「もぐもぐ……恵理さん、どうでした?」
「別に三葉の事を調べに来たわけじゃないだろ。……何もなかったわけじゃないけどな」
家庭科室から出た後、俺に担がれたまま未だ林檎を食べ続けているランに答える。
今度こそランには役に立ってもらわないと困る。魔力の無駄遣いである。
「……言っとくけど。今から図書室に行くが、階段の前で降ろすからな? 階段は自分で上がれよ」
「えぇ、楽だったのに!? ……あたし、そんなに重かったですか?」
ランの本音はともかくとして、『女子の体重周りの事を言うと刺されて殺される』、と過去に念入りに教えられた記憶がある。
ここは否定しておいた方がいいだろう。
「いや、軽いけど。流石に人を一人抱えたまま四階まで上がるのは誰だってしんどいだろ」
「そ……そうですか。ならいいです」
丁度階段の前に来たのでランを降ろすと、素直に降りてくれた。
体重の事をフォローしたおかげか、降ろされたにも関わらず機嫌も良さそうだ。このまま言う事を聞いてくれればいいんだが。
階段を上りながら、ランは暇潰しでもするように訊いてくる。
「それで、家庭科室を調べた感じはどうでしたか?」
どうやら、七不思議の舞台となった各場所を調べるのが目的である事を思い出したようだ。
「特に無いな。おかしな所は一つも無かった。時間が悪かったのか、それとも本当に何も無いのか。それも家庭科室だけじゃ分からない。とっとと図書室とグラウンドを回った方が建設的だ」
まぁ、残りの場所も望み薄かもしれない。会話の間にこそっと調べた限りでは、家庭科室には魔力痕も魔術の痕跡も見当たらなかった。
もしかしたら、俺は何か当たりを付け損ねてしまっているのかもしれない。
だがそれが本当かどうかも、どう当たりを付け損ねたのかも、全てを回らないとはっきりしないだろう。情報収集を終わらせなければ判断する事も出来ない。
「難しいですねぇ……でも、向こうの様子が七不思議としてこっち側に来てるんですから、何かしらの原因はある筈なんですよね?」
「何かしらあるのは間違いない。亡者を捕らえる“結界”なんてものを貫通して、こっち側に滲み出た染みだ。何の理由も無いのはありえない」
それが何かは今調べている所だ。
情報が出揃っていない状況だが、ランはうんうん、と唸りながら考えていた。
ランみたいに感覚で考えるタイプには必要な事なのだろう。
「むー……染み、ですか。難しい例えですね」
「考えるな。無い頭を使い過ぎると夜まで持たねえよ」
まぁ、それも行き過ぎれば無駄にカロリーを使うだけだ。いい所で止めておく。そもそもランが考えていた事は、俺の表現についてだった。
そんなこんな言っている間に、図書室に辿り着いた。入室する前に、ランの方を見た。
亡者の学園とは違い、ここの図書室は利用者がちゃんといる。司書の先生だっているだろうし、大きな声で騒いだら退出待ったなしだ。
ランも亡者の学園で一応説明したおかげか、その辺りのマナーは理解はしているようだった。
人差し指を立てて口の前に持っていくと、大きく頷いていた。……本当に大丈夫か。
特に何かを言う事も無く、静かに図書室の扉を開けて入室する。
「お、おじゃましまーす……」
後ろに続くランが小さな声で挨拶をして入室した。これぐらいなら問題ない。
中の作りは亡者の学園と同じだった。本棚は入り口からじゃ確認できないが、恐らく童話だらけではないだろう。
視界の隅にある図書室の貸し出しカウンターには女子生徒が一人。日直の図書委員だろう。
俺達の存在を認識したのかこちらに視線を向けていたが、直ぐに興味を失ったのか手元に置いてあった本に意識を戻していた。
「マス……芳乃君。何から調べますか?」
「本棚。一番の相違点はそこなのは間違いない」
ランと共に蔵書が収められている本棚に向かう。
正直、迷路の壁と差異が無い。童話だらけの本棚の方がまだロマンがある。
何しろ収められているのは小説に世界的著名人の伝記、辞書に自己啓発書。頭が痛くなってきた。よく見れば受験生御用達の赤本だけの棚もある。
見事に普通の本棚。普通の図書室だ。家庭科室同様、魔術の痕跡も魔力の残滓も無い。
