「あんな言い方はないだろう」
隣で歩く木曽は少し遠慮気味に、でもはっきりと苦言を呈してきた。軍刀を腰につけると眼帯も相まってなかなかに凛々しい。前を行く私がそれを見ることはないけど。
「ほっといてよ」
「そう言われてもな…」
木曽はぼやきながら刀の柄をいじる。
「お前は何がしたいんだ?」
しばしの沈黙の後、木曾は独り言のように問うてきた。私が振り返ると、前になにか言いたそうだったから、とさして普段と変わらない表情で弁明する。
「…あんたはどうなのよ」
どうせ理解してくれない答えを隠したくて問い返す。木曾はおそらく初めて考える質問に目線を宙にあげた。
「俺か…姉ちゃんたちが、って言っても球磨型のだが、いるんだがまた一緒に暮らせればいい」
木曾が姉ちゃんなんて言うのにすごく違和感があった。そう思われているとは露とも知らず続ける。
「だが俺はこうして1人転属になったわけだ、こんな状況では仕方ないが。だからまあ、天龍たちと同じなのかもな。世界、とまではいかなくても余裕が出来れば同じ鎮守府に配属させてくれるかもしれないからな」
「それでいいの?」
淡々と語られるささやかな願い。
私はもう戻れないけれど。戻るつもりもないけれど。
「艦娘になる前の生活だって、家族だって――」
「いねえよ」
木曾が遮ったのではなく、勝手に詰まった私から引き継いだ。木曾は柄から離した手を眼帯に重ねる。
「港町に住んでたからな。深海棲艦に襲われて何もなくなった。それから海軍に拾われて艦娘だ」
「なんでそんな平然としてるのよ。あんただって深海棲艦(あいつら)に奪われたんなら、取り返そうとか思わないの!?」
「別に今時よくある話だ。なくなったものが取り戻せるわけでもないからな」
相変わらず私を遮りもせず、否定もしない。だからこそ、私は否定される。
「よくあるって…」
「天龍と龍田も似たようなものだろ。あいつらも前にいた泊地が壊滅してる」
「なんであんたがそんなこと…」
「ちょっと調べれば分かることだ。別に隠していることじゃないからな」
深海棲艦の侵攻を遅らせることさえ精一杯だったころ、戦力が薄い泊地も防衛に失敗した港も当たり前のように壊されていった。だから正しい。ただのありふれた悲劇でしかない。でもそれは観客席から見た景色で、舞台で演じられているのは替えも繰り返しもない人生だ。そのはずだった。
「なんで、そんなこと言えるのよ…」
過去を忘れることも、目のまえの幸福で満足することも、無関係だから見える選択だと思っていた。
悲劇の当事者であるはずの私の願いは、誰にも理解されない。同じ景色を見たはずなのに。
小さくなっていく背中を見送る。手はまた刀の柄をもてあそんでいた。
よくあること、などと言えるようになったのはいつからだろうか。艦娘になっても泣いてばかりいた自分を、姉たちが囲いだしてからのいつか。優しさとは程遠い扱いで振り回される日々で気が付いたら泣き止み、笑っていた。
だから願いはそんな姉たちと一緒にいること。それだけで良かった。
たぶん自分は幸運なのだろう。悲劇はそこらじゅうにあふれていても、幸運は落ちていてくれない。
「お前はどうなんだ?」
もう見えなくなった相手に問いかけても意味はなかった。
幸福の享受を否定した彼女は、尊大な夢も認めない。揺れて崩れそうな背中を幻視し、始めの問いを繰り返す。
「どうしたいんだ?」
日向が報告の終わりを告げた。それを受けて労いの言葉を返した。
「そうか…」
わずかな疼痛を感じながらその先を思案する。戦争が始まった夜にも感じた、でもどこか異なる痛みの感覚の正体はもう知っていた。
「無理をさせた。とにかく君たちが無事であるのはなによりだ」
結局のところ、当たり障りのない定型句になった。
無事、とは何だろうと自問する。適切な対処をすれば艦娘の傷は修復する。だが感じた痛みは確かにあり、それは本来少女に負わせてはならないもののはずだった。
自答はできずにいたが、伊勢は首肯した。悪戯気な笑みを控えめに見せる。
「お嬢さんも元気にやってますよ」
伊勢が言うお嬢さんとは叢雲のことだ。もちろんこの場だけの言い回しだろうが。
「心配なさるならお会いになればいいのに」
よっぽど顔に出ていたのだろう。何と言ったものか探しながら無意識に顎の髭をなぞる。子供以上に世代の離れている目の前の少女達には、こんな癖もばれているのだろうか。
命令1つで死地に追いやる責任に慣れたことなどなかった。だが、どれほどの痛みがあろうとも誰かが負うべき業であればそれを受け入れる覚悟があった。死を命ずる者が仲間であろうと部下であろうと、本来守るべき少女達であろうと覚悟は変わらない。
だが、目の前の艦娘を近接戦という任務にさらすのはその覚悟で許されるものなのだろうか。
どのような名目を並べようとも、彼女達を危険にさらしている理由が剣術への、故郷への妄執であると否定できなかった。同じ願いを持つはずの叢雲。答えが見えないままで会えば、また傷つけてしまうだろう。それが怖かった。
「伊勢、あまり軽率な発言は控えたほうがいい。元帥も考えがあって――」
「ねー、ひゅーがー」
2人になった帰り路、誰に配慮したわけでもないが形式的に呈す苦言は気の抜けた声で上塗りされた。いつものことだ。少し先を行く艦籍の上での姉は両手を頭の後ろで組んで空を見上げている。
「私さ、ラッキーだと思ったんだよね」
何が、が抜けた文の意味を聞き返さなかったのは、たぶん同じときに同じ感想を持っていたからだ。
「戦艦って大変じゃん?旗艦だけじゃなくて、小さい子の面倒を見たり出撃計画立てたり。それが特殊な配属とはいえ、一艦隊世話するだけで済むんなら楽でいいなって」
日向もいるしね、と漏らしながら組んだ腕を高く掲げて伸びをした伊勢はあくびをした。
「思ってたのにさ。なんか、めんどくさいね」
「ああ」
一字一句すべてに同意した。姉妹艦は気が合うというが、少なくともこの場では事実のようだ。だからわざわざ言うまでもなかったのだろうが。
「だが、乗りかかった船だ」
おう、と腕を突き上げた同意が返ってくる。少しだけ振り返ったその顔に笑みが見えた。試合をしていると覗かせる、いつもの笑みだった。
「航空戦艦が万能なのは戦闘だけじゃないって見せてやろうじゃない」