通信が入ったことを知らせる電子音が鳴り、亜庭は目を向ける。執務室の椅子にだらしなくもたれかかったまま少しばかりの時間が経ち、まだ秘書艦が来ていないことをようやく思い出す。
「最近たるんでんなー」
頭を掻きながらのそのそと体を起こして立ち上がった。口ではぼやいてみたものの、別に咎めるつもりはない。どうせ大した仕事などないのだ。秘書のすることなど、せかし続けるこの通信に出ることくらいか。
「はいはーい」
亜庭が直接出たことに軽口どころか驚いた様子も見せないあたり、かなり急いでいることが分かる。そのつもりで聞くと砲撃音が聞こえてくる。それだけで状況は分かった。
「撤退していいよ」
だから状況報告を聞き終わる前にさっさと指示を伝える。リスクとその見返りを天秤にかけるための判断材料など必要ない。だとしても、それは亜庭だけの判断だ。現場で任務を遂行する艦娘にとって、それは失敗を意味する。
「別にいいよ。誰かが死ぬわけじゃないしさ」
これは大陸との輸送任務。深海棲艦が現れる前から海上輸送のほとんどは無人船で行われていたし、今では物資の輸送は完全に無人になっている。だからそれの護衛任務を放棄したところで人命が失われるわけではない。そんなものを守るのに少しでもリスクを負うなんて馬鹿げてると亜庭は思う。
提督とは便利な立場だ。どんな命令でも従ってくれるのだから。
「んじゃ、気を付けて帰ってきてね」
それだけ告げて通信を切る。椅子への短い帰り道の途中でコーヒーを淹れる。インスタントなのでお湯を注ぐだけだが。
再び椅子に深くもたれかかって息を吐く。
誰も死なないなんて希望的で安易な考えでしかない。誰もいない船が運んでいたのは誰かの資産であり、物資の不足するこの国でのそれは命に等しいものだったかもしれない。そんなことは分かっている。分かっているから輸送部隊は撤退に反発したし、分かっていながら亜庭はそこに頓着しなかった。
コーヒーをちびちびとすすりながら引き出しの奥を探る。ずいぶんと奥に隠れていた、存外久しぶりの感触が指に触れた。
沈むのが怖いのか、沈めるのが怖いのか。諦観と保身と自虐が混じった心のうちでは正しい判断など出来ないだろうに。
つぶれた箱から煙草をつまみ出した。数回からぶった後にともったライターから熱が移ると喉に煙がなだれ込む。
小さな咳を出して肺は情けなく抵抗する。こんなものでは鉄と同化したからだを害なすことはできないはずなのに、律儀に人だったころの反応をしてくれる。
ドアを叩く音がする。返答を待たずに入ってくるのだろう。
今日の秘書艦は誰だったっけ?
ゆっくりと息を吸い、今度は肺まで毒を送り込む。
できもしないと分かっているくだらない自傷を、彼女は叱ってくれるだろうか。