突き立てられた穂先を引き抜く。肺が広がったとたんに全身の細胞が酸素を求めて脈動し始めた。昂った感情がゆっくりと沈んでいくのと同時に体の排熱を自覚する。
…終わった、の?
「叢雲ちゃん!」
背後から飛びついてきた吹雪の重さでようやく実感する。吹雪の腕をゆっくりと握りしめた。
「そうね…」
「ぽいー」
夕立がへなへなとへたり込んだ。私でもガス欠寸前だというのに、最後まで頑張ってくれた。初めての改二だったのに。夕立だけじゃない。みんな負傷して、立ち上がる力も残っていない。深雪に至ってはもう航行を放棄して仰向けで波に揺られている。誰かがいなければここにいられなかった。そして、誰もいなくなることなく、ここにいられる。
「…ありが――」
「私たちはいいからさ、早く行ってきなよ」
白露は手を振る。遮られて、私は思い出す。いや、本当は忘れてなどなかった。だから私は膝に手をついてでも立っている。
この先に――
全てを忘れてスクリューが回る。ずっと、ずっと願っていたものに向けて。
ずっと求めていた場所が、忘れたことのない景色が――そこにはなかった。
深海棲艦は人の痕跡を消し去ろうとするかのように破壊する。そんなことは分かってる。本当に何もなくなったかのような光景。でも、ここに戻ってこれた。
「叢雲ちゃん…」
うしろについてきてた吹雪が私を見る。…なんて顔してるのよ。なんだか私が励ましているみたいに頭に手を置く。
いつも出撃していた、港とは名ばかりの船置き場の崩れた防波堤から島に上がる。出撃が終われば艤装を格納していたあたりに艤装を置いた。あんまり好きじゃなかった魚を干す臭いはもうただの潮のにおい。もとからろくに舗装もされていなかった道は脇の田んぼより少し草が少ないくらいの差しかない。もう破壊の跡より自然に帰っていく姿が目立つ。
この家の人はよく野菜くれたっけ、ここの道には雨上がりにカエルがたくさんいて…
でもそんなこと、今目に映る景色では何も分からない。
「叢雲ちゃん!」
吹雪の声で走り出していたことに気づく。見たことないはずの風景が流れていって、それでもどこにいくか分かっていた。ここを曲がれば、ずっと過ごした家だけど。覚えていたよりも危なっかしい山道を登った。
長い長い樹木のトンネルを抜けると、ついさっきまで浴びていたはずの日差しが視界を覆う。明るさに慣れて開けた視界の先に、ずっと願った世界が広がった。
島と海を見渡せる小さな草原。おばあちゃんと一緒に見た視界が。おじいちゃんと何度も通った小さな墓標が思い出のままそこにあった。だから、やっと――
ああ――
やっと分かった。私は――
強くなれたなら、この島を取り戻せたなら、
弱かった私を受け入れてくれた場所に戻ってこれると、からっぽだった私を埋めてくれた日々が返ってくると。おばあちゃんが笑いかけてくれるとさえ。
――どこかで信じていたんだ。
でももう理解してしまった。頭を預けて眠った優しい感触も、ゆっくりと目を覚まさせるやわらかな手も。2人で火をつけた線香のにおいすらも――もう戻らないのだと。
だから、やっと言える。ずっと言いたかった言葉を。伝えたい言葉を。
私は膝をつき、よく見るとやっぱり風化してしまった墓標に手を添える。
ただいま。
「行ってきます」
目を閉じると冷たい雫が頬を伝った。
「うわー!」
急に背後が騒がしくなった。喧騒の元である吹雪はあっさり私を追い越して風を一身に受けて港を見下ろしている。
「吹雪」
振り返った大きな瞳を見つめる。
「ありがとう」
「どういたしまして!」
やっと言えたのに、ずいぶんと簡単に返される。文句を言うのもおかしい気もして、息をつきながら横に並ぶ。
同じ景色なんてないのかもしれない。でも、この瞬間は思い出の中と同じように――
そういえば、一度も口に出したことはなかった。なんだか照れくさくて。でも、今なら…
「…きれ――」
「きれいだねー!」
……こいつ
なんだか情けなくなる。この能天気さを羨ましくさえ思ってしまうけど、
「こんなもんじゃないわよ」
私が素直になれるのはいつになるのやら。
ちっぽけな私は、この広い世界をどこまで変えていけるのだろう。分からないけれど、でも誓おう。
「ここから見えるもの全部、この海全部取り戻すわよ」
吹雪の手をゆっくりと握りしめる。この手のぬくもりに私はなにかを返せたのだろうか。なにかを返していけるのだろうか。
想像できないほどの、果ての見えない航路。すべてを終えて、今度はみんなでここに帰ってこよう。
その時に広がるのはきっと、誰も見たことのない
これでこの話も終わりとなります。
長い間お付き合いありがとうございました。
ときどき話が思いついたら更新していく予定ですので、本編ともども気にかけてくれると幸いです。