お昼代契約ランチちゃん   作:昼飯用

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カミキリムシの桜被害で検索しよう! 全部偶然だぞ!


30.夢に誘う天牛

九月二十四日。時刻零時。静かな風が吹く夜だった。

日付が変わったばかりの穂叉(ほさ)学園は、もう一つの姿を見せる。

亡者の学園。百四十年も前に肉体を失い、穂叉(ほさ)学園の中庭に建てられた慰霊塔を拠り所にしている魂が、嘗て通っていた校舎に幽霊として登校をしていた。

年月の経過により摩耗した魂は最早思考を持たず、魂にこびり付いている生前の行動を繰り返すだけのロボットと化している。だが、自らの意思を持たず周囲の状況に流され続けるその姿は、正しく学園生活と呼べるのだろう。

そのロボット達の中で、自らの意思を持つ存在が数人だけ存在していた。

何個か足りない七不思議。慰霊塔に集う魂達とは時代が異なる生徒達は、自らの悩みを起点として魂を掴まれて亡者の学園に登校させられていた。その内の一人、“月に咲く死垂桜(しだれざくら)”。染衣(そめい)(さくら)の魂である彼女は、友人である深花(しんか)芳乃(よしの)の手によって解放された。

それだけならば問題はない。九月十九日にカッターを握った芳乃の腕に飛び込んで自殺をした彼女だが、九月二十一日には変わりなく屋上にて月に笑む姿が目撃されていた。

 

「はぁ、はぁ……」

 

白衣を着た一人の男が、勢い良く校舎の階段を上がっていた。

目的地は屋上。最上階まで上らなくてはならない事は普段から運動をする習慣がない彼には堪えたが、そんな事を気にしている余裕はない。男は焦燥に支配されていた。

男は屋上に繋がる扉の前まで辿り着いた。以前こっそりと盗み出して複製していた屋上への扉の鍵を慌ただしく取り出して、乱暴に鍵穴に入れて解錠する。

身体を叩き付けんばかりの勢いで扉を開け、勢いを制御しきれず転がるように屋上へ出た。

体勢を整える事さえ忘れ、男は月を見る。

男の視線の先には、いつもの様に彼女が宙に浮いていた。赤を彩る桜色の髪と、赤に沁みる制服。変わらぬ血塗れの姿で死を垂らし、月に笑む。

男はその姿に安堵と心痛の二律背反を抱えるが、今は安堵の方が勝ったようだ。

彼女の魂を感じられない時は焦ったが、蓋を開けてみればいつも通り屋上に居た。いつも通りであるのならば、いつも通りに始めるべきだ。

 

「おはよう」

 

挨拶が男と彼女の、亡者の学園での始まりだった。

男がこう言えば、彼女は振り向いて静かに笑う。言葉が返ってくる事などありえなかったが、それだけで男は十分だった。

だが、静かに笑みを待つ男に彼女は応えない。

やがてゆっくりと振り向く彼女の姿を見て――――男は、驚愕に目を見開いた。

 

「やっぱり、あなただったんですね」

 

本来ならば潰れている筈の貌が、はっきりと見えた。桜色の暖簾の下から覗く青空の様な薄青の瞳は、憐憫と畏怖が入り混じった色で男を見ていた。

明らかに自らの記憶と違うその瞳に、男は動揺を隠せない。

 

「どうし、て――――」

 

男の言葉を合図に、彼女の姿は変わっていった。

季節が移るように、桜は先から少しずつ青空に。制服は一瞬の輝きと共にまるで最初から着ていなかったかの様に、ローブへと変わっていた。

染衣(そめい)(さくら)への擬態を解いた彼女――ランは、ふわりと地面に着地した。

 

「――――どれだけ待っても、桜はもう来ないよ」

 

ランが着地するのと同時に後方から掛けられた言葉に、男は振り向いた。

屋上の出入り口を塞ぐように、眼鏡を掛けた一人の少年が立っていた。黒色の髪が風に揺れ、眼鏡の奥から覗く鉄色の瞳は温度も無く男を捉えている。その眼光はよく研がれたナイフの様。

粗暴な口調という友人から貰った仮面を外した少年――深花(しんか)芳乃(よしの)からは、およそ感情というものが感じられなかった。

 

「想定外の事が起き過ぎて頭が追いついていない、って顔をしているね。魔術師は頭が固くて困る。死霊が集う慰霊塔があるこの学園は、自分の庭とでも思っていたのかな。残念だろうけど、独り善がりの人形劇はもうお終いだ。この亡者の学園には明日は来ないよ……上桐」

