アリスが居た図書室から出たけれど、ランは抱えたままだった。
「あの……マスター。そろそろ、降ろしてくれませんか?」
「何で? 重くないよ」
ランを担いだまま歩きながら、僕は答える。
実際ランは殆ど重さを感じない。実体がない状態だからだろう。
契約によって僕達はどんな状態であれ触れ合う事が出来る。たとえ実体が無くても問題は無い。
「そういう事じゃなくて……」
そういう事じゃないのは分かっている。
それを分かっているから、僕はこうして担いでいるのだ。
「君は様子がおかしかった。これから少し移動するから、別にこのままでも構わないよね。君の移動速度に気を遣ってる場合じゃないから」
「う……」
図星を突かれたランは大人しく抱えられたままになった。
聞き分けが良くて助かる。大人しくしてくれている内に早く移動しよう。
暫く廊下を歩いていると、ランは僕の顔を見つめているのに気付く。
「……何?」
足を止めてランの方を見る。ランは何か言いたげに口を開くのだが、声にはならずに息を漏らしている。
言いたい事があるなら言ってくれていいのに。別に動じたりはしない。
ランは暫く何かを悩んでいたが、決心が付いたようだ。
「……何も、訊かないんですか?」
「何だ、そんな事か。ランが言いたいなら聞くよ。でも言いたくないなら聞かない。現状、事件の解決には関係なさそうだしね」
前方を向き直す。冷たいと思われても仕方ない。事実は事実だ。
だけど、ランはそう思ってはいなかったみたいだ。
弱々しい口調で告げるその言葉は、僕に少しだけ衝撃を与える。
「マスターは……優しいんですね」
――――何を言ってるんだ、この精霊は。
知らず、僕は嫌そうな顔をしていたのかもしれない。……そんな事を言う人間はたったの一人だと思っていたのに。
「優しくない。無干渉なだけだよ。ランが何かを可哀そうだと思ったり、嫌いだと思ったりしても、結局の所僕には関係が無いんだ」
「……そうですか」
「そうだよ。所詮、魔術師なんてそんなものさ。利己的な存在でしかない」
“元老協会”であれ“制隠協会”であれ、魔術師な時点で人道を外れた集団である事に違いはない。
魔術という、魔法への憧れから始まった呪いに魅入られた時から、真っ当な道は歩めない。
それは今までの説明から察してくれたと思っていたんだけど、ランには難しかっただろうか。
「でも……マスターは優しいです。話したくても理由が分からなくて話せない私に、無理に話せって言いませんから」
それはまた随分と都合のいい解釈だった。
……だけど。
「……そう。ランがそう言うなら、ランの中の僕はそうなんだろうね」
個人の解釈に干渉する事も無い。好意的に解釈してくれているなら否定する理由も別にない。
この薄青の髪の精霊の信頼を得る事は、事件解決にも繋がっていくのだろう。そう自分を納得させて、僕はこの話題を終わらせた。
視界の隅に映る、弱々しく笑うラン。無理にでも笑える辺り、少しは動揺も収まったようだ。
くいくい、とランが僕の制服の襟を引っ張った。まだ何か言いたい事があるのだろうか。
「……マスターから見て、私はどんな精霊ですか?」
それを僕に問うのは、些か酷だと思う。
「何て言われたいの?」
「……やっぱり、少し意地悪かもしれません」
冷たい、とは言わず意地悪と来たか。まぁ確かに、意地は悪いかな。
言ってほしい言葉を伝えてもらって、それを唱えるだけなんて、唯の人でなしだろう。
僕は少しだけ考える。ランはどんな精霊だろうか。
「鍵を開けられるのは便利だね。アリスとの会話もランのおかげでスムーズだったし、頼りにしてるよ」
嘘くさい評価だ。自分でもそう思う。
それに、ランが欲しい評価はこういう内容ではないらしい。
「そうじゃなくて、もっと内面的な……」
「内面? まぁ、僕よりは前向きで社交的だから助かってるかな。まだ出会ってから二日も経ってないから、それぐらいしか分からないけど」
その内分かっていく事だろう。ランの内面も、僕の内面もお互いに。
この事態を解決出来れば契約は解消されるけれど、それまでは僕達はこの夜を共に過ごしていくのだから。
「おいおいって、事ですか?」
「そうじゃないかな。その様子だと、少しは落ち着いたみたいだね。降ろすよ」
僕の言葉に対するランの反応のラグが戻ってきた。神経を他人との会話の処理に回せる余裕が出来てきた証拠だろう。
ゆっくりと彼女を降ろす。
「あ……」
「どうしたの?」
「いえ……何でも、ないです」
