原作:Fate/GrandOrder
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偶然彼の部屋を訪れたナーサリーライムとジキルは、いざラジオを視聴せんと輪になるも……
「音がでないわ……」
パラケルスス+ジキル+ナーサリーライムのほのぼの短編。
少し蒼銀ネタや前マスターの話を含ますがこれ単体でも読めます。
pixivにも投稿済み。
頼れる仲間と船に乗り、旅は始まり前途は多難。
先に待つのは希望の出会いか悪意の罠か。
それはともかくあちらの事情は興味津々。他人の秘密は蜜の味。
それでは、世界の裏側へご招待!
陽気な鼻歌を口ずさみながら、カルデアの廊下を小走りに駆ける少女。
ぱたぱたと妖精のように足音軽く、なびくみつあみはふんわりと。
フリルやレースを贅沢にあしらったゴシックドレスに身を包んだ銀髪の少女は、憮然とした膨れっ面で呟く。
「ジャックもアンデルセンもつれないのだから、せっかくお茶会に招待してあげたのに!でもいいわ、ジャックはまた迷子になってるのだろうし、アンデルセンはバッドエンドのお話しかしないのだもの。今日は一人で探検よ、スキップステップお散歩よ!いったいどんな出会いが待ち受けてるかしら、きのこに座って煙管をふかす芋虫さん、それとも首をはねたがる意地悪な女王様?ふふっ、どちらにせよたのしみだわ、とっても!」
カルデアの広く清潔な廊下はまるで病院みたい。
すれ違うサーヴァントのある者はにこやかに挨拶しある者は気さくに手を振りある者は微笑ましいものを見るように目を細める。
ナーサリーライムはそれにとびきり愛らしく微笑んで礼を返す。小さな淑女ならカーテシーでご挨拶すべきかもしれないけど、いそいでるものだから略式でごめんあせばせ。いずれまたお茶会でね。
ある扉の前を通過しようとした時、物騒な物音がした。何かガラスが割れる音……
なにかしら?思わず足を止めて様子を窺う。
ここはたしか……あの人のお部屋だわ。どうしたのかしら。巨大な扉の前に立って軽くノックをする。
「ねえパラケルスス、開けてちょうだいな」
舌足らずな甘ったるい声でおねだりする。しばらくするとドアがスライドし、長く艶やかな黒髪を腰まで伸ばした中性的な男が応対にでる。
ヴァン・ホーエンハイム・パラケルスス。生前は錬金術師および魔術師として名を馳せたサーヴァントだ。今世の魔術師たちが礼装として重んじるアソッド剣の始祖でもある。
パラケルススは少しばつが悪そうな顔で苦笑いする。
「すいません、驚かせてしまいましたね」
「いいの、そんなの。それよりなにをしていたの?突然大きな音がしてびっくりしちゃった、心配したのよ」
「ええ、実は……」
パラケルススがなんとも微妙な顔で室内を振り返る。
長身痩躯の彼の脇からその様子をのぞきこみ、ナーサリーライムは「あらあら」と口元に手をあてる。
床で試験管が割れて毒々しい謎の溶液が流れ出ていた。どうやら棚から落ちたらしい。
「パラケルススでも失敗するのね、新しい発見だわ」
「返す言葉もございません。少し移動させようとしただけなのですが……興味深い入手品に気を取られていたのでしょうね」
「入手品?」
「立ち話もなんですし中へどうぞ。お茶をお出しします」
「お菓子もあれば嬉しいのだけれど」
「ええ、それはもちろん。心優しい小さなレディにはミス・アントワネットにお裾分け頂いたマカロンをごちそうしますよ」
「やった!」
無邪気に手を叩いてはしゃぎ、「おじゃまします」と一応断ってからスキップ踏んで室内へ。パラケルススは試験管の破片を手早く片付けて少女を招じ入れる。パラケルススのマイルームに足を踏み入れたナーサリーライムは周囲を物珍しげに見回し、感嘆の吐息にのせて甲高い歓声をもらす。
「すごい……まるで[[rb:驚異の部屋 > ヴィンダーカンマー]]だわ!古今東西、神羅万象、万古不易の神秘の博覧展ね」
「お褒めに預かり光栄です。以前貴女と同じようなことを言って驚いていた子もいましたね」
「ふふ、その子もきっとびっくりしたでしょうね。あなたのお部屋ってフシギの詰まったビックリ箱だもの」
額縁に入った鉱石の標本に壁に掲げられた黒曜のナイフ、幻想種だろう異形の生物の骨格標本や剥製、複雑に入り組んだ真鍮の管と接続した硝子の瓶は特殊な溶液にひたされて不気味に泡立っている。その中を浮遊しているのはホムンクルスの幼生だろうか、粘土でできた胎児みたい。
ナーサリーライムにはもはや想像さえできない用途と目的の品々が混沌とあふれている。魔術師の工房と錬金術師の地下室が合体したらこんな感じだろうか?