 

名を呼ばれ、現実に引き戻された男――上桐(かみきり)(さとる)は、観念したように小さく笑った。

 

「参ったな……まさか君が戻ってきてたなんて。どうやって?」

「僕が戻ってきた方法なんてどうでもいいんじゃない? まぁ、術式が解除されない限り君が感知出来ない仕組みにしたのは、詰めが甘かったかな。おかげで学校を休むだけで騙せたよ。生きている七不思議の連中の捕らえ方と言い、どうやら生者を相手にするのは苦手みたいだね」

「深花君の言う通りだ。僕は死霊専門なんだ。生者相手には色々と機能を限定しなければいけなくてね。……そこまで分かっているのなら、もう全部お見通しなのかな」

 

自分がこの一連の事件の犯人である事も、誰の為にやっていたのかも。

悟の問いに涼し気に頷く芳乃の隣へ、ランは並び立つ。

手を繋ぐようにそっと自らの制服の袖を握るランに気付き、芳乃は小さく笑う。ほんの僅か、誰にも気付かせない程に。

それも一瞬の事で、直ぐに温度を失って、悟を視界に捉えた。

 

「“夢に誘う天牛(カミキリムシ)”……てとこかな、君は。さぁ、どこから話そうか。愚かな魔術師の、たった一人の為の愚行の積み重ねを」

「……始まりから、お願いしようかな」

 

自らの行いを愚行だと言われた悟だが、憤慨する気にはなれなかった。

唯静かに芳乃の話を聞く体勢を取り、それを確認した芳乃は話し始める。

 

「始まり……ね。なら僕が桜の自殺を事故に歪曲した所からかな」

「……上桐先生は知っていたんですよね、桜さんは事故に遭ったわけではなく、自殺で亡くなったって」

「そうだよ。だけど、知ったのは暫く経ってからさ。……とにかく、染衣さんが亡くなった時期から、僕と深花君は疎遠になった。理由は分からないけどね」

 

その言葉に芳乃が何かを堪えるように静かに息を呑んだ事を、ランは気付いた。

小さく袖を引いて彼を支え、それを受けた芳乃は続ける。

 

「君は桜の身体から抜けた魂を捕まえ、別の身体――人形に定着させた。霊を専門としている君なら造作もない事だ」

「肉体から乖離した魂は消耗を重ね、やがて消えてしまう。彼女が生きる為には身体が必要だったんだ」

「人間の魂は人間の肉体に宿ってこそエネルギーを得る。そんな仮初の人形は唯の憑代に過ぎない。だから君は用意したんだろう? エネルギーを供給する、別の存在を」

 

そこまで告げ、芳乃は視線をある場所に向けた。

中庭にある慰霊塔。そこで咲き誇る枝垂れ桜。その中で唯一本だけ違う桜。ソメイヨシノ。

それが答えだった。彼女の魂を宿した人形はソメイヨシノの下に埋められ、ソメイヨシノの生命エネルギーを分け与えらていた。

 

「よく気付いたね。流石は深花君、と言った所かな」

「使い古された手口だよ。気付かない方がどうかしてる」

「染衣さんが眠る時には、彼女が好きだと言っていたソメイヨシノの下で眠っていてほしかったんだ」

「知ってるよ。くだらない感傷だ。独り善がりが透けて見える」

 

嘲るような言葉選びだが、口調は淡々としていた。

芳乃との契約の対価である明日のお昼代によって、ランは自らの存在を支えている。

存在を維持する方法としては“月に咲く死垂桜(しだれざくら)”と同様であるランが傍に居る芳乃が、悟の手口に気付かない道理が無い。

だが、そう頭では分かっていても、ランはそんな芳乃にどこか違和感を感じていた。

 

「だから、ソメイヨシノは今年、枯れたわけでもないのに花を咲かせなかったんですね……。花を咲かせられる程のエネルギーが、残ってないから」

「桜が自殺した当時の話はこれで終わり。そこから君は半年もの間準備をして、この学園に“結界”を張った。違う?」

 

確信を持って問うてくる芳乃へ、悟は降参だと言わんばかりに肩を竦めた。

自らの行いを一つ一つ洗われて真相に辿り着かれようとしている立場からすれば、真綿で首を絞める苦しみで押し潰されかねない。

 

「“結界”の範囲はこの学園の敷地ぎりぎり。張った時期はそうだな……夏休みの終わりぐらいかな?」

「当たりだよ。半年も準備した“結界”をこうもあっさりと見破られるなんて。やっぱり、僕は死霊の相手以外はてんで駄目みたいだ。魔術師としての才能の違いかな」

「経験の差もあるだろうけど、最大のミスは場所が悪かった事さ。協会に属していないのが仇となったかな。二度と来ない次の参考にでもするんだね」

 

