ナオ女王様が奈緒花の時に手に入れた白い【本】は、小学生の頃に母と観に行った大好きな映画の物語だった。
今年に入ってから、その【本】によって髪の毛を自在に操ることができるようなり、鞭や緊縛の練習に便利と多用していた。不老不死とか、説明にはざっと目を通したが特に興味はなかったし、現実味もなかった。
【本】のタイトルは『ラプンツェル』。髪長姫も茨姫も、物語中にSMの用途はなかった……はずである。
だが、物語から想像して創造された髪も茨も立派にSMの道具として成り立っている。茨に縛られて髪に打たれる……世界は、女王様と奴隷の2人だけの世界だった。
「あぁ、ナオ女王様……!」
「いけない子ね。この私を困らせるなんて」
「お許し下さい、女王様。私は、フリッツは、ナオ女王様に鞭を与えられ、縛られている時が唯一、自分を全て曝け出せる瞬間なのです! 全てのしがらみから解放され、女王様に身体も魂も委ねることができる快楽に溺れる私はもう、ナオ女王様なしでは生きていけません……!」
「え、キモ」
「ありがとうございます! ありがとうございますううう!!」
「馬鹿ねぇ。本当にお馬鹿なお馬さん。家畜に快楽なんて必要だと、本気で思っているの」
「気持ち良くなってしまって、本当に申し訳ございません!」
「お仕置きが必要ね」
魔法の黒髪は生命を宿したかのように動いた。獲物を絡めとる蛇のように、餌を呑み込もうとする食虫植物の触手のように。何本もの三つ編みに別れたナオ女王様のロングヘアは、メッセの身体を絡め取り、自縛した縄を引き千切った。
「自分で縛ったの?」
「はい。女王様の指を思い出しながら、縛りました」
「今日、私とドライブしている時もずっと気持ち良くなっていたの? 私以外の縄で」
「気持ち……良く、ありませんでした。ナオ女王様の縄じゃ、ないから」
「駄馬の分際で、自縛なんて生意気」
「は、はいぃぃ」
素人の緊縛は、下手をすれば事故を起こしますので絶対にやめましょう。
ナオ女王様が先輩女王様から縄を習い始めた頃に、口酸っぱく言われた注意事項を思い出す。緊縛は、身体を拘束して自由を奪う物である。一歩間違えれば生命の危機に瀕する事故に繋がる危険なプレイだ。
本来は縛る側の技量と、縛られる側の体調を鑑みて行われるプレイを、素人が見様見真似で行って病院送りなんて気持ち良くなれやしない。
生半可な知識で自縛を施したメッセへ、お仕置きとこれが本当の緊縛だと見せつけるかのように髪がうねる。
後ろ手縛り。最もポピュラーで基本的な、両腕を拘束する縄だ。
自由を奪われ、身体を捕らわれ、生きるか死ぬかは女王様次第。女王様の手の中に、奴隷の生命は握られている。
全てを女王様の胸に委ねられることが許されるのが、奴隷の悦び……ナオ女王様の美しい黒髪に縛られ、顎を持ち上げられ、奴隷を家畜以下として見下すその視線を注がれる。
メッセの全身はざわわと粟立ち、脳天から爪先までに電流の如き快感が走った。
と言うプレイが、第三者がいる公共の場で行われていた。
読人はまだ、茨の海に呑み込まれている。
「焼く尽くして……鼠花火!」
『弾けろ!』
火衣の背中から弾けた鼠の火の粉が茨を焼き尽くす。読人の周囲だけではなく、糸車から生産され続ける茨にも飛び火して燃えるが、活きの良い茨は水分量も多くてそう簡単には炎上しない。
物語の中でも、姫を守るための茨はそう簡単には切り刻まれなかった。時にはその棘で、相応しくない狼藉物を排除し眠る姫を守り続けていた。
トゲトゲしい茨は、未だに紡がれ続ける。全ての始まりは、糸車から。
本格的に、全てを燃やし尽くそう。読人が頭の中に描いたのは、茨の海から火の海に変貌した峠の景色……その赫さに、少しの躊躇が出た刹那、茨の動きが止まったのだ。
「糸を使うなら、こんな風にね。アルレッキノ、パンタロネ!」
「桐乃さん! うわっ?!」
茨は、見えないほどの細い糸で雁字搦めにされていた。糸を繰っているのは道化と老人の木製人形。桐乃の『歓喜のマリオネット』だ。糸から解放された操り人形たちが、今度は糸で好き勝手に操りまくる。読人の身体にも糸を伸ばして、引っ張って、桐乃の元へと放り投げた。
