図書室から出て、俺達は早速グラウンドへ向かう事にした。
移動時間を使って何かしら今居た場所の事を話すのは、最早お決まりになっている。
俺もその例に倣って、ランに話を振る事にした。
「ジャックナイフもアリスも、やっぱり何かしらの反応はあったな。あっち側の肉体と魂が両方揃った当人に刺激があれば、魂だけのあいつらは大きな影響を受けると見て間違いなさそうだ」
「はい。アリスちゃんは、泣いていました……」
しょぼくれたランの言葉に、俺は「そうだな」と同意した。
今回の様に分かり易く傷付いていてくれたのなら、俺にだって分かり易い。
ランはアリスの事を気に入っているようだから、アリスに対して多少過保護になっているのだろう。
だが、ジャックナイフの時もそうだったが、感傷に浸ってばかりいられるのも困る。事態の全容を明かすのは俺の仕事だが、あいつ等三人を助けるのはランの仕事だ。ラン自身が感じた事がヒントになる事だってあるのだから、関係のない事で視界を狭めていくのは愚策でしかない。
俺は事件の解決。ランは皆を助ける。両者の目的の達成には、七不思議の連中の解放は不可欠。目的は違えど、ゴールは一緒だ。
俺は「憶えておくだけでいい」と前置きして、ランに語り掛けた。
「泣くのは悪い事じゃない。感情を発散する事で自分が潰れる事を防げるし、泣く事自体が立派な意思表示にもなる。赤ん坊だってそうだろう。自分は困っていますって周りに訴えかけて、自分の状態を周囲に説明しているんだ」
「意思表示、ですか?」
ランの確認を頷いて肯定する。
意思表示は大事だ。いざという時に何も言えない奴は、肝心な時に大切な事を見落とす。
していい事と悪い事さえ、出来なくなってしまうから。
「ランはアリスが泣いててどう思った?」
「心配しました。それに話を聞きたいって、何があったのか教えてほしいって思いました」
ランの即答に頷く。
それがきっと普通の反応だ。他人が泣いているのを遠目から見て状態と状況を分析するなんて、普通の神経を持った人間がする事じゃない。
きっとランはそれでいい。残酷な視点なら、俺が持っているだけで十分だ。
「相手に訴え掛けて相手が反応してくれるんなら、それだけでそいつは泣いた価値がある。……アリスが泣いていた事を無駄にしなかった。それは誇っていい事だと思うぜ」
俺の言葉を受け止めて、ランはきょとんとしていた。
別に変な事を言ったつもりはないんだが、知らずおかしな事でも言っただろうか。
何しろこういった風に誰かに何かを説くなんて事、長い間してこなかったから。
「マスター……もしかして、慰めてくれているんですか?」
「……どうかな」
だから俺自身、どうしてこう纏めたのかは分からない。
ランに泣く事は悪い事ではないのだと教えたかっただけなのに、随分と趣旨が変わってしまった。
まぁ、泣いてくれる相手なら、感情を読み取るのは随分と楽だろう。笑ってばかりいる相手の考えている事なんて、実際何かが起きるまで分からないんだから。
「……えへへ」
だらしないその笑顔を見て、俺はほんの僅か、誰にも分からないように口角を上げた。
それを意識して、自分に呆れる。ランは笑っている方がいい、なんてつまらない事を思ったからだ。
ずっと笑っていられると、その笑顔が普通になる。悩んでいるかどうかも分からない。
やっぱり泣く事は悪い事じゃない。一つだけの表情なんて、無表情と一緒だった。
「ま、その様子なら調子は戻ったな」
「ばっちりです!」
ランの言葉を信じて、俺達は校舎内を進む。
やはりランは渡り廊下から見える中庭を気にしているようだったが、慰霊塔か桜、どちらを気にしているかまでは分からない。
……仕方がない。明日にでも連れていってやろう。別に今の所は秋月さんに調べてもらうような案件は無い。報告を受ける必要は無いし、昼休みになら時間はある筈だ。
そのまま俺達はグラウンドに出る為に昇降口までやってきた。
既に視界の遠くに、今日も元気に走り続けるユニフォーム姿のスプリンターの姿が見える。
“走り続けるスプリンター”。何個か足りない七不思議の一つ。きっと、この亡者の学園に登校させられている被害者。
「おぉ……やってますねー」