地面に足を着けたランが声を出したので問うてみても、何やらはぐらかされてしまった。
何でもないならそれでいいけど。もう少し楽でもしたかったのかな。何やら顔が赤いけれど、動揺でもしたのだろうか。
ランが体勢を勢を整えるのを待って、これから行く先を伝える。
「さて、最後の一人はグラウンドだ。四階のここから二階に戻って教室棟に戻るよ。一応昇降口を通った方がいい」
「りょ、了解です。最後の一人、気合い入れていきましょう!」
やる気を出したランが先行する。
ずんずんと階段を下り、二階の渡り廊下を進んでいく。
「――――、」
その間でも、渡り廊下から見える中庭の様子は気になっているみたいだった。
慰霊塔と、それを囲み彩る桜の木。……慰霊塔はともかく、咲き誇る桜を見るのはあまり好きではないのだけど。
ランもランで今の目的の方を優先してくれているのか、騒ぐ事はしなかった。
僕達は昇降口を通って校舎外に出る。正面の階段を下りればグラウンドだ。
校舎内は一応電気が点いていたから、月明りしか光源が無い校舎の外は非日常感を強く感じる。
「校舎の外、出れたんですね」
「この学校の敷地の外でなければ出れるよ。“結界”の境目はそこみたいだ。前に出ようとしたけれど、透明な壁に阻まれるみたいに出れなかった」
あれを無理矢理壊せば、多分この“結界”は崩壊する。
別にそうしてやったっていいんだけれど、この“結界”がどんな目的で張られたものなのか分からない内は、手を出すべきではない。
「時間になれば強制的に元の校舎に戻れるんだ。今は調査を急ごうか」
「ですね。えーっと……最後の一人って、男子生徒ですよね? グラウンドで何をしているんですか?」
「放課後のグラウンド。やる事なんて一つだよ……ほら」
顎でランの視線の先を促すと、そこにはグラウンドを走り続ける男子生徒の姿が。
「部活……でしょうか?」
ランの言葉に頷く。最後の一人は野球部ではなく陸上部だった。まぁ、坊主から来た偏見でしかなかったんだけど。
見る度に寒そうだな、と思うユニフォーム姿。風を切り、突き進むその姿はとても精力的に見える。
緑の靄達の姿は見えない。百四十年前の亡者達にとって、部活という文化は馴染みがないのだろうか。
「随分と飛ばしてますねー……」
確かに。何メートル走かは知らないけれど、大分ハイペースで走り続けていた。走るのが余程楽しいのだろうか。
それでもスタミナには限界があるようだ。走り終わりのクールダウンの為に歩いているところを狙って話し掛けた。
「部活中ごめんね、ちょっといいかな?」
「え……?」
振り返った男子生徒。やっぱり僕より身長が高かった。
そしてランは再び人見知りを発動させたらしく、若干僕の後ろへ隠れがちだった。
「僕は
「ら、ランと呼んでください! よ、よろしくお願いしますっ!」
いきなり話し掛けた僕と、一応顔を出して挨拶をするラン。こうやって容姿ありに接触するのが三回目になって気付いたけれど、大分僕達怪しいな。
そんな僕達に対して、男子生徒は何故か姿勢を正す。
「初めまして! 自分、二年の……二年の……あれ」
爽やかな笑顔で名前を名乗ろうとして、男子生徒は止まってしまった。
今までの二人からして予想は付いていた。ジャックナイフもアリスも、何かを知っていてもそれを自らの名前として名乗らなかった。
そしてこの男子生徒もそうなのだろう。だから、ここで名前を与えておく。
「スプリンター。名前が無いのなら、一応はこれを君の名前にしてくれないかな。無いと色々不便だしさ」
「あっ……はい! スプリンターですね? 気に入りました、ありがとうございます!」
深々と頭を下げられて、お礼を言われてしまった。
何故か僕が名付ける度にその名前を気に入られている。その場の異常な部分から適当に名付けているだけなんだけど。
まぁ、ジャックナイフやアリスとは違って、今回はこんな場所で一人で走り続けている事自体が異常だったから随分と安直な名前だったけれど。
「それで、スプリンター」
「はい、何でしょうか、深花先輩!」
スプリンターは体育会系らしく元気良くこちらの言葉に答えてくれるが、元気が良すぎて僕は少し苦手だった。
ランは人見知りが酷くなっていた。今までの二人と違ってスプリンターは男性だし、仕方がないか。
「君は普通に登校してこの学園に来た。そうだね?」
「そうですけど……どうしてそんな当たり前の事を?」
「いや、最近おかしな登校をしている生徒が居るって聞いてね。僕とランも一応三年生として、この学園の風紀を気にしておこうかなって」
