機動力の向上。それが改二になって真っ先に実感する変化だ。数で劣る艦娘が、装甲の薄い駆逐艦が誇る優位性で、私の戦闘の要。
目の前に飛んできた工夫もなにもない砲撃は素直な拍子で弾いた。深海駆逐艦が次弾の装填を終えた直後には、回避行動をとらなかった速度差で間合いに入れていた。横殴りに振るった槍が黒ずんだ鉄の表皮を避けて生体部分を切り裂く。
火力だって、駆逐艦を沈めるに足るだけは上がっている。だけどわざわざ近づいたのは――
倒したことを腕に残る感覚だけで確認をして、わずかに落とした機関の回転数を最大に引き上げる。私が行かなくちゃいけないのはこの暗雲の下、私だけが戦える戦艦の群れ。
「ちょっとちょっと!」
慌てて夕立の首根っこを掴む。
「ぽい?」
「なんで突っ込もうとするかなー!」
白露に吊り上げられる形になった夕立が首だけ振り返って見上げてくる。
「だって、いけそうな気がするっぽい…」
「そんな気になるな!あまり離れすぎないようにって言われたじゃん」
駆逐艦である限り近接は避けられないとはいえ、あまりに混戦になると援護もできない。なのにこの夕立は妙に深海棲艦に近づきたがる。
「でも夕立、がんばりたいっぽい…」
夕立を放して小さくため息をつく。変なことを考えていた自分の頭を叩いた。
改二になって見た目が変わって、知らない夕立になってしまったんじゃないかと心配していた。でも、ここにいるのは友達想いで頑張り屋の、いつもの夕立だ。
「だって。どうする?」
「僕は白露の判断に任せるよ」
聞いてみたものの、時雨も白露の扱いを心得ている。
「…そうだね。ここが踏ん張りどころ、がんばりどころだ」
初雪だって白雪だって一緒にいたかったはずだ。ずっと同じ部隊の人たちだって別動隊なんて望んでいなかったはずだ。
――なのに、ここにいる私が戦いませんでした、じゃかっこつかないもんね。
「よし!じゃあちょっとムチャしてみますか!」
「ぽい!」
「ちょっとだからね、ちょっと!」
はやる夕立を時雨と抑えながら動き出す。
叢雲は言うまでもなく、吹雪たちだって心配に及ばない。白露は艦娘としてまだまだ未熟で、夕立を自由に戦わせてあげることもできない。
でも、私だって――
1番艦として、遅れているわけにはいかない。もっと強くなりたい。みんなと肩を並べられるようになりたい。今はまだ遠くても――
その最初の一歩だと信じて、雷撃を放った。
視線を頭上に向ける。上空を舞う敵艦載機はずいぶんと数を減らしていた。本来牽制が目的の対空砲火で目に見える戦果を挙げられているのは
「吹雪、あぶねーぞ」
魚雷を言われるがままに回避している間に、深雪が魚雷を放った駆逐艦に砲撃を返した。
「ありがと!次はみぎ――」
「おっけー」
戦果を挙げられているのは指示を出す前に動きだす深雪が対空に専念させてくれているからだ。
深雪だけじゃない。白露だって時雨だって夕立だって、そしてここにいないみんなのおかげで戦えている。
爆炎が装甲を超えて皮膚を熱する。射線から外れるのが一瞬遅れただけで砲弾の衝撃が体勢を崩す。だけど、今ここで戦えていることが嬉しかった。どんなに傷つこうとも、深海棲艦がひしめくこの海でも、何も恐れるものはなかった。
「さすがに疲れたー。もう弾もないぜ」
深雪が息をついた。――もう息をつける。止めていた呼吸を吐き出して、吹雪は思わず膝を落としそうになる。もう一度一瞬だけ息を止めて踏ん張って前を見る。まだ深海棲艦は残っている。――叢雲が戦っている。疲弊した駆逐艦ではどうしようもないし、今から近づいても間に合わない。もうできることなんて何もない。でも、まだ終わりじゃない。
吹雪には、叢雲が戦っている理由が分からない。大切なものだって分かっていても、それだけだ。だけど、力になりたかった。
ずっと探していた。生き残った、生きさせてくれた理由を。戦うこともできなかった吹雪を庇ってくれた艦娘たちが正しかったのだと証明したかった。
それができるのかなんて分からない。でも、この先に進めれば、叢雲が笑ってくれるなら。変われる気がする。沈んでいく夢を見る日々が、その姿に謝るしかできなかった自分が。やっと、ありがとうと言える自分に。
…だから、一緒に行こう――
