「やぁ。まさか君が休日に来るなんてね。昔を思い出すよ」
九月二十一日。調査四日目の昼は、そんな不快な言葉から幕を開けた。
場所は
“走り続けるスプリンター”の正体を掴む為に保健室に潜入しようと思ったのだが、鍵は既に開いていた。
嫌な予感がして開けてみれば予感は的中。上桐が事務机に向かい合って仕事をしていた。
因みにランは実体化している。本人もそれを望んでいた。魔力の消費は痛いが、放課後の調査が無い分そう長居をしなければ一日は持つだろう。
「休日に仕事を残してるのは相変わらずなんだな。働き者だこと」
嫌味たっぷりに返してやれば、上桐は「手厳しいね」と照れ笑いした。隣でランは苦笑いしている。俺と上桐の関係性は何となく理解したようだ。
昔の事はあまり話されたくない。忘れなければいいのだから、思い出す必要なんてない。
上桐もこの話題を続けようとはしなかったのは幸いした。直ぐに俺達の目的を訊いてくる。
「それで、今日はどんな御用かな。またランさんがお茶菓子を食べたくなったのかな?」
「頂けるんですか!?」
「今日は無しだ。いい加減食べ物で釣られるの止めろ」
嘆息しながら注意すれば、ランは本気で言ったわけではなかったのか「はーい」と軽く返してくる。どうやら、昨日のやり取りをそこそこ気にしているらしい。
……まぁ、上桐なら目的を話しても特段警戒する必要も無いだろう。認めたくはないが、こいつは俺に関しては色々と慣れている。そもそもランをこの学園に招き入れているのを黙認している時点で、上桐が何か言えた口ではない。
「全校生徒の体力測定テストの結果、ここに保管してあるだろ。それを見に来た」
「体力テストの結果? 確かに保健室で保管をしているけれど……それはまた変わったものを見に来たね」
俺の奇行にも大概慣れていた上桐も流石に首を傾げていた。因みにランも隣で首を傾げている。まぁ何故見るのかを言っていないのだから当然だった。
「身体測定の結果を見ない辺り有情だろ。どこに仕舞ってある」
「どっちも個人情報である事に変わりはないんだけどね。まぁ、深花君が女子生徒の身長や体重に興味が出てしまったわけじゃなくて安心したよ」
「マス……芳乃君、そういうのを唯のデータって割り切ってそうですけど。本人の前で当たり前みたいに女の子の体重言いそうですよね」
「ふざけんな。俺だって流石にそれぐらいのデリカシーは持ってる」
ランは訝し気に「どうせ最近の話ですよね」と溜息を吐いていた。その通りだ。厳密に言うと最近ランで学んだ。
こいつ本当に俺の性質を理解してきたな。まぁ、俺としてもランが俺の事を理解してくれているのはありがたい。
――――理解されてありがたいと思うなんて、俺も変わったもんだ。ランと一緒に居ると、俺の中で止まっていた何かが動き出すのを感じる。
「……そうだね。体力テストの結果なら、そこの棚に入っているよ。鍵はこれだね」
上桐は当たり前の様に事務机の引き出しから鍵を取り出した。
……こいつ。要求しておいて何だが、少しは守秘義務とかないのか。
俺の表情から言いたい事をを察したのか、上桐は穏やかな笑みを浮かべながら言ってくる。
「久城さんから聞いたんだけれど、この間僕が留守の間に、喘息の子の面倒を見てくれたらしいからね。そのお礼だよ」
そういえばそんな事もあった。あれは偶々居合わせただけだったが、それで借りれるなら文句はない。誰も不幸せにならないのに越した事はない。
「君はこういった形式や取引染みた事の方が好きそうだったから。これは変わってないのかな」
一々確認を取ってくる上桐の思惑は分からない。
俺が変わっていようが何だろうが、お前には関係ないだろうに。
