現在、友人とルームシェア中。
ただ、それだけ。
でも、それだけ?
たとえばそれは……。
そんな今日この頃。
私、
仕事でも私生活でも何かしらと浮き沈みはあるけれど、それでも自分なりに出来る範囲でどうにかこうにかしながら忙しない日常を平穏無事に乗り越えている毎日だ。
そんな私が可も無く不可も無くで大学を卒業したのは少し前のことであり。大学進学と同時に実家から出て始めていた一人暮らし歴も気がつけばそれなりの年数が経っていたのだけれど、実はここ数ヵ月でそんな生活が大きな変化に見舞われていたりした。
さようなら、一人暮らし。こんにちは、共同暮らし。
悠々自適な独身時代の一人暮らしにピリオドを打つ切っ掛けとなったのは、ひとえに高校時代からの友人の懇願と口車に乗せられたからだった。
「あれ? 未那ってば、まだ帰ってないの?」
「ようやく一日の仕事も終わり。退勤時間だ、お疲れ様。さあ、帰るぞ!」と思っていた矢先に突発的に発生した残業。そのせいもあって予定していた時間を大幅に超過しての帰宅だったのだけれど、住んでいるマンションの前まで辿り着いたところで自分達の部屋に明かりが点いていないことに気がついた。
聞いていた同居人の本日の予定では定時上がりの私と一緒ぐらいの帰宅だったはずなのだが、まだ帰ってないということはあの子の方でも何かしらの用事でも発生したのだろうか?
まだ学生の身の上で正職ではないアルバイトの立場とはいえ、状況によっては残業が発生して帰るのが遅れている可能性もあるが。
「お互いに急な残業か。うわッ、そんな偶然とか心底嫌すぎる」
仕事自体が嫌いなわけではないし、社会人として会社勤めをしている以上は仕方がない部分もある。とはいっても、それでもやはり好き好んで残業をしたいとは思わない。一部の特殊な事情や理由の有る人達以外は誰だってそうだろ。だけど、文句が有ろうが無かろうが、現実にはほぼ避けては通れないのがこの社会で生きる上での辛いところ。
「まあ、今日頑張ったおかげで明日の休みが潰れることもなかったし、これで明後日も含めての連休を無事に死守できたから良いんだけどね」
「へぇ、そうなんだ。じゃあ、今晩は思いっきり付き合えるよね?」
「――――ひぅッ!?」
背後からの不意の声に思わず小さな悲鳴が漏れた。
誰かが近付いてきていた気配をまるで感じていなかったから、完全に無警戒で無防備なところへの不意打ちで本当に心臓が止まるかと思った。
「み、未那!?」
「おかえり、ナツ。そうか、ナツも明日は休みのままなんだね? 残業頑張った甲斐があったね。おめでとー、ありがとー、今夜は祝杯だー、こんぐらっちゅれーしょーん」
振り向いた先にいたのは高校時代からの見知った顔。
私のことを『ナツ』と愛称で呼ぶ数少ない人物であり、特にこの数ヵ月間は「おはよう」から「おやすみ」までの過ごす機会も増えた相手。まあ、要するにルームシャア仲間として現在同居している友人――
「た、ただいま。ええっと、未那の方も今帰り? 遅かったのね? 今日のバイトは夕方までだって聞いていたけど……もしかして急に延長でもあったの?」
月明かりと外灯の硬質な光に照らし出された未那の顔。そこに浮かべている表情は不可解なほどに明るくて白々しく、ハッキリ言ってかなり不気味。私の中で嫌な予感とか警戒心が毎秒雪だるま式に膨れ上がってしまうくらいに怖い。
「ちょっとね~。寄り道をね~。あ、晩御飯まだだよね? 色々と買ってきたからね。今宵の宴は選り取り見取りで楽しめるでございますよ~。本日の晩御飯は全部わたしの奢りでございます~」
「ああ、そう。個人的には突発的な無駄遣い自体はあんまり感心しないんだけど……まあ、未那のお金だからあんまりとやかくは言わないけど」
「そうそう。文句言わない。気にしない。……で、付き合うよね? 飲むよね? てか、飲みます」
