波濤の記憶 ~月に叢雲、花に風~   作:COOH

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第1章 第1話 ゼロの調律

艦娘、というものになってからもう1年ほどたったとき、つまり、人類が深海棲艦に海を奪われてから1年と数か月たったときの話だ。

艦娘が行き当たりばったりな運用はされなくなったものの、計画的な損失前提での出撃は続いていた。誰もが明日生きている保証なんてなかったし、私も、そしてあいつもよく生き残ったものだ。

これは私がそんな世界で、奇跡に触れる物語――

 

 

 

「むらぐもぢゃーん!」

抱き着こうとしてきた吹雪を私は適当に突っぱねた。それでもめげる様子がないのはどうしたものか。

 

「だって、はなればなれになっちゃうんだよ!」

涙ながらに訴えられても、転属命令はすでに下り明日の朝にはこの鎮守府から出ていくことは決まっている。

「別に大して仲良くもなかったじゃない」

「そんなー!」

吹雪はこの世の終わりみたいな顔で一層大粒の涙を流す。さすがに言い過ぎたか…

「もー、吹雪ちゃんをいじめちゃダメなんだよ」

 

見かねた他の艦娘が吹雪を抱きしめて抗議をしてきた。そう、この場には私と吹雪だけじゃない。一室に収まるささやかなものながら、今は私の送別会だ。

転属する艦娘の歓送迎会など公式にはなく、身内的に行うために人望もろもろが露骨に出るが私のために開かれたのはよく言ってもささやかでしかない。それでも、友人といえる艦娘の少ない中では上等なほうだろう。聞けば吹雪が発案だとか。

 

「吹雪ちゃんからご利益もらわないと。ほら」

押し付けられる吹雪を再び雑に突き放す。

吹雪はこの鎮守府ではマスコットのようなものだ。損耗率の高い作戦で何度も帰還した、幸運のお守り。練度が低い、というよりはっきり言えばそもそものセンスがない吹雪は本人の人懐っこさもあり、オカルトにすがるしかないことが多い艦娘の中で変わった立場を確立していた。私からすれば、ばからしいことこの上ないが。

 

「明日早いし、もう寝るわね」

主賓が立ち上がるが縋り付いてまで止めるのは吹雪だけだ。私がいなくてもこの部屋で談笑もばか騒ぎも続く。昨日も今夜も、そしてこれからも。

 

 

 

 皆が寝静まった部屋で音をたてないように気を付かながら荷物をまとめる。もともと少ない私物はすでにほとんど運び出されている。

転属は陸路で行うのが普通だが、私の場合は場所が場所だけに海を自力で渡っていく。荷物は後から送られるらしいが、もしかして私が輸送護衛するのだろうか。使うものにこだわりなどないから配属先で調達できるならそれでいいのだが。

 窓から月明りに照らされた景色を見ても、特にこみ上げてくるものはなかった。艦娘になってから1年過ごしても何の感慨も得られない、それが私のここでの生活だった。

 

 

提督と形式ばかりの挨拶が終わった。特に思うところはないようだったが、誰かが沈んでいく日々だ。船の一隻が手元から離れたぐらいで感傷に浸るなら提督などやっていけないのだろう。

 

本当に最低限が入ったバッグを背負い海に出る。さすがに誰もいない時間だが朝の静けさを好ましい…と思っていたのだが、無粋な砲撃音が聞こえてきた。訓練場からだが、この時間の訓練は行われてなく、記憶を裏付けるように砲撃音は1つだ。

「…なにやってるのよ」

針路上にあるから隣を通っただけだが、思わず声をかけてしまった。膝に手を付きうつむいていた顔を上げて、汗にまみれながらいつもの笑顔を向けてきた。

 

「叢雲ちゃん。ちょっとね…」

吹雪は体を起こしてこちらに向かってくる。

「ちょっとって、あんた今日出撃あるんでしょう?」

そんなこと、私はなぜ知ってるんだろう。よぎった疑問も吹雪本人に問われることがなかったので隅に追いやる。

「ほら、私へたくそだから…頑張らないと」

普段が何もない訓練海域に規則正しく配置された的は、それだけで昨日今日の思いつきで訓練しているわけでないのが分かる。出撃の有無など関係なく、これが吹雪の習慣なのだ。