窓際にこれ見よがしに置かれている椅子にも誰も座っていない。“童話に還るアリス”の影も形も、この図書室からは発見されはしない。
どうやらここも空振りらしい。図書室の後にグラウンドにも一応行くが、期待は出来ないだろう。やはり目線を変える必要がありそうだ。
「難しい本が一杯ですね……芳乃君はこういうの読み慣れてそうですよね? 口悪いのに色々小難しく考えてそうですし」
「お前は俺を何だと思ってるんだ。俺が読むのは魔術関連の本が殆どだ。伝記とか哲学書とか、読んでも影響を受けねえよ。他人の人生とか興味無いしな」
「その若さで、大分閉ざしてますねぇ……拗らせ過ぎじゃないですか?」
「本当にほっとけ。俺の事はいいだろ。お前、この辺りの本が難しくて童話が嫌いなら、何の本なら読めるんだ?」
「……お料理の本ですかね? 読む専ですけど」
「それ読む意味あるのか? 料理の画像見ているだけだろ」
「むー。いいじゃないですか。何故だかお料理はあたしの心を揺さぶるんですよー」
「だからあっちでもこっちでも、林檎一個で機能停止するんだな」
「――――あの、いいですか?」
後方から、相変わらず実の無い俺とランの会話に割り込む影があった。静かな声で話していたつもりだが、煩くしてしまっただろうか。
俺とランが振り向くと、居たのは先程貸し出しカウンターで本を読んでいた女子生徒だった。
切れ長の黒いつり目が強気な印象を与えるが、その実すらっとした背中まで伸びる黒い髪が清楚さを演出している。
曲がった事が嫌いな委員長。有体に言えばそんな感じだ。眼鏡を掛けていれば完璧だった。当然ランが苦手なタイプなので人見知りを発動している。
「悪い、騒がしかったか」
とりあえず謝ってみると、女生徒は別に注意をしに来たわけではないようだった。
「いえ。放課後になると司書の先生も事務室に籠ってしまいますし、もうこの時間だと誰も本を借りになんて来ませんから。今の先輩達ぐらいの話し声なら、何も問題ありませんよ」
思ったよりは融通が利く性格だった。上履きの色から、俺とランが三年生である事も気付いているようだ。もしかしたら、上級生相手に忖度しているだけかもしれない。
対する彼女は二年生だ。先程家庭科室で出会った男子……名前忘れた。そいつと同じ色のラインが上履きに入っていた。
「それより、何か図書室に御用ですか? 私は図書委員なので、何かあったらお手伝い出来るかと」
どうやら俺達が目当ての本を探せていないと思って助けに来てくれたらしい。真面目な奴だ。図書の貸し出しの受付さえしていれば、何かを言われる事もないだろうに。
だが、これは好都合だ。予想通り図書委員だったこいつは、放課後に図書室に滞在している時間が他の生徒より圧倒的に多いだろう。
こいつからの情報は貴重である。ランもそれを分かっているようだった。
「あ、あの! あたし、ど、どど童話が!」
人見知りを発動したまま無理矢理に会話しようとしたのか、随分と声が上擦っていた。嫌いなんです、と言わなくて本当に良かった。
女生徒はランの勢いに少し気圧されていたが、責任感を持って対応してくれる。
「え、えっと。童話なら、端の棚に少しだけ……」
「おぉそうか。それは助かる。こいつ、童話大好きなんだよ」
「よ、芳乃君……?」
ランから『嘘に巻き込まないでください』と言わんばかりに睨まれたが、素知らぬ顔だ。
ぶっちゃけ童話なんかどうでもいいが、ここで会話を途切れさせるわけにもいかなかった。
童話の棚に案内してもらって、俺とランは童話を探すふりをする。流石にこの歳になって調査と研究目的以外で童話を読む気にはなれない。
「童話、嫌いじゃなかったっけ……? ん? あれ、何で?」
「――――、」
視線だけあいつの方に向け、困惑している表情を確認させてもらった。
三葉の時とは違い、今回ははっきりと聞かせてもらった。……だが、ここで問い詰めるわけにはいかなそうだ。
多分、順序が逆だ。表と裏を間違えれば、外身と中身の電気信号が逆流する。世界は矛盾を許さない。情報ではなく経験として、裏を掘り起こすのは危険が伴う。