「……まぁ、借りれるなら文句は無い。それじゃ、ラン。お前はここに居ろ」
「……え? 芳乃君はどこに行くんですか?」
完全に蚊帳の外になっていたランがいきなり自分に振られて間抜けな声を出す。
「体力テストの結果を探す前に、俺はこれから職員室に行ってくる。陸上部の名簿を借りてこなきゃならない」
たとえ体力テストの結果があっても、どのデータを参照しなきゃならないのか分からないのでは意味が無い。
かと言って職員室にランを連れて行くわけにもいかなかった。本来ランはこの学園の生徒ではないのだから、職員室に連れていくのは不味い。
結局俺が何がしたいのか分からないままのランを放っておいて、俺は保健室から出ようとする。……そうだ。
「上桐。俺が居ない間にランに何かするなよ」
扉を開ける前に、上桐に振り返りながら言う。
自分がどんな表情をしているのかは分からない。……まぁ多分、発言が冗談とは思われない程度には怖い顔をしているんだろう。
だが、それでも上桐には通じないようだ。
「勿論だよ。君の友人に失礼な真似はしないさ」
微笑みを崩さぬまま返された言葉に、俺は舌打ちを返すしか出来なかった。
◇
マスターは少し不機嫌そうに保健室を出ていった。
あたしと上桐先生が一緒に居る事が気に入らないのだろうか。別に何か心配をする必要も無いと思うけど。
……まぁ、確かにまだちょっとだけ上桐先生と話す時は怖がってしまうけれど。今だって長椅子に座ってお話出来る程度には、上桐先生には慣れたのに。
「あはは……何か芳乃君がご迷惑お掛けしてすみません」
とりあえずマスターの非礼を謝ると、上桐先生は慣れたように笑っていた。
「大丈夫だよ、あれぐらいならいつもの事だから。初めて会った時の様に他人行儀過ぎるより、所々が雑でも砕けてもらった方が僕としても話し易いからね」
他人行儀。マスターをそう評されて、あたしには疑問しか浮かばなかった。
確かに、マスターは口調は荒いしデリカシーも無い。でも他人行儀とは違う。
他人行儀というのはもっと冷たくて、他者に対する思いやりが無い人の事を差す筈だ。
マスターはそんな人じゃない。確かに人とは変わった付き合い方をする人だけど、冷たくなんてない。
以前のマスターはそれ程までに冷たい感じだったんだろうか。あたしはまだマスターと出会ってから一週間も経っていない。知らない過去だっていっぱいある。
「芳乃君と上桐先生は以前からお知り合いなんですよね。確か……共通のお知り合い――芳乃君のお友達が居たとか」
「そうだよ。……彼が二年生の時の春頃かな」
そう言って、どこか昔を懐かしむような表情を浮かべる上桐先生。だけどその様子をしっかりと見ている余裕はない。
今までマスターと上桐先生に話された内容が、あたしはどこか引っ掛かっていた。何だろう。どこかおかしい。数日前に二人が保健室で話していた内容とはどこかが――――。
「……時系列がおかしい?」
言葉にすれば、疑問は形になった。そうだ、話の順番がおかしい。
マスターと先生を結びつけた存在がマスターのお友達だとすれば、マスターとお友達は既に友人関係である筈。だけど、マスターが他人行儀だった頃を上桐先生は知っている。
それはありえない事だ。ここまではっきり他人行儀過ぎると言われる程なら、マスターに友人が出来る筈がない。
友人が出来ているのなら、上桐先生はマスターの他人行儀を知らない筈。これでは矛盾している。
この推理は正しかったのか、あたしの呟きに上桐先生は困ったように笑っている。
「……あぁ、ばれちゃったか。ごめんね。騙すつもりは無かったんだけど、深花君があまり話してほしくなさそうだったから」
