雨は嫌い。雨にはいい思い出がないから。外に出る気はなくなるけれど出撃がなくなるわけじゃない。私は嫌いな雨をぼんやりと見ていた。窓の向こうで、屋根から落ちた雨粒に葉っぱが叩かれて規則正しいリズムで跳ねる。別に面白くはないけど、暇に飽かしてなんとなく眺めていた。
「叢雲ちゃん…」
「どうしたのよ、夕立」
窓に映る姿を見るまでもない。なんならなんで話しかけてきたかも分かっていた。でも、夕立は律儀に応える。
「その…やっぱり、改二――」
「やめなさいって言ったわよね?」
雑に遮っても、今度は黙ってくれなかった。
「でも、夕立も…叢雲ちゃんの力になりたいから――」
「なんでそこまでするのよ」
嬉しいのは本当で、今ここで諦めずに居られるのは吹雪や白露や、夕立のおかげだと思う気持ちに嘘はない。だけど
「私には分からない。なんでここまでしてくれるの?」
ただの親切で済む話じゃない。沈むかもしれない。何かあったら、何もなくても。
私には願いがある。私のすべてを捨ててでも手に入れると誓った願いが。でも、夕立にはそんな理由がない。それでいい。そこまでして戦わなくちゃいけない理由なんてないほうが。
「言ったわよね。命を賭けるほどのものがないのは――」
――ああ、そうか
「叢雲…ちゃん…?」
雨は嫌い。どんな天気だって出撃することには変わらない。雨の中釣りに行く気はしないし、洗濯物は乾かない。雨音しかしない景色を見ていると私の中の声が聞こえる。大っ嫌いな私の。
でも、どんな天気だって楽しそうに出撃する奴も、めんどくさそうにする奴もいる。行く気がしなくても引っ張り出されるし、洗濯物は油断すればどのみち溜まる。雨音を静かに聞いたことなんていつ振りだっただろう。
少しずつ、気づいたら変わっていた。おじいちゃんが戦わせる責任を背負ったように。そして私が背負ったのは――
――そうか、私はいま――
「幸せ…なんだ…」
受話器を取って、散々押してきた番号を押した。聞きなれた音が途切れて聞きなれた声が聞こえた。でも今までは、電話越しで話すことなんて会いに行く予定を伝えるくらいだった。なのに、こんなことを顔も見ずに伝えないといけない。…それでいい気がした。
「あのね、おじいちゃん――」
もう恒例になってしまった集まりは一応真面目な出だしで始まる。けど、結局作戦なんて実際の部隊編成と運用に合わせるしかないのだから考えられることは少ない。せいぜいいろいろなパターンを考えておくくらい。
「時雨ってスキあらば私から1番奪おうとしてない?」
「言いがかりだよ。これだとほら、僕が先に動いたほうがいいじゃないか」
「ねえ――」
自然に呼びかけようとしたのに声は震えていた。唾を呑み込んで息を整えてみても、代わりに心臓の鼓動が鼓膜を打つ。
「もう、やめない…?」
「叢雲ちゃん?」
首をかしげる吹雪からは私のどんな顔が見えたのだろう?ごまかすように急いで息継ぎを終わらせる。
「やっぱり、こんなの…命令違反になるのに、おかしいわよ。だから、もういいじゃない、こんな危ないことしなくても…」
「――私、戻らない。ここに、おじいちゃんと一緒にいるね」
島を奪われたあの日とは違う。泣く必要なんてない。
あの日誓った言葉に嘘はない。でも、もっと大切なものが出来た。諦めてもいいと思えるだけのものが。天秤のかけることができない人たちが。
言いたいことはたくさんあった。私は今、幸せなんだというつもりだった。けど、
「そうか」
その声に頷いた。穏やかな、安心したような息遣いが伝わる。おじいちゃんは分かっていたのかもしれない。ただ心配してくれていたのかもしれない。だから、何も言わなかった。
電話を切る。嫌いじゃない雨が途切れて覗いた青空を見上げた。
なんてことはない。ただ、夢を見ていただけ。
――ちっぽけで誰も理解してくれない長い永い夢が覚めただけ。
「でも――」
「でももなにも、沈んだらどうしようもないでしょ?あんたたちにあげられる見返りもないしね」
終わらせようとしてるのに――
「だからもういいの」
「どうした?お前らしくねえじゃねえか」
「心配しなくてもあんたとの約束はちゃんと守るわよ。世界を救うってのはあんたの満足するまで付き合ってあげる」
「んなことじゃ――」
「勘違いしないで。別に諦めたわけじゃないわよ。何年後かもっと先か、いつかはチャンスが来るんだから。その時は付き合ってもらうから」
「…わかったよ」
終わったと思ったのに――
「ほんとにいいの?」
「吹雪…」
なんでそんなこと聞いてくるの?