掲げられた近所にある大型スーパーのレジ袋から覗く各種銘柄の瓶や缶の数々。未成年では味わうことの許されない魅惑の飲料ではあるが、どう見てもその量が尋常じゃない。私自身があまり酔いを楽しむタイプではないし、未那の方は嫌いではないがそんなに家飲みとかを積極的にするタイプではない。その為、他の友人を部屋に招いて飲み会でも催さない限りはこんなに大量に買い込んでくること自体が珍しい。
つまり、
「何かあった?」――と言うことなのだろうけど、取り敢えずはこの場では口に出さない。
「とにかく。こんな玄関ホールにいつまでもいないで、さっさと部屋に入りましょう。半分持つから。貸して
「ありがと。ナツの優しさが身に染みる。う~ん、惚れちゃいそう」
「……ちょろいなぁ」
あからさまにしなを作る未那の手から飲料が中心に入った重そうな方の袋を奪い取り、さっさと部屋に向かうことにする。
……マンションの三階って、階段で上って行くには意外としんどい高さよね。しかも、仕事終わりの疲れた身体プラス荷物を持った状態だと尚更。
「これ、重っ! 流石にいくらなんでも多過ぎでしょ。買い過ぎなんじゃない?」
「大丈夫大丈夫。重いのは最初だけだから。飲めば減るから。無くなるから」
「いや、なんなのそれ。その台詞。どこぞのザルか呑兵衛よ。先に言っとくけど、飲み過ぎて二日酔いで苦しむことになっても助けないからね。それに確か明日は――」
「ナツ。鍵出したいから、少しだけわたしの袋も持っていて欲しいな」
ヒイコラ言いながらも階段を昇り切り、部屋の扉の前まで辿り着いたところで更に増大する私への負担。未那から手渡された袋で私の両手はもはや完全に荷物で塞がれることとなった。私のか弱い両腕は近い将来限界を迎えるかもしれない。要するに、早く部屋に入って荷物を下ろしたい。
「帰って来たよね、マイルーム。わたしとナツの愛の巣に~。禁断と魅惑の扉よ、オープンセサミ」
「何言ってるの? 未那……まさかもう既に飲んでる? 酔ってんの?」
突拍子もないことを口遊みながら鍵を回し、扉を開いて中に入った未那は履いていたブーツを素早く脱ぐとそのまま部屋の奥へ。程無くして部屋全体の照明が点く中、私は両手に持った荷物を廊下の端に一端置いてホッと一息吐いていた。
「荷物はわたしが持っていくから、ナツは先に着替えるよね? ついでにシャワーも浴びるでしょ? 給湯器の電源は入れといたから」
「ええ、出来ればそうしたいけど。先にシャワー使っていいの?」
「いいよ。その間に色々と準備しちゃうし。それに、わたしはナツと違って髪も短いし、どちらかと言えばカラスの行水派だからね」
確かに。未那の髪型はショートボブ。それもかなり短い方。その上、本人の気質なのかあんまり長湯とかもしないタイプ。
この数ヵ月でどちらが先にお風呂をいただくとかで悩んだことがあまりなかったけれど、今日のこのタイミングだと髪を乾かす時間とかも考えれば私の方を優先した方が賢明かもしれない。
「あ~。そ、れ、と、も……一緒に入る? 久し振りに裸の付き合いでもしよっか?」
…………。
「お酒とご飯の準備をよろしく」
折角の休日前だし、普段ならばゆっくりとお風呂に浸かりたいところではあるけれど、今日に限ってはさっさとシャワーだけで済ませてしまおう。冗談だとは思うけど、未那が本当にお風呂に乱入してくるなんて事態になると流石に困るし。
「つれな~い。つまらな~い。背中くらいは流してあげるのに」
いや、勘弁して。色々と疲れそうだから。本当に疲れそうだから。
仕事の疲れとは別の疲労感が押し寄せてきそうな気分を払拭すべく、自分の部屋に仕事用のバックを置いた私は早々にバスルームにとび込むことにした。
* * * * *
片や無地の七分丈シャツにスウェットパンツ。
片やハーフパンツにキャミソールの上にはサマーカーディガン。
この上なくラフな格好である。お洒落とか身嗜みとかと言った言葉とは対極に位置するその装いは、正しく部屋着姿。正しくお気楽リラックスモード。同棲中とかでもなければ、とてもじゃないけど交際中の相手とかには簡単にはお見せできないような格好。……私にはそんな相手はいませんけど、何か?
