波濤の記憶 ~月に叢雲、花に風~   作:COOH

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閑話③

「て・い・と・く」

いいかげんに耐えがたくなり、掃除を終えたはたきで机をたたいた。目の前で埃が舞っても、当の本人はめんどくささを隠そうとせずに椅子にますます沈みこむだけだった。目の前にごっそりとたまった仕事からはますます遠ざかった。

「昨日の夜はほとんど終わっていたと三隈から聞いていましたのに」

「いやいやくまのん、そんなこと言ったってさ―」

「口を動かす暇があったら頭を動かしてくださらない?」

掃除用具を片付けながら、聞かせるためにため息をつく。いつものことだからあきれるといった感情もわいてこないのが実際のところである。そしてその心情はもちろん相手も分かっているのだから効果は薄い。

どうしたものか、と思案しながら来客用ソファに座る。提督が頭を抱えてもだえる様子を眺めながらティータイムにするのがもう習慣になっている。

 

「今日一日どこで遊んでいましたの?」

もう日は沈もうとしているのに。

「明日にでも大規模作戦なのでしょう?こんなことではなんの戦果もあげられませんわよ」

「ああー…そのことだけどねー」

「てーとく!」

扉が吹き飛ばされそうな勢いで開いた。

「鈴谷!?いったいなに――」

「提督!どーゆーこと!?」

思わず壁を背に着くまで退いた熊野を無視して鈴谷は、ドアを開けた勢いのまま提督の机をたたく。

「そんな大声出さなくてもいいじゃんかよー」

「今回の作戦に出ないって、マジで言ってんの!?」

「――それ、本当ですの?」

思わず立ち上がって、気づけば提督の前に来ていた。だが肝心の提督は2人の様子を見ても少し体を持ち上げただけだった。

「ほんとほんと。別にあたしらが参加しようがしなかろうが大した影響ないしさ」

「そんなこと言ってっから鈴谷たち、田舎暮らしの弱小鎮守府ってバカにされるんじゃん!」

「頑張ってもここが田舎なのは変わんないけどねー」

「…それはごもっともですわね」

鈴谷の言い分はともかく、だ。

「どういうことか、説明していただけます?」

「どうもこうも、この鎮守府は輸送部隊なんだからさ。前線で戦うなんてナンセンスでしょうよ。後方支援も大事な仕事だよ」

提督の言い分はもっともだ。だが、

 

「いいかげんに本当のことをおっしゃったらいかがですか」

そもそも輸送中心の方向性からして提督の方針で、ただの出世欲のなさとか怠惰さとかとは違う気がしていた。隣の鈴谷も口を挟まず提督を見ているが、当の提督は肩をすくめるだけだった。

「だって戦ったら危ないじゃん。そんなんよそに任せてのんびりしとけばいいよ。大規模作戦って言ったって勝手に何とかしてくれるって」

へらへらと手を振る提督を見ても、驚きはしなかった。意識をせずともどこかで分かっていたのだろう。ずっと見てきたのだから。

 

 かつて艦娘だったというこの提督は理解している。いくら戦い方が確立されていても存在する、戦いが持つ危険を。もたらす恐怖を。だから、そこから遠ざけようとしている。意識せずに理解していた彼女の姿を意識した途端、同時に沈んでいたこの感情を理解した。

「提督…」

小さく小さく、重い声。耳の奥で歯が軋む音が澱んだ。

「あなたって人は…」

こわばった腕が全力で握られていると気づいたときにはすでに振り上げ――

 パンッッ

――られる前に、頬を打つ音が響いた。

「なめんな!」

「鈴谷…」

提督は赤くなっていく頬を抑えることもせず茫然としていた。

「そりゃ鈴谷たちだって沈みたくなんてないよ。当たり前じゃん!でも、みんなが必死に戦ってるのに何もしないでへらへら笑ってられるほど情けなくない!鈴谷たちだって、この国を守るために頑張ってきたのに、それを否定すんな!提督が鈴谷たちを…提督の艦隊を馬鹿にすんな!」