 

「でも、なかなかうまくならなくて…」

砲弾の跡がほとんど見られない的を見回してへらへら笑う吹雪を私は冷淡に見てしまう。射撃の精度以前に、そもそも航行すら不安定だ。いつから続けていたのかは知らないが、努力は報われないものだと思い知らされる。結局吹雪の役割は幸運のマスコットでしかなく、それも私から言わせれば――

 

「叢雲ちゃん…」

吹雪のいつもの顔がゆがみ、代わりに表れたのが何かを理解する前に吹雪が抱きついてきた。身長がわずかに高いだけの私では叶わなかったが、顔を見られたくなかったのだろうか。吹雪の揺れ幅についていけず突っぱねるタイミングを逃す。

「みんな…いなくなっちゃって…!――さんも…――ちゃんも…!」

せっかく隠そうとした顔以上に、とぎれとぎれの声が如実に伝え、ようやく私は悟るのだ。

吹雪が泣いていることを。

 

羅列される名前は聞き取れなかった。当然だ。私はその名前を忘れているのだから。あの提督と一緒で、いちいち感傷に浸っていたら艦娘なんてやってられない。

「運がなかっただけよ。あんたと違って」

どこまで本心か分からないまま出てしまった言葉を吹雪は必死に首を振って否定した。

「違うよ!だって、私が役立たずだったから…!私の…せいで…」

何も考えられずに押し黙る。いや、言葉を返す資格などなかった。

 

――どうして気づかなかったのだろう。

吹雪が背負うものを、その重みを。吹雪が分かっていないと、私だけが分かっていると決めつけていた。そんなことあるはずもないのに。

幸運なんてものはない。まともな航行すらできない吹雪が生き残り続けたのは、代わりの誰か、守ってくれた誰かがいたから。生きてほしいと願った1人から繋がった意思の集積が、幸運の偶像だ。

だから、吹雪が見てきた海は仲間が沈んでいく戦場ではない。自分のせいで仲間が沈む辺獄だった。

 

それでも笑っているのが、どうしようもない苦痛に気づかないふりして笑いかけるのが吹雪の強さなのだ。ようやく理解してそれでも――

「わたし…いなくなったほうが、いいのかなあ…」

涙が止まった代わりに決壊した小さなちいさな声に、気が付いたら吹雪を突き放してしまっていた。うつむいた下でどんな顔をしているのか、怖くて見れない。

「知らないわよ」

言葉を探すことすらできなかったからこそ、それがまぎれもない本音だ。力がなくては、あったところで一瞬の油断で死ぬ世界で吹雪が生き残れているのは多くの者が望めなかった幸運だ。それが嫌だというなら――

「強くなりなさい。私が言えるのはそれだけよ」

 

鎮守府の港が見えなくなった沖で立ち止まり、それでも振り向けなかった。

悲痛も苦しみも無視して、先を信じてただ愚直に進み続けることが吹雪の強さなら、私が見たのはこぼれた弱さだった。それを吹雪が見せてくれたのは仲が良いとか信頼とかじゃなく、ただ私が遠くへ転属になるからだ。相手の悲しみも、自分の苦しみさえも気づいていないふりをする吹雪にとって、もう会うことのないかもしれない私は唯一押し込めた感情をぶつけられる相手だった。

 

なのに、そこまで分かっていながら私は優しい言葉の一つもかけられない。

「だから私は――」

吹雪に感化されたかのようにつぶやきかけた言葉を心の中にすら出さずに押し込める。最悪の気分で、もう二度とは見れないかもしれない慣れ親しんだ海を去る。

 




最近Pixivの公式企画「魔法契約とその代償」にも投稿しました。
作風はだいぶ変えていますが、興味を持たれましたら読んでいただきたいです。

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=13906570
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