お昼代契約ランチちゃん   作:昼飯用

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主人公ニート過ぎて笑う


17.ジャックナイフで剥く恋心

九月二十日。調査三日目。午前零時過ぎ。

舞台は既に反転し、亡者の学園へと切り替わっている。

亡者達は今日も飽きる事も無く、登校をしているのだろう。

俺とランは空き教室で待機していた。明日のお昼代も忘れずに渡してある。

直に放課後になる。今日の目的は勿論、ジャックナイフだ。

表での情報収集は完了した。彼女の悩みの輪郭も分かった。この亡者の学園の時間も彼女一人に絞って使い、解決するのがいいだろう。

 

「……緊張してるか?」

 

仮眠から目が覚めた後、隣に居るくせにだんまりなランに問い掛ける。

ランは起きてからずっとこのままだった。ふよふよと浮く事も無く、実体化したまま教室の窓から中庭を眺め続けている。

その間に言葉は無かった。唯俺が近くに寄れば、そっと俺の指を摘まんできていた。

なので俺も言葉を掛けなかったが、もう待っている時間は無い。ぼーっとしているのか、考え事をしているのかは分からないが、もう時間だ。

ランはこちらを向いて、「はい」と頷いた。

 

「あたしが、ジャックナイフさんを説得出来るかどうか自信が無くて」

 

随分と弱気な事だ。いつも元気なお前はどこに行った。

だが、俺はランの弱気な理由も理解出来る。それは当然の話だ。

中庭の桜を見てしまっているせいだろうか。要らない事を思い出しそうになった。

 

「初めから他人を説得出来ると確信してる人間なんて居ない。もしそれが居るとたら、そいつは人間じゃない。神様気取りの詐欺師だよ」

「詐欺……ですか?」

 

また要らない事を話そうとしている。それがランの為にしようとしている事だと自覚して、自分で自分を嘲笑した。

 

「そうだよ。どこまで行っても、説得なんて相手が自分にとって不都合だから強制しようとするのと同じ事だ。洗脳と変わらない。お前は間違ってる。だから変えろ。今直ぐに。そんな要求を押し通そうと、綺麗事を並べて、相手の心につけ入って。これを詐欺師と言わないで何て言うんだ」

 

ランは俺の言葉を黙って聞いている。こんな、誰の得にもならない言葉を。

聞いてくれているのなら、語らなければならないだろう。こんな人でなしの魔術師の言葉でも、ランなら人を助ける糧に出来ると信じて。

 

「説得する自信が無ければ俺がやるよ。弱々し気なお前よりは、上手くやる自信がある。唯、俺に任せると悲惨だぞ? 嘘だって吐くし、優しい言葉は使わない。現実を現実として突き付けて、悩みを解決するというよりは悩みなんて気にしていられない状況を作り出す。結果は一緒だ。悩みは無かった事になるし、悩みなんて無ければ亡者の学園には登校しない。……お前は、そんな結末でいいのか。俺とお前の未来は、闇夜を払う光なんだろう。事態を解決する全体の目的自体はともかくとして、だ。……それまでの過程には、お前の真っ直ぐな言葉と、相手を思いやる気持ちが必要だと、俺は思うけどな」

 

一頻り吐き終わった後、俺は溜息を一つ吐いた。

なんて文句だ。一体どこが嘘でどこが本当か分かりやしない。

……唯、こんな言葉でも、ランの背中を押す何かにはなったらしい。

 

「……意地悪ですね、マスターは」

 

なんて、ランは笑う。

笑いたいのはこっちの方だ。嘘吐きの言葉に励まされる正直者なんて、笑い話にしたって滑稽過ぎる。

 

「そんな意地悪な人に説得されたら、きっと皆拗ねてしまいますから。あたしが頑張ります。……マスターが説得するのは、あたしだけですよ?」

 

ランには疑いなんて一つも無い。俺を信用していないのに、信頼だけは全力でしてくる。

そんなランの嬉し気な表情が眩しくて、俺は何か誤魔化すように口を開く。

 