悟はその言葉に首を傾げるが、芳乃は「知らなくていい事だ」と説明を省く。説明をしてやる義理も無い。

上桐(かみきり)(さとる)の一連の行動を辿る上では、彼がミスをした以上の事実は必要無い。

 

「これで桜の魂を活動させる舞台は整った。君は穂叉(ほさ)学園が亡者の学園と化すこの時間に、桜の魂を呼び寄せた」

「一番最初にここに来た七不思議は、桜さんだったんですね。それからあの三人が……」

 

ランの言葉を、芳乃は否定の言葉で遮った。

それに驚いたランが芳乃の顔を窺う。そのやり取りがあまりにも慣れたように、何より自然に見えて、悟の心は認めたくない苛立ちに蝕まれる。

 

「……じゃあ、誰なんです?」

「目の前に居るじゃないか。二番目は僕だよ、僕」

「……ええぇぇええええ!! そうなんですか!?」

 

悟は自分の苛立ちにも気付かずにこちらを向いてくるランに、どこか毒気を抜かれてしまった。

こういった彼女の純真さに芳乃も心を許していったのだろうと考えると、素直に質問に答えざるを得なかった。

 

「深花君の言う通りだよ。染衣さんの一番の友人と言えば彼を措いて他にない。だから僕は、眠っている彼の魂を、君達が謂う所の亡者の学園に誘導しようとした。残念ながら失敗したけどね」

 

深花(しんか)芳乃(よしの)の“属性”は強い“無干渉”だ。芳乃は他人からの魔術的や精神的な干渉には強い耐性を持つ。

死霊以外への干渉が不得手な悟にとっては、ある意味天敵に等しい相手だった。

呑気に「へー」と納得しているランに、芳乃は「とにかく」と続ける。最早ランに対しての説明と化していた事は本人も自覚していた。

 

「僕の魂を捕らえる事に失敗した上桐は、新たに悩みを持つ生徒を夢に誘った。“林檎を剥くジャックナイフ”、“童話に還るアリス”、“走り続けるスプリンター”の三人さ。学園で養護教諭をしている君にとって、悩みを持つ生徒なんて待ってれば向こうからやってくるからね」

「……でも、どうしてあの三人だったんですか? 悩みを持っている生徒なら、他にだって居た筈なのに」

「あの三人に共通する点は、『恋の悩みを抱えている女子生徒』。そうだろう?」

 

確認を取る芳乃へ、悟は頷いた。

そこから感じた彼の傲慢さを芳乃は許せなかったが、感情が零れる直前に堪える。眼鏡をしてきた甲斐があったというものだった。

 

「そこから、彼女達は亡者の学園で活動をする事になった。楽しかっただろうね。何しろ望みが叶うんだ。『危うくなりたい』、『素直になりたい』、『恋人として胸を張りたい』。それら全てを当然の様に叶える場所を、夢と呼ばずに何て呼べばいい」

「だから……“夢に誘う天牛(カミキリムシ)”」

「そうなると、僕も七不思議の一員かな。これで六人。あと一人は誰なのかな?」

 

悟の促しを、芳乃は静かに返す。

 

「……七人目は永遠に欠番さ。さて、こうして活動していく内にジャックナイフ、アリス、スプリンターの三人は七不思議として学園内で噂になっていく。生者の魂が残す歪みが、世界の帳尻合わせを残影として耐えきってしまう事態が起きたんだ。僕が“結界”の存在を報告した協会から亡者の学園の調査を依頼されたのはこの頃。夏休み明けぐらいかな」

「三人だけなんですか? “月に笑む少女”は……」

「それは僕が流した噂だよ。染衣さんの一件があった後、屋上は深花君が封鎖している。元々立ち入り禁止だったという事になっているんだ。そんな場所の噂が広まるわけがないから」

 

だが、一度流布されれば学生間のコミュニティによって確実に広がっていく。

噂話が誰によって流されたかなど、気にする人間は存在しない。そもそもその話が本当かどうかさえどうだっていいのだから、発信元など尚更だ。

悟の言い分を聞いた後に、芳乃はランの方を見た。

 