「……え?」
後ろから突き刺さるランの視線が言っている。『お前は何を言っているんだ』と。
こんなのは適当でいいんだ。どうせこの学園には話が通じるような相手も居ない。僕達の素性を知る相手も。
……何より。
「せ……先輩! 先輩達の三年生として学園を想う行動、自分、感動しました!」
スプリンターはしっかりと感動してくれていた。「えぇ……」と若干引いていたランに僕も同感だった。
しかしスプリンターはジャックナイフやアリスとは違って、随分と話が通じ易い。
何だろうか。あの二人は堂々と普通ではなかったけれど、スプリンターは逆に堂々と普通だった。
唯この亡者の学園に登校して、容姿を持って部活をしている時点でその多大勢にはカウント出来ない。
もしかしたら、彼が一番厄介なのかもしれないな。
「ねぇ、スプリンター。ここで君を何をしていたの?」
「走っていました。それだけです!」
「本当にそれだけ……なんでしょうね」
僕の直ぐ後ろで小さく呟いたランの言葉に頷いた。今までの二人と同じ、唯それだけをする。他には何もしない。
本当に走っているだけなんだ。グラウンドを見ても、ハードルや幅跳びといった別の陸上種目に使われるような道具は一切転がっていない。
走って走って、走り尽くす。それが彼、スプリンター。
きっとこれ以上の答えは、唯走っているだけの当人からは得られないだろう。
「そうです! 走って走って、走り続けます! それが自分、それこそが自分が頑張る事! ひっくり返った道に、幸いが待っていますから!」
「幸い……ね」
随分と希望がある言葉だ。こんな場所じゃなかったなら、もっと素直に受け止める事が出来ただろうに。
それはさておき、これ以上この会話から情報を得られないなら付き合う理由も無い。
ジャックナイフとアリスに訊いた事と同じような事を訊いて話題を変えよう。
「話は変わるんだけど、緑色の輪郭しかない生徒達とはコミュニケーションは取れてる? 僕達話し掛けても無視されるんだよね」
「自分も無視されます。恥ずかしがりなんでしょうかね?」
「そうかもしれないね」
酷い相槌だった。それにしても、あの緑色達と会話をしようと思ったのか。中々勇気がある。
ジャックナイフとアリスとは面識が無いのは二人からの会話で分かっている。訊くのは止めておこう。
さて、こんな所か。スプリンター自身が他二人と比べてかなりまともで、三回目という事もあってかなり手慣れて調査出来た。
もうそろそろ空き教室に戻ろう。この“結界”が終わり、亡者達の下校が始まる。
「それじゃあ、僕達はこれで。部活頑張ってね」
「はい、ありがとうございます! 深花先輩もラン先輩も、また都合が良い時にでも!」
背筋をピンと伸ばして返事をしてくるスプリンターに気圧されながら、僕達は校舎へと戻り、三階の空き教室まで退避する。
空き教室に戻るなり、ランは大きな溜息を吐く。
「――――どうした。疲れたか」
眼鏡を外して思考をスイッチしながら問うと、ランは困り顔で笑う。
「あはは……。初めての夜だったので、少し緊張していたのかもしれません」
「ま、真面な神経してる奴はここには一人も居ないからな」
一番真面な神経をしているであろうランが消耗するのは無理からぬ事だ。
そんなわけでランが気にする事は無いのだが、何やらランはこちらを気にしていた。
「何だよ」
「いえ……マスターはこんな事を、二週間も続けていたんだなって」
何だ。気にしていると思ったらそんな事か。
どうせ歪みが修正されきるまでは、この世界から出られない。俺は椅子に腰掛けながら、何でもないように答える。
「そうでもない。この二週間俺は誰とも話してないし、校舎内を探索してただけだ。収穫は殆どゼロだったけどな」
そう。収穫はゼロだった。別にやらなくていい事だったのに、俺は何故か続けてしまっていたのだ。……いや、違う。収穫がゼロである事が、目的だったのだ。
俺が答える事は無い。ランは知らなくていい事だ。
そんな俺にランが何かを言おうとしたが、その前に下校の鐘が鳴った。登校時間の時の様な浮遊感はない。世界が普通に戻っただけなんだから当たり前だ。
亡者達の学園は終了し、夜が明ければ生者が登校する。
「ラン、時計見てみろ」
「はい? ……嘘。まだ三十分しか経ってないんですか? 体感だと、二時間ぐらいは居た気がするんですけれど……」
「そんなもんだよ。一日の間に大体一時間半ぐらいの時間の歪みがあるって事だ」
「……実感湧きませんねぇ」