そんな“女子としての外面なんて知るもんですか”な格好の女が二人。缶チューハンとかビールとかワインとかを仰ぎまくり、未那が買い込んできたおつまみや惣菜の数々を広げて酒池肉林の宴を繰り広げていたのも半時間ほど前までのこと。
「うわぁ、日付替わってるし」
今は完全にお開きモードの延長線。随分前からぬるくなっている梅サワーにチビチビと口を付けながら、ふとリビングルームの壁時計に視線を向ければいつの間にか長針と短針の両方が時計盤の頂点を結構過ぎていた。
「未那、あんたそろそろ寝ないと。気にはなっていたけど。明日……じゃない、もう今日か。確か出掛ける予定なんでしょ? なんかバイト先の子とどっか行くって前に言ってなかった? 何時に待ち合わせなのかは知らないけど、大丈夫なの?」
崩した両足をフローリングの床に投げ出し、上半身だけをソファーの座り部分に預けた体勢の未那。
時折聞こえるのは「ウゥゥ、ウンゥン」と言った感じの唸り声だけど、それでも片手に持ったままの缶ビールを決して手放そうとしないのには恐れ入る。まだプルトップは開けられていないし、もうこれ以上は飲むことはないと思いたいけどね。
「ちょっと、聞いてるの? まさか寝てないでしょうね?」
“寝る時は自分の部屋で”――それが私達のルームシェアルールのひとつ。時に例外も異論もあるし、なんなら喧嘩や言い合いだって上等ではあるけれど、それでも基本的にはちゃんと決めたルールを守ることが一緒に暮らしていく上で最も大事なことなのだ。
「……いいの」
「何が?」
「別にいいの。出掛ける予定……取り止めになったから。なんかさ、喧嘩して別れそうになっていた相手とヨリを戻せそうなんだって。だから明日の予定は一端取り止め。元々が相談と気分転換も含めてのお出掛けの予定だったし」
「……それが原因か」
普段は家飲みを殆どしない未那がいきなり飲もうなんて言いだすから、何かしらの不満とか鬱憤が溜まっていたのは予想していた。飲んでいる最中は特におくびにも出さずにいたから、原因そのものは掴みかねていたのだけれど、ここにきてようやく吐き出したわけだ。
“傷心”って程ではないけれど、“感傷”的にはなっているのかな?
「可愛いくて明るくてすっごく良い子なんだよ。わたし的に結構本気気味だったんだけど……。でも、だからこそさ。あんな顔されちゃったら。あんな申し訳なさそうな顔で予定のキャンセルを告げてきて、でもその後に見せる嬉しさが隠せませんって顔。あれは反則だよ。しかも、そんな顔が一番可愛いっていうのものさぁ」
この子の恋愛指向は知っているし、それをどうこうと言うつもりもない。世間一般としてはマイノリティではあるのだろうけど、他人様に迷惑を掛けるものでなければそれこそ当人達の“好き”にすればいい。それに、私も学生生活の大半を女子校等と言うある意味で特殊な環境で過ごした身。なんだかんだでそれなりに身近に感じていたことではあった。
まあ、私自身はどうにも恋愛事そのものに疎い方な上に現在進行形で縁遠い身ではあるので、適切な助言なんて無理ですが。精々が愚痴を聞いてあげるぐらいで精一杯。
「わかったから。もう寝よ。ここまで飲んでいてあれだけど、やっぱりヤケ酒なんて碌な飲み方じゃないわ」
しばらく未那の口にするグチグチと覚束ない内容に耳を傾けながら残っていた梅サワーを飲み、缶が空になった時点で今回の飲み会を打ち切ることにする。
「ほら、起きて。自分で立つ。肩貸して。部屋行くから」
愚図る未那を無理矢理ソファーから起こし、半ば抱きかかえるようにしてリビングルームから未那の部屋へと連れていく。
「カーディガンは壁のハンガーに掛けておくからね」
ベッドに倒れ込んだ未那に向かって脱がしたカーディガンの所在を伝えるが、枕に顔を埋めた未那からの反応はなし。即効で寝落ちしたのだろうか?