両手が机に叩きつけられた音でようやく提督は動き出した。

 

「…そっか。もう…ちがうんだな…」

打たれた痛みにようやく手を当て、吐息のような声がした。

「ごめん」

パシッと両の頬が叩かれる。ようやく提督がこちらを見てくれた気がした。

「これでいいんだって、みんなのことちゃんと知ろうとしてなかった。叩かれないと分からない、情けない提督だけどさ。頑張ってみる…だからお願い――」

目をあわせた。ここにはいない艦娘の分まで。

「必ず、生きて帰ってきて――」

 

 

「はぁ?」

熊野は熊野で、鈴谷の声にかき消されないほどのため息が出た。ついでに肩をすくめる。

「え…だって…」

困惑する提督は初めて見た。鈴谷と顔をあわせると、たぶん2人で同じ顔をしていた。結局この提督は、大事なところが分かってない。

「そうじゃないっしょ」

「もっと期待していただいてよろしくってよ」

もう時間がないのだから、さっさと背を向ける。

「すずやん、くまのん…」

扉に手をかけると、声が聞こえた。

「深海棲艦なんざぶっ飛ばしてこい!」

振り返るまでもなく、片手をあげて応える。

「承りましてよ」

「おう!鈴谷たちにおまかせ!」

 

 

「まったく…提督には困ったものですわね」

「まーねー」

鈴谷と愚痴を言いながら部屋に帰る、仕事が終わったあとの帰り道。違うのはいつもよりちょっと日が高いことと、まだやることが残っていること。

 だらしなくていいかげんで隙があるとセクハラをしてきて、臆病で過保護な提督。だけど、どうしようもなくそんな提督が好きだった。初出撃のときに優しく背中を押してくれたときから。初めての戦いで傷ついた姿に、抱きつき涙を流してくれたそのときから。

 

「てか熊野さー、グーで殴ろうとしてたっしょ」

「…な、なにをおっしゃるんですの!?わたくしがそんな野蛮なことをするわけが――」

「もがみんもだし、三隈もわりとこぶし使うよね。わりとヤバイと思うんだけどー」

「だから!違うと言っているでしょう!?」

逃げる鈴谷を追いかける。部屋までの少しばかりの追いかけっこ。

今まで提督が動いていなかった分、急いで作戦の準備を整えないといけない。三隈と最上を引っ張ってきても明日までに間に合うとは思えないが、できるだけ早く終わらせよう。なんせ、ようやく提督が戦うと言ってくれたのだから。ようやく守ってもらうだけじゃない自分たちになれたのだから。

 

 

 

 一人になった部屋でゆっくりと天井を見上げた。引き出しの奥に手を伸ばすが、指先に当たる感触だけを確かめて、透明な息を吐きだす。

 ずっと守っているつもりだった。安全なところにいさせるのが提督になった役目だと思っていた。でももう――

「…りっぱになったな」

思わず口にした言葉に苦笑する。もしかしたら初めから、守る必要なんてなかったのかもしれない。ずっと傷つきたくなくて、ずっとみんなを見ようとしなかったから、いまさら確かめる方法なんてないけど。

 いまからできるのは彼女たちを信じることだけ。何も分からないまま艦娘となった自分とは違う、艦娘であることを誇れる彼女たちを。

 

 重い腰をあげ、数歩先のゴミ箱に手を落とす。乱雑に丸められた紙の束を指先で挟んで持ち上げた。ゆっくりと広げると海図が見えた。

 それはただただ平凡な作戦計画で。それだけでしかない。どれだけ時間をかけて考えたところで、みんなを守れる保証も自信も出て来やしない。

 紙に新たなしわが刻まれる。力が入り震える手と紙に頭をうずめる。あの後輩のような判断力があれば、あの先輩のような決断力があれば、みんなになにかしてあげられたのだろうか。でも現実にいるのは情けない、もう艤装を背負えない何の力にもなれない提督。

 それでも、進んでいくしかない。祈ることしかできなくても、信じることしかできなくても。

「そっか…」

これが、提督か――

 

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