ナーサリーライムは興味津々、無垢な目を好奇心に輝かせて、おそるおそる手近な標本をつついてみる。
「これはなあに?」
「ウィシュプーシュです」
「うぃしゅ……?」
「北アメリカ先住民、ワシントン州のネズ・パース民族の伝承に伝わるビーバーの魔物または怪物です。 漁を禁じ、湖へ人間がくると大きな鉤爪で釣り人をとらえて水底へ引きずり込んだそうです。偽物か本物か真贋は定かではありませんが、実に心惹かれる面白い造形だったので、学術的な好奇心はもとより蒐集癖が疼いてしまいました」
「すごい歯ね。噛みつかれたら痛そうだわ」
「ご安心ください、剥製は噛みつきませんよ。魔術で操れば別ですが」
反射的にとびのいて警戒するナーサリーライムに控えめな笑いをたてる。
「ひどいわ、からかったのね!」
「はい、いいえ……」
「どっち!?」
「これは失礼。あなたがあまりにかわいらしいもので、悪戯心がおきてしまいました」
不満げにむくれるナーサリーライムの目に、棚の試験管立ての横、どっしりと存在感をもって安置された機械仕掛けの箱がとびこんでくる。
ボタンがたくさん埋め込まれて、上部の端っこから銀に光る棒が伸びている。
棒の可動域は広く、右へ左へ自由に動かせるらしい。ためしにさわってみたら急角度で左へ倒れこんでびっくり。
最前の怒りもどこへやら、ナーサリーライムは四角い謎の箱に瞬きも忘れて見入る。
「これはなあに?」
「ラジオです」
「らじお?」
「電波や電気を介して広報や意思疎通を行う文明の利器、といえばいいでしょうか。現代では庶民のあいだにも広く普及した娯楽品ですよ」
「そうなのね、物知りだわ!初めて見るけれど……あなたが作ったの?」
「いえ、マスターにいただいたのです」
パラケルススは静かに首を振り、しなやかな歩みで棚へ歩み寄るや慈しむような手付きでラジオをなでる。
「マスターの部屋に呼ばれた際、膨大な本や遊び道具に埋もれて放置されているのを偶然見付けまして……私があんまり熱心に見ているものだから快く譲ってくださったのです」
お恥ずかしい限りです、と柔和な笑みを口元に添えたまま殊勝に俯く。伏し目に色気がある。
優婉な印象の細身の男……綺麗な人だわ、とナーサリーライムは認識を新たにする。けれどもパラケルススの美しさは鑑賞物のそれに近く。
額縁に飾って、または標本箱に閉じ込めていつまでも眺めていたくなる種類の美しさではあるけれど、あまりに整いすぎて人間味が感じられない。
彼のなにもかもが浮世離れして超俗的なのだ。もっともそれは自分にも言えることだけれど……
「マスターはやさしいのね」
「以前の聖杯戦争でも目にしたモノなので、無自覚の範疇で特別な執着があったのかもしれません」
「まあ、パラケルススにとっては前のマスターとの思い出の品なのね!」
にっこり笑ったナーサリーライムの無邪気すぎる発言に、パラケルススの伏し目に一瞬痛みが過ぎった気がしたが、三人目の人物の闖入によってその詮索は中断される。
「いるかいパラケルスス、先日借りた本を返しに来たんだけど……おやナーサリーライム、こんにちは。珍しい組み合わせだね」
「ジキル博士!」
開けっ放しのドアから顔を覗かせた眼鏡の青年はアサシンのサーヴァント、ヘンリー・ジキル。パラケルススとは以前どこかの聖杯戦争で共に召喚された仲だと風の噂で聞いたが、よくは知らない。ジキルとは図書館でよく会う。本棚の高い所の絵本に手が届かなくて難儀していたら、かわりにとってくれた優しい青年だ。特異点となった19世紀ロンドンにも同期していたのだが、ナーサリーライムはすぐ退場してしまったため、まだ生きていた頃の彼と接触する機会は終ぞなかった。
「知らなかったわ、ジキル博士とパラケルススがお茶飲み友達だったなんて。ふたりは仲良しなのね」
「はは、仲良し……なのかな?」
「そこを疑問形にされると私としても少し傷付くのですが」
「日頃の行いだね。うん」
「特に否定も訂正もなさらないあたり我が身の不徳を感じ入るところです」
「カルデアでは比較的よく話す間柄だよ。彼は偉大な錬金術師にして魔術師で、弟子に三流と酷評された人格はさておき生前成した功績は純粋に尊敬している。ナーサリーの目に僕らが仲良しに見えたならきっとそうなんだろうね、子供の夢を壊しちゃいけない」