「ゴミだけ簡単に片付けて。洗い物は……もう明日でいいか。私も寝よ」
季節的には特に掛布団とかが無くても風邪の心配はない時期ではあるけど、一応念の為にベッド脇にあったブランケットを未那の腹部辺りに掛けておく。大人なんだし、これで大丈夫だろう。何より、私自身ももうかなり眠くて限界に近い。
「ナ……ツ……」
か細い声で発せられた私の名前。
欠伸を噛み殺しながら部屋を出ようとしていた私の足が止まる。
小さく溜息を吐きながら振り返った私は、思いもよらぬ光景にその場で硬直した。
夜間モードの抑えた照明に照らされた薄暗い部屋のベッドの上、弛緩した身体を横たえた未那の眠たげに潤んだ瞳が私を見ていた。
寝返りをうった際に着崩れたのだろう。キャミソールの肩紐はその下の下着と一緒に肩からズレ下がり、形の崩れたキャミは未那の胸元付近の露出を高めている。仄かな朱に色付いた白くシミのない綺麗な肌、乱れた髪が酒気による熱と艶を帯びた頬に落ち、セピア色に染められた部屋の照明具合も相俟って非常に扇情的と言える様相を晒しだしていた。
途端、アルコール摂取で火照るのとはまるで違った種類の熱さが私の頬や耳を襲う。
「な、なに?」
上擦った声は、自分が発したものだったらしい。
私に注がれるのは、虚ろだけど熱を帯びたような視線。未那の薄く開かれた瞼の奥に覗く瞳に囚われて吸い込まれそうな感覚と、速まってゆく心臓が五月蠅くて、酔いも眠気も一気に吹っ飛んだ気分になる。
未那が美人なのは昔から分かりきったことなのに、何を今更こんなに動揺をしているのだ、私は。
「何かあるの? お水でも欲しい?」
内心の変な気分を無意識に払拭したかったのか、口調が若干早口になっているのが分かる。言い様のない焦りとかもあったのかもしれない。だから、
「……ちゅぅ」
「はい?」
次の瞬間、未那の口から発せられた言葉の意味が即座に理解できず、思わず間の抜けた応答で返してしまった。
「おやすみの“ちゅぅ”……して欲しい」
「……本気で酔っ払いの思考ね。悪酔いしてるわよ? 私の忠告も聞かずにあれこれチャンポンし過ぎだし、明日は二日酔いになるのを覚悟しときなさいよ」
心臓に悪い。
酔った上での妄言や寝言だとしても本気で勘弁して欲しい。
学生時代の様にその場の勢いだけで大抵の恥ずかしいあれこれを平然と出来ていた頃とは違う。多少なりとも酸いも甘いも知ってしまった社会人の身としては、気心が知れているだけ逆に恥ずかし過ぎる。
「ダメぇ? きっと……すっごく良い夢が見れると思うんだぁ」
「もういいから。ほら、寝て。おやすみ」
ここで絆されてしまってはいけない。
私の取り合わない様子に眠たげな顔にほんの少しだけ寂しそうな表情を浮かべる未那だけど、それも再度ブランケットを掛け直し、乱れた前髪を軽く梳くように額を何度か撫でる内に消えてなくなる。眠りの世界への誘いがすべてに勝る。
程なくして、穏やかな寝顔をした未那の静かな寝息が聞こえてきた。
「寝顔は天使ね。ほんとに」
同じ年の筈なのに、この寝顔の幼さとか愛らしさとかは一体何なのだろうか? これはあくまで未那本人が持つ特質であって、私自身が年の割に老けているとは思いたくない。
「……マジで寝よう」
いろいろと駄目だ。本当に駄目だ。
無防備すぎる未那の寝顔とかを見ていると、悪い酔いとか思考とか感情とかに誘われた挙句に取り返しのつかない行動に及んでしまいそうだ。
さっさと自分の部屋に戻って、ベッドに潜り込んで寝てしまおう。それが一番安全で、安心だ。……誰にとっても。
「――――――――」
だから、これは一瞬の気の迷いだ。魔が差したのだ。
部屋を出ようとした私の耳に再び届いた、囁きかけるような未那の寝言。
私の中の何か言い様のない琴線に触れてしまったそれに反応して、反射的で突発的な行動に移してしまったに過ぎない。
すぐに後悔と自己嫌悪に陥ってしまって、早々に未那の部屋から逃れ出る。
締めた扉を背に、掌で目元を覆って仰ぐような体勢でしばらく動けずにいる。
今の自分がどんな表情をしているのかなんて確認のしようもないし、正直言って見たくもない。
「完全に悪酔いしているのは私の方か。……最悪だわ」
背を預けていた扉から離れ、のろのろと重い足取りでリビングへと向かう。
水を飲もう。冷たい水を。顔は熱いし、喉だってカラカラだ。
目元から下ろした手の指先が微かに唇に触れる。
少しだけカサついた唇。
自分以外のものと微かに触れ合った感触の残滓がいつまでもそこに在るようで、それがどうしようもなくもどかしかった。
いろいろと模索中。
少しでも楽しめるモノを書きたい今日この頃です。