「そこから二週間経って、僕とランは亡者の学園の調査を開始した。ランが優秀だったおかげでね、穏便に事を運べた。……まぁ、その辺りの経緯は君だって知っているだろう」

「そうだね。一人ずつ夢に誘えなくなっていく様を見て、君の介入を覚ったよ。ランさんまで一緒に居たとは思えなかったけどね。……思わぬ伏兵だった。つくづく運が無いね、僕は」

「僕だけじゃ、あぁはいかなかっただろう。ある意味じゃ一番君を追い詰めたかもね。そうして七不思議達を全員亡者の学園に登校しないで済むようにした僕達は、桜の魂を誘えなくなった君が亡者の学園の屋上に確認しに来ると確信した。桜の姿に似せたランを配置しておけばいい餌になると思ったけど、その通りだったね」

「あたし、イメージする事で姿を変えられるんです。桜さんの事はしっかりと見させてもらいましたから、ばっちりイメージ出来ました。騙すような真似をして、すみません」

 

申し訳なさそうに頭を下げたランを、悟は責める事は出来なかった。

この少女は危険だと背筋が粟立つのを抑える事に必死で、そのように批難する選択肢さえ頭に思い浮かばなかった。

 

「さて、僕は別に君がやった事と理由に興味なんか無い。真相は明かした。真実は協会の取り調べで好きなだけ言えばいい。僕からはこれで終わりだ。……僕からはね」

 

本当に会話を終わらせる気で壁に凭れ掛かった芳乃にそう言われて、悟は目の前にいる薄青の少女を強く意識して、恐れた。

どうしてそんな風に悲し気にこちらを見るのか、理解が出来なかった。

その瞳のままどんな言葉を吐き出すのか、全く予想が出来ない。

 

「どうして、こんな事を」

 

そんな当たり前の事を問われる謂れは、悟には無かった。

 

「決まっているだろう、彼女の幸せの為だよ。初めは深花君が歪めた通り事故だと思っていたから、彼女にまた学園生活を送ってほしいと思ったんだ」

「マスターを最初に亡者の学園に誘ったのは、当然桜さんと会わせる為ですよね」

「そうだよ。それを失敗した事は、さっき言ったよね」

「完全に失敗したわけじゃないけれどね。僕を誘うのには失敗したけれど、記憶の一部は掠め取った。それもまた不完全で、桜との会話がいまいち思い出せないような記憶障害を僕に残した」

 

飽くまでランの情報の補助の為に、芳乃は会話に参加する。

興味の無さをアピールするかの様に、視線は月へと向けられていた。

 

「深花君が魔術師だと知ったのは、その記憶のおかげだ。染衣さんの死が事故ではなく自殺に因るものだと知ったのもね。僕は半年程、彼女の死を誤解していた事になる」

 

誤解が解けた時、霞掛かっていた視界が急に晴れたような錯覚に陥ったのを、悟は憶えている。

その後自分が何をすればいいのか、天啓の様に閃いた事も。

 

「マスターが言うには、ジャックナイフさんとアリスちゃん、そしてスプリンターさんの三人に共通する点は、『恋の悩みを抱えている女子生徒』だそうですけれど。どうしてその共通点を持った人達を誘ったんですか」

「簡単な事さ。恋愛の悩みを抱えている者同士なら、話が合うと思ったんだ。残念ながら、彼女達は肉体の姿とは変わってしまって、染衣さんどころか誰とも関わろうとしなかったけれどね」

「あの三人を説得しても、何も妨害が入らなかったのはそういう事か。友人になる気が無い七不思議達には、君はもう用が無いからね」

「あなたを信用して打ち明けてくれた悩みを、そんな風にしか見ていないなんて……」

 

悪びれる事無く告げる悟を見て、ランは悲し気に目を伏せた。

魔術師という存在そのものを恐れ、哀れんでいるような仕草だった。

月を眺める視界の隅でそれを確認した芳乃は、その仕草を尊く思う。

そして仄かに安堵して、もう二度と会う事が出来ない友人が、自らを唯の魔術師とは変えてくれた事に感謝した。

 

「そこに居る男は、慰霊塔に集う死霊に惹かれてこの学園に赴任した魔術師だ。養護教諭をしているのだって、生者の感情の動きを観察して、死者の動きとの違いを確かめたいからだよ。倫理観や良心なんて、問うだけ無駄さ」

 

そういったものが欠如しているが故に、彼は職務に励んでいた。悩みを相談しに来る生徒は研究対象だ。対象を観察する事を怠る研究者など居ない。

個人的な感傷なんて一つも持ち合わせないが、熱心に話だけは聞く。そうして悟は養護教諭としての偽りの信頼を築き上げた。

染衣(そめい)(さくら)上桐(かみきり)(さとる)に惹かれたのも、人間をデータの様に眺める平坦さを感じていたからかもしれない。

 