ランが見世物でも見ているかの様に呑気な声を出す。奴を照らすのは月明りだけだと言うのに、まるで夕日に焼かれながら走る青春の一ページに思える。……俯瞰から見ないグラウンドの全貌は、幻とはいえどこか新鮮だった。
それにしても、遠目から見ても活力的なあの姿に近付かないといけないのを忘れていないか、こいつ。
あの元気の塊みたいなノリは俺には合わないが、ランは人見知りが激しくなる。俺も話さなければならないのは明白だ。
二人して階段を下りてグラウンドまで降りると、俺達の存在に気付いたスプリンターが目標であろう距離を走り抜いてから足を止める。
「あ、深花先輩、ラン先輩、こんばんは! 今日も見回りですか?」
「まぁ、そんな所だ」
こちらを見る顔は明るい。ジャックナイフやアリスの様な不安定さは微塵も感じられない。それが少し、いやかなり、俺の警戒心を煽っていた。
この男は何を考えている。お前は何かを悩んでいるから、亡者の学園なんかに登校しているんだろう。
ジャックナイフは怒っていた。アリスは泣いていた。そのどちらも、始まりの感情は悲しみだ。
だが、スプリンターの笑みはどこから来る。悲しくて笑う人間なんて、俺から見ても真面じゃない。
「そっちは今日も走ってるんだな。本当にそれだけやってて楽しいのか?」
「楽しいです! 走る事は、本当に楽しい!」
相変わらず走るの大好きなスプリンターだった。悩みなんて微塵も感じられない。
やっぱりこいつが一番厄介そうだ。あっち側で探そうにも、陸上部は所属している人数が多すぎる。スプリンター本人は『走るのが楽しい』の一辺倒。
俺の口調が変わっている事にも動じていない。単純な奴程、実は面倒だったりするのは間違いないようだ。
これからどうやって情報を聞き出したものか。そう思案していたのだが、後ろからランがひょっこりと顔を出した。
「あ、あの! あたしも走って……いいですか?」
「は?」
俺はランの発言に思わず間の抜けた声を出した。
「大丈夫です、任せてください」と小声で告げてきたが、人見知りのお前がいきなりこんな事を言い出した事自体が不安過ぎる。
……まぁ、いいか。ランが頑張ろうとしてる事を、やりもしない内から否定する事も無い。そもそも七不思議の三人との接触はラン自身が行った方がいいに決まっている。
「ラン先輩も走りたいんですか! いいですよ、走りましょう!」
そして向こうも乗り気になってくれた。
どうしよう、これは俺も何かしら参加した方が良いのだろうか。
「マスターは掛け声をお願いします。これは競争です!」
ふんす、と気合を入れているラン。あ、こいつしれっと実体化しやがった。
……と思ったが、確かに走るなら必要だろう。歩くだけならともかく、速度を乗せて走るのにはどうしたって重心が要る。
体重という概念が適応されていない霊体では、上手く走る事は出来ないだろう。……そう考えると、スプリンターはどうやって走っているんだろうか。霊体だけの感覚しかないから、特に問題は無いのだろうか。
つまらない事を考えている俺を放っておいて、ランとスプリンターはスタート地点と思われる場所へ一緒に歩いていた。どうやら俺が掛け声係なのは決定しているらしい。
……何か大事な事を忘れている気がするんだが、何だったか。
「もう、マスター! 準備出来ましたから、早く合図をお願いします!」
「お、おぉ……お前、スカートで走るのかよ。まぁ、ローブよりはましだろうけどさ」
あと少しで思い出せそうだったのだが、スタート地点に到着したランが大声で急かしてくるのでとりあえず後回しにする。
ランとスプリンターはしゃがんだ状態からのスタートダッシュ、俗に言うクラウチングスタートの構えを取っていた。
と言うか、何故ランまで走るんだ。あいつなりに考えがあっての事だろうけれど。
まぁ、確かに何もしないよりは得るものもあるだろう。とにかく今は俺はスタートの合図を出さなければいけない。
「じゃあ、行くからな。よーい、ドン!」
俺の適当極まりない合図で、ランとスプリンターは弾けるように駆けた。
ランのスタートダッシュは中々様になっていた。おかげで陸上部であるスプリンターとの始まりの差は殆どない。
「むーっ……!」
それでも殆ど互角だったのはスタートダッシュだけで、ほんの少しだが徐々に引き離され始めていた。
