『南総里見八犬伝』
江戸時代、曲亭(滝沢)馬琴が28年もの歳月をかけて創作・執筆をした長編小説である。
悲劇の姫の遺志を受け継いだ「犬」の名を持つ8人の青年たちと、怨霊に滅ぼされんとする里見家を巡る冒険活劇だ。現代でも人気が高く、ドラマに漫画、演劇と様々な媒体で八犬士たちは時代を超えて活躍している。
物語中に重要なアイテムとして登場するのが、八犬士たちが生まれ持つ伏姫の加護が与えられた珠だ。それぞれには仁・義・智・礼・忠・信・孝・悌の文字が浮かび、それぞれが八犬士の個性を表しているという。
その珠から想像力を膨らませて創造したのが、犬伏早百合の創造能力・八犬士だ。八つの文字と珠を持つ、八匹の犬。彼らは神速の足で京都全体を駆け回り、早百合に情報を運ぶだけではなく、実際の八犬士の如く刀を咥えて【戦い】に参戦する。
と、いうのが、バイクを走らせる楠木の弁である。
「犬が八匹。仁、お前以外八犬士たちはどうしたんだ?」
『キュウ……』
「早百合さんやないと意思疎通はできません。大方、彼女と共に捕らえられているんでしょうなぁ」
「人質ならぬ、犬質か……」
「外道どす」
「酷い奴だべ」
どうやら楠木も犬派のようである。修学旅行に出かけると告げたら、出発日の前日は落ち着きなく響平にべったりくっ付いていた飼い犬の五平餅を思い出した。可愛い奴め。
楠木のバイクは、多少の渋滞を抜けパンフレットが指示した場所へと到着した。
下鴨神社、正式名称・賀茂御祖神社。その歴史は古く、奈良時代には既に現在のような盛り上がりを見せる巨大な神社であったとされている。
敷地内のある御手洗池はみたらし団子の名前の由来となっており、修学旅行のために買った何冊かのガイドブックには、特徴的な名物団子が必ず載っているほど有名だ。
「ここのみたらし団子って、串に五個付いているんですよね」
「所説ありますが、人の姿を模していると言われています。先端の、他の四個から少し離れた一回り大きな団子が人の頭なんどす」
「へぇ~食べたかったけど、無理そうだな」
『キャン』
有名な神社であるため、とにかく人が多い。駐車場には観光バスが何台も停まっていたし、制服を着た修学旅行のグループとすれ違い、境内では各国様々な人種と言語が飛び交っている。
早百合がいないか、八犬士の残り七匹がいないか……何か異変がないかと速足で社内を捜索していると、中門前に箱があった。行く人々の視線を集めている二つの箱。
大小二つ。素朴な椿の絵が描かれた大きさの違う二つの箱が鎮座していた。「Choose and open one.」と書かれたカード貼られている。
「箱だ、これだ。何だべ、昭和のポットみたいな絵柄」
「もしくは昭和の炊飯器。何や、この中に何かがあるんでしょうか……「一つ選んで開けろ」と」
「一つ、か。この選択肢だと……小を選びますよね」
「日本人の性どすなぁ」
大か小かどちらを選べと言われたら、欲をかいてはいけないと小を選んで響平は箱の蓋に手をかけた。
「鬼が出るか、蛇が出るか」
『グルルル……!』
唸る仁を地面に置いて、一息吐いた後に、一気に蓋を開けた。
中から出て来たのは、正直者へのお土産でも強欲への戒めである化け物のでもない。無数の雀の群れが、黒い煙のように空に立ち昇ったのである。
「雀?!」
『キャン!』
「っ、桔梗色の首巻き」
『ヂュゥゥゥゥン!!』
雀の泣き声にしては鈍く甲高い声がした。
咄嗟に手にした『銀河鉄道の夜』の【本】を開いた響平の首に『桔梗色の首巻き』が創造されると、響平に向かって特攻して来た雀を絡め取る。丸々と大きな雀を間近で見てみれば、ガバリと開いた口の中から小さなチェーンソーの刃がづるりと出て来て、マフラーを切断しようとチェーンソーが高速回転し始めたのだ。
「この雀、舌がチェーンソーになってら!」
「キャァァーー!?」
そんな雀が団体様で縦横無尽に飛び回ったらどうなるか?そんなの簡単、あちらこちらを傍若無人に切りまくるのだ。
鳴き声なのかチェーンソーの回転音なのか分からない音を立てて中門が破壊され、観光客の悲鳴と共に崩壊した屋根が落ちて来て、辺りは一瞬でパニックとなった。
「楠木さん! 雀が大量に逃げた!」
「ええ、耳障りな雀がぎょうさんと。逃がしはしません」
雀が飛翔した軌道の建物も木々も、全てが切断され地面に落ちる。