「じゃあ、やっぱり」
また、上桐先生は昔を懐かしむような表情をした。
「そうだよ。深花君は、その友人より先に僕と出会っているんだ。……ほら、他人行儀過ぎると言っただろう?」
確かに、マスターは時々自らの人付き合いの酷さを認めている発言をしていた。
そしてその後は決まってこう言っている。『これでも真面になった』。『昔はもっと酷かった』。
……でも。
「他人行儀過ぎるって言っても、芳乃君はそういった日常会話で失敗するようなタイプだとは思えないんですけれど」
実際、今のマスターだってあたしや七不思議の人達と話す時に特別会話にならないわけじゃない。
相槌だって打てるし、自分から話したりも出来る。あたしが人見知りで会話を始められなかった時も、率先して会話を始めてくれたのはマスターだ。寧ろ初対面ではあたしの方がよっぽど会話になっていない。
あたしの疑問は的を射ていたのか、上桐先生は頷く。
「元から会話が出来なかったわけじゃない。唯、話の拡張性が無いって言うのかな。テンプレートみたいに、相手に合わせて貼り付けた会話しかしないんだ」
「貼り付けた会話……?」
よく分からない。あたしの顔にはそう書いてあったのだろう。
上桐先生は「例えば」と前置きして説明してくれた。
「僕がボールペンを落としたとする。ランさんが気を遣って拾ってくれる。当然それを僕に渡すよね。僕はそれに対して『ありがとう』とお礼を言う。こういった一連の流れを彼は大体の状況に持ち合わせていて、使い分けながら日常生活を送っていたんだ」
「……それは」
物事を手順化するのは大切な事だと思う。しっかりと手順を設定すれば、ミスは自ずと少なくなる。
だけど、それを人間関係でまでやってしまうのは、魔術師らしいと言うか、何と言うか。
当然テンプレートにも限界がある。その場その場で応対が変わる事が自然な筈の答えは、相手にとってはずれとして認識されていく筈だ。
「まぁ、それでも彼は頭の回転が速いのか、当人同士での問題は起こさなかった。だけど第三者から見れば話は別でね。主観と客観では見える範囲が違うから。当時の彼の担任がクラスに馴染めていないんじゃないかって心配して、僕の所に連れてきたんだ」
それが、マスターと上桐先生の出会いという事か。
マスターとしては不思議だったんだろうな。生まれてからずっとそのやり方で失敗してこなかったのに、今更人付き合いの仕方に異を唱えられるとは思ってなかった筈だから。
「出会った時の彼は、それは凄かったよ。僕もお手上げさ。今考えてみれば当然だよね。生徒と教師が会話する内容なんてそう多くはない。そんな相手との会話方法なんて、彼が確立していないわけがなかったんだ」
マスターの事だ。上桐先生との会話も学園生活を送る上で必要な事と割り切って、対応したに違いない。
相手を受け入れる事も否定する事もしない。最低限の接点で繋がるだけの無干渉。真面になったらしい今でも、その節は残っている。
……あれ、でもあたしは結構マスターに干渉されているような。あたしの事を色々気に掛けてくれているし、様子がおかしければ『どうした』と訊いてくる。
それは嬉しい事で――――ちょっと照れる。
あたしにとっては優しさに感じてしまうマスターの無干渉とは別に、人間としての当たり前の優しさの干渉に口元が緩んでしまうのを必死に堪える。
そんなあたしの百面相に上桐先生は不思議そうにしながら、続きを話してくれた。
「そんな時かな。彼女が来たのは」
「……え、お友達って女の子なんですか?」
ぴしゃりと雷が落ちたようだった。上桐先生は何て事なしに頷いてしまう。