ランもその事を理解しているのか悔しそうに声を出していた。頑張れー、と心の中で適当に応援しておく。
しかし逆転は叶わないまま、スプリンターのゴールを許してしまった。
「はぁ、はぁ……! 流石ですね、ラン先輩……!」
「悔しいです……!」
お互い全力を出しきったのを感じたらしく、スプリンターは息を乱しながらも手で汗を拭い、爽やかな笑みでランを称える。
ランもランで膝立ちで手を膝に付いて身体を支え、全力で悔しがっていた。青春の汗を掻く事が楽しいのだろうか。
「もう一回です!」
「いいですよ! どんどん走りましょう!」
やる気を出すスプリンターは、そのままゴール地点からクラウチングスタートの構えを取る。
追従するランは俺の方に視線を送ってきた。そしてそのままウィンク。意味が分からな――――いや、そういう事か。
スプリンターは走る事しかしないだろう。それは前の二人も同じだった。ジャックナイフは林檎を剥き、アリスは童話へ還る事しかしない。
それが偶々、あっち側でのショックによって、怒り、泣いた。それだけだ。
ジャックナイフは林檎の剥き方がヒントになった。魂は肉体に影響する。魂が行う事は、肉体は無視をする事が出来ない。
スプリンターのしている一挙手一投足が、必ずヒントになる。今更の事だった。
俺はスプリンターが走っている姿を見て、何かを見つけなければならない。ランは俺にそれを託したのだろう。
「準備はいいな。んじゃいくぞ。よーい、どん!」
そうして二人は走り出す。結果はまた変わらない。僅差でランが負け、僅差でスプリンターが勝つ。
先程までと同じ結果だと言われればそれまでだ。だけど結果には意味が無い。俺が見なければいけないのはそこじゃない。
スプリンターとしてランという比較対象が与えられた事で浮き彫りになる何か。俺をそれを見つけなければならない。
「……成程な」
何度目かの競争の後に、その輪郭が見えてきた。
考えてみればおかしな事だ。思わず口角が上がりそうになる――――が、直ぐに止める羽目になった。
「――――ふぎゃ!」
簡単に言うと、ランが派手にすっ転んだ。
それだけなら特段心配するような事じゃない。走っているんだからそりゃあ何時かは転ぶだろう。
だが、ランは何時まで経っても起き上がらない。何とか力を入れようとしているが、それも上手く行っていないようだった。
「ラン!!」
――――気付けば、俺は弾けるように駆け出していた。
無意識に“身体能力強化”まで使っているが、知った事じゃない。とにかく俺が出せる最大速度で、ランの傍へ駆け寄っていた。
「せ、先輩! 大丈夫――――」
「近寄るんじゃねえ!」
ランが転んだ事に気付いたスプリンターが心配して駆け寄ろうとした時、初めて聞く怒号が飛んだ。
それが自分の口から出たものである事に気付いたのは大分後だった。そして俺が怒号を上げた理由が、ランがスプリンターに触られると思ったからだという事実に気付いたのは更に後の事だった。だがそんな事どうだっていい。怯んだスプリンターを無視して、漸くランの傍に駆け寄れた。
倒れたランを抱き上げる。実体化してもやはり軽いその身体が、どうしようもなく俺を不安にさせる。
「おい、おい大丈夫か、ラン!」
力が抜けたままぐったりとするランの表情は、まるで貧血の様に覇気がない。
呼吸は乱れていないが、身体に異常があるのは明らかだった。身体と言うより、最早存在そのものが薄くなってしまっているように思える。
「ます……た、ぁ……」
「どうした、何があった。しっかりしろ、ラン!」
「え、へへ……忘れて、ました……」
弱りながらもどうにか笑みを浮かべるランが、俺の服を強く掴む。
忘れてた? ……そういえば、俺も何か大切な事を忘れている。
何だったか思い出そうとした次の瞬間、俺とランの声が重なった。
『明日のお昼代……!』
そうだ。あっちでもこっちでも林檎やお茶菓子を食べて多少魔力の補給はしていたが、契約の際に決めたランの活動エネルギーの源である明日のお昼代を、今日の分を渡していない。
俺はランを抱きかかえたまま、制服のポケットから明日のお昼代を出す。
ランの右手に手渡して、両手で包んでしっかりと握らせる。
十秒もしない内にランの様子は落ちついてきた。最低限の魔力がランに行き渡ってきた証拠だ。
「えへ、マスターの手……冷たいですね」