「あぁ、そうそう。俺達、七不思議についても調べてるんだ」
「始まりました……」
仕方なしに童話を棚から抜いて開いたランがぼそっと呟く。
本来ならこれはランの役割である事を忘れないんでほしかった。
まぁ、俺でどうにかなるぐらいの取っ掛かりになってくれるのなら、それはそれで別に構わないんだが。
「あぁ、自己紹介が遅れた。俺は
「よ、よろしくお願いします。お先にご挨拶させてしまってすみません。私、二年の
ぺこり、と頭を下げた蓬生。
……『ヨモギウ』って何だっけ。源氏物語の巻名だったっけか。何巻かまでは知らない。日本の古い書物は趣味じゃなかった。
お互いの自己紹介も済んだ所で、さっさと質問タイムだ。
「それで、蓬生。この図書室の七不思議を知らないか?」
「えーっと……それは、“童話に還る少女”の事でしょうか」
やはり、一般生徒の間には七不思議は浸透しているらしい。
自分がどれだけ学生のコミュニティから外れているか分かる。
「そう、それだ。何かしら聞いた事はないか? 窓際に童話が落ちたまんまだったりとか」
「いや……すみません。七不思議の内容は知っているんですが、見た事は……。司書の先生からもそんな話を聞いた事は一度もないですし」
「そうか……そうだよな」
残念がってみるが、予想通りだった。何かしらの痕跡も残ってない時点で期待していなかった。
些か形式染みてきた質問はこれぐらいにしよう。どうやら七不思議はまた違った意味合いを持ち始めたらしい。
となればここはさっさと退散したいのだが、ランは童話を探しに来た体にもなっていた。
一冊ぐらいは読んでおかないと怪しまれるだろう。
「ラン、読むならテーブルの方行けよ」
「あ、そ、そうですねー。行ってきますねー」
超棒演技で逃げるように貸し出しカウンター前の読書用テーブルへ向かったラン。俺もそれに追従して一緒にテーブルを囲む。さっさと読み終わったふりをしてくれ。
蓬生も受付カウンターに戻って図書委員の仕事を再開するのかと思ったが、何故か俺達と一緒にテーブルを囲む。
「どうした?」
蓬生はどこか言い難そうに指を遊ばせ、俯いて自分の中で決心をしているようだった。ランは心配そうに様子を見ている。お前は本を読んでくれ。
そしてそのまま数十秒。漸く決心したのか勢いよく顔を上げる。
「会うといつも喧嘩してしまう女って、面倒くさいですか?」
勢いのまま発された言葉は、そんな内容だった。
何があった、と問おうにもついさっき知り合ったばっかりだ。説明されても多分分からないし首を突っ込む気もないのだが、蓬生はご丁寧に説明してくれた。
「……仲良くしたい男子が居るんです」
「それはそれは。仲良くすりゃいい……まぁ、出来ないから困ってるんだろうな。それぐらいは予想が付く」
沈んだ様子で蓬生は頷き、続ける。
初めて会った上級生の男子に色々と話してくれるが、何かしらの理由でもあるのだろうか。
「同じ図書委員なんですけれど、彼はサボってばっかりで。今日だって当番なのに来ないし。……折角同じ委員になれるように仕向けたのに」
何か怖い話が聞こえたが、気にしない事にする。健全な学生間ではよくある事なんだろう。俺には縁が無い事なだけだ。
「サボってばっかりの彼を見てると、どうしても喧嘩腰で注意してしまうんです。それで向こうも売り言葉に買い言葉で、どんどんヒートアップしていって……」
仲良くなるのは夢のまた夢、というわけか。それはまた難儀な話だ。
「悪いのはサボってる男子だろ。仕事をしなかったら注意されるのは当たり前だし、それで喧嘩になる理由が分かんねえよ。逆ギレしてるだけじゃねえか」
「……芳乃君。少し黙っててください」
俺としては正論を言ったつもりなのだが、ランに呆れられてしまった。
話の本題はそこにはないという事だろう。話題に置いていかれたので、大人しく黙っておく。
もうランは読む気を失くしているらしく、童話を閉じていた。
「和佳ちゃんの悩みは分かりました。でもそれをどうして、あたし達に言おうと思ったんですか?」
「それは……お二人は凄く仲睦まじいなって、思ったので」
「そ、そうですか……」