「はっ。俺は詐欺師じゃなくて魔術師だぜ。……まぁ、遠くもないか。騙すのが個人か世界か、それだけの違いだ」

 

俺は教室の窓から離れる。もういい加減、桜を見るのも精神衛生上悪い。

ランも俺に続いて窓際から離れた。ランがさっきまで見ていたのはきっと慰霊塔だろうが。

 

「そろそろ行くか。あんな悪趣味な家庭科室、三葉の趣味じゃないだろ」

「はい。恵理さんには、もっと普通の……幼馴染の男の子を待っている家庭科室が似合います。勿論、ジャックナイフさんにも」

「違いない」

 

がらがらと扉を開けて、廊下に出る。行き先は決まっている。家庭科室だ。

歩き出しながら、ランは「そういえば」と切り出す。

 

「どうして、向こう側で直接恵理さんを説得しなかったんですか? 正直な話をすると、その方が手っ取り早いと思うんですけれど」

「……そうだな。確かにその方が手っ取り早い。ひっくり返った魂より、本人に直接言った方が話も通じるだろうしな。でも、それは駄目だ」

「何故です?」

 

――――脳裏に映る、ノイズ掛かった映像。

あいつが選んだ、あいつの結末。……何故だろう。憶えているだけでいい。そういう約束だった。だから思い出さなかった筈なのに、最近はよく思い出す。

その映像をどこかに追いやってしまいたくて、俺は口を開いた。

 

「悩みってのは、本来自分で解決するものだ。悩みを相談するのなら、他人の言葉に左右されちゃいけない。あくまでそういう視点もある、程度に止めなくちゃいけない。誰かに何かを相談した時、それを真に受けるのは弱い人間がする事だからだ。そうすれば言い訳が出来るからな。お前がそうしろと言った。あの時お前はこう言った。弱い人間は自分の選択の責任を誰かに求める。決めたのは何時も、どんな時だって自分なのにな。こんな場所に招かれるぐらいだ。三葉には悪いけど、俺にはあいつが強い人間には見えなかった」

 

強い人間っていう生き物は、迷いが無い。

笑顔のまま、それが当然であるかの様に。その後まで全部受け入れて、何の躊躇もなく足を踏み出す。

 

「……もっと残酷な話をすれば、俺達の目的は七不思議達が亡者の学園に登校しなくなる事だ。その目的を達成する為なら、別に三葉の人間関係を良好にする必要はない。ジャックナイフが納得すれば、その影響は必ず三葉に伝わる。多分その問題に対して前向きになるぐらいの小さな影響だろうけど、俺達が与える影響なんて、それぐらいで丁度いい」

「問題は自分自身で解決するものだから、ですか?」

 

俺は頷いて肯定する。それぐらいが丁度いい。

――――それ以上の干渉は、誰かの結末を穢しかねない。

 

「夢から覚めるお手伝い。お前が言ったんだぜ、ラン」

 

ランは俺の言葉にはっとして、「そうでしたね」とはにかんだ。

そうだ。こんな悪夢みたいな牢獄に繋がれている理由なんて存在しない。夢の中だけで願いを叶えるくらいなら、願いを叶える為に現を生きた方がいい。

そんな事を言っている内に、家庭科室へ辿り着いた。

家庭科室の扉の前で、俺はランに問う。

 

「……準備はいいか?」

「大丈夫です。ばっちりではありませんが、もうこうなったら行き当たりばったりです!」

「あぁ、そう。そういう方がお前らしいよ」

 

準備と計画をしてから相手を踏み倒しに掛かるのは俺の役割だ。ランはランらしく相手と向き合ってくれればいい。

そうして扉を開けようとして、俺はある事に気付く。

 

「……鍵が」

 