「……馬鹿か。お前の体温が高いんだよ」
右手でランの顔に付いていた砂を払う。くすぐったそうに身を捩るその姿に、さっきまで消え掛かっていたくせに呑気だな、と呆れた。同時に、どこか安心してしまっている。
後方を見ると、スプリンターが少し離れた所で心配そうに俺達を見ていた。
そういえばさっき思いっきり怒鳴ってしまった。無意味に怖がらせてしまった事は謝罪した方がいいだろう。
「驚かせて悪かったな」
「あ、いえ。……えと、大丈夫なんですか?」
「直に良くなる。悪いが競争はここまでだ」
ランを抱きかかえて、俺はグラウンドと昇降口を繋ぐ階段を上る。
最上段まで上がって、俺は制服の上着を脱いで敷いてからランを寝かせる。容体は落ち着きはしたが、まだ動かさない方がいいだろう。
「マスター……制服、汚れてしまいますよ?」
「別にどうでもいい。替えはある。そんな事より、大人しくしてろ」
「……はい」
俺も階段に座る。……すると、何故だか腿に重みと熱を感じた。
視線を下に向けてみれば……何故か、ランが俺の腿を枕代わりに使っていた。
当然、ランと目が合った。ランは俺の顔をじっと見つめている。
「……駄目ですか?」
「訊く前にもうやってるだろ。……別にいい。少しだけだけどな」
「……ありがとうございます」
まただらしなく笑うラン。そんな表情を浮かべられるようになったなら、もう心配は無いだろう。
心配事が無くなったので、俺はスプリンターの方に意識を向けた。
やはりまだランの事を心配しているのか、それとも俺が怖いのか、あいつは階段の下で俺達を見ていた。
今後に響くと不味いので、俺が怖い線を疑って謝罪を重ねる事にした。
「もう大丈夫だ、さっきは悪かったな」
「……、」
俺の謝罪に対する反応は無い。怖がらせ過ぎたか、それともランが心配なのか。
どうしたものか、と悩んだが、そのどちらも正解ではないらしい。
「自分、感動しました!」
「は?」
俺の呆けた声を無視して、スプリンターは階段を上がってこちらへ近寄ってくる。
直感が告げている。ランの体調とか関係無くこっちに来るな。
目を輝かせているその姿から俺達に悪印象を抱いていないのを理解出来ただけで十分だ。もうさっさと走り続けてくれ。
最上段の五段程下で上がるのを止めたスプリンターは、俺を見上げながら高揚した様子で言ってくる。
「さっきの深花先輩のドスの効いた声、自分に深く刺さりました! 自分の彼女を大切にするその気持ちがばっちし届いて、思わず足を止めてしまった程でした!」
目をきらきら輝かせながら、そんな事を言ってくる。
同じ日本語を喋っている筈なのに、何一つ意味が理解出来なかった。
「……こいつ何言ってるんだ?」
「それはどこの部分でしょうか? 後半の話でしたら知りません」
ランは機嫌良さそうに口笛を吹きながらこの会話から離脱しやがった。今の会話に機嫌が良くなる要素がどこにある。
味方が居なくなった俺に、スプリンターは謎言語の追撃を掛けてきた。
「先輩の男気に感服しました! 参考にさせてもらいます!」
「……あぁ、そうか。よし、練習行ってこい! ……俺達はその内帰る」
もうどうにでもなれ。勢い良く頭を下げてきたスプリンターを見て、俺は溜息を隠しながら返す。
俺の返事を受けたスプリンターは顔を上げて再び走り始める。こいつ、実は悩みなんてないんじゃないだろうか。亡者の学園に来たのも何かの間違いだったりしないだろうか。
「いい後輩が出来ましたね、マスター?」
相変わらず俺だけは揶揄ってくるランに、俺は溜息を返すしか出来なかった。
人物メモ
魔術師。
ラン相手だと余計な事まで伝えてしまう。
何故かランが誰かに触られる事を忌避した。阿保らし――――あたしは、嬉しかったですよ?
ランチ
昼飯代で契約した精霊。
契約三日目にして契約が切れ掛けた。お昼代が切れ掛けると動けなくなる。
今度からは忘れないようにしないと不味い――――悪い気分はしなかったです。
スプリンター
何個か足りない七不思議の一つ、“走り続けるスプリンター”。
誰の魂が反転した姿かは分からない。
相変わらず走ってばっかりだが、ランとの競争の中で気になる所がちらほらと散見された。
それとは別に、俺の男気に感服したらしい。唯口が悪いだけだから参考にするな。