「ここが、ねぇ…」
最悪の気分をひきずったままの航海は終着点で困惑に変わった。海図を渡された時点で離島であることは分かっていたし、提督も何もない島と言っていた。一応私も女の子だからそう言われて楽しい気分になるはずがなかったが、人類が抑えている海域の最前線であるのだから前線基地として要塞化された島だと勝手に思っていた。だれもそんなこと言っていないのだから、本当に勝手に。とはいっても…
「どこから上陸すればいいのよ…」
軍港すらないのはどういったわけか。鎮守府では出撃と同時に自動的に艤装が取り付けられ、帰還時にパージされる。ただの漁港で上陸するときにどうすればいいか、私は知らない。 さすがに疑わしくなり島の名前でも尋ねようとしたが誰もいない。…ただの、ではなくさびれた漁港だった。
「で、これなのね」
困惑はいつの間にか諦観に変わっていた。
仕方なく近くの砂浜から上陸し、陸では効力を発揮してくれず重くのしかかる艤装を身に着けたまま、ようやく最終目的地に着いた。これまた勝手に思い描いていた司令部とは違ったが、もうここが目的の島だと疑えなかった。渡されていた島内の地図と実際の景色が同じだったから。防衛上の観点から伏せられているだけと思っていた空白も本当に空白だった。
だからといって、たどり着く先がただの民家だと予想するのはさすがに無理だ。教えられた提督の名前をはじめに見るのが表札だとは…
「あのー…」
立派だが古ぼけた構えの玄関のチャイムを押すも音が鳴らない。諦めて引き戸を引くと普通に開いた。無防備にもほどがある。まあ泥棒もここまでこないだろうけど。
土間と廊下の段差の大きく、大樹を輪切りにしたつい立てが無意味に置いてある。絵にかいたような、といっても本当に映画でしかみたことがない古民家の玄関を眺めていると、お婆さんがゆっくりと現れた。
「本日付で――」
着任の定型句を言いかけて止める。どうみても軍とは関係のなさそうな老婆は案の定不思議そうな顔をしている。だから
「あの、有賀さんのお宅でしょうか…?」
「はい、そうですよ」
そりゃさんざん確かめたからそうでしょうよ。聞いたのは私だけど。
別の定型文を使ってしまったが、とにかく目的の場所であることは再度確かめられた。
うん、ひとつ前進。
「ここに配属になった叢雲、あ、艦娘なんですが」
私自身違和感があるほど場所とマッチしない発言だが、お婆さんは合点いったのか表情が明るくなった。
「ああ、艦娘さん。どうぞ上がってください」
あ、いけるのね。
普通に勧められるままに土間から上がる。足回りをパージするついでに背負った艤装も土間に置く。さすがに放置は心配になり玄関の鍵をかけようとするが、かけ方が分からない。道中誰も見なかったので大丈夫なんだろう。艤装を盗む意味もないし。
「あんた、艦娘さんがきてくれたよ」
広い家の廊下沿いをきびきび歩きながら誰かを呼ぶ。少なくとも艦娘の存在は受け入れられているようだが。
「もうか。明日だと思っていたんだがなあ」
広い家の更に広い庭で座り込んでいた白髪の、おそらくこの家の主人が頭を掻きながら立ち上がる。おそらく夫婦だろうから同じような年齢だろうが、目の前の老婆と比べれば若く見える。若いというより威圧感があるというべきか。鍛えられていることが見て取れる筋骨に白髪、それに合わせるように伸ばした髭。それだけで十分だろうに、右目に眼帯だ。時代錯誤にもほどがある。
ともかく姿勢を正してしまったので流れで敬礼をする。
「本日付けで着任しました、駆逐艦叢雲です」
「有賀だ。よろしく頼む」
私は慣れてないのがすぐばれる敬礼しかできなかったが、返された敬礼はほれぼれしてしまうほど堂に入っていた。が、背後の家庭菜園で伸びる夏野菜が台無しにし、
「まあのんびりしていってくれ」
「あら、叢雲ちゃんっていうの」
夫婦そろって親戚にかけるような言葉で無に帰した。なんなのその適当さは?