桐乃もまた、マリオネットを操るかのように指を動かして、寄せて来る棘だらけの波を糸で絡め取った。これで少しだけ時間が稼げる。
「ありがとうございます、桐乃さん」
「今一瞬、躊躇したね」
「っ……はい。火の海は、やりすぎかなって」
「その躊躇が命取りになる。あのままだったら、もっと傷だらけになっていた。違う?」
「その通りです」
「覚悟を決めろ」
凛――と、桐乃の声が心臓に突き刺さるかの如く、読人の耳に響いた。
まるで紫乃の声のようだった。彼女と桐乃は血縁ではないが、どこかよく似ている……似た者同士だからこそ、紫乃は桐乃を弟子にしたのかもしれない。
「火の海にしても、誰も傷付けない覚悟を。そんな甘っちょろい意志じゃ、組織も櫻庭も、止められない。【戦い】の道を、修羅の道中に飛び込むと決めたのなら怖がる資格なんてない。だろう、読人!」
「……っ、はい!」
読人“君”、ではなく、読人。
桐乃のよく通る声がそう活と入れたと同時に、読人の背筋がしゃんと伸びた。
姉弟子で、先輩。桐乃にそう呼ばれた瞬間、認められた気がした。
覚悟を決めろ。覚悟は、もうとっくの昔に……『竹取物語』の【本】を手にした瞬間から、していた。ならば、もっとだ。もっとスイッチを入れる。
何度も何度も、覚悟を決める。
「こんなところで、立ち止まっている暇はない!」
「そういうこと。悪かったね、急に活を入れたりして」
「いいえ。お陰で吹っ切れました。色々と! たくさん!」
「それじゃあ、反撃開始だ。創造能力……」
桐乃の『ピノッキオの冒険』が、新たなページが開かれる。
荒海の化け物でも、ピノッキオのファンのマリオネットたちでも、ましてや鼻でもない。ロバが創造された。
『っらっしゃあせっーー!』
ロバの被り物をして、黒い腰巻エプロン……居酒屋の店員がよく巻いている物を身に着けて、円いお盆の上にジョッキを乗せたロバが、元気な挨拶と共に創造された。
居酒屋店員のロバはお盆の上のジョッキを手にすると、『イッキ! イッキ! イッキは駄目よ!』と元気よく叫びながら中身を読人と火衣にぶちまける。見た目、酔っ払いそうだがジョッキの中身は酒ではなかった。ぶちまけられた液体の雫は、茨の棘でできた無数の切り傷を全て治してくれたのである。
「……」
「そんな目で見ないで」
『回復系の能力か』
「うん。大学の飲み会で……まあ、飲みすぎた際に勢いで創造しちゃって。『ドンキー・エール』とでも呼ぼうかな。アニメーションの設定だけど、酒と煙草に堕落した子供はロバになって売られちゃう。小さい頃は、ちょっとしたトラウマだったな」
そうか、そこから発想を得てロバとエールが混ざったのか。居酒屋の店員風なのは、想像した場所が起因している。結構、飲み会とかで飲みすぎるんだ。
しかし、回復系の能力とは頼もしい。【本】を閉じれば全てなかったことにはなるが、【戦い】の最中の傷は痛いものである。
糸で絡めて動きを止めている茨も、そろそろ糸を引き千切りそうな勢いだ。そろそろか。
さあ、反撃を始めよう。
2人の世界に穴を空けよう。
「桐乃さん、あそこに連れて行って下さい」
「了解。私は、男の方を」
「俺たちは女王さ……女性の方を」
「アルレッキノ、パンタロネ! 『歓喜のマリオネット』!」
マリオネットたちが茨を解放すると同時に、読人の身体を糸で操る。操られた身体は茨の波を、海を乗り越えて、空を踏んで生身の人間にはありえない動きをする。まるで、マリオネットたちによって好き勝手遊ばれている玩具のようだ。
人形劇の演者の如く腕を伸ばして、身体は宙に吊り上げられて。回転する巨大な糸車の頭上から火の海は広がるのだ。
「自分の口で言いなさい。私の手を煩わせる気なの、駄馬の癖に」
「私は、種馬以下の駄馬です。ナオ女王様によって気持ち良くして頂いている、女王様の馬です。けれど! ナオ女王様が私を、奴隷として愛して下さるように……私は、ナオ女王様を愛しております!」
「えっ……」
「愛しています。ナオ女王様。私の全てを、貴女様に捧げます。烏滸がましいお願いですが……私は、貴女様と共に生きたい!」
「火針!」
「ピノッキオは、ロバにならなかった!」