「だって叢雲ちゃん、帰りたいって言ってたでしょ。私は見たことないけど、叢雲ちゃんにとってすごく大切なのは分かるよ」
「だから、別に今じゃなくても――」
「でも叢雲ちゃんずっと頑張ってたのに。ここに来てから、毎日練習してたの見てたよ」
吹雪は私の手を広げる。ぼろぼろになって硬くなった手のひら。おじいちゃんといたころは、あの島にいたころは、血が出るとおばあちゃんに薬を塗ってもらってまた練習ができるようになるまでを待ち遠しがっていたのに。痛みに耐えて、無力さを突きつけられながら歯を食いしばって振り続けた日々のほうが長くなってできた、血が馴染んだ手。
「ほんとうにいいの…?」
「いいわけ…ないでしょ…」
終わったと思ったのに、終わらせようとしてるのに。
「いいわけないじゃない!あの島に帰りたいって、ずっとずっとそれだけ考えてきたのよ!それだけが私が戦う理由だったのに!」
私はなんでこんなこと叫んでるの?
「あとちょっとなのに、目の前にあるのに!いつか、なんて思えるわけないじゃない!」
こんなの、ただのわがまま。だから叫んだところで答えは変わらない。
「でも、できるわけないじゃない!私だけで良かったはずなのに、なんであんたたちがいるのよ!なんで助けてくれるのよ!」
――違う。こんなことを言いたいんじゃない。諦めてもいいって思えるくらい
「全部無くなってもいいなんて、あの島さえ取り戻せればいいなんて、思えるわけないじゃない!」
私は幸せだって、ありがとうって、言いたいのに。言わなきゃいけないのに。
「だからもう諦めさせてよ!」
ぐちゃぐちゃになった頭で、気づけば逃げ出していた。
「叢雲ちゃん!」
吹雪が叢雲の後を追うのを眺めた。それ以外、何もすることはない。
「日向、どうするの?」
隣で伊勢が体を伸ばす。答えが分かっているのにわざわざ聞いてくるのは伊勢のいいところであり悪いところである。どうするもなにも、とぼやきながら立ち上がった。
「聞いていた通りだ。私達の勝手で悪いが、これで解散だ。通常任務で共に戦場に立つときはよろしく頼む」
「ちょっと待てよ!」
「深雪ちゃんっ――」
白雪が深雪の袖を引っ張るが、それも控えめだ。号令に従ったのは、刀を携えた者だけ。
「なんでそんなこと言えるんだよ!だってあいつ、泣いてたじゃんか!叢雲は日向さんたちのこと、仲間って言ってた!なのになんで――」
「仲間だからな」
理由はそれだけだ。互いの願いを確かめたときから、仲間になった。
「互いに協力する、そういう約束だ。それは契約であり、言葉の裏を読んでまで勝手な事はしない。それが仲間であり、私達の信頼関係だ」
「なんだよ、それ…」
理解できないのは当然だ。あり方の根本が違うのだから。だから腰を下ろす。
「だが君達は友達だ。友達とは勝手になるものだろう?」
叢雲がそれを手に入れたことに安堵も嬉しさもある。でもこの感情の一番は悔しさなのだろう。
「だったら勝手にすればいい」