始まった【戦い】は、もう直ぐ開始から3カ月が経過する。

 早々と脱落した者、浮上せずに好機を窺う者。そして、未だに【読み手】と巡り合えずに参戦すらも許されていない【本】……極寒の冬から芽吹きの春へと移り替わる季節の中で、彼の者の登場が再びの寒波をもたらすこととなる。

 横浜の中華街のとある飲食店。業務用の巨大な冷凍庫の中で、女性従業員の凍死体が発見された。誤って閉じ込められてしまった事故として処理されることとなる。

 女性は数時間前、背の高い男性とホテルへ入るところを目撃されていたにも関わらず。




不穏の到来は冬風と共に

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