BOOK   作:ゴマ助@中村 繚

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クローバー01

 凶悪犯罪における時効が撤廃されたのが数年前。本当はもっと早く話が出ていたのに、国の中心で揉めたために施行が遅れたと、中学時代の公民の授業で習った覚えがある。

 5年前、母たちは何を思って時効の成立を迎えたのだろうか?

 彼女たちは当たり前の日常の裏に身を穿つような苦痛を必死に隠し、読人に悟られまいとしていたのである。

 黒文字書人が殺害されて30年。時効は既に成立し、犯人を法で裁くことはできなくなってしまった。

 その犯人とは、櫻庭聖一朗。現代の【戦い】における『雪の女王』の【読み手】である。

 かぐや姫に遭いたいがために当時の黒文字家に侵入し、蔵人が所持しているはずの『竹取物語』を探している現場を書人に目撃され、彼を殺害。蔵人の書斎にあった『竹取物語』以外の白い【本】の数冊を強奪して、30年を逃げ切った……。

 

「告発もあるのに、証拠は何もないの……?」

『みんな、書人の瞼と公衆電話にあった指紋に気を取られていたみたいだな。ここ。初期の報道じゃ、指紋の持ち主が犯人だってメディアが騒ぎ立てていたって書いてあるぞ』

「強盗殺人の犯人が、自分が殺した相手に“あんなこと”をするって……色々、推測できるからね」

 

 まるで小説かドラマのようだ。

 遺体の見開いた目を、冷たい瞼で覆い隠すその行動は死者への憐憫を意味する。犯罪心理学では、犯人と被害者は知人関係であるとプロファイリングできるらしい……だから、犯人は被害者と親しかった人物だと、素人プロファイラーは自説を語っている。読人が最近ブックマークした、未解決事件のファイリングサイトにおける考察の一つだ。

 だが、実際は面識もなにもない。けれど、行きずりの犯行でもない。もっと根深い、20年もの時を経た執着がもたらした事件だった。

 4月1日――蔵人の誕生日に、書人の死の真相と櫻庭という敵を知った。それから読人は、30年前の事件についてできる限り情報を集め始めたのだ。

 現代は情報化社会だ。インターネットに接続すれば、必要な情報もいらない情報も、知りたくなかった事実にもすぐに辿り着ける。話題にもなった未解決事件を調べるのは、学校のレポートの文献を検索するよりも簡単だった。

 

「火衣。もし本当に、伯父さんの瞼の指紋の持ち主が櫻庭じゃない第三者なら、彼はどうして現場から姿を消したんだろう?」

『そりゃ、殺人事件なんて物騒なものに関わりたくなかったんじゃないか。けれど、後ろ冷たいから匿名で通報した』

「の割には、家に侵入した伯父さんの瞼を閉じるっていう、肝が据わった行動をしている。一般人が血塗れの家に入って同じく血塗れの死体と対面して、こんなに冷静な判断はできるのかな?」

『一般人じゃ、なかったのかもしれないな……長年修羅場をくぐった、歴戦の猛者とかだったのかもしれない』

「そんな人が、二十世紀末の日本にいたの?」

 

 いや、もしかしたらいたかもしれない。1990年代なら、先の大戦で出兵した元軍人たちもまだまだ元気だった頃だ。

 読人の疑問や考察の殆どは今も見ているサイトの受け売りだが、やはり謎の第三者の存在が一番気になる点だった。やはり、犯人の正体を知っている分、姿の見えない謎に疑問の矛先が集中してしまうのだろう。

 ちなみに、サイトに収集されていた情報の中に櫻庭――つまり、強盗殺人犯と思われる者が残した遺留品もあった。だが、市販のスニーカーの足跡やら凶器のナイフやらは全国で流通されているありふれた物であったために個人は特定できず、証拠能力は低かった。

 そして、謎の指紋以外にも採取された重大な遺留品があった。書人の爪から犯人のものと思われる皮膚片が採取されたのだ。

 しかし、当時の鑑定技術の限界もあって、それで個人を特定するには至らずに結果迷宮入りだ。そのため、警察による最終的な判断は、金に困った行きずりの強盗による犯行で幕が下ろされたようである。

 当時の社会情勢は荒れていた。バブル経済の崩壊により二十一世紀まで続く長い長い不景気のスタートダッシュが強烈で、多くの混乱を招いていたらしい。

 新たな証拠や、有力な情報・被疑者が現れなかったために再捜査も難航したのは、母の様子を見れば分かることだ。

 