「別に僕は否定しないけどね。魔術師としてはそう珍しい事じゃない。事実、僕だってそうだった」

 

だからこそ、芳乃には分かっていた。

染衣(そめい)(さくら)上桐(かみきり)(さとる)という魔術師に与えた影響は、彼にとって致命的なものであったのだと。

唯一の例外を、魔術師は作ってしまった。それは綻びとなり、やがては魔術師としての在り方を瓦解させた。

 

「認めたくなかったんだろう? 桜の想いが、自分の魔術師としての信念より重いだなんて。だから断った。そして失ってから気付いたんだ。君の中で桜は、もうどうしようもなく大きな存在になっていると」

「……そうだよ。たとえ何を失ってでも、僕には彼女を救う責任がある」

 

あの時、彼女の告白を断らなければ。彼女は今でも笑っていた筈だ。

そう思うだけで、胸が張り裂けそうな程の後悔が悟を苛む。そして、少年の記憶から少女の真実を見た瞬間に。上桐(かみきり)(さとる)は誓ったのだ。

過去に犯した過ちは消えない。だからこそ、自分が奪ってしまった彼女の未来は、必ず今より幸せにしよう。

その為ならどんな犠牲を払う事も厭わない。自分も、他人も。全て。

彼女が幸せになる為の痛みなら、甘んじて受け入れよう。

 

「君ならそう言うと思ってた」

 

桜から向けられていた感情が愛ではなく恋だったのなら、自分と悟の立場は逆だったのかもしれないと思うと、芳乃はぞっとした。

ランは悟の言葉を受けて、憐憫の目で彼を見る。

 

「……可哀そうな人。全てを失いたくないから全てを失って、全てを失った後に全てを失う覚悟をするなんて」

「何とでも言ってくれて構わない。僕はこれが染衣さんに出来る唯一の救いだと信じている」

「でしたら、何故マスターを鏡の中に閉じ込めたんですか。それも桜さんが救われると思ったからですか」

 

話せば話す程、ランには悟が分からなくなっていった。まるで得体の知れない生き物と話しているようで、少しずつ怖くなっていく。

当然の様に頷く悟の姿は、より一層その印象を強くした。

 

「僕じゃ染衣さんを幸せにする事は出来ないのは分かった。だけど、深花君とならきっと幸せになれる。カウンセリングの時、君を待ちながら君の事を話す染衣さんは幸せそうだった。人間的に相性が良かったんだろうね」

「君が人の相性を語り出すのは、冗談にしても笑えないね。まぁ、あれは実際してやられたよ。僕を釣る為の餌は、鏡に張り付けた僕の記憶自身。描いていたのは空の術式で、僕の魔力を通す事で起動するようにしていたなんてね。確かに僕自身が起動した術式なら、“無干渉”には阻害されない」

「深花君の記憶と空の術式なら、魔術的痕跡は探られないからね。流石に自分で起動した“結界”の中なら、君にも干渉が効くと踏んでいたよ。ランさんが最後に介入して来なければ、深花君の魂をコントロールする事が出来たのに」

 

桜の後を追って飛び降りていれば、魂を掌握されていたに違いない。芳乃は心の中で素直に悟の手腕を称賛した。

自分が“無干渉”を頼りに相対する事を見抜き、それに即した罠を仕掛ける辺りは腐っても魔術師なのだろう。

 

「危うく七不思議の仲間入りだ。“回想するソメイヨシノ”とでも名乗ろうか。……まぁ、君が創る学園生活のパーツにされるのは気に食わないけどね」

 

友人として七不思議の三人を、その他大勢の生徒として慰霊塔の亡者達を。

そして、当初とは違うが真実を知った今だからこそのもう一つの可能性として、“回想するソメイヨシノ”を誘う事で。

“月に咲く死垂桜(しだれざくら)”が幸せになれる亡者の学園を、“夢に誘う天牛(カミキリムシ)”は創り上げようとしていた。

 

「……唯、一つ解せない事がある。七不思議に絡めるにしたって、内容をランに直接教えるのはリスクが高い。もっと人を使って遠回りで伝えれば安全だったろうに」

 

ランが姿見の話を誰から聞いたかを芳乃に伝えない筈はない。つまりそれは姿見に仕掛けた罠を張った人間が誰であるか自白するようなものだった。

あの姿見から出さない絶対的な自信の表れなのかと芳乃は疑ったのだが、悟はランに視線を移す。

 

