fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~ 作:七草探偵事務所
──まだだ。
“私”はその戦いを眼下に身ながら、じりじりと焼けるような気分を味わっていた。
控えめに言って、戦い、とは言えない様相だった。身の丈を超える大剣をめちゃくちゃに振り回しながら、敵陣の中を駆けずり回っているオベロンの姿は、どう見ても忙しなく食卓の上を飛び回る非力な蠅かでしかない。素人丸出しの剣筋はシャドウ・サーヴァントに通じる気配もなく、撃ちかかるたびに弾かれては逃げ回る、という有り様である。
それでも相手に捕捉されないのは、その敏捷値の高さ故のものだろう。キャスタークラスにしながら、高位のアサシンやランサーを上回る最上位の運動性能は、理外にある。実際、“私”の目を以てして、ようやくオベロンの姿を捉えられている。それほどの素早さを以て敵を攪乱する、という彼の仕事は、既にその半分を果たしつつある。
あとは、自分が打って出るタイミングだ。無線封鎖状態の現状、ベオウルフと連絡を取り合うことはできない。タイムスケジュールから、既にベオウルフが敵の背後を取っていることだけは把握しているが、あくまで推定というだけだ。この目で見ているわけではない。
攻撃タイミングは、ずばり直掩が後衛のアーチャーから引き剥がれた瞬間だ。オベロンの攻勢に誘い出された2騎のランサーが前に出た時こそ、“私”の出番だった。
“私”は待った。忍耐強く待った。時間にしてみれば数十秒から分を少し超える程度の時間だったが、その待機の時間は“私”にはひどく、長く感じた。4騎のサーヴァントを相手に死にもの狂いで飛び回るオベロンの姿に心痛を味わっていたのだ。どうしてだか、“私”は直感していたのだ。オベロンは何故か、酷くヤケクソになっている癖に、何か意地を張ろうとしているように視えた。自分を取り巻く環世界を遍く呪っているような目の奥に、何かそれと混じり切らないものがあるように。
その瞬間は訪れた。”私”勢い稜線から飛び出していった。
その瞬間が来ることは、オベロンがベオウルフからネイリングを受け継いだ時から知っていた。ベオウルフが火竜退治に用いた名剣、
即ち。名も無き火竜の鱗の前に砕け散った時に、ベオウルフという人間の覚悟が固まったのだ。故にネイリングの真価は剣の性能そのものではなく、破壊、という事象にこそあった。オベロンが振り抜いたネイリング。剣の打撃がシャドウ・サーヴァントの剣に受け止められると同時に破断して、凄まじい衝撃が爆ぜた。
ぷくりと膨れ上がった閃光は炎のようにも見えた。剣の破断面から立ち昇った火焔はさながら竜の吐息のように巻き上がり、盾を構えていたシャドウ・サーヴァントを、その盾ごと押しつぶしていく。
時は今。
箙から矢を引き抜く。白亜の神弓に矢を番える速度は迅速で、1秒と経たずに“私”は弓矢を構えた。
だが、まだ射は放たない。ぎりぎりと軋みを上げる弦の震えを指先に感じる。今この瞬間のさらに細分化された最適解まで、待つ。
セイバーらしき盾持つ厄人が轢死した。真名解放とはいかずとも、破壊と同時に効果を発揮する『
後方支援についていた直掩のランサー2騎が、前に出る。当然の判断だった。戦力が未知数の謎のキャスターに対し、前衛が瓦解しかけたらすぐにカバーに入れるようにしつつも、後衛が奇襲を受けた時にカバーにも入れる理想的位置取り。厄人たちに高度な知性らしきものは無いと考えられれているが、さりとて残留霊基に染みつく経験値は紛れもなく英霊のそれだった。
“私”は番えていた矢をリリースした。矢が射られる、という事象が唸りを上げ、秒速1000m以上の速度で宙を裂く。正確無比なまでの射は、オベロンの背後から迫っていた
(アーチャー、お前!)