家庭科室の扉に、鍵が掛かってなかった。

今まで二回訪れた際には固く閉ざされていた。ランがどんな鍵でも開閉自在だったおかげで侵入出来たぐらいだ。

中から漏れ出す空気には、昨日の様な異常な気配は感じられない。

唯、一昨日とも違う。俺達の存在ははっきりと認識されている。とにかく、今は漣。これから起きるのが津波かどうかは、これから知ればいい。

――――何だ。俺だって行き当たりばったりじゃないか。

 

「ま、それで大丈夫だって思えるんだから、俺も毒されてきたって事だよな」

「え?」

「何でもねえよ。行こうぜ」

 

何はともあれ、鍵が掛かっていないのなら問題ない。扉を開けて、俺とランは家庭科室へ入る。

 

「何、やっぱりあんた等なのね。鍵開けといてやったわよ、感謝しなさい」

 

家庭科室の中に入るや否や、声を掛けられる。俺達にこんな風に刺々しく声を掛けるのはジャックナイフしかいない。

どうやら俺達を歓迎してくれるようだ。昨日の様にナイフを投げてくるのも、歓迎と言えば歓迎だが。

正直、どちらかと言えばその方がジャックナイフらしい。つまり目の前のジャックナイフは、彼女らしいとは言えなかった。

 

「ま、開けられるぐらいなら最初から開けてしまえ、って思っただけ。入ってくるのなんか、花と昼飯ぐらいだしね」

 

ジャックナイフは既にキッチンの方へ移動していた。

いや、そもそも今日は最初からキッチンに座っていたのか。

 

「俺達が来るのが分かってたのか?」

「何となくね。放課後は私が世話になったから」

「いえ……そんな」

「林檎剥いておいたわよ。どうせ食べるんでしょ?」

「いただきます!」

 

キッチンに置かれた林檎を示した言葉に、ランは飛びついた。

駆け寄ったランは林檎を食べ始める。まぁ、こういう時にいつも通りなのは安心出来るけど。

俺もランの後に続いて椅子に座る。味を感じられない林檎は遠慮するが。

 

「私もあんなだからさ、クラスでも友達少ないのよ。あぁいった悩みも発散する相手も居なくてね。昼飯がぐいぐい来るおかげで、いい機会になったわ」

 

俺達を歓迎してくれるのはそんな理由らしい。

義理難さは反転しても変わらないようだ。元は三葉なだけはある。

 

「目立たないって自分で言ってたの、嘘ではなかったんだな」

「もぐもぐ……それはそれとして、マスターが恵理さんの事を憶えてなかったのは酷い事ですからね?」

 

それは悪かったと思っている。もう憶えたし間違えないから、いい加減水に流してほしい。

ジャックナイフは俺達を見ながら、頬杖を突いて笑い、どこか遠くを想い……沈む。

相変わらず浮き沈みが激しい奴だ。魂であるが故に、何かの影響を直接受ける。

 

「そんな私を……ずっと見ててくれたのが、あいつなのよ」

 

あいつとは、山中(やまなか)(はる)の事だろう。

三葉(みつば)恵理(えり)の幼馴染。目下、三葉を一番揺らす事が出来る存在だ。

自分から話題に出してくれたのはいい切っ掛けだった。ランもこの機会を逃すまいと、自分から本題へ入っていく。

 

「……ジャックナイフさん。恵理さんとのお話で、あたしはもっとお二人の事が訊きたくなったんです。お話してくれませんか?」

 

ジャックナイフの方を見てはっきりと告げたランの言葉に、ジャックナイフは「やっぱりあんたはそうなのね」と呆れたように返す。

 

「始まりは幼稚園かしら。家が隣同士だったのよ。あいつ、昔からあんな感じでさ。人畜無害な優男って表現がぴったりかしら」

 

確かに、温厚そうなイメージは感じられた。幼馴染が言うならそうなんだろう。

 

「一緒に居たわ。それで私が一足先に小学校に上がって、晴も後を追ってきて。そんな時かしらね、あいつが家に泊まりに来たのは」

 

どうやらここからが本番らしい。

ジャックナイフとは思えないような過去を慈しむ表情に、ランは佇まいを直す。

 