この雀が人も重要文化財も密集している市街地に出てみろ、現状以上のパニックが待っている。いくら
焦りを見せた響平に対し、楠木は冷静だった。
袈裟から取り出した白い【本】の裏表紙には、橋の上で対峙する二つの影の紋章が刻まれている。片方は身軽な少年、もう片方は大量の武器を背負った巨大な僧だった。
「『己の力を試すために千本の刀を集める誓いを立てた弁慶は、九百九十九本の刀を集め、最後の一本を求め五条大橋で良い刀を持った侍を待ち伏せしておりました』……展開能力・五条大橋の幕―弁慶の刀狩り」
夜空が幕を閉じるように、辺り一面に物語の世界が展開される。
場面は夜の五条大橋。現代のものではなく、千年もの過去にかつて存在していた橋の姿だ。お眼鏡に叶った刀を差し出さなければこの橋を渡ることは許さぬと、九百九十九本の刀を背負った僧が立ち塞がる。転じて、差し出す物がない場合は決して五条大橋の先には到達できない。
つまり、彼は最強の門番なのだ。目的を達するまで、全身に矢の雨を受けて立ったまま息絶えても決して動くことはない……夜の幕に捕らえられた雀は、身の丈以上の薙刀を手にした弁慶によって斬られ、落とされたのだ。
「けったいな雀を丸焼きにでもしてあげましょか。楠木圓浄、手に持つ【本】は『牛若丸』。歴史の都に、どうぞおいでやす」
牛若丸、元服後の名は源九郎義経。
実在の英雄をモデルに書かれた絵本の物語は、時に史実とはかけ離れた描写がされることがある。牛若丸の師匠は鞍馬山の天狗ではないし、そもそも(多分)本物の天狗は存在していない。
現実に展開されたこの場面だって、実は平安時代の当時に五条大橋は存在していない。英雄たちの生涯に惹かれた者たちが、想像力を膨らませて創作した物語なのだ。
想像から創造された物語から、これまた想像を膨らませて現実に創造する。
楠木の背後に登場したのは、かの有名な義経が家臣・武蔵坊弁慶。身の丈2m以上の巨漢の僧侶は、今まで奪った九百九十九本の刀……というよりは、薙刀も熊手も槌もカウントされる九百九十九本の武器を振るい、雀を次々に落としていった。
「辺りが『牛若丸』の場面になった。楠木さん、こんなに派手にやらかしていいんスか?」
「ご心配はご無用。私の展開能力は、夜の幕に隠れた目晦ましの効果も持っています。こちらが指定したものしか物語の中に引き込みまへん。今、この場面にいるのは我らと雀のみ……周囲の人々には、何も気付かれていない」
「マジか! 一般人からの目晦まし能力って便利!」
「ええ。何せ、この都は人の目も人ならざるモノたちの目も、多いものですから」
夜の幕に包まれた『牛若丸』の場面から抜け出すには、弁慶の背後にある出口を通らなければならない。弁慶を避けた雀たちがどんなに四方八方に飛び散ろうとも、チェーンソーでも切れない見えない壁に阻まれて飛び立てないのだ。
雀たちは五条大橋の場面から脱出できないと悟ったのか、一か所に集まり出した。無数の雀が集まり、一つの大きな塊を形作っていくと一羽の巨大な雀に合体したのだ。
むき出しの舌は、身の丈以上もの長さで伸びるチェーンソーの刃。しかも舌だけではなく、両腕の翼さえもチェーンソーになっている。
それらが一斉に回転を始めると、雀の鳴き声にも似た高音が耳を劈いた。
『ヂュンヂュンヂュンヂュンヂュゥゥゥゥン!!』
「……雀ってこんなに攻撃的なモンだったっけ?」
『キャン!』
「攻撃しても、分裂とかしないでくれよ。桔梗色の
巨大雀の攻撃の標的は、この場で最もお邪魔虫である楠木だった。
チェーンソーの翼を羽ばたかせ、重そうな動きで飛翔すると、チェーンソーの舌を鞭のようにしならせて袈裟の坊主を狙う。
弁慶が鋼の熊手を手に舌を絡め取り、響平のマフラーが伸びた。
【読み手】の意志で勝手に動くマフラーは、銀河の色をしている。橋の地面に潜り込んだ『桔梗色の首巻き』が地中から創造したのは、中で火が燃える水晶のクラスターだ。尖った切っ先が地中から出現し、雀を貫いた。
幸いにも、巨大雀を攻撃しても元の小さな雀の群れに戻ることはなく、胴体と右の翼が水晶クラスターに串刺しにされたままビクビク動いている。
だが、舌と右の翼のチェーンソーを封じたが、左の翼は動ける状態だ。
残るチェーンソーを動かし、水晶クラスターを真っ二つにして逃げ出そうとした……その時だった、残るもう一つの大きな箱が、激しく動き出したのは。