「僕の所に相談しに来ていたっていう話はしたかな。運がいいのか悪いのか、初日に彼等は出会ってしまった」
「へ……へぇ。そうなんですねぇ」
さっきからあたしの精神状態は何一つ安定していなかった。
まさかマスターの唯一のお友達が女の子だったなんて。……いや、ちょっと待って。マスターの普段のデリカシーの無さからして、色々と失礼な事をしでかしていたんじゃないだろうか。
そういえばマスターは『デリカシーがない』とよく言われていたらしい。これはもしかして、もしかするのでは。
動揺しきったあたしの顔から何を考えているのか分かってしまったのか、上桐先生はおかしそうに軽く笑った。
「安心して。……残念な事に、彼と彼女はそういう関係にはならなかったみたいだから」
「……そうですか。安心、しました」
強がる気力も無く、あたしは深く息を吐いた。
でも、どうしてだろう。上桐先生の声は、笑っていても沈んで聞こえた。
「とにかく、彼女も彼女で凄くてね。深花君のテンプレートなんて知るか! って感じで、粘り強く且つ力強く、彼とぶつかっていった。少しずつ音を上げていく深花君は、本当に同じ彼なのか、って思ってしまったぐらいだよ」
成程。マスターを変えてしまう程のパワーを持った人なんだ。
きっとあたしとは正反対で、自分に自信があって力強い意志を持った人に違いない。
「……でも、確か転校してしまったんですよね」
マスターが二月に転校してしまったと言っていた。
もう半年以上、マスターはその人と会っていないのだろうか。遠い所に引っ越してしまって、そう簡単に会いに行く事は出来ないのかな。
再び会ったとして、マスターとその人はどんな会話をするのだろう。見てみたい気もするし……見たくない気もする。
複雑な感情が入り混じったこの言葉に、上桐先生は何故か苦しそうに唇を結んだ。
……何かに耐えて、呑み込んで。そうして漸く口を開いた。
「彼女が転校したというのは、嘘だよ。深花君が話さなかったから、僕もそれに合わせた。ごめんね」
「……え? それじゃあ、その人は今どこに?」
「……車には十分気を付けた方がいい。陽が落ちて暗くなってからは特にね」
自分の口からははっきりと言いたくはなかったんだろう。
そんな風に訊かれて、あたしには一つの事柄しか思いつかなかった。
「それって……」
あたしの言葉に、上桐先生は重く頷く。
交通事故。言葉にすれば簡単だけれど、最悪死に至る理不尽。
「詳しい事はよく分からないんだ。僕は現場を見る事は出来なかったし、どこでそれが起きたのかも分からない。僕が再会した彼女は、人が眠るには寂し過ぎる箱の中だった」
「……そう、だったんですか」
マスターがあたしに嘘を吐いた。そんな事はどうだっていい。傷付けない為の隠し事もある。マスターが教えてくれた事だ。
……今はそんな事じゃなくて。マスターにとって辛い思い出とも知らずに、呑気に訊いてしまったあたしが憎くて仕方がない。
そんな辛い事は知らない方がいいってマスターが思ってくれて。それも知らずに踏み込んで。あたしは知ってしまった。
「……君は、深花君にとても大切にされているんだね」
上桐先生はあたしの方を見て、穏やかに笑った。
その笑みの中に寂しさを感じたのは、きっと勘違いじゃない。
「率直に言うと、深花君はあまり物事に執着するタイプじゃない。情報は情報として処理するタイプだ。その彼が、君に気を遣って黙っていた。他にも彼は無い物を探すようになっていた。僕はそんな人間らしい彼を知らない。……きっと、彼女も知らなかった筈だ」
上桐先生もその人も知らない、人間らしいマスター。
それを知っているのはあたしだけ。……違う。そうやって気に掛けてもらっているのは、あたしだけ?