「その時、お母さんと一緒にハンバーグを作ったの。『春君に食べてもらう!』って、にこにこ顔でさ。まぁ、味付けはお母さんが監修してるし、火加減もちゃんと見てるから間違いようがないんだけどね。唯一の不安要素だった下手くそに整形されたハンバーグを、あいつは食べて言ったのよ。『美味しい』って」

 

この話だけ聞けば、子供の頃から続く恋物語の序章にしか聞こえない。

 

「……素敵なお話です」

 

ランの感想を、ジャックナイフは鼻で笑い飛ばす。

まぁ、それは俺も同意見だった。ここから続く地獄は察しが付く。

素直に終わってくれるなら、“林檎を剥くジャックナイフ”なんて七不思議は存在していない。

 

「それでね、私は張りきっちゃって。お母さんにせがんだわ。『もっとお料理教えて!』って。誰に食べさせたいか、お母さんは分かってたのね。二つ返事で了承されて、私は料理を覚え始めた」

 

それが、三葉(みつば)恵理(えり)という存在の始まり。

延いては、“林檎を剥くジャックナイフ”という七不思議に繋がる呪いの始まりだった。

 

「料理を覚えていけばいく程、晴は喜んでくれた。晴が喜んでくれる事が嬉しくて、私は料理を覚えていった」

 

そうやって料理を覚え、安定した包丁使いを学び、呪いを深めていくのだろう。

そうして記憶を刻み、記録を記しても、山中(やまなか)(はる)三葉(みつば)恵理(えり)の始まりには至らない。

 

「善人なのよ、基本的に。いい子ちゃんで、晴が安心出来るように練習して。怪我した指を必死に隠して。心配してほしいくせに、気にしてほしいくせに……馬鹿みたい」

 

乾いた笑いを浮かべ、ジャックナイフは話す事を止めた。

これで一応の終わりらしい。目的と手段が矛盾した、幼馴染への恋慕。

 

「だから……ジャックナイフなんですね」

 

ランはどうやらジャックナイフが何故こんな姿になったのか理解したようだ。

――――危うくなりたかったんだ、こいつは。そして、危うくなるだけで満足だった。家庭科室の包丁が全てジャックナイフに変わっていたのも、振れ幅が大きい感情も、金色の髪と瞳も。全て、三葉が願った反転。危うさの象徴。

……それは。ここで叶えるしかない、ここでしか叶えられない、矛盾した恋慕への反逆だった。

 

「ジャックナイフさん。一ついいですか?」

「何よ。まだ訊きたい事があんの?」

「恵理さんは山中さんの事が好きなんですよね?」

 

ランの言葉に、一瞬時が止まったように思えたのは気のせいじゃない。

ジャックナイフの瞳に灯る感情が、呆れに逆戻りしていた。

 

「……馬鹿ね。あぁ。分かったわ、昼飯は本当に馬鹿なのね。馬鹿正直なんだから私と意見が合う筈だわ」

 

今更過ぎる質問に、ジャックナイフは俺を睨み付けた。俺はランの保護者じゃないんだが。

俺はランの肩を叩いて「察しろ」と小さく伝えてやる。確認を取らないと安心できないのは分かるが、察してあげるのも優しさだろう。

 

「だったら、答えは簡単です!」

「……言ってみなよ。聞くだけは聞いてあげる」

「伝えませんか。恵理さんの気持ちを」

 

開いた口が塞がらない。ジャックナイフの表情は、それ以外の表現が思い付かない。

一方、俺に驚きはない。ランは必ずそう言うと確信していた。

我に返ったジャックナイフはそんなランを嘲笑うように言う。

 

「馬鹿言わないでよ。それが出来たら、私はジャックナイフなんてやってない。林檎食べ過ぎて頭も林檎になっちゃった? 知らないなら教えてあげる。いい子ちゃんの条件はね、勇気が無い事なのよ」

 