『キャン! キャンギャン!!』
「どうした仁! そう言えば、こっちの箱は何が入っているんだ?」
『キャン! キャウン!』
「内側からは開けられないのか。開くぞ、仁!」
『キャウーーン!』
大きな箱の周りを跳ねながら吠える仁の姿を目にした響平は、箱の蓋に手を置いた。必死に箱の中から出て来ようとするナニか、過剰に反応する仁……もしかしての希望を込めて、蓋を思い切り開いた。
すると、中から飛び出て来たのは立派なセントバーナードだった。首には、仁と同じしめ縄の首輪と水晶の珠があった。
「
『ウォウゥゥゥゥ!』
『キャン!』
「悌」の字が浮かぶ珠は八犬士の証。仁以外の行方不明になっている七匹の内の一匹、セントバーナードの姿をした悌が、大きな箱の中に閉じ込められていたのだ。
小さい箱を選んだら雀、大きい箱を選んだら犬と、日本人だったら高確率で引っ掛かる罠ではないか。初見殺しだ。
響平によって解放された悌は仁の鳴き声に呼応するかのように遠吠えを上げると、巨大雀の左のチェーンソーへと渾身の体当たりをぶつける。
立派な体躯のセントバーナードのモデルは、物語中の八犬士たちの中でも一番の力自慢だ。その姿とモデルに違わなかった。悌の体当たりを受けた左のチェーンソーは、見事に真ん中からへし折れていたのである。
『ヂュゥゥゥゥーーー!』
「楠木さん! そのまま、抑えておいてください。必殺……」
読人が、必殺技のように火衣の炎を操っていたのを目にして、自分もやってみたくなった・叫んでみたくなった必殺技。
『桔梗色の首巻き』の両端が宙に浮かび、翼を広げた猛禽類のような形となる。銀河のマフラーに散らされた星の光が一つに集まり、黄色い大きな光となれば、星座の世界から鷲が飛び立った。
「
光の翼を広げた鷲は、巨大雀へ向かって真っ直ぐ飛び立つと、身動きの取れない雀を一瞬で刈り取った。
鷲座の姿をした光のビームは、的の大きな雀とチェーンソーを飲み込み、その場から蒸発するように消えたのだ。
「……うん。技名を叫ぶの、気持ち良い!」
『キャン! キュウ』
『ワウゥ』
妙な高揚感を残した響平の横で、仁が悌に駆け寄り、その大きな身体へ小さな頭を擦り付ける。悌は仁の身体の傷を目にすると分厚い舌でその傷を優しく舐めた。仲良しの二匹のようである。
一件落着……のように見えるが、実は何も終わっていない。
これはまだ、始まりだ。
楠木が展開能力を解除して、元の下鴨神社に戻っても、雀たちに切られた建物は崩壊したままだったのだ。
「何があったの?」
「さっき、鳥の群れみたいなのが現れて、建物が崩れたの!」
「ヤッベー! 何かの事件?」
「
「【本】がまだ、閉じられていないようですね。早百合さんも、残りの6匹も見付かっていない。まだ、続いております」
悌が入っていた大きな箱の底に、二枚の紙が入っていた。
一枚は、西京区にある首塚大明神に赤い丸が付けられた地図。もう一枚は、「88」と数字が書かれたただの紙だ。
「二つ目は、首塚大明神ということですね。こんなお遊びをしてくるやなんて、ミステリーの読みすぎちゃいますの。一体どんな奴や、雀どもの【読み手】は」
「もしかしたら、特定できるかも」
「ホンマですか、響平君」
「今、検索すれば何でも出て来る時代なんスよね。あの動画さ出て来たビックリ箱……検索したら出て来ました」
下鴨神社に来るまでの間、楠木の後ろでスマホ片手に調べてみたのだ。
検索してヒットしたのは、Hey! Tubeの動画とアカウント。若手の現代アーティストが、自身の作品をお披露目してその世界観を延々と語るというあまり再生回数が多くはない動画だった。
「シド・カメリア。きっとこいつだ」
響平のスマホ画面に映った、背の高い痩身の男。目の下に染み付いている隈が印象的だ。
そして、奴が持つ【本】の正体。雀と大小二つの箱……響平も楠木も、既にその答えは出ていた。
岩手県立
響平が通う岩手県の地方高校。偏差値も部活動の成績もごく普通の、地域に根付いた歴史だけは古い学校。制服は学ランとセーラー服。
同じ「印束」の名前の小中学校とは一貫教育提携をしており、中高合同という活動がよくある。
地域の祭事や歴史、民俗学の調査のための部活動「文化民俗部」があり、響平はそこに所属している。活動は週に二、三回あるかないか。