「前々から思っていましたがジキル、貴方は些か私に手厳しい言いますか含みがあると言いますか穏やかな顔をしてトゲだらけの毒舌で鞭打ちますね……こちらとしても心当たりがありすぎるので甘んじて受けますが」
「自覚があるのは結構なことさ。反省だけじゃなく行いも改めてほしいけれど……」
「パラケルススはいいひとだわ、バレンタインでも協力してくれたし。今だって珍しいステキなものをいっぱい見せてくれるもの」
「ほら、ナーサリーライムもこうおっしゃっていますし」
「ん?これは……」
ジキルの目が棚の上の箱にとまる。途端に眼鏡の奥の目がきらきらする。
「ラジオじゃないか!無線通信により音声を送受信する技術ならびに無線を利用した放送無線電話および、それを受信する受信機!レディオともレイディオとも呼称される!回路方式や受信周波数による分類だともっと細分化されるけど、これはごくごく一般的なトランジスタタイプみたいだね」
「おや、お詳しいですね?」
「ああ、ちょっとね……前のマスターのところにあったのさ。視聴したこともあるよ」
「……今なんと?」
「だから視聴を……寝る前に前のマスターと並んで、ラジオのFM放送を聞いたんだ。91年当時の東京の都市伝説を扱う番組だった。DJなる人物の軽快で饒舌な喋りが面白くてね……」
「貴方はラジオを聞いたことがあると?その耳で実際に?」
「なぜそこにこだわるんだい」
「いえ……私はこの目で見て、少しばかり触れただけなので……知識欲を優先して愛し子の眠りを妨げるわけにはまいりませんし」
なんだかショックを受けてるらしいパラケルスス。胸を押さえてうなだれていたが、再び顔を上げると無難に取り繕った微笑みをジキルに投げる。
「それにしてもジキルがラジオをご存じだったとは奇遇ですね。当時の世情ではどの家庭にもある、特段珍しくもないモノとはいえ……運命とでも申しましょうか」
「そう……だね。新しい知識や機器の使い方、お互い前のマスターにはいろんなものを教えてもらった。かけがえのないものを、かぞえきれないほどたくさん」
ふたりともなぜかしんみりする。前のマスターの話にふれるとよくこんな顔をする。よっぽど以前のマスターに愛着があるのだろうと、ラジオの前に立ち尽くし追憶するジキルとパラケルススを見比べナーサリーライムは分析する。
一抹の痛みをたたえた優しいまなざし……ありすのことを思い出してきゅっと胸が締め付けられる。
眼鏡の弦をせわしなく上げ下げ、そわそわと落ち着かない様子でジキルが提案する。
「音はでるのかい?さっそく聞いてみよう」
「ふふ、よろしいでしょう。ナーサリーライムも近くにおいでなさい」
「爆発したりしないかしら?」
「自爆装置は備わってませんのでご安心ください。これはボタンを押すだけで素敵な音楽や楽しいお喋りを流してくれる機械です」
「すてきな音楽!たのしいおしゃべり!それってすてきね、とっても!蓄音機みたいなものかしら」
「蓄音機の進化形にあたりましょうか」
「お茶会には背景音楽が必要だものね。マリー・アントワネットにはアマデウスがいるけれど、私もバイオリンを弾いてくれる殿方がほしかったの。いえ、この子の性別はわからないけれど……いじわるしないではやく聞かせてちょうだい!」
「御意に」
ジキルと並んで目をきらきらさせるナーサリーライム。胸の前で手を組んで早く早くと急かす幼女の懇願に、まんざらでもない笑みを浮かべ、もったいぶってラジオに手をのばす。
電源ボタンを押す。
かち。
押す。
かちかち。
連打する。反応なし。不自然な沈黙に限界まで高まった期待が急激に萎んでいく。
「……鳴らないのかい?」
「そんなはずは……」
「壊れてるのかしら」
「見た目は異常ないから内部の故障かな」
「マスターはなにか言ってた?」
「いえ、特には……操作方法に間違いはないはずなのにおかしいですね」
ラジオを持ち上げてためつすがめつするパラケルスス。今度はジキルに交代、おなじようにラジオをかざし上から下から検分する。最後はナーサリーライム、両手で受け取ったラジオをどうしたものかと困惑、胸にだっこしてしゃかしゃか縦に振ってみる。順番にラジオを回してからうーんと全員そろって首をかしげる。