ほげーっと惚けて精霊感を放棄してしまっているランを見て、いつもの調子に戻ってくれたのだと安堵した。こいつはきっとこれでいいのだ。
さて。元の校舎に戻ったのならもうここに用はない。さっさと下校しよう。
立ち上がって昨日と同じように教室の窓を開くと、ランは慌ててふわりと浮いた。
◇
「マスター……何をしているんですか?」
「んー?」
校舎から脱出して、マスターの家に帰って。
入浴等の人間的生活を終わらせたマスターが床に敷いた布団の上で『スマホ』って言ってた機械を弄っていた。
昨日も同じ事をしていて、そんな様子が気になって訊いてみると、マスターはスマホの画面を見ながら返事をしてくれた。
「今日の調査結果を先輩に送ってるんだ。あぁ、先輩って言うのは“制隠協会”の先輩な。俺にこの事態の解決を依頼した代わりに、今回の件でのバックアップを約束してくれた人」
「えーっと、その人に、スマホ? って機械で情報を送ってるんですよね? ジャックナイフさん、アリスちゃん、スプリンターさんの事ですか?」
「大体はな。あと、あいつ等が居た場所についても調べてもらう。関係があるかどうかは分からないけど、考えられる事は全部報告した方がいい。別視点ってのは重要だからな」
「……慣れてますね」
マスターは「まぁな」と短く返事をして、スマホを弄るのを止めた。情報を送り終わったんだろうか。
そしてそのままスマホを放り投げて、横になって目を瞑ってしまった。
「眠るんですか?」
「もう二時過ぎてる。お前も寝ろ。明日も調査だ」
「そ、そうですよね」
あたしはふよふよと浮いたまま、マスターの代わりに部屋の電気を消した。
「ありがとな」とお礼を言ってくれたマスターに返事をして、私も眠ろうとする。
だけど、ちっとも眠ろうとは思えなかった。
元々活動するエネルギーをマスターの明日のお昼代で受け取っているせいもあるけれど、眠りとは記憶の整理の時間でもある。今日起きた事。今まで経験した事。それを夢という形で整理して、自分に蓄える時間。
あたしに、眠る必要なんてあるのだろうか。――――こんな、過去の記憶もない私に。
きっとマスターは気付いてる。あたしが本当は自分の名前も名乗れなかった事に。空っぽで、どんな調子で喋っていいかもわからなかった事に。正直、どうしてあたしがマスターとの契約の対価に、明日のお昼代を選んだのかも自分でも分かっていない。知識はあるけど、記憶は無い。そんな外側だけの空っぽが、ランチ。
童話の魔女の話であそこまで動揺した理由も分からない。だけど、凄く凄く苦しかった。
マスターはあたしの過去を訊かなかった。興味が無いのか、知る必要が無いのかは分からないけれど。
意地悪だけど、優しい男の子。あたしが今まで見たマスターはそんな印象。
あたしが疲れたら休んでいいって言ってくれる。動揺したら落ち着かせてくれる。何も言えなかったら、何も訊かないでくれる。
それが何故なのかは分からない。あたしはマスターの過去を知らないから。
この丸一日と少ししか経っていない間でも、鉄色の瞳は偶にどこか遠くを見ていた。魔術師という存在はそんなものなのかもしれないけれど――――。
「……いや」
――――ノイズが、走った。
今の考えは間違っている。何でだか分からないけれど、そう確信した。
マスターはマスター。魔術師は魔術師。魔術師の瞳はきっと――――もっと、温度が無い。
「……マスター」
呼んでみても、返事は無い。言葉は空気に溶けていく。
耳を澄ませれば、静かな寝息が聞こえてきた。
「……今日はいい夢を見れるといいですね」
どこまであなたの力になれるかはまだまだ分からないですけれど。
必ず最後まであなたの傍に居ます。明日のお昼代に懸けて。
だからどうか。あたし達の未来の末が、明るいものでありますように。
ゆっくりと目を閉じて。どこか無理矢理に深い場所へ落ちながら。私は祈った。
人物メモ
俺。桜を見るのはあんまり好きじゃな――――意地悪だけど優しい人です。偶に遠い目をしてます。
ランチ
昼飯代で契約した精霊。
俺を優しいとか言い出したりする。多分頭がバグって――――バグってないですから!
スプリンター
案の定名前が無かったので俺命名。亡者の学園の中での容姿ありの最後の一人で、誰も居ないグラウンドを走り続けていた。
一応スタミナの概念はあるし、そこまで多いわけでもないらしい。ペース配分とかも多分存在してない。
体育会系らしく、大きな声で爽やかに話し掛けてくるので俺は若干苦手。