「それは、君のせいだよ。ランさん」

「あたし……?」

 

完全に想定していなかった名前を呼ばれ、ランはおそろおそろ呟く。

悟から向けられるその視線の色がとても狂暴に思えて、知らず後退りをした。

ランが後退りをした姿を見て、悟はお互いがお互いの在り方を恐れているのだと理解した。

 

「久しぶりに会った深花君は、半年前とはどこか違っていた。あんなに人を大切にする気持ちを言葉にする事はなかった。誰かに理解を求める事なんてしなかった。そんな深花君は、染衣さんはきっと求めない。ランさんと一緒に居ると、深花君は変わっていってしまう」

 

ランが芳乃を変えていく。当たり前の様に桜が居た筈の場所に居て、“無干渉”に埋もれていた、彼の人間性を引き出していく。

それは桜が求めていたような関係の気楽さには不要だった。これ以上の変化を深花(しんか)芳乃(よしの)はしてはならない。

染衣(そめい)(さくら)の幸せの一番の障害は目の前の少女なのだと、上桐(かみきり)(さとる)は保健室での会話で理解した。

 

「これ以上深花君が変わってしまう前に、染衣さんとまた学園生活を送ってほしかった。そして新たな恋を知ってほしかった。それが、僕が彼女にしてあげられる唯一の事だ」

「……ここまで独り善がりだと、死人への手向けだろうと遠慮願いたくなるね」

「染衣さんは死んでなんかいないよ。この亡者の学園で、彼女は確かに生きている。そんな事、君が一番知っているじゃないか」

 

その言葉を受けて、芳乃はこの会話の中で初めて悟の方を見た。

彼の決意はその表情から読み取れた。上桐(かみきり)(さとる)は本当に今更、染衣(そめい)(さくら)を恋をしている。

死者にしか関われなかった男は生者を愛する事が出来ず、生者が死者となってから恋をした。

 

「……君が僕達を夢に誘う為に使った術式は、悩みにつけ入る有無はあっても基本は同じ。そうだね」

「そうだよ。悩みみたいな心の隙が無いと、僕は夢へ誘えない」

「もう一つだけ確認しよう。君は夢に誘った相手の悩みの存在の有無までは分からないよね。そうでなければ、一々自分にカウンセリングを受けに来た生徒達から候補を選ぶ必要は無いから」

「君の言う通りだ。もっと適した存在が居る可能性はあったけれど、僕は生者の心を覗き見る事が出来ない。はっきりと悩みを持っていると確信が持てる相手じゃないと、誘いが成功する保証は無いよ」

 

その返答を聞いて、確信を得て。

深花(しんか)芳乃(よしの)という魔術師は、上桐(かみきり)(さとる)という魔術師の間違いを正す。

 

「だから君は間違った。桜の死を受け入れず、生者の悩みの有無が分からない君には、誘う魂が生者か死者かの判別さえ出来なかった」

「……そういう事、なんですね」

 

死者の魂であるのなら、死霊を専門とする悟にとって誘う事は容易い。

生者の魂であるのなら、つけ入る隙があれば誘う事は不可能ではない。

両者の魂を誘える悟には、誘った染衣(そめい)(さくら)の魂が生きているか死んでいるかの区別は出来なかった。

魂の摩耗と言う死者の魂の特徴は、魂を入れた人形がソメイヨシノから分け与えられるエネルギーによって解消されてしまっている。

 

「そんな……そんな筈はない! 染衣さんは生きている。だったらどうして、他の生徒達の様に姿が変わっているんだ! あんな幽霊の姿、生きている姿からは程遠いじゃないか!」

「だから、しっかり死んでいるじゃないか。僕は二週間もの間、昇降口で魂達の登校を監視していた。その中に桜の魂は無かった。桜は直接この屋上に来ていたんだ。……知らなくても無理はない。昇降口を通らなければ、姿はひっくり返らないんだよ」

「……、」

 

ランは物憂げに顔を伏せた。

それは声を荒げてまで反論する悟の姿が、あまりにも痛々しくて見ていられなかったのか――――それとも。

 

「それにね。君が桜へのエネルギー供給源として選んだソメイヨシノ。あれは失敗だった。あのソメイヨシノには霊体を十分に活動させる程のエネルギーは無いよ。理由は別に、君は知らなくていいね」

 