「ひらめいた、マスターかドクターに修理をお願いしたらどうかしら?ひとの発明品ならひとの方がくわしいでしょうし」
「いえ、レイシフトや任務で忙しいマスターの手をこれ以上おかけするのは心苦しい。譲られた以上これは私個人の問題です」
「ドクターはお医者さんでしょう?きっとラジオもなおせるはずよ!」
「うーん、霊基や人体を診るのとラジオの修理はまた別かな……医学と工学をごっちゃにするようなものだよ。どちらかというとテスラ博士の専門分野じゃないかい」
「彼は今どこに?」
「さっき談話室で直流の情熱と交流の団結力をジャック・ザ・リッパ―に説いていたけど」
「ジャックは彼に捕まっていたのね……」
落っことしそうと懸念したのか、ナーサリーライムの手からラジオを借り受けたジキルが顔を引き締める。
「分解したらどうだい」
「「え?」」
「中を見てみなきゃ異常の有無もわからないし……これでも19世紀ロンドンでは黎明期の無線通信になれしたしんだ、僕自身は無力な魔術師崩れの人間でしかなかったけれど碩学として培った知恵と技術で少しは役に立てたと自負している。何事もまずは自分の目で見て確かめなきゃ先へは進めない、君ならわかるだろうヴァン・ホーエンハイム・パラケルスス?」
「ジキル……」
「もちろん責任をもって組み立て直すから安心してほしい」
パラケルススが感動している。ジキルがこんなに滔々と力強く話すの自体珍しい。ナーサリーライムはちょっぴり気圧されるも、ラジオを分解して中を見る提案自体には大層乗り気だ。
「ビックリ箱の中身を暴くみたいですてきだわ!なかにはなにが詰まってるのかしら?カタツムリに子犬のしっぽ、それともお砂糖ときれいなものたくさん?博士の言うことに賛成よ、自分の目でたしかめてみなきゃなぞなぞの結末はわからないものね」
「やれやれ、多数決では不利ですね」
一応私の所持品なのですがと付け加えるも、パラケルススはけっして拒んでない。知識欲と好奇心には抗えないようできてるのが学究の徒のカルマだ。
というか、ジキルもパラケルススもさっき以上に目がきらきらしてるのはなぜだろう。ふたりとも本当はラジオの中身が気になって気になってしょうがなかったのかしら?そんなに解体したいだなんてジャック・ザ・リッパ―の仲間だわ。殿方はいくつになっても大きな子どもみたなところがあるけれど……
「そこがかわいいのよね」
「何か言いましたナーサリーライム?」
「なんでもない!」
「ではさっそく……」
「待って、工具箱を借りてくる」
「お待ちください、工具箱ならそこに……」
「そこってどこだい?」
「ユニコーンの頭蓋骨の隣、本棚の奥に」
「あったあった。もう少し整理整頓しなよ」
「研究に熱中してるとかってに散らかってしまうのですよね……ホムンクルスたちに定期的に掃除させているのですが」
「気持ちはわかるけれどこんな状態じゃ本に埋もれて圧死する日も近い。碩学の観点から言えば本望な死に方だけど……いや、もう死んでるか」
「今のサーヴァントジョークですか?」
気心知れたやりとりを挟みながらジキルが工具箱を持ってくる。ふたを開けてドライバーやハンマー、錐をとりだし、パラケルススと手分けしてラジオの分解にかかる。ナーサリーライムは二人の真ん中にちょこんとお座りして作業を見守る。
「ここをこうして……と」
「このネジを回せばいいんだね」
「蓋が開きました。なるほど、こうなっていたのですか……興味深い。様々な形状と大きさの金属部品が複雑かつ精密に組み合わさって幾何学の小宇宙を形成してます」
「慎重にねパラケルスス、ラジオはデリケートなんだ。レディを扱うようにやさしく繊細に扱うんだ」
「美沙夜……」
「うん……そうだね。前マスターの子女の顔を思い浮かべて、手厚く扱ってあげてくれ」
慣れない手付きでドライバーを握りしめ、ラジオを分解しながらひとりごちるパラケルススにジキルがちょっと引く。無理もない。身の危険を感じたナーサリーライムもちょっと距離をとる。トラウマでも抉られたのか、長い髪で顔の半分を隠しブツブツ呟きながらネジやゼンマイを外していくパラケルススをよそに、ジキルは器用にドライバーを操って複雑な形状の金属部品を取り外し検品していく。