「あと、もう一つ。櫻庭は多分、おじいちゃんの『古事記』を盗んで行ったはずだ」

『あれか、お前がこの間まで探していた【本】か』

「師匠に聞いたんだ。やっぱり、あの事件でおじいちゃんが保管していた何冊かの白い【本】が盗まれたって。その盗まれた【本】の中に、『古事記』もあったんだよきっと。できるなら、櫻庭から『古事記』も取り戻したい。おじいちゃんの【本】だもん」

『……読人』

「ん?」

『お前、好きな本のジャンルの中に、推理小説があるだろ』

「……まあ、結構好きだけど」

 

 火衣がそう零せば、読人は苦笑しながら首に手を当てた。無意識故の癖は、本人はその仕草をやっているという自覚はない。バイト中や数学の小テストの最中など、困っている時に何度もこの癖が登場しているのを、火衣は知っている。

 いつもの長い前髪を母のヘアゴムでちょんまげにしている姿でやるのは、実に滑稽だ。子供の愛くるしくもお馬鹿な行動を見守っている気分になる。

 ヘアピン亡き後の後任が決まっていないため、やっぱり前髪が鬱陶しい。始業式もあるからそろそろ切らなければと読人が零したその時、充電中のスマートフォンがメッセージを受信した。

 内容は、「電話しても良い?」。送り主は夏月だった。

 

「ななな、夏月さん?!」

「この間ぶりだな。ほれ、OKと」

「わ゙ーーー!!」

 

 再び、読人の動揺を無視して火衣がスマートフォンを操作した。ハリネズミのキャラクターと「OK」のイラストスタンプが送信されればすぐに「既読」が表示され、読人の思考が追い付く前に着信が入る。

 その電話にも出ようとする火衣からスマートフォンを取り戻し、一呼吸おいてから夏月の電話に出たのだ。

 

「もしもし、夏月さん?」

『読人君、この間ぶり』

「うん。この間……ぶり」

『明日、時間ある? ヘアピンが壊れちゃったでしょう。もし、時間があるんだったら新しいものを買いに行こう』

「ヘアピン」

『新しいの、一緒に選ぼう……、ううん。私に、選ばせて』

「……っ、よ、よろしくお願いします!」

 

 こうして、明日の予定が決まった。夏月とのショッピング――鬱陶しい前髪を上げるために、新しいヘアピンを買いに行くのだ。

 

「……っ、デートだぁぁ!!」

『明日はちゃんとデートできればいいな。前のは、台無しになったもんな』

「何着て行こう!?」

『お前、またそれかぁ?』

 

 色々悩んでいたことが吹っ飛んだ。夏月の声で読人は日常に引き戻された。が、それと同時に新たな、そして以前と同じ悩みが湧き出ていたのである。

 明日の集合は春休み最後の日、明日の午後10時。待ち合わせ場所は、こよみ野市内にあるショッピングモールにある二宮ポン次郎像の前。

 薪を背負って本を読むタヌキの像は、二宮金次郎を愛らしくイメージさせた物らしいが、来客者たちには更生した『かちかち山』のタヌキと呼ばれていた。

 製作者……プレートでしか知らない名前の誰かさん、涙目である。

 

「読人君」

「夏月さん。こんにちは」

「また読人君の方が早かったね。今日は、読人君より先に来て待っていようと思っていたのに」

『よっ、夏月』

「火衣君も、こんにちは」

 

 夏月がポン次郎像前にやって来たのは、10時の12分前。読人は9時半過ぎからここで火衣と共に待っていた。夏月を待たせる訳にもいかなかたのもそうだが、楽しみすぎて待ちきれなかったからだ。

 服装は色々悩んだ結果、結局再び祖父のベストに頼ることにした。

 クリーム色のロングTシャツにジーンズといつものボディバッグ、ハイカットスニーカーでカジュアルベースに決めて、その上にベストを着込んだ。普通はフォーマルに合わせるアウターであったが、ベルトの遊び心が上手い具合にカジュアルと馴染んでくれた。

 母も出かけ際に「良いじゃない」と言ってくれたので、変ではないはずだ。長い前髪は、母がくれた黒いアメリカピンで申し訳ない程度に上げて顔を見せていた。

 

「急に誘っちゃってごめんね」

「ううん、夏月さんから電話もらって……その、嬉しかったから。迷惑とかじゃないから!」

「……うん。それじゃあ、ショップに行こう。まずは一階の端から見てみよう」

 

 普段も買い物に行くショッピングモールは、西から東まで長く伸びた三階建ての中にスーパーもコンビニも映画館も、小さな銀行も入っている。全国展開されているインテリアショップもスポーツショップも百円均一もるし、ちょっとしたブランドショップも入っている。

