「あんていく」殲滅戦直前、二人の別離妄想SSです。
pixivにも投稿してます。
規則正しい寝息をたてつつ貴未が熟睡してる。
「コイツの間抜け面も見納めか」
むき出しの肩が寒々しい。そっと毛布を掛け直す。口の端には一筋涎の乾いたあと、夢の中で好物のメロンパンでも食ってやがるんだろうか、むにゃむにゃと何かを咀嚼するように口が伸び縮みする。
ベッド脇のガラステーブルの上に書置きと缶コーヒーをのせる。ちゃんと貴未の好みに合わせた微糖だ。ブラックは苦くて飲めないとごねるもんだからわざわざ最寄りのコンビニで買ってきてやった奴だ。
俺はよくできた彼氏だと内心自賛する。
いや、「だったと思う」か。
さっさと身支度を整えて厚手のコートを羽織る。
忘れ物はないかこざっぱり片付いた部屋を見回し一つ一つ確認、あちこちに転がる思い出の痕跡は見ないふりをする。たとえば誕生日に俺が贈ったサボテンの鉢植えとか夏祭りの射的でとってやったブサイクなブタの貯金箱とか、そんな子供騙しの思い出一つ一つを貴未は大事に飾ってる。
最近は半同棲に近い生活をしてたから必然二人分物が増えた。
可愛らしいデザインのチェストや棚の中段やサイドテーブルに枕元、至る所に俺と貴未の思い出がカタチとして残ってる。窓辺に置かれたミニチュアサボテンは実の所100均で買ったモノ。
付き合いたての頃はまだ貴未を非常食としてしか見てなかったから、誕生日プレゼントも適当に間に合わせた。でも貴未はひどく感激し、「ありがとうニシキくん」と顔を輝かせて礼を言った。サボテンに頬擦りしそうな勢いだったからつい「やめとけ刺さるぞ」と言っちまったが、のちに名前をつけて可愛がってると聞いてさすがに引いた。
『名前?二シニシくんだよ』
『はあ?なんだそりゃ。ってまさか』
『だってこの子ニシキくんに似てるんだもん、ツンツンしたとこや細くてシュッとしてるとこが。でも手がかからないいい子だよ、水やりも三日に一度でいいし』
サボテンに彼氏の名前をつけるなんざどうかしてる。
こいつはおめでたいを通り越しただの馬鹿じゃねえかとかなり真剣に思う。
窓際に歩み寄り、プラスチックの鉢植えに植わったサボテンにおもむろに手を翳す。
「!—痛って、」
サボテンの表面の棘が指の腹を突き刺し、疼痛が走る。
なにやってんだか。
指の腹に浮かんだ血の滴を吸い、自分でも理解不能な行動にあきれる。
こんなに棘だらけじゃなでられやしねえ。いくら愛情をかけたって棘で刺し返されるだけだってのに、まったく物好きで世話焼きな女。
だから俺は
「……花にすりゃよかったな」
すぐ枯れちまうけど、それでも。
花なら来年にまた咲く。
手をかけて育てれば、毎年繰り返し咲く。
親指の刺し傷をズボンの横で拭い、サボテンを一瞥して身を翻す。
貴未が目を覚まさぬよう極力物音をたてず部屋を横切り、玄関から外にでる。
かじかむ手でコートのポケットを手探りしっかりと施錠、カチリと金属音が鳴る。
ドアの横に設置された郵便受けに合鍵を放り込めば、アルミの底に落ちて音をたてる。
あっけねえ。
「ハイ終了っと」
景気づけるように呟くも、台詞のうそ寒さにかえって虚しくなる。
用は済んだ。
ドアに背中を向けて階段を下りる。
時刻は深夜、アパートの住民は寝静まっているのか物音一つ聞こえてこない。
常夜灯が等間隔に建つ路上に降り立ち、ポケットに両手を突っ込んで歩きだす。
時間帯のせいあってか車一台人っ子一人白鳩一匹いやしねえ。頭を冷やして帰るにゃ好都合だ。
帰る?