オベロンの声が耳朶を打った。“私”は既に次の矢を番えていた。
4騎のアーチャーの目が“私”に向くのを感じた。あと3秒後には、“私”めがけて無数の矢なり鉄の弾が飛んでくるであろう、それは必至だった。それに対する恐れはなかった。自らに晒される暴力の気配には、むしろ“私”は果断な心が湧くのを感じた。
“私”の目は捉えている。ランサーの内1騎がこちらを向き、盾を構えてアーチャーの防御に入ろうとする様を。そしてもう1騎が“私”との距離を詰めようとするのを。“私”はそれを狙っていた。2騎のランサーが矢の射線、その直線上に並んだ時には、もう終わっていた。
めいっぱい弦を引き絞り放たれた矢は、ランサーの盾を易々と粉砕し、喉元に飛びこむ。容易に首を刎ね飛ばしてその矢の破壊力は留まることを知らず、そのまま射線上に入ったもう1騎のランサーの頭蓋を吹き飛ばしていた。
「今です、斬り込んでください!」
“私”が声を張り上げた時には、もう、アーチャーの内1騎がかち割られていた。脳天から股まで唐竹割にされたアーチャーは、消尽していた。残るアーチャー3騎がそれぞれ対応を取ろうとした間に、ベオウルフの放つフルンディングのもう一太刀が1騎を突き殺し、“私”の放ったもう一射が残る2騎の内の1騎の右腕を抉っていた。
“私”の狙いは既にアーチャーから外れ、前衛を担っていた残る2騎へと向いていた。ベオウルフに襲い掛かろうとする1騎と、逃げの気勢を見せるもう1騎。逃げる相手を追う必要はなく、“私”は遮二無二ベオウルフに飛び掛かるセイバーらしきサーヴァントのこめかみへと、射を叩きむ──。
*
「敵殲滅確認、終わったぜ」
(コマンドポスト了解。ご苦労様でした、お怪我は?)
現時点、交戦地点より西北西5mi地点。
遁走した厄人の追撃を終えた“私”は、べオウルフがナッシュビルの
無事に戦闘を終えることができた。その、安堵感。あの恐怖感……というか嫌悪感のようなものがなかったのは、何より“私”を気楽にさせていた。“私”に付きまとう厭世観とでも言おうか嫌悪感は、“私”の困りごとの種だった。
“私”がナッシュビルで為すべき義務は、戦うこと以外にありはしない。だのに戦闘に忌避感など持っていても、百害あって一利もないではないか。実際、それでネロに迷惑をかけたりもしている現状が、ある。
“私”は寝転ぶオベロンを見やった。草原の丘に寝転ぶ姿だけを見れば、爽やかな光景にも見えなくはない。だがmオベロンの顔はそれはもう、酷かった。元から病的に白い肌をなおのこと病的にしつつ、顔面には珠のような汗がウジのように噴き出ている。
オベロンの口がぱくぱく動いている。何か喋ろうとしているけれど、口が痙攣してまともに喋れていない。全く何を言っているのかは不明だが、多分耳目に堪えない罵詈雑言を漏らしているのだろう、と思う。悪罵の対象はベオウルフであろう。
オベロンに比べれば、“私”は健康そのものだ。むしろ、戦いに身を置いた“私”の身体と精神は、戦いを経て、涵養されているような気さえした。
曰く、“私”の真名は、大英雄のそれであろう、と皆皆が目算をつけている。“私”のステータス……サーヴァントの性能を数値化したものだ……は他の英霊のそれを遥かに凌駕するものであるのだという。巨人の末裔と火竜を屠ったベオウルフも相当なものだが、“私”のそれは、彼のそれすら凌駕するようだ。一時代における最強ですらある、と評してくれたのは、リツカだっただろうか。
一体、“私”は何者なのか。類まれな武勇の誉れ高きものでありながら、戦うことを忌避する“私”とは何なのか。英雄として、そのようなものがありうるのか。
”私”は何なのか。
”私“は、誰だ?
「さっきは助かった」
蚊の鳴くような声が耳朶を打った。“私”はワンテンポ遅れて、それが人の声であり、オベロンのものであると理解した。
オベロンの口元が、あえぐように動いている。チアノーゼにでもなっているのかと思うほどに蒼褪めた口唇がナメクジのように蠢動している。
「お前の援護がなくてもなんとかなったが」
宙の一点を注視しながら、オベロンが言う。何か病的な素振りさえ感じる姿は、屍にも見えた。
「宝具があるからですか」
「そうだ……『
「なんだかすごい名前の宝具ですね」
「そうだ。かっこいいだろう」
なんでか、オベロンは鼻高々である。。
「なぁ、まだお前は自分の名前はわからないのか?」
「検討はついてるらしいんですが」
「変に予断を持たせないためだろうな」
宙の一点を見つめたまま、“私”は首肯を返した。オベロンは相変わらずあらゆるもの事に無関心そうな顔つきだったが、それとなく、“私”のことを伺っているようだ。
「真なる名、ってのはどういう意味なんだろうな」
オベロンは、つと、そんなことを言った。“私”と同じように漠然と虚空を眺める白皙の男の声音は、酷く不安を想起させた。