何か盛り上がっていたけれど、炎の槍が容赦なく糸車を穿てば、今度は茨の海が火の海へと変じた。生産地である糸車そのものが炎上すれば紡がれる茨も火達磨となる。糸車が良い燃料となったのか、水分の多い茨に次々と火の花が咲いた。
読人と火衣の身体は未だに糸で操られたまま。アルレッキノが手にする糸を引っ張れば、読人の身体も地面に引っ張られる。落下の勢いのまま、呆然としているナオ女王様の手にある『ラプンツェル』の【本】を引っ手繰った。
桐乃も嘘を吐いた。手にする『嘘吐きの鼻』のトンファーが彼女の呟いた嘘に反応して長く伸びて、這い蹲り続けるメッセの手にある『茨姫』を弾いた。
それぞれが【本】を一冊ずつ【読み手】の元から放し、表紙を閉じて物語を終わらせたのだ。
「「めでたしめでたし」」
【本】が閉じられれば、物語が終わればなかったことになる。火の海も茨の海も消えて、魔法の髪を使った緊縛プレイもなくなった。
「終わった」
「2人は?」
「私の全てを、人生を貢ぐことをお許し下さい!」
『駄目だ。未だに2人だけの世界だ』
顔を赤らめて、恋を知った乙女のように動揺して。女王様にあるまじき反応と、胸のときめきを隠せない女王様は、ただの水木奈緒花に戻っていた。
メッセの視線は本気だった。他の奴隷たちとは違う。恍惚とした、縋るようなそれではない。熱が籠った真っ直ぐな視線に射抜かれる。
まるでプロポーズではないか。人生全てを、奈緒花に捧げようとしている。
女王様と奴隷、まるで身分違いの恋だ。鞭の一発を入れて、追い返してもそれはプレイの一環であり、2人の関係ではそれが当然かもしれない。だけど、奈緒花は……メッセを許したのだ。
世の中には二種類の人間がいる。許す者と、許される者。
女王様は常に前者であると、奈緒花をスカウトした『Witches Kiss』のママが言っていた。
「良いわ。私に一生を捧げることを許しましょう」
「っ、ナオ女王様!!」
「……」
「……」
「帰ろう」
「うん」
帰った。
***
「……昨日のアレ、何だったんだろう」
『世の中は広くて色々深いってことだろ』
1日経った。未だに昨日のアレが現実だったのか理解不能だ。
でも紋章が増えていたのできっと現実だった。読人は、高い塔から三つ編みの長い髪が落ちた紋章を。桐乃は、茨に囲まれた城とその中心に糸車が置かれた紋章を手に入れた。
今日1日、SとMに過剰反応してしまった学校を終えた読人と火衣は、自転車を押しながらとぼとぼと『若紫堂』へ向かっていた。
ああそうだ、紫乃に“組織”のことを相談しなければ。頭を前向きに切り替えようとしたその時、自転車の籠に異変が起きた。否、正確に言えば籠の中のリュックサックの中身が――『竹取物語』の【本】に異変が起きたのだ。
「な、何だ?」
『ん……今回は随分、早いな』
「早い……っ」
白い【本】から光が漏れている。能力を使用する時とは違う、青白い月光のような光だ。発光源は【本】に挟まれた一枚のカード……挟んだ覚えのない、三日月の紋章が刻まれた
裏返してみれば、随分と見覚えのある札であった。
「師匠! 【本】に札が……っ」
「知っているよ。残り、80人だ」
青白く光るカードを手に『若紫堂』へと駆け込むと、桐乃の『ピノッキオの冒険』にも三日月のカードが挟まれていた。
「これは?」
「残りの【読み手】の数が切りの良くなった時に現れる合図さ。眉月……三日月の札は20人が脱落したという合図さ」
「残り、80人……」
「4月でこの数は早い方だね」
月の満ち欠けは【読み手】の数。新月から、100人から始まって20人が脱落した。
誰がこのカードを……札を、生き残った【読み手】たちへと通達したのだろう?
奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の
声聞くときぞ 秋は悲しき――残り、八十冊
百冊の【本】に百枚の札。読人の手には詠み人知らずの札がある。
青白い月の色をした百人一首の札は、三日月の姿を現して消えてしまった。
フッリツ・メッセ(41)&水木奈緒花(26)
後日、入籍した。末永くSMしてください。