反射的に浮かんだその言葉に、唇が皮肉に歪むのをおさえきれない。
「どこに帰りゃいいんだよ」
アパートは既に引き払い済みだ。行く先は決めてねえが、二・三日中にこの街をでることになるだろう。
心残りはない、はずだ。最後に最高の女を抱いた。別れは済ませた。俺にしちゃ上出来の、これ以上ない終わり方だ。
そうだろうアネキ。
そうだろうカネキ。
貴未は俺にはもったいないようなイイ女だ。
あんないい女世界中さがしたって他にいねえ。
だから
「……わかってっから」
こうするのが正解なんだきっと。
自分に言い聞かせるように呟き、ポケットの中で強く手を握りこむ。
あんなイイ女最後に抱かなきゃもったいねえ。
あの時、ビルの屋上で俺は言った。かっこつけて強がってそう言った。かっこ悪ィ虚勢だ。本当はこのザマだ。
息を吸って吐く、たったそれだけの行為が身を引き裂く苦痛を強いる。
大事にするって、生かす事だろ。
ずっと生きていて欲しいと、生きて幸せになってほしいと願うことだろ。
それには俺の存在が一番の邪魔、最大の障害だ。
俺はサボテンの棘だ。
あいつからもらった優しさに、棘しか返せねえ。
『悪い豆は摘まなきゃ』
『ほうっておくとまわりを腐らせる』
あんていくを守るために離れたカネキの気持ちが、今は少しだけわかる。
「……お前すげえよ、カネキ」
だからって腹が立つことには変わりねえけどよ。
俺だって時々わからなくなる。
喰種の存在はこの世界から取り除かなきゃいけねえ悪い豆なのか。
俺は俺を不良品だなんて思わねえけど、姉貴を殺したクソ鳩どもにむざむざ摘み取られてやる気はねえけど。
貴未の肩口に残る醜い傷。
おそらくは一生消えねえ俺が噛みついた痕。
「…………」
飢餓に狂ってまた自分を見失わないと断言できるか?
その時あいつがそばにいたら、食い殺さないと言いきれるか。
瞼の裏に眼帯で片目を隠したクソみたいなお人好しの顔が浮かぶ。分量を間違えて珈琲を溢れさせた時や万年ヒステリーのトーカに怒鳴られた時によく見せていた困った笑顔。
平和ボケした面の裏っかわで、カネキはずっとこんな恐怖と戦っていたのか。
自分が自分でなくなってく恐怖に耐えていたのか。
俺の口の中には貴未の血肉の味が残ってる。反芻すれば自然と唾液が溢れて物欲しげに喉が鳴る。
悔しいが、認めたくないが、これが現実だ。
貴未を恋人として愛する理性とは裏腹に、食種としての本能はあいつを極上の肉として認識している。
ああ、自分の事ばっかだな、俺。
こうしてる今も芳村の爺さんたちは死闘に身を投じてるってのに。
爺さんたちは大事なものを守るため、戦う事を選んだ。
俺は大事なものを守るため、逃げる事を選んだ。
卑怯者。臆病者。へタレ。なんとでも言え。好きに罵れ。
芳村の爺さんの好意を足蹴にする気はねえ、それこそ最悪の裏切りだ。
俺は逃げる。
白鳩どもと真正面から殺り合うなんざ冗談じゃねえ、勝算は限りなく低い。
『気持ちは嬉しいが逃げたまえニシキ君』
『はっきり言おうか……足手まといなんだよ』
非情に徹した言葉の裏に潜む痛みに気付かねえほど鈍感じゃねえ。
爺さんの「守りたいモノ」の中に俺自身も含まれてると気付いちまったから、もうそれ以上何も言えなかった。
これからどこへ行こう。どこへ帰ろう。
底冷えするような夜の底、常夜灯に仄青く明るむ空を見上げて立ち尽くす。
ふと頬に冷たい一片が触れる。
「………雪か」
空から音もなく舞い落ちてくる粉雪が頬に付着、体温で瞬く間に溶かされていく。
街灯に照らされ夜空から降り注ぐ粉雪に暫く見とれていたら、背中に靴音と声が被さる。
―「ニシキくん!」―
……ああ、そりゃこうなるよな。
「……どうして何も言わず行っちゃうの」
「よく寝てたから起こさずに帰ろうかと思ってさ」
「嘘。ニシキくん、へん。今日ずっと……ううん、最近ずっと。何か隠してるでしょ」
「隠してねえよ」
「うそ」
「なんだよ、浮気でも疑ってんのか。うっぜえ」
意地悪く茶化して笑い話にしようとするも、背後に押しかけた女はそれを許さない。
俺の背中に一歩詰め寄り、おずおずと呟く。
「……なにかあったの」
「なんにも」
「あんていくで」
「………」
「………帰ってくるよね。このままいなくなっちゃったりしないよね」
忘れていた。
こいつは孤独に敏感にできていた。
布団のぬくもりが消えたなら目を覚まして追いかけてこないはずがないのだ。
「どうして何も言ってくれないの?」
「………」
「ね、うち帰ろ。こんな所で立ち話もなんだし……体冷えちゃうでしょ。珈琲淹れるから。それにほら、レポートはどうするの。締め切り明後日だって、これじゃ間に合わないって、ゼミの教授がおっかねえってニシキくん言ってたでしょ。あと五千字だっけ?いやだよ彼氏が落第しちゃうなんて、私ニシキくんの先輩になっちゃうじゃん。あ、そしたらニシキ君私のこと西野先輩って呼ぶのかな?へんなの。でもちょっといいかも、なんて……」