「そのままの意味では」“私”はそう言いながらも、自分の弁舌の空虚さを感じてた。「“私”の本当の姿を現すシンボルであり、私という英雄の本質そのもの、というような」
“私”は恐る恐るオベロンの横顔を伺った。“私”の軽薄な言葉に失望しているのでは、と思ったからだった。だが。
「本質そのものか。なるほどな」
オベロンの表情は変わらない。無感動を装う無表情の顔立ちは相変わらずで、けれど、その冷たい顔立ちがほんの僅かに緩んでいる。たとえば横一文字の口元、その口角が僅かに緩み、屍色の蒼褪めた頬が、少しだけ上ずっていた。
「アーチャー。俺の名前はオベロンだ。妖精王オベロン……ブリテン島の悪意を担う魔物。それが俺の名前だ。俺の、な」
うわ言のように口遊む声音は、詩のようにも聞こえた。“私”はその声を聞きながら、何か、オベロンがとても重要なことを言っているような、気がした。
ブリテン島の悪意──オベロンがよく言う、ヴォーディガーン、という何某かのことを指しているのだろう。何故彼がその言葉に拘っているのか、彼自身は言おうともしなかった。
オベロンは閉口した。自分が言い出したことに嫌気が挿したように、目元を強く寄せている。なおのこと蒼褪めた顔色のまま、彼は身を起こした。ベオウルフは、通信を終えたようだった。
「帰るぞ。なんだ、元気そうな面しやがって」
「目が節穴なのかお前は?」
「嘘つきの口元と同じくらいにはな」
ベオウルフが手を差し出すと、オベロンは厭そうな顔をしながら手を取る。引っ張り上げられる形で立ち上がった……というより立たされたオベロンは、決まり悪そうにじろじろと周囲を見回していた。
「さっさと行くぞ、ノロマども」
さっさとナッシュビルの方へ向かうオベロン。ぼろになった蠅の翅が、風に揺られてかさかさと蠢いている。妖精王オベロン、という
「どうした?」
ぼう、と立ち尽くしていたべオウルフが“私”に声をかける。野卑な肉食獣を思わせる顔つきに知悉が浮かぶ奇妙な表情だった。
「いえ、その」
“私”はオベロンのことを、何か話題にしようとした。
「あの、“私”は巧くできていたでしょうか?」
だが、咄嗟に別なことを言った。オベロンのことを言おうとした時、何故か、彼の表情が脳裏を横切ったのだ。それは、言ってはならないことのように思えた。
「さぁな、そんなのは自分で考えろ」
ベオウルフは粗雑にそう言い放って身を翻しかけて、つと静止した。頭をぼりぼりとかいてから、彼はうんざりしたように声を漏らした。「こういうのは得意じゃねえ」
独り言の後、ベオウルフは踵を返した。
「一つだけ確認したい。確実に二射でランサーを仕留めず、まずオベロンを助けた。その根拠はなんだ?」
感情の色を感じさせない、冷厳な声音だった。見据える黄金の目は鋭く、獰猛な爬虫類を想起させる。
「オベロンがやられそうになっていました。助けなければ、と思って」
「それで?」
「ランサー2騎は一射で仕留めればいい、と判断しました」
そうか、と言うベオウルフの表情は読めない。相変わらずの冷厳な顔つきは、余人の推測をはねつけるものがある。御代より屹立する古木……バーサーカー、ベオウルフからはそんな印象を受けた。
「重ねて質問するが」
一拍、ベオウルフは待った。“私”の間を探ったようだった。
「もしお前が仕損じ、ランサーを仕留めるのに手間取ったとする。その場合アーチャー4騎の斉射を受けてお前は死に、オベロンと俺は包囲殲滅されていた。その可能性があったことは、理解できているか?」
「それは」
「ナッシュビルを構成するサーヴァントの内
“私”は答えに窮した。
ベオウルフに言われて、“私”は初めてその可能性に思い至った。“私”は善きことをしようとしていた、それは間違いないし、善き結果を生み出せもした。だが、それは所詮、結果だけに言及した物言いに過ぎない。
ベオウルフは、わしわし、と荒々しい金の髪を掻き毟っていた。
「思い至らなかったら今後は気をつけろ。今後は思い至った上でやれるようになってみせろ、いいな」
“私”は幾分か呆然と頷くことしかできなかった。自らの愚昧を恥じ、自分の短慮を責めた。次こそは巧くやらなければ、という切迫だけが、“私”の胸中に坩堝のように渦を巻いていた。
わかりました、と応えた“私”に対して、ベオウルフは幾分か無言で“私”を見やった。彼自身も戸惑っているようだった。“私”に自分の言った言葉が響いているのかどうか、測りかねているようだった。
数瞬ほどの、間。とりあえず、この場では、ベオウルフは無言の内に頷いた。“私”はそれには気づかなかった。
「ナッシュビルの諜報を担うオベロンを救う必然性は高い。お前の判断が、間違ってたわけじゃねえよ」
ベオウルフは、決まり悪そうに言った。そして、ぷいっと顔をそむけた。慣れねえんだよ、と独り言をぼやいていた。
「よし、じゃあ行くか。帰ったら飯でも食おうや」
ベオウルフは、磊落に言った。”私”は、力強くはい、と返事をした。
久々の投稿です。