私のリアクションを見て合点がいったのか、有賀は縁側に上がって障子を開けた。広い部屋のど真ん中の大きな机に向かい合って座る。出された麦茶でもう消え去った軍隊感が徹底的に潰される。
「来てもらってなんだが、なにもしてもらうことがなくてな」
口に含んでいた麦茶が一気に嚥下されて呼吸ができなくなった。髭をさすりながら申し訳なさそうに言われても。
「どういうことよ!」
せき込みそうになるのを必死にこらえながら問いただす。水滴で濡れるガラスコップを落としそうになって慌てて掴みなおす。
「どうもなにも、ここが泊地になったのも今からだしな。俺もこれで提督になったから、いずれ何かしらの通達は来るだろう」
なんてことだ。そう、私はここまで来てもまだ前線基地なんて妄想を捨てきれてなかった。正式にはどうなのか知らないが、港と艦娘と提督がいれば泊地や鎮守府だ。それすら満たされていなかったということは――
「私1人なの…?」
聞いてなかったのか、と言いたげに片眉を上げられてもこくこくとうなずくしかない。
あの提督、感傷がどうとかのレベルじゃなくいい加減だった。
「あんたそれでいいの?」
あからさまな閑職だ。私だって別に艦娘であることに誇りを持っているわけじゃない。だが今まで生き残り任務を果たしてきた自負はある。軍が取り繕うまでもなくどうでもいいと思っている離島に独りで飛ばされるなんて屈辱だ。だが目の前の老人は情けなく頭を掻くだけだ。
「俺はもう引退した身だからな。この島に戻ってきて隠居してたら提督になれと言われただけなんだが」
なんなの、これ。家に馴染む老人を見てやっと気づく。提督としてこの島に来たわけでなく、この島に都合よくいたから提督となったのだ。本土防衛に返り咲く気概どころか飛ばされたという意識もない。まあ、実際に飛ばされたわけじゃないから当然なんだけど…
「じゃあ私はなにすればいいのよ」
「ひとまず近海の哨戒ぐらいだろう。単艦で戦闘することはないからな」
そりゃあそうなるわね。…なにもしないのと同義だけれど。
あきれていたこの時の私は、有賀という老人が海軍でどの立場にいたのか尋ねようともしなかった。そもそも軍人だったことも忘れていたから、艦娘の当たり前を当然のものとして言い切ることに違和感を覚えなかった。
この家基準で小さめ、つまりずっと相部屋生活だった私にとっては広大といえる部屋を私室としてもらった。自由に使っていいといわれても、バック1つで来た身としては着替えを隅に置かれていたタンスに入れてカスタマイズはおしまいだ。
やることもなく座り込んでいると夕飯に呼ばれた。こんなものしかないけど、と言われたが刺身を見たのはいつぶりだろうか。
海上輸送すら手が足りていない現状で漁などできるわけはなく、食糧が優先される艦娘でさえ新鮮な魚介は貴重品だ。奇特な艦娘たちがサンマ漁を大々的にする計画を立てているらしいが…
老夫婦の話に適当に相槌を打ち、久しぶりに1人でお風呂に入ると、いつの間にか寝る時間になっていた。訓練や任務を除いて規則正しい生活をしている艦娘にとっても田舎の夜は早い。
「おい、布団が足りないぞ」
有賀が押し入れを開けて尋ねても当然のように返される。
「あなたが叢雲ちゃんは明日来るって言ってたから洗いに出しちゃいましたよ」
そういって二人分の布団を敷いて枕をぽんぽんと叩く。なるほど、この島にクリーニング屋はあるのね。
まだ現実を受け入れられていない私は、明日船から降ろされる布団を見ることを知らなかった。
「叢雲ちゃんはこっちにどうぞ」
もう一方に入る気まんまんの妻をみて有賀は仕方なさそうに畳に寝ころぶ。初対面の夜にこれはさすがに気が引ける。
「いいのよ。あの人、体だけは丈夫だから」
そう言われてもまだ夜は冷え込む季節だ。よっぽど気まずそうな顔をしていたのか、布団の半分を開けてくれた。
「じゃあ叢雲ちゃんは私と寝ようね」
言われるがままに布団に入ると、電気が消された。
なにもかもが変わってしまった1日に混乱しながらも、1つだけははっきりしていた。
私はこれを受け入れられないことだけは。