「てなれているのね」
「東洋でいうところの昔とった杵柄さ。通信技術をかじったから、多少は心得がある」
はにかみをまじえた謙遜にナーサリーライムは拍手のまねをしてみせる。
「内部に異常は見当たりませんね」
「おかしいな……そんなはずはないんだけど。部品が紛失したりはしてないかい」
「特には……ところでジキル」
「なんだい」
「この惨状、本当に元通りに直せるんでしょうね?」
ラジオの解体をあらかた終えて、床一面の部品をさしてパラケルススが尋ねる。ふたを開かれ内部を暴かれた躯体の近く、ネジにゼンマイにバネになんだかよくわからない金属片が整然と並べられている。
「…………」
ジキルがだまりこむ。
「なんで黙るのです?」
「…………」
「怒らないから私の目を見てください、ヘンリー・ジキル?」
この上なくやさしい声音で呼びかけるパラケルススだが目元は笑ってない。彼から放たれる高密度の圧力に「ひっ」と悲鳴をもらし、ジキルの背に隠れるナーサリーライム。
「……すまない本当に。なんというか、僕の予想をはるかに超える複雑な内部機構で……最善は尽くすけれど、元通りにできる保証はない」
「なんと」
「僕が取得した博士号は薬学と医学と法学と民法学、工学は専門外だったんだ。力不足ですまない」
「博士を怒らないであげてパラケルスス、彼もがんばったのよ」
どんなお仕置きや叱責も甘んじて受けようと両手で顔を覆うジキルを、図書館で本をとってもらった借りのあるナーサリーライムは擁護する。
パラケルススはしばらく険しい顔でそんなふたりを見詰めていたが、ふっと表情をゆるめるや床におかれたネジを一本摘まんでひねくりまわす。
「……お気になさらず。形あるものはいつかは壊れるさだめ、それが今この時だったというだけの話」
「いいのかい?マスターからもらった大事なモノなのに」
「貴方がたが純粋な厚意と親切心から修理を申し出てくれたのは理解のうちです、すべてが終わってからそれをなじるのは野暮というもの。それに……正直に言うと、私も好奇心を抑えがたかったのですよ。過日あの子が教えてくれた音の出る箱の中身を暴いて、からくりの原理を余さず手中におさめて、すべてを知りたいと浅ましき身が望んでしまったのです。そこにどんな神秘と未知が秘められているのか、魔術や魔法に依らず人の叡智のみでいかほどの神秘を再現できたのか……貴方ならわかるでしょうヘンリー・ジキル」
「……そうだね。僕たちはとんでもない欲深だ」
「知りたいとのぞむことは罪でしょうか」
大事なだれかを犠牲にしてもなにかを知りたいと思ってしまうのは、きっととても罪深いこと。
悲哀に磨き抜かれた琥珀の眼差しが、諦観の笑みを薄く湛えた唇がそう言っていた。
ばらばらになった部品を丁寧な手付きでかき集め、外殻だけとなったラジオをやさしくなでながら、パラケルススはかつて見捨てただれかに語りかける。
「これは罰です。我が身には黙殺こそふさわしい」
「ラジオを聞けなくていいのかい?」
「聞く資格がありませんので」
「わっ!?」
「きゃっ!?」
自らを断罪するよう傲然と言いきり、小声で呪文を唱える。パラケルススの人差し指の先に部屋を巡って旋風が収束、ジキルとナーサリーライムが顔を庇った腕をおろすと、そこには元通りになったラジオがおかれていた。
「……魔術って本当便利ね」
「君……僕の力を借りなくてもできるじゃないか直せるじゃないか!?」
「できないとは言ってません。ズルといえばズルなので公言するのが憚られただけです。これでもキャスタークラスのサーヴァントなので」
「もう一度ためしてみましょ、今度はなにか聞こえるかもしれないわ!」
しれっと言ってのけるパラケルススに怒るのも馬鹿らしくなって脱力するジキル、その顔に安堵の色が浮かぶ。ナーサリーライムはいそいそとラジオに這いよって、目に付いたボタンを適当に押してみる。カチカチカチ。スピーカーに片耳を密着、じっとそのまま……
「なにか聞こえるわ」
「「