――――それも違う。変わった後に関わった人間が、あたしだけなんだ。
半年以上の間、マスターは人との深い関わりを避けていたんだ。
「……誰も知らないだけですよ。芳乃君はあたしに意地悪ですけれど、同じぐらい温かい気持ちをくれます。意外と分かり易い人なんです。好きなものは鍋ですし、鍋の有益性を説いて得意気になったりもしますし。……誰にも見せないだけで、人間が当たり前に持っているものを、当たり前に持っています」
嘘だらけのマスターだけど、これだけはきっと嘘じゃない。
不安なあたしと手を繋いでくれて。どこかに行ってしまいそうなあたしを抱きしめてくれて。迷ったあたしの背中を押してくれて。――――一人ぼっちが嫌なあたしと一緒に居てくれる。
その際に何か理屈をこねなきゃいけない不器用さだって、あたしは嬉しい。
「……そうか。君はそうやって、彼女の知らない彼を増やしていくんだね」
上桐先生は寂しそうに笑った。きっとそれは、今はもう居ない彼女を想っての事だろう。
ここには調査に来た筈なんだけど、マスターの過去を少し知れた。マスターにとっては辛い過去だろうけれど、知ってしまった以上は後悔はしてはいけない。何時かこの事を知っている事で支えになれるように、あたしは頑張らないと。
「そういえば、七不思議の調査は進んでいるのかな。もしかして、今日もそれで?」
「あ、はい。やっぱり陸上部が怪しいんじゃないかーって、芳乃君と相談してました」
いきなり話が変わって、あたしは少し驚いたけれど会話を続ける。
きっと上桐先生もこの話は終わりにしたいのだろう。誰だって、辛い事はあまり思い出したくない筈だ。
「あぁ、だから陸上部の名簿と体力テストの結果か……。“走り続ける少年”の調査は進んでないみたいだね」
上桐先生の言葉に頷く。その代わりと言っては何だが、“林檎を剥くジャックナイフ”と“童話へ還るアリス”はもう解決している。
未だにスプリンターさんの正体すら掴めていないのは不安だけれど、マスターはきっと正体に辿り着くって信じている。
後はマスターを待つだけなんだけど、どうにも帰りが遅い。どうしたんだろう。
手持ち無沙汰なあたしを見て、上桐先生は何か思い出したように手を叩いた。
「あぁ、そうだ。昨日保健室に来た子から、不思議な話を聞いたんだよ。もしかしたらこれも七不思議の一つかもしれない」
「新しい七不思議ですか?」
あたしの言葉に、上桐先生は嬉しそうに頷いた。こうして見るとどこか子供っぽい。
あたし達が知っている七不思議は、秋月さんから聞かされた四つ。“林檎を剥くジャックナイフ”。“童話へ還るアリス”。“走り続けるスプリンター”。“月に笑む少女”。
これ以外の七不思議が新しく出てくれば、これで五つになる。解決しなきゃいけない事態が増えるのはいい事じゃないけれど、無視していい事でもない。
上桐先生は記憶を引き出すように蟀谷を叩きながら話し始めた。
「確か……昇降口に姿見があるんだ。夜中にそれを見続けると、当然自分が映る。だけど映っている自分は過去の自分で、自分で自分の過去を永遠と見せ続けられる……そんな内容だったかな」
ありがちな話だった。でも、確かにありえない話ではないだろう。
昇降口には確かに姿見があった。マスターに聞けば、鏡に関する蘊蓄が出てくるかもしれない。古来より鏡はあーだの、魔術にとって鏡はこーだの。それを楽しみにしてしまっているあたしも、重症だ。
マスターが帰ってくるのを楽しみに待っていると、上桐先生は時計を見て驚いたように立ち上がる。
「いけない、もうこんな時間だ。軽く仕事を片付けるだけのつもりだったのに」
「えっと、用事があるんですか?」
「そうなんだ。深花君が来るって分かっていたなら予定を開けていたのにな。ごめん、ランさん。今日はもう保健室を閉めなきゃいけないから、外に出ててもらえるかな」
そう言われて、あたしは立ち上がる。別に鍵を開けるだけならばあたしの十八番だ。一先ずここをやり過ごして後からまた侵入すればいい、なんて思うのはマスターの影響に違いない。
……そういえば、肝心な事を訊き忘れていた。
「すみません、上桐先生。最後に一つだけいいですか?」
「うん。大丈夫だよ、僕に答えられる事なら」
再びこの話題をするのは酷かもしれないけれど、あたしはどうしても気になった。
「芳乃君のお友達の名前……教えてもらってもいいですか」
あたしの言葉に、数秒の間を要して。
偶に見るどこかの時間を想うマスターとは似て非なる表情で、上桐先生は告げてくれた。
「
温度の無い瞳を携えて告げられた、寂し気な言葉に。
――――かちり、と。ピースが嵌った。
……あぁ、やっぱりそうだったんだ。マスターは、ずっと。
「そうですね。とても綺麗で、素敵な名前です。教えてくれてありがとうございます」
あたしは全てを納得して。上桐先生へ頭を下げた。