最後の砲弾を天に向かって放った。
急速に拍動する肺のひりついた痛みがのどまで上がってくる。すぐそばに着弾しても心臓の鼓動はうるさいまま。何度も振るってきた腕は目を向けなければどこにあるのかもわからない。固くつかんだこぶしは開いてしまえばもう握れない。
だれに言われるまでもない。すべてが限界だった。
あと数隻。海域を煤と鉄片で黒く染めても、まだ足りなかった。艦種による火力と物量の差を埋めるものが。あれだけの時間をかけて練り上げた技も、死線を潜り抜けた経験も届かない。諦めたはずの願いを掴むためには――
落下してくる砲弾を斬り払うために力を込める。
――必要なんだ。奇跡が――
槍を振り上げようとした寸前で、背後から飛来した砲弾が先に激突する。金属の削りあう音が頭上で弾け、膨大な運動エネルギーの衝突で砲撃は遠くに外れていく。
「叢雲ちゃん!」
脈動のノイズの上から、確かに届いた気がした。続いた援護射撃は吹雪の精度とは程遠いけど、深海棲艦をひるませるくらいにはなった。
心配しないで。そう伝えるために振り返り――
たぶん私は笑っていた。誰も祈ってなんて、心配なんてしてくれてなかったんだから。こんなにぼろぼろなのに、私はまだまだ期待に応えないといけないみたい。自然に手のひらが緩んでいた。
前を向いたときには、もう笑えなかった。ひらいた手の頬を叩く。
「ふざけんなっ!」
また私は嫌いな私だった。さっき何を思った?何に期待した?
奇跡なんてものを求めてどうするの。そんなの待ってなんになるの。奇跡なんてものがあるのなら――
――私はもうたくさんもらったんだから。
あの島に着いたときから、おじいちゃんとおばあちゃんに出会えた日からずっと。暖かい手も冷たい雨も、刀を握った日も、一緒にご飯を作ったときさえ、私に訪れた奇跡だ。
取り戻したいと思えたことも、戦う術を練り上げたことも、死線を潜り抜けたことも、一緒に戦ってくれる仲間がいなきゃ出来はしなかった。
苦しくて焦るだけだった日々が楽しいと思える毎日に変わるなんて思ってもいなかった。それでもここに立っていることを選んだのは大切な友達のおかげ。
私が望んだものなんて何もない。私が自分でつかんだものなんて何もない。空っぽで不安定で情けなくて弱くて我儘な私は、数えきれない奇跡のおかげでここにいる。だったら、足りないなんて言ってられない。届かないなんてあるはずがないじゃない。あと少し。この一歩だけでも――
かすめた砲弾が装甲を奪っていく。でももう必要ない。残る深海棲艦は3隻。ちょうどいい。どうせ3回くらいしか振る力は残っていない。それで全部が決まる。ろくに力が出ないくせに、全部1撃で仕留めることにはなぜか不安はなかった。
切っ先の届くまで、私の間合いまで入り込む。とっさに機銃を向けてきたが、艦隊戦ではありえない超近接は私の領域。駆逐艦の装甲なんて簡単に引き裂く戦艦の機銃を相手にせず、薄い鉄を押し切る。柔らかい組織からあふれた澱んだ液体が頬に散るけれど、拭うこともしない。
そのまま、次の目標を捕捉する。頭上に振りかぶった槍を力任せに叩きつけ、頭部の装甲をたたき割る。しびれた感覚のまま切り返しながら振り上げた切っ先が、最後の深海棲艦の装甲を――甲高い音を立てながら撫でていった。小刻みな振動が肩までつながる。ぼろぼろになった穂先はもう斬ることなんてできない。そんなことに気づかないまま不安定な体勢で振り回したところで、装甲を浅く傷つけるのが限界。槍の重さに引っ張られるまま、後ろに崩れ視界が上がる。
私はやっぱり弱いまま。でも――
焼け付く機関の悲鳴は、無様に倒れていく方向だけを変えた。全身の感覚がマヒしていても離していないことだけは信じれる槍をただただ強く握った。どす黒い装甲が目の前に迫った。
――こんな私を信じてくれるやつらがいる。なんの根拠もないのに、私なら大丈夫だって。
だから、このひと振りだけは――
最後の一歩だけは自分で進まなきゃ、みんなに合わせる顔がない。私を抱きとめてくれた人たちと、背中を叩いてくれたあいつらと、手を取ってくれたこいつらと――
「私たちはこの先に行くんだ――!」
鉄のぶつかり合う音が、切り裂かれる音が全身を揺らした。