ジャックナイフは仄かに怒っていた。

ランの真っ直ぐな言葉は、ジャックナイフには刺激が強過ぎるのだろう。

当然だ。夢の中で現実を突き付けられる程、不快な事も無いのだから。

 

「道を踏み外す勇気もない、臆病者である事。正しい事をするんじゃない。正しい事しか出来ないの。誰にも迷惑を掛ける勇気が無いから。誰にも甘える勇気が無いから。誰かに心配される勇気が無いから。自分一人じゃ幼馴染への願望一つ零せない私に、気にしてほしいなんて気持ちを伝える事が出来る筈もないでしょ?」

「そうですね」

 

あっさりと、ジャックナイフの言い分をランは認めた。

認めて、理解して。刃物の様な怒りへ臆する事なく、ランは言い放つ。

 

「でも、恵理さんは一人じゃありませんよ? いつも一緒に、背中を押してくれる人が居ますから」

「は? 誰よ。あんた? それとも花?」

 

ジャックナイフの疑問をランは首を振って否定する。そして絶対の自信を持って、当然の様に言い放つ。

 

「今も居ますよ。あたしの目の前に」

 

ジャックナイフは呆然とした。まるで、その可能性は少しも考えていなかった、とでも言いたげだった。

隣で二人のやり取りを見ていた俺も、正直言うと驚いていた。

ランは俺を見て、「ぶい」と得意気にピースサインをしてきた。……あぁ、一本取られたよ。

 

「冗談でしょ……?」

「あたしはマスター以外に冗談なんて言いません。それに、マスターは言っていました。悩みは自分で解決するものだって。恵理さんの悩みは恵理さん自身にしかどうする事も出来なくても、ジャックナイフさんは恵理さんの魂ですから。ジャックナイフさんが背中を押してあげれば、小さな一歩を踏み出す事が出来ますよ。……好きな人の為なら、それくらい頑張れますよね?」

 

止め、と言わんばかりに並びたてられた言葉に、ジャックナイフは押し黙った。

――――暫くの無音の後。ジャックナイフの身体が僅かな煌めきを放ち始めた事をきっかけに、“林檎を剥くジャックナイフ”は静かに口を開く。

 

「……あぁ、そう」

 

諦めたような寂しさを帯びた、だけど納得したような声。

それは――――夢から覚める合図だった。

 

「夢を見るのは終わりってわけ。はっ、ひっくり返ったその先に待っていたのが、まさか林檎を食べるだけの昼飯女だったなんて。誰にも会わずに一人で林檎を剥いていただけの、満ち足りて退屈な三週間だったけれど……まぁ」

 

一つ。二つ。三つ。

ジャックナイフが何かを数えていく度に。彼女の身体が透けて、存在が薄くなっていく。三葉の魂を掴んでいる取っ掛かりが消えていく。

 

「最後の三日間だけは――――剥いた林檎を食べてくれる友達が居て、楽しかったわ」

 

最後の最後に。満足気な笑みを浮かべて。

“林檎を剥くジャックナイフ”は、幼馴染に恋をする少女へと戻っていった。

 

 

          ◇

 

 

ジャックナイフさんを説得する事に成功して、そのままあたし達は亡者の学園から退散した。

『今日はもうこれで十分だ』、なんてマスターが言って聞かなかったので、あたしとしては従うしかない。

……あたしがマスターとの契約に縛られているとかそんな事じゃなくて。マスターがあたしを心配している事が、ありありと分かってしまったから。あたしが慰霊塔の近くで錯乱してしまった事を、気にしてくれているんだろう。

マスターは意外と分かり易い。ここじゃないどこかの時間を想っていたり、上桐先生と話している時は不機嫌になったりする。

少し理屈っぽいけれど、あたしに対して色んな事を話してくれて、優しくもしてくれる。

そんなマスターの気持ちを、あたしは無下には出来なかった。

マスターの部屋で、マスターは寝転びながら定時報告をして、あたしは宙に浮いている。

定時報告をするとマスターは直ぐに眠ってしまう。一日の終わりにする、最後の仕事だった。

 