 その中で夏月に連れられてやって来たのは、女性向けにアクセサリーショップたち。ヘアピンを買うのだから当たり前のチョイスなのだが、普段は視線を向けることもない女性向けのショップを見て回るのは少々気恥しい。

 ピンクと白とパステルカラーに囲まれたショップには、ヘアアクセサリーだけではなく、優美で可憐なアクセサリーが並んでいた。

 

「こういうお店、初めて入ったけど……何だか、目がちかちかする」

「スパンコールやジュエリーが付いたアクセじゃ、男子も気軽に使えないよね。もっとシンプルが良いかな」

 

 最初のショップの店先、来客の目に触れる場所には、プラスチックのジュエルやキラキラのスパンコールが使われたバレッタやカチューシャが並んでいた。

 ヘアピンもたくさんあったが、どうやって使うか分からないピンや金のワイヤーの花が咲いた物ばかりで、読人が使うには少々勇気がいる物ばかりである。

 以前、夏月からもらった三日月のヘアピンは、可愛らしくもシンプルで男性も使いやすいものだったが同じ系統のアクセサリーはこのショップにはないようだ。

 

「読人君、これはどうかな?」

「可愛いね。でも、前と同じタイプのヘアピンが良いかな。このピン、1人じゃ上手く使えなくて」

「了解。別のお店も見てみよう」

 

 夏月が見せてくれたのは、トルコ石を模したストーンが付いた銀のアメリカピンタイプの物だった。自分では上手く使えないかもしれない、けれど夏月には似合いそうなシンプルなデザインだ。

 否、似合い“そう”ではなく、似合うはずだ。今日の夏月の服装にも。

 今日の彼女は、デニム生地のシャツワンピースの上にクリーム色のカーディガン。黒いストッキングの足には、ヒールが小気味良く鳴るローファーを履いていた。

 シンプルなヘアピンが似合うと感じた髪は、低い位置でポニーテールを結んでおり、彼女が読人を振り向く度にぴょこんと揺れて愛らしい。

 あ、好き……揺れるポニーテールに見とれていたら、ボディバッグの上に乗る火衣に後ろから頭突きをされた。

 

「……本当はね、ヘアピンを買いに行こうなんてただの口実だったんだ」

「え?」

「読人君を、元気付けられたら良いな~って、思って誘ったの」

 

 天然石のショップにて。以前と同じスリーピンタイプのアクセサリーを眺めている横で、夏月が小さくそう言った。

 あの場にどうしてか夏月がいた。響平の『銀河鉄道』に乗って彼と桐乃と共に櫻庭の氷壁を切り裂いてやって来て、氷漬けになった読人を目にしてしまっていたのだ。

 勿論、櫻庭が彼の伯父を殺害したという告白も、彼女を含めたその場の全員が聞いていた。それでもって、ハインリヒとビルネもいた気がする……ぼんやりとしか覚えていない。

 気を使ってくれたのだろう。身内を殺したと告げられた読人の心境を。

 四色の石を寄せ木細工のように組み合わせた、スクウェアの飾りが付いたヘアピン。それを手にした夏月の横顔をちらりと見れば、何だか申し訳なさそうな表情をしていた。

 

「夏月さん、ありがとう。さっきも言ったけれど、迷惑とかじゃないよ。俺さ、う……嬉しかったから。夏月さんが誘ってくれて」

「……良かった。あ、これ……。読人君、誕生日はいつ?」

「え、10月。10月27日」

「誕生石じゃないけど、これはどうかな?」

 

 ストーンのアクセサリーの中から夏月が選んだのは、緑と白、二色のストーンでできた四葉のクローバーのヘアピンだった。

 ストーンはペリドットとムーンストーン。それぞれ、8月と6月の誕生石である。そしてパワーストーンのとしての効果は、前者は太陽の明るさのように憂鬱を払い。後者は、永遠の愛をもたらす月の石であると、ストーンの説明ポップにそう書いてあった。

 

「可愛い、クローバーだ。ペリドットは太陽の石、ムーンストーンは月の石。太陽と、月か」

「ね、知ってる? 四葉のクローバーって、それぞれの葉っぱに意味があるんだって。えーと、確か……「幸運」「愛情」「誠実」と」

「「希望」、だよね。おじいちゃんに教えてもらったことがある……これにする。これが良い」

 

 モール内のショップを梯子して四軒目。たくさんの加護を受けたヘアピンが読人の前髪を飾ることになった。

 購入した早速、夏月から鏡を借りて前髪にパチンと着けてみる。学生らしくフードコートでランチにしようとしたその前に、四葉のクローバーは長く伸びる前髪を上げる任務に就いたのだ。




ペリドットの「幸運」と「誠実」
ムーンストーンの「愛情」と「希望」

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