灼と入江と雛河の三人が、廃棄区画での仕事帰りにラーメンを食べます。
店は三話に出てきたあそこです。
灼と入江が愛をこめておどおど雛河をいじってます。ほのぼの風味。
入江が雛河を「先輩」って呼ぶの萌えます。
pixivにも投稿してます。
雛河翔は人間が苦手である。
ホロ画像に代表される三次元ならギリギリセーフだが生身は完全にアウト。
彼が苦手とする対象は人間全般に広がる。
老若男女問わず、動いて喋る他人は生理的に腰が引ける。
もともと根暗な性格の彼は仕事の過労と人間関係のストレスからドラッグに手を出し、やがてバイヤーを兼業し、顧客の死をきっかけに潜在犯堕ちした。
そんな自分に何故か執行官敵性が出た時は、まず真っ先に悪い冗談を疑った。
執行官といえば、シビュラ社会に楯突く叛逆者をドミネーターで狩り立てる冷酷無比な猟犬どもだ。いずれ劣らぬ強面ぞろいで、全員が潜在犯である。そんな連中と仕事をするなど最初は考えられなかった。
雛河は悲観的だ。
執行官デビューしても同僚と上手くやっていく自信はまったくなく、いじめの的にされるのが関の山と諦めていた。
が、背に腹は変えられない。公安局の勧誘を断ったら、厚生施設に閉じ込められて長い余生を過ごすことになる。
対人関係のストレスに悩まされない施設の生活は、彼にとって理想郷にも思えたが、白く殺風景な牢獄の壁を見詰める日々は精神を病み、孤独感と疎外感でどうにかなりそうになる。
勘違いをしてはいけない。
雛河は人間が苦手なだけで、けっして嫌いではない。
自分が社会から忘れ去られ存在しないものにされる恐怖は、日増しに彼の精神を圧迫していった。
どちらが自分の人生にとってマシかよくよく考えれば、執行官として働く方に軍配が上がる。
悶々たる苦渋の選択を経て、公安局直属の執行官として採用された雛河は現在、後輩に廃棄区画を連れ回されていた。
「あ、あそこのラーメン屋うまいんスよ先輩。よってきません?」
「え?僕はちょっと……色相濁っちゃいそうだし……」
「かーっいちいち色相気にしてたら美味いメシ食えませんて!てゆーか俺ら潜在犯っしょ、もう色相関係ねえし好きなモン好きなだけ食っていいだろ」
「え、でも監視官がなんていうか……」
前髪からチラ見えする上目遣いでおどおど助けを求めるも、新しく来た監視官―雛河より若い―は、お気楽に笑って賛同する。
「ラーメン!いいですねえ、俺こないだのでハマっちゃって。いきましょうよ雛河さん、入江さんのおすすめ屋台すごいおいしいんですって、きっと気に入りますよ。ちょうど一仕事終えて小腹がすいた頃だし」
小腹にラーメンは重いだろうと反論が喉まで出かけるもぐっと飲み込む。
「よっしゃ監視官のOKでた!いこうぜ先輩、もー腹ぺこぺこだよー」
こちらは随分トウのたった後輩が、雛河の細首にがっちり片腕を回し、赤暖簾の店に大股に引きずっていく。「ぐえ」首が締まり苦しい。ギブギブと腕を叩いて外してくれとお願いするも、「ラーメンラーメン」とへたくそな鼻歌を口ずさんでご機嫌な入江はまったく意に介さない。
「仲いいなあふたりとも」
監視官はそんな執行官のじゃれあいを笑って見ているだけで、まったく頼りにならない。
天然というか、ちょっとズレてるのだ慎導灼監視官は。
同時に着任した炯・ミハイル・イグナトフ監視官もそうだが、執行官と接するのに臆さない監視官は珍しい。
色相の濁りを気にしないのだろうか?もしくは、この程度で色相は濁らないと自負してるのか……強靭なメンタルに憧れと羨望を抱く。
「はあ……」
メンタルが強靭という意味では入江も同類、転んでもただでは起きない上殺しても死なないタイプだ。厄介なことに。
顎にちょび髭を生やした粗野な風貌にスーツを着崩して、見た目ではどちらが先輩か判断できない。
「きたぜ親父ー」
「ようきたか一途、好きなとこ座りな」
「んじゃ遠慮なく」
暖簾をかきわけて手狭な店内に入った瞬間、湯気に乗じたスープの匂いが広がる。カウンターの向こうは厨房になっており、火にかけられた寸胴の中で麺が踊っている。