「マスター?」

 

部屋の明かりを消してから名前を呼ぶと、マスターはこちらを見てくれた。

鉄色の瞳があたしを捉えて、「何だ」と訴えてくる。でも、どうしよう。あたしは特別用件があったわけじゃなかった。

 

「……一緒に眠っていいですか?」

 

思わず口に出たのは、そんな言葉だった。……結局不安なのは治らなかったんだ、あたしは。

マスターは何も答えず、目を瞑った。『好きにしろ』、とでも言いたげだ。

あたしはそんな優しさが嬉しくて、そっと近くに寄って背中に寄り添う。

マスターの熱を感じる。同時に、あたしの熱もマスターに伝わっている筈だ。嬉しいけれど恥ずかしくて、あたしは誤魔化すように語り掛ける。

 

「マスター。ジャックナイフさんは、もう登校しないで済むんですよね」

 

あたしは、誰かを助ける事が出来たんですよね。

 

「確証は無いけど、俺がランに言った通りなら、ジャックナイフはもう登校しない。あいつが見ていた夢はもう、三葉が辿る現になった筈だ」

「……上手く、行くでしょうか」

「さぁな。これ以上は俺達が関わる事じゃない。三葉と山中が決める事だろ」

 

マスターはそうやって区切りを付ける事が出来ている。現実を現実としてしか見ていない。

不安ばかりのあたしとは違って、マスターはやるべき事を見失わなかった。それはどんな経験が齎した冷静さなのだろう。

きっとあったのだ。自分の干渉が、相手の何を変えるのか理解してしまうような経験が。

そんな風にマスターとの違いを感じていたあたしへ、マスターはそっと続ける。

 

「……お前はお前であればいい。ジャックナイフが解放されたのは、お前が説得したからだ。あんな風に丸め込むなんて少し驚いた。上出来だよ、お前」

 

マスターが褒めてくれている。それに慰めてくれてもいた。そう理解すると、思わず顔が緩んでしまう。

不安もどこかに行ってしまう。――――簡単だな、あたし。

 

「マスターが色んな事を話してくれたからです。悩みは自分自身で解決するもの、って言われた時に思いましたから。きっと、ジャックナイフさんを説得するにはあぁ言うのが一番だって」

「お前と口喧嘩するのは止めておく……。何言われるか分かったものじゃない」

 

褒めてくれたと思ったらこれだった。意地悪なマスターに頬を膨らませて、あたしは抗議する。

 

「む、何でですか。変な事言いませんよ? と言うか、マスターの方が理屈っぽくて偏屈で口喧嘩強そうですけど」

「散々な言われようだな。間違ってないけど……ふあぁ」

 

食い付きも悪く、マスターは眠たげに欠伸をした。もう時刻は二時近い。流石のマスターも眠いのだろう。

あたしはマスターがよく眠れるように、背中を摩る。マスターは微睡ながら「ん……」とか言っていたけれど、やがて寝息を立てていった。

 

「お休みなさい、マスター」

 

今日はいい夢が見れるといいですね。

お昼に保健室で眠ったせいか、あたしはまだまだ眠くない。夜は長いんだから。まだ、もう少し。マスターを見守っていたかった。




人物メモ

深花(しんか)芳乃(よしの)
魔術師。
今日は特に何もしてない。最近、思い出さなくていい事をよく思い出してしまう。

ランチ
お昼代で契約した精霊。
ジャックナイフを説得し、今回の事態の解決の第一歩とした。今回の件で俺の考察が立証され、次回からの方針が固まった。
意外な事に弁が立った――――誰かが理屈っぽくて長話が好きですから。うつってしまったのかもしれませんね?

ジャックナイフ
何個か足りない七不思議の一つ、“林檎を剥くジャックナイフ”。
ランによって説得された事により、亡者の学園に登校させられる事はもうないだろう。
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