顔を伏せたまま、ランは“月に咲く死垂桜(しだれざくら)”の一連の現象に納得をしていた。

霊体であるランにはよく分かる。“月に咲く死垂桜(しだれざくら)”は真面に言葉を発せなかった。この世界に声を出力出来る程、彼女は魔力を持っていなかった。

少ない魔力で十分に動かない霊体は、無駄な手順を踏まず屋上を直接を目指した。自らの最期を看取ってもらった場所を、魂が求めたから。

『人は自らの魂が求める何かと引き合う』。『それが肉体という枷から解き放たれている霊体なら尚更の事』。秋月(あきつき)神無(かんな)が語った言葉だ。

そして昨日、“月に咲く死垂桜(しだれざくら)”の声がはっきり聞こえたのは、前回芳乃に貫かれた際に彼の魔力が流れ込んでいたから。

悟ではなく芳乃に対して話す為に魔力を残しておいたのは、自らの魂を静かに眠らせてほしかったのだろう。

それが出来るのは芳乃だけで、結局芳乃は桜と一度も言葉を交わす事はなかったのだが。

 

「僕が屋上を閉鎖なんかしなくても、“月に笑む少女”の噂話は出回らなかったよ。生者ではなく、十分に活動が出来ない霊体が、世界の帳尻合わせを耐えられる理由がない」

「どうして君は、そうも冷静にそんな事を言えるんだい」

「はぁ? 僕は魔術師だよ? 事実は事実でしかない。桜は死んだ。この屋上で、僕の目の前から飛び降りた。どれだけ書面を取り繕っても、騙せるのは世間だけだ。関わってきた人間は騙せない」

「仮に染衣さんが死んでいたとして、何かをしてあげたいと思う事は間違いなのか! 彼女の死を誘った後悔を抱えたまま、一生を生きるしかないって言うのか!」

 

怒りと悲しみが混じった咆哮を、芳乃は真っ向から受けていた。

芳乃には視界に映る自分より年上の男性が、何故だか現実よりずっと小さな子供に見えていた。

 

「死者の為になる事なんか何もない。それ等は全て自分への慰めにしかならない」

 

そして、そんな風に感情を剝き出しにする程に一人の人間を想う人間に対して追い打ちを掛ける自分が、まるで悪役の様だと自嘲する。

羨ましい、とは思わない。あぁなりたくない、とさえ思った。だけども、本当に。この男は一人の少女に恋をしているのだと、そう思った。

 

「……桜はね、満足して死んだんだよ。自分の命の終わりを自分で決めたんだ。君に想いを届けて、僕に優しい言葉を掛けられて。それで満足だったんだよ。本当に、僕達って分かってないよね」

「マスター……?」

 

伏せた顔を上げて、ランは後ろへ振り向いた。

視界の先の少年は、もう二度と会う事が出来ない友人が咲いた月を見ていた。

ランにとってはその瞳の中にある感情は、上手く言葉に出来なかったけれど。

どうしてそれが自分に向けられないのかと。――――小さく小さく、唇を噛む程に綺麗だった。

 

「桜の死を誘ったとか、桜の死を穢したとか、そんなもの全部僕達の思い上がりだ。そんなものでどうにかなる程、桜は弱くないよ」

「……あたしも、そう思います。あたしはマスターの記憶の中でしか桜さんの事を知りませんけれど。桜さんの人生は、喜びに満ちていたと思います。呆れてる時も、困った時も……ずっと、笑っていましたから」

 

そんな風に桜の事を憶えていてくれる存在は、芳乃が桜にとってそうであったように、芳乃にとって救いだった。

だからランの言葉に、芳乃は小さく「ありがとう」と呟いた。

それは、いつも桜から送られた感謝の言葉。屋上から飛び降りる時も、彼に貫かれ自殺する時も、彼の腕の中から月に咲く時も。

自らの死を否定しなかった友人への、彼女が送った唯一の言葉。

だが、その瞬間を知らない悟へは、桜の真実は残酷な現実でしかない。

 

「たとえそうだったとしても、遺された人間はどうなるんだ。誰もが君みたいに、現実に納得して後悔もせずに生きていける冷たい強さを持っているわけじゃない!」

 

結局、この男の根幹にある想いは自らの後悔なのだ。

芳乃にもそれは分かっている。魔術師という自らの在り方を曲げる程の後悔を、悟は抱えている。

彼が魔術師であったが故に、その後悔を晴らす一番の手段に魔術が存在してしまっただけ。

納得は出来ないだろう。元より説得が出来るのであれば、彼は彼女の死を認めずに魔術という手段を選んではいない。

 

「……もういいよ、上桐。これ以上は――――」

「――――今、何て言いました?」

 