ねじり鉢巻きに白衣の店主が、皺ばんだ顔に陽気な笑みを浮かべて入江を迎え入れる。二人は昔馴染みと見え、軽口をまじえ気さくに挨拶をかわす。
「遠慮しねーで座れよ先輩。汚ェ店だが味は保証付きだ」
「汚ねェは余計だ追い出すぞ」
「は、はァ……それじゃあ」
「ラーメンラーメン」
入江の鼻歌が伝染ったのか、灼が楽しそうに呟いてカウンターのスツールに座る。同じくスツールを引く入江に促され、雛河はちょこんと膝をそろえて腰掛ける。
長い前髪に隠れた陰気な目で、おっかなびっくり店内を見回す。
色褪せた壁には短冊形の献立が貼られ、テーブル席には割箸立てと爪楊枝を入れた小瓶。油染みたカウンターの向こうはすぐ厨房になっていて、寸胴の中でグツグツ鶏ガラが煮込まれている。
頑固そうな顔付きの店主がザルでこまめに灰汁をすくい、菜箸であざやかに麺をほぐす。見事な職人芸だ。
店内には他にちらほら客がいて、明らかに場違いなスーツ姿の三人組を遠巻きに眺めている。
「なんだアイツら」
「外の人間か?」
「しゃらくせえスーツでめかしこみやがってよ……」
居心地が悪い。
入江と灼に至っては、友好的とはとてもいいがたい周囲の眼差しと陰口などまったく気にせず、さっさとメニューを注文している。
「俺はモヤシラーメン」
「またァ?ほんと好きだな、せっかくだから違うの頼めよ」
「え~~いいじゃないですかおいしいんだから。そういう入江さんは?」
「ガツンと味玉チャーシュー麺大盛り、ニンニク増し増しで」
「ヒューッ食べますねえ」
「先輩は?」
「ひぇっ?えっ、僕はその……」
どうしよう。
上司と後輩に挟まれ雛河は困惑する。
自慢じゃないが、ラーメン屋にくるのは初めてだ。
潜在犯堕ちする前はオートメーション化された固形食料を食べていたし、執行犯になってからは刑事課エリアの食堂を利用していたが、廃棄区画のラーメン屋なんて彼には敷居が高すぎる。
「ンだよ、錠剤が主食の先輩は注文の仕方もわからねえってか?」
「す、すいません……」
大袈裟に渋面を作る入江に絡まれ、消え入りそうな声で謝罪する。「まあまあ」と灼が両手を挙げてとりなし、卒なく雛河をフォローする。
「なら俺とおそろいのモヤシラーメンにしましょうよ。おいしいですよモヤシ、栄養たっぷりで」
「モヤシ激推しかよ……」
「雛河さんほら、モヤシ好きそうな顔してるし」
「あー」
「あー」ってなんだ、「あー」って。納得された?
「……じゃあそれで。おねがいします」
「はーい。おじさん、こっちの撫で肩猫背の人にモヤシラーメン一丁」
「ほいきた」と店主が請け負って調理にとりかかる。
なんでこんなことに。
雛河は自分の不幸を呪い、油がしみたカウンターの木目を見詰める。
灼と入江は楽しそうに話している。
灼の着任初日はあんなに突っかかっていたのに、意気投合してるのが意外だ。ふと灼と目があい、びくりとする。
「雛河さんはラーメン食べるのはじめてなんですよね」
「……こういうお店では……」
「じゃあラーメンデビューだ、お祝いしないと」
「よかったな先輩、自慢できるぜ」
「自慢するひとがいません……」
「ラーメン食わねえなんて人生損してるぜ。ハイパーオーツの加工食品は味けねえ、やっぱずるずる啜ってなんぼだろ」
「入江さんは廃棄区画出身なんですよね」
「おおよ、ここは俺の庭みてえなもんだ。親父とももちろん顔見知り、この店にゃガキの頃から出入りしてる」
「常連さんかー。いいですねそういうの」
「この店のメニューなら目ェ瞑ってても全部言える」
灼が人懐こく笑って言い、入江がまんざらでもなさげに自慢する。店にたむろっていた不良時代に戻ったかのような、やんちゃな笑顔だ。
店主も当然彼が執行官になったのは知っているだろうが、他の客と分け隔てしない。
廃棄区画の住人と公安局の職員は仲が悪いのが伝統だが、ここで生まれ育った入江は特別な例外らしい。
もっとも、入江の人柄によるところも大きいのだろうが……
そんな人間、自分にはひとりもいない。
施設に閉じ込められているのがいやで誘いに乗ったが、雛河の社会復帰を外で待っててくれる人間などいないし、ましてや喜んでくれる人間などひとりもいない。家族にはとっくに縁を切られているし、恋人や友人も存在しない。