「貴未お前」
「そういえばさ、テーブルの上の缶コーヒーニシキくんが?どうしたの、いつもあんなことしないじゃん。らしくないよ。全然らしくない。おかしいの。水くさい。起こしてくれればよかったのに。起こしてくれたら二人分淹れたのに。私珈琲淹れるの下手かな?そりゃ喫茶店で働いてるニシキくんからしたら物足りないかもしれないけど、これでも勉強してるんだよ。彼氏より珈琲淹れるのへたくそなんてかっこ悪いじゃん、だから」
「書き置き読んだろ」
「私!!」
貴未が絶叫する。
俺が聞いた事ない哀しい声で。
「……いやだ……」
こんなの、いやだ。
「マグカップどうするの。ペアで買った」
「捨てろよ。どうせ安物だろ」
「やだよ、気に入ってるもの。コーヒー豆だって未開封のが沢山残ってるのに。ニシキくんがアレじゃなきゃいやってわがまま言うから、わざわざ喫茶店で買ったのに。アレもコレも全部ニシキくんとセットなのに。私の部屋ニシキくんだらけだよ、お母さんやお父さん弟が死んでからからっぽでなんにもなかったのにいつのまにかモノが増えて散らかって、ぜんぶぜんぶニシキくんのせいだよ!思い出がちらかって足の踏み場もないよ、何見たってニシキくん思い出しちゃうよ、責任とってよ!!」
とうとう堪えきれずしゃくりあげる、今まで耐えに耐えぬいていた感情の堰が脆くも決壊し大粒の涙がこぼれ落ちる、子供みたいに顔をくしゃくしゃにして泣きだす貴未に舌打ちして歩み寄る。
「二、ニシキくん、なんにも話してくれなくて……食種の事とか、お店の裏側とか、私を巻きこみたくないからだってわかってるけどもう一回巻き込まれてるんだよ!?今さらなによ、もう無理だよ嫌いになれないよ手遅れだよ、嫌いになれるものならとっくにそうしてるこんなどうしようもなくなる前に引き返してる、口が悪くてイヤミで偏食でデザインパーマでコーヒー臭くてしょっちゅう私の事馬鹿にしてっ、でも一緒にいてくれた、いい名前だって褒めてくれた、お揃いのバングルくれた、サボテンだってくれた、いろんなものいっぱいくれたっ……」
ヒステリックに泣き喚く貴未はよほど急いでいたのだろう、薄手の部屋着の上に一枚コートを羽織っただけの寒々しい格好でおまけに靴の踵を踏んづけている。
風邪ひくぞ、馬鹿。そう叱りたいのを堪えてそっけなく突き放す。
「クソうぜえ」
「うざくていいよ」
「しつけえ女は嫌いだ」
「……嫌いでいいよ」
貴未が涙と洟水でぐちゃぐちゃに歪んだ顔をキッと上げ、俺を睨みつける。
―「責任とってよクソニシキ!」―
そう呼ばれるのはトーカに続いて二人目だ。
腹部に衝撃。貴未が俺の懐に飛び込んでくる。
片方の脚から靴がすっぽぬけて転々と跳ねるのもよそに、体当たりするように縋りつく。
「……嫌いでいいから一緒にいて。いなくならないで」
今にも嗚咽に紛れてかき消えそうな声で懇願し、俺の服に顔を埋める。
「……口悪ィ」
「ニシキくんのが伝染ったの」
「俺のせいか」
「うん。そう」
「……クソ同士お似合いかもな」
カネキと貴未はよく似ている。
クソみてえなお人好しなところが、いやになるくらい似ている。
背中に回された華奢な細腕の切実さが胸に熱を灯す。
貴未の体に腕を回し、強く強く抱き締める。
俺が噛みついた傷痕が穿たれた肩のあたりに顔をこすりつけ、服越しのキスをして誓う。
「とるよ。責任」
でも、それは今はじゃねえ。
こいつを守るにはもっと強くならなきゃいけねえ。
爺さんのように。カネキのように。
こいつを生かす為に今俺ができるのは、離れる事だけだ。
こいつの貴い未来を守るために、今俺ができるたったひとつの冴えたやりかた。
「……どうしても行くの」
「……あんていくの爺さんたちが体張ってくれてんだ。店長命令は聞かねーとだろ」
「義理堅いね」
「あの店でホントに働くのも悪くねーかなって思ってた」
今となっちゃ叶わぬ夢。
姉貴が死んでからずっと一人で生きてきた。
誰も信じず、誰にも信じられず。
気を許せる仲間ができたのは初めてだった。
クソみてえなお人好しが集う店。
ごっこでも、まんざらじゃなかった。
「……そしたら私より珈琲淹れるのうまくなっちゃうね」
「次会う時までに練習しとけよ」
「…………」
俺にしがみついたまま、返事の代わりにこくんと頷く。
ちらつく粉雪が貴未と俺を白く染めていく。
しゃくりあげる貴未の髪をやさしくなで、きっとあんていくの面々も見ているだろう同じ空を仰いで呟く。
「サボテン枯らすなよ」
サボテンにも、いつか花が咲く。
俺はそう信じたい。