会話を打ち切ろうとする芳乃の言葉を、ランが遮って悟の方に向き直る。

声を掛けられた悟は当然、ランという少女をある程度は理解している自負があった芳乃でさえ呆然とした。

誰もが聞いた事が無い声だった。悟はこの瞬間、彼女を本当に恐れるのは今からだと直感する。

この一瞬にして、ランは嘗てない程――――怒っていた。

 

「あたし、言いませんでした? 確かにマスターは魔術師です。理屈っぽいですよ。情報は情報として見たがるし、意地悪です。……でも、人間が当たり前に持っているものだって、当たり前に持っています」

 

ランはそれを知っている。だから、悟の発言は許せなかった。

『今日はいい夢を見れるといいですね』。いつもランは言葉にしていた。まるで祈りの様な言葉を毎日繰り返すのには、ちゃんとした理由があった。

 

「毎日、眠るとマスターは魘されるんです。その後、『桜』って苦しそうに譫言を言うんですよ。桜さんが屋上から消えた時、マスターは『伝えたかった事があった』って言いました」

「……ラン」

 

それはランだけが知っている真実だった。

芳乃とランが初めて会ったその日の夜、彼女は初めてそれに立ち会った。

翌日の睡眠時に願ってみても、現実は非常だった。目を覚ます本人はその事を憶えておらず、傷付いた心に気付かず、彼は亡者の学園へと赴く。

夢に見るのは当然なのかもしれない。ランと出会う二週間前から、亡者の学園で居るかどうかも分からない彼女を捜していたのだ。芳乃の中には、桜の死が沁み付いていた。

 

「後悔をしてない? 伝えたい事があったのにですか。現実に納得してる? そんな人間が魘されるわけないじゃないですか」

 

時折見せるどこか遠くを見る表情が、彼を夢へ連れて行ってしまいそうで怖かった。

それを繋ぎ止めようと傍に居て、手を握って、隣で眠る事しか出来ない自分の無力さを何度呪った事だろう。

 

「あなたに……あなたなんかに、マスターの何が分かるって言うんですか! マスターの冷たさは他人を大切にする優しさの裏返しなんです。桜さんの死を穢さないように言葉を呑み込んで、自分は魘され続けている。それを強さだなんて、絶対に言わせません!」

「……ラン。もう、いいから。十分だよ」

 

慣れない激昂だったのか、興奮したまま息を切らすランに、芳乃はそっと近寄って声を掛けた。

冷たい優しさだと言われた彼にとっては、そうして誰かを想った激情は何よりも価値があるものだった。

だが、それは彼女を擦り減らす行為だ。それを芳乃を望まない。

決着は自分で付けよう。そう誇示するが如く芳乃は前に出て、悟へ視線を向ける。

思わぬ角度から激昂をぶつけられた悟は、先程までの激情の勢いを完全に殺されていた。

 

「上桐。君が納得していようが何だろうが関係ない。魔術師が起こした起こした事件は、魔術師の手で終わりにしよう。……少し長く、話し過ぎたみたいだ」

 

芳乃が指を鳴らすと、悟の身体が薄く発光する。

 

「これは……!」

「この“結界”からの強制退去術式だ。反則染みているけれど、僕が組んだわけじゃない。身体にどんな影響が出るかも知らないけど、文句なら転送された先に居る人に言うんだね。話が分かる人だ、余計な事を言わなければ身の安全は保障されるよ」

「……今更、生きていたいとも思わないよ」

 

乾いた表情で告げる悟へ、飽くまでも魔術師として冷淡に告げる。

発光は強くなり、悟の身体を呑み尽くさんとばかりに勢いを増していく。

――――そして。

 

「そう。魔術という手段で敗れた時点で、魔術師の君がそう思うのも無理はないだろうね」

 

芳乃の言葉に合図に、悟は亡者の学園から退場する。

終わりは呆気ないものだった。今、ここに。“夢に誘う天牛(カミキリムシ)”は去り。

――――亡者の学園の、最後の夜の閉幕が始まった。




人物メモ
深花(しんか)芳乃(よしの)
魔術師。何個か足りない七不思議の一つ、“回想するソメイヨシノ”。
協会からの依頼通り、亡者の学園に関する事件を解決した。

ランチ
明日の昼飯代で契約した精霊――――本当に、それだけですか?

上桐(かみきり)(さとる)
魔術師。何個か足りない七不思議の一つ、“夢に誘う天牛(カミキリムシ)”。
亡者の学園に死者生者問わず穂叉(ほさ)学園の生徒達の魂を誘っていた。
“制隠協会”によって身柄は確保されるだろう。
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