「どした?しんきくせーツラして」
「別に……」
なれなれしく覗き込んでくる入江から目をそらす。
「へいお待ち」
ほどなくラーメンがやってきた。赤い丼がカウンターにおかれ、「待ってました!」と灼が歓声を上げて割箸を割る。丼を引き寄せがてら口に割箸を挟んで器用に割る入江。雛河はどうしたらいいものかきょろきょろし、ふたりをまねて不器用に割箸に手をかける。
「ん……」
意外と固い。目を瞑り力をこめる。
バキッと嫌な音がし、割箸が斜めに断ち割れる。
「あ……」
切断面がささくれた割箸を呆然と見下ろす雛河に、入江が無神経に爆笑する。
「ちょ、不器用すぎだろ!ギャグでやってんスかそれ」
「雛河さん大丈夫、落ち着いて。こーやって細い方から、指先にゆっくりチカラをこめるのが上手くやるコツですよ」
身を乗り出した灼が、丁寧な手振りで教えてくれる。上司の励ましを受け深呼吸でもう一度挑戦、今度は成功。
乾いた音と共に割箸がキレイに割れ、達成感に酔った笑みが自然と浮かぶ。
「な、なんとかできました……」
「すごい!やった!」
灼が拍手で褒めてくれる。ちょっと嬉しい。
入江はもう飽きて豪快にラーメンを啜っている。灼も割箸で麺をたぐり、この上なく幸せそうに啜り始める。
雛河は居住まいを正し、緊張に強張った面持ちで箸を持ち直す。意を決して丼を向き合い、左手にもったレンゲに、ちょこちょこ麺モヤシを盛り付けていく。
それを見た灼が目をまるくする。
「わ、雛河さんミニラーメン作るの上手」
「そ、そうですか」
「ホントだ。職人芸だな」
「さすが元デザイナーですね、センスあります」
変な褒め方をされてしまった。普段持ち上げられることがないので、嬉しい。雛河は耳たぶまで赤くし、細心の注意を払ってレンゲに麺をよそっていく。一口サイズに取り分けたそれにふーふーと息をふきかけて冷まし、おそるおそる口に運ぶ。
しゃくりと小気味よい歯ごたえ。
瑞々しいモヤシの食感に驚くと同時、澄んだ醤油のスープと絡んだ細麺が主張して、その美味さに目を見開く。
おいしい。
雛河は黙々と箸を動かし続ける。彼の食べ方はハムスターによく似ていた。レンゲにちまちま麺と具をよそり、それを冷ましてからもぐもぐ頬張る。
先に食事を終えた入江はだらしなく頬杖を付き、灼は相変わらずにこにこしながら、ラーメンを夢中で食べる雛河を見守っている。
「ね?おいしいでしょ」
口の中に詰めたモノを慌てて飲み込み、うなずく。
「なんか餌付けしてるみてえだなあ」と入江が苦笑い、スープにひたったチャーシューを一枚、箸で摘まんで雛河の丼に移す。
「やるよ」
「え……」
「先輩食細いんだからちったァ栄養付けねえと。そんなひょろっこいナリじゃすぐやられちまうぜ」
兄貴肌の笑顔で勧める入江に対抗心を刺激されたか、「じゃあ俺も」と灼がモヤシを箸で摘まみ、雛河の麺の上にこんもりのっける。
「どうぞ食べてください。モヤシは栄養あるんですよ」
「…………」
上司と後輩から具をお裾分けされたおかげで、ラーメンが格段に豪華になった。
……その箸、あなた達が口の中に入れたヤツですよね?とは言えない空気だ。
雛河は「どうも」と顎先で頷き、二人からもらったチャーシューとモヤシを貧相な猫背で咀嚼する。そんな雛河を左右で見守る眼差しは優しく、ともするとここが自分の居場所だと勘違いしてしまいそうになる。
……お姉ちゃん。
最後の麺をレンゲにすくって啜りながら、懐かしいひとの顔を思い出す。
あの人にも食べさせてあげたかったなと心の片隅で惜しみ、澄んだ水面に浮かぶ幻と共にスープを飲み干す。
潜在犯になって失ったモノはたくさんある。
けれど、得たものもわずかながらある。
雛河が食べ終わるのを急かさずじらさず見届けてから、灼はきちんと両手をそろえて声を張る。
「ごちそうさまです」
雛河もそれにならい、「……です」とボソボソ呟く。声が小さすぎて前半は聞き取れない。入江は「ごっそさん」と雑に言って空のラーメン丼を返却し、三者三様のスタイルで感謝を表す。
雛河翔は人間が苦手である。
でも、彼らが嫌いなわけじゃないのだ。けっして。