ランは照れながら頬を掻いていた。……俺と仲睦まじくて嬉しいか? と言うか、俺とランのやり取りをどこから見聞きしていたかは知らないが、どうしたら仲睦まじく思えるのだろうか。
俺は黙ってろと言われたので黙っておく。蓬生に俺とランの関係を説明しても頭を疑われるだけだ。
「あたし達みたいに、軽口を言い合うーみたいな感じでは収まらないんですね」
「それは……やっぱり当人を見ていると、喧嘩腰になってしまって」
喧嘩する原因が向こうにあるんだから、それは仕方がないだろう。寧ろ何故蓬生が悩んでいるのか理解が出来ない。その男子の性根を叩き直した方が早いだろうに。
……いや、違うか。そういう事じゃないんだろう。俺の価値観は魔術師としての側面を切り離せない。犠牲や苦しみも必要であれば受け入れる。そんな人間はやっぱり真面な人間に干渉するべきではない。
人間は面倒で複雑だ。そんな事、俺は知っているし分かっているのに。
「……あぁ、でも。よく考えたら先輩方に訊いても、答え難い質問でしたよね。仲睦まじいのですから、喧嘩をする事なんてないでしょうから」
「そ、そうですね……」
ランは苦笑いでお茶を濁す。俺は何食わぬ顔でランの童話を持って、本棚に片付けに行った。
残念ながら俺とランはそもそも出会って二日も経ってない。二人で会話が出来る時は殆ど調査をしている為、喧嘩をする時間も無かった。
本を棚に戻してテーブルに戻り、ランの肩を叩く。ここに用はない。後輩のお悩み相談なんて、どっかの養護教諭に任せておけばいい。
「すみません。あたし達そろそろ時間が……」
「あ、そうですよね。すみません、お時間を取らせてしまって」
「いえいえ。あ、そうです! 養護教諭の方とかに相談してみてはどうでしょうか! 大人の意見を聞かせてもらえるかもですよ?」
「……、」
ランは立ち上がって俺に着いていこうとする。
そのまま退散しようとしたのだが、まだ会話が続いてしまった。
「あ、
思いもよらぬ名前を聞いて――――知らず、奥歯を噛んでいた。
「……もっと扱き使ってやれよ。生半可な仕事させんな」
「……芳乃君?」
「何でもない。邪魔したな。行くぞ、ラン」
ランの手を取って先を急ぐ。明らかに歩調が荒い。自分でも分かっているが、それでも止められない。
……あぁ、くそ。自分で考えるのと他人と言われるので、ここまで衝撃が違うとは思わなかった。こんな事でぐらついている場合じゃない。ランを不安がらせてしまう。
俺とランが図書室から出る為に扉に手を掛けようとした時――――不意に扉が開いた。
「ぎりっぎりセーフ! 図書委員
そこから図書室へ飛び込んできたチャラそうな男子生徒を、俺はランを抱き寄せて回避する。
おかげでぶつからずに済んだ男子生徒は勢いのまま図書室を進んでいった。
「危ねえな、気を付けろ」
「っす、すんません!」
おかしい。擦れ違いざまに注意しただけだ。どうしてそんな怯えた声を出す。
もう擦れ違ってしまったから表情は分からないが、怖がらせてしまっただろうか……別にいいか。
男子生徒が開けっぱなしにした扉を通って図書室から出る。
「あんったねぇ! 何がセーフよ、大遅刻じゃない! そもそも先輩達にぶつかりそうになって、あんたはいつも注意散漫で――――」なんて会話が聞こえてきたが、扉を閉めて強制終了させた。どうせあれから喧嘩になるのは分かりきっている。
抱き寄せていたランを解放しようとして、ランと目が合う。――――俺がぐらついてから図書室から出るまで。ランはずっと、俺を見ていた。
人物メモ
魔術師。殆ど魔術関連の本しか読まない。
後輩に怖がられた。
ランチ
昼飯代で契約した精霊。実体化中。
料理に心を揺さぶられる。童話一冊読めな――――だから、童話は嫌いなんです!
図書委員。二年。
切れ長の黒いつり目。背中まで伸びる黒い髪。きつそうな見た目とは裏腹に、性格は真面目なだけで別にきつくなかった。
仲良くしたい男子とはいつも喧嘩をしているらしい。
ランが童話が嫌いな事を、朧気に知っていた。
図書室から出ようとしたら突撃してきた男子生徒。多分二年。チャラそう。
蓬生が仲良くしたい相手だろう。どうでもいい。