6月になると、梅雨入りの知らせも来ていないのに湿気が多くなった気がする。否、前髪のまとまり具合が悪くなったので、多分気のせいではない。
6月になるとやって来る高校生活のイベント。中間考査……より先に、ジメジメした湿気をぶっ飛ばしてしまうほどの熱気が生徒たちを包み込む。
耳を劈く破裂音は、全身の力で打ち込まれたバレーボール。レシーブで上げようとした敵チームのメンバーを弾き飛ばし、誰にも拾われなかったボールがコートの外へ飛んで行くと終了のホイッスルが鳴った。
「2セット先取! 2年B組の勝利!」
「っしゃぁ!」
「やったー!」
本日、暦野北高等学校は全校をあげての球技大会である。
行われるのはバレーボール、バドミントン、卓球の三種目。不安定な天候にも左右されない屋内競技のため、毎年6月の始めに体育委員会主導で開催される。
中でも最も盛り上がるのはバレーボールだ。特に、迫力と勢いで派手な試合を繰り広げる男子の試合が、毎年一番の盛り上がり見せる。
そして、読人のクラスの男子バレーボールチームが、今しがたトーナメントの初戦を突破した。
「マサー! ナイスアタック!」
「1年相手の初戦で負けられねぇよ!」
初戦突破に湧く2年B組。読人もその中で、決定打のアタックを放った正美とハイタッチを交わす。
流石柔道部の重量級、しかも下手なバレー部よりも高身長の185cm。全身を使って打たれる一撃のパワーが尋常ではないのだ。
ここで、クラス対抗球技大会のルールを説明しよう。バレーボールは男女共に6人制。時間短縮のため15ポイントの2セット先取である。バドミントンと卓球は男女共にダブルスだ。
それぞれの部活に現役で在席している生徒は、己の部活の競技に参加することはできない。三競技ともトーナメント方式で争い、全学年全クラスの総当たり戦になるのである。
初戦は1年生だったが、次の試合の勝敗によっては3年生と当たる可能性があるため油断ができない。毎年のバレーボールの決勝戦だって、男女共に3年生の対決になるのだ。
勝利に喜ぶ2年B組の隣、第一体育館の隣半分で行われている女子の試合では2年対3年の対決となっていたが、3年生が勝利していた。
「あーー! 夏月さん、負けてる……!」
「女子は2Cの試合だったか」
実はこの読人、当初は隣の試合ばかりに目を向けていたが、同じクラスの女子によって自分のクラスの試合に引っ張られていたのだ。
お前、自分のクラスより隣のクラスか。女子にそのことをバラされた読人は、勝利をもぎ取るために尽力した正美に小突かれた。
「読人君たちのクラス、勝ったんだ。おめでとう」
「夏月さん! 残念だったね」
「やっぱり3年生は強かったよ~。松元君もおめでとう。読人君は、卓球だったよね」
「うん。バレーはあまり得意じゃなくて……」
「読人! 第二体に行くぞ」
「え、まだ試合には時間があるけど」
「ずーさーの試合があるから前入りだ。さあ行くぞ!」
「ちょ、峻弥ーー!」
「……ずーさー?」
「かずさちゃんのことだ。私も行って来よう」
「ああ、剣薙の後輩か」
卓球でダブルスを組んでいる熊谷峻弥に引きずられ、バドミントンと卓球が行われている第二体育館へやってくると、例年よりも生徒の密集具合が高い。彼らの殆どは熊谷と同じ、バドミントンに出場する「ずーさー」を見に来たのである。
「そう言えば、今年の1年生にアイドル活動をしている子がいるって言っていたね」
「『フェアリーテイル』のミントグリーン担当。最年少なのに真面目保護者キャラの
「え、夏月さんの後輩!?」
「食いつくとこそこ!?」
熊谷峻弥は、小柄でふっくらしている体型と穏やかな顔立ち、それと名字からテディベアのようだと可愛がられている。
そんな彼は、大のアイドルオタクだ。今は動画サイトを中心に活動している『フェアリーテイル』がキている。ちなみに、メンバーはみんな平等に推すタイプである。彼女たちが仲良くわちゃわちゃしているグループそのものを愛しているのだ。
彼のようなファンと、マイナーでもアイドルという人間を生で見てみたいという生徒たちの視線を受けているのが、ラケットを手にコートに立った彼女、梓川かずさ。
新入生の1年生だが、スラリと背が高く大人びた顔立ちをしているため、一見すると後輩には見えない。背筋がスっと通っていて、アイドルというよりはモデルのような雰囲気の少女だ。
四方八方から視線が降り注ぐ中で、ダブルスのパートナーである少女は居心地悪そうにしているが、かずさは動じていない。やはりアイドルであるのだろうか、肝が据わっているようだ。
「この間のMバケにもみんなで出演したんだよ! 来週もBSだけどバラエティに出演予定なんだ!」
「へぇ」
「っち、やっぱり読人に布教は無理か。鈴木は片足突っ込むとこまで引きずり込んだんだけどな」
「既に沼っている人がいた!」
クラスメイトが1人、
「ずーさーが入れた! ダンスが上手いけど、やっぱり運動神経が良いんだな!」
「峻弥、落ち着いて。どうどう!」
「アイドルって聞いたけど、あんまり可愛くねーな」
「他のメンバーもぱっとしねぇし、最後は売れなくてAVじゃね」
「AVやるなら観るわ~」
不謹慎で下世話な会話が横から聞こえて来た。スマートフォンを弄りながら壁に寄り掛かり、真剣に試合をしているかずさに好奇だけの視線を向けている男子生徒2人。
『フェアリーテイル』というグループをよく知らない読人でも、嫌な気分になる会話だ。では、隣のガチファンである熊谷は……恐る恐る彼を見てみると、木彫りの熊のような無表情になっていた。
「うちと試合する3Gの奴らだな。桐山に言ってあいつらと当たるように順番を変えてもらおう」
「峻弥?」
「読人、あいつら殺るぞ」
「あ、はい」
もう一度ルールをおさらいする。卓球の試合に、現役卓球部は出場できない……そう
なので、熊谷のように中学校時代に卓球で関東大会に出場した実力者でも、今現在卓球部でなければ出場できるのだ。
「このチビデブ素早いぞ!」
「やれ熊谷! 今こそ野生を取り戻せ!」
「動けるテディベア!」
「決勝の入場曲はドルソン流すからな!」
「熊谷・黒文字ペアの勝利!」
「……俺、何もしていない」
読人は軽く球を返しただけで、全て熊谷が徹底的に殲滅してくれました。推しを侮辱した奴らには死の制裁が待っているのだ。
ちなみに、関東大会まで行ったのに何故高校では卓球を辞めてしまったかと言うと。アイドルを推すのに忙しくなったからである。
「読人君もおめでとうー!」
「ありがとう、夏月さん……って、俺特に何もしてないけどね!」
熊谷の気迫?のお陰か、2年B組の男子卓球は見事に勝利した。幸先順調である。
が、ここでトラブル発生。同第二体育館で男女のバドミントンの試合と、女子卓球の試合を終えた頃に賢哉が読人を捜しにやって来たのだ。
「読人、2Bのみんなから伝言を預かって来たよ。すぐに第一体に来て。バレーの補欠が欲しいって」
「何があったの!?」
観戦に熱中していてスマートフォンが鳴っていたのに気付かなかった。正美から大量の着信が入っている。
球技大会で読人は卓球に出場しているが、バレーボールの補欠選手としても登録されている。そもそも、2年B組の男子の人数は、出場人数よりも少ないため誰かしら正選手なり補欠なり二重に参加しているのだ。
メイン競技であるバレーボールのメンバーはバドミントンと卓球を掛け持ちしていない。それだけガチの編成で挑んだはずだったが、補欠と交代の事態が起きてしまったのだ。
「黒文字! 西田の代わりに入ってくれ!」
「どうしたの西田?」
「相手からのサーブを拾おうとして、壁に衝突したんだよ」
クラスメイトたちに囲まれている
「く、黒文字……」
「え、どうしたの西田?」
「後は、頼んだ」
「西田ーーー!!」
背景にガクっという効果音が付きそうな勢いで、サムズアップした西田がジャージ枕に沈んだ。そのまま保健室に運ばれる。
死んではいない。
「いや何で俺!? 確かに補欠だけど、数だけ! 数合わせ! そもそもバレー得意じゃないよ! むしろ苦手な部類だよ!」
「西田のご指名だし。松元と一緒なら上手くできるかな~って」
「でも、卓球もあるし」
「熊谷いるから黒文字いなくても大丈夫。後は補欠で何とかする」
「桐山、オーダー変えといて」
「勝てるならそれでいい」
「俺の存在意義!!」
男子卓球のリーダー、
「せめて運動部の補欠にして! その方が勝率高いよ! 賢哉からも何か言って!」
「別クラスの僕を巻き込まないで」
「いいから、観念しろ」
「覚悟決めろ! 俺はできている!」
「うわーん!」
賢哉の後ろに隠れたが無駄な抵抗だ。
正美に引きずられてバレーコートに強制連行され、試合再開のホイッスルが鳴ってしまったのだった。
***
ここで、視点は正面玄関前に移動する。
都立暦野北高等学校は、元は大正時代の女学校であった名残で190cm近くある古めかしい煉瓦の壁に囲まれている。中々味のある外観だが、壁の向こうへ登校するための入り口は正門の一か所のみだ。裏門や教師・来客専用の入り口もなく、自動車通勤の教師たちも駐車場から正門まで歩いて登校しなければならない。
結構不便で古めかしい造りをしている。
正門には防犯カメラを設置して用務員が随時監視。昼休み以外の時間帯は生徒玄関を施錠し、遅刻の生徒も職員玄関から出入りする。無理に生徒玄関を開けようとすれば、某警備会社へと通報が行ってしまう。
昨今の防犯事情を鑑みたセキュリティ。盛り上がる球技大会でも通常運転で生徒玄関を施錠し、生徒たちを外に出さないようにと教師たちに仰せつかっている。勿論、生徒たちにはウザがられている。
異変のない監視カメラの映像、しかも行事の日は業務も少なく暇なのだ。暇を持て余した事務員が欠伸を一つしたのと同じタイミングで、職員玄関の扉が音を立てて外側から開いた。
「ん……誰も、いない。建付けが悪くなったか?」
カメラには誰も映っていない。扉は空いたが誰も入って来ないし、誰もいない……遂にガタが来たかと、事務員は特に気にしていなかった、
だが、彼の目に見えていないだけ。扉が開いたその瞬間に高校の校舎内に不審者が侵入していたのだ。
『成功! ファーストミッションコンプリートでござるよ! いや、正直眉唾モンだったし本当に姿消えてるか不安だったけど! 本当に消えている! 透明マントの実現に成功したのである!!』
柱の影に呼吸と鼻息を荒くして喜びに打ちひしがれている透明な中年がいた。声には出していないが行動が五月蠅いので、心の声はスケスケである。見えていればの話だが。
『はっ! 喜んでいるバヤイではない。拙者には、ずーさーの生写真ゲットというファイナルミッションがあるのでち! 全ては、我が愛しのななまどのため!』
物語の背景を鮮明化するために、何故暦野北高に不審者が侵入したか説明しよう。
この不審者、所謂ドルオタである。『フェアリーテイル』を熱心に追いかけ、配信された動画は全てチェックし、リアルの地下ライブには毎回必ず最前列で参加して全力でサイリウムを振り、CDをいくら買ってもメンバーの握手会がない現実にギリリと歯ぎしりをする。
最推しは『フェアリーテイル』のブロッサムピンク担当、センター兼リーダー。グループを引っ張りメンバーを引っ張り、だけど気合入れすぎて空回りすることが多々ある愛すべきお馬鹿枠・
ずーさー加入前のデビュー当時から熱心に追いかけ、最近はメディアへの露出も動画の再生回数も、ダウンロード数もCDの売り上げも増えてきた。感涙である。
だが、ある日知った……ななまどが『フェアリーテイル』としてデビューする前に、ほんの数か月だけだがピンの地下アイドルとして活動していたということを。
ライブ会場で顔を合わせるドルオタ仲間からその話を聞いた瞬間、全身に雷が落ちた。何故、何故知らなかった!何故その頃のななまどと出会っていなかった!
聞けば、ヒラヒラロリロリな衣装で甘~くポップなアイドルソングを歌っていたという。え~見たい、超見たい!せめてブロマイドだけでも!動画だけでも!!
と、ブリッジの体勢で絶望に沈んでいたら、件のドルオタ仲間が当時のブロマイドを持っていると言った。しかもサイン入り。
言い値で買おう!!と財布を構えたが、このレアグッズに見合う対価を要求されたのだ。すなわち、ドルオタ仲間の最推しであるずーさーのレア物ブロマイド、もしくは生写真で手を打とうと宣告されたのが1週間前の話である。
なので、ずーさーの高校に侵入した。
完全オフ・プライベートの学生生活生写真を撃撮し、ななまどのサイン入りレアブロマイドを手に入れるために!男には、やらねばならぬ時がある!※犯罪です。
『フェアリーテイル』
動画配信サイト『Hey! Tube』を始めとしたネットコンテンツを中心に活動している女性アイドルグループ。
握手会などは行わない硬派な姿勢と、手を抜かないダンスパフォーマンスで徐々に知名度が上がりつつあり、先日はMバケこと『ミュージック・バケーション』に出演した。
ブロッサムピンク担当:
マリンブルー担当:
パッションオレンジ担当:
クリームイエロー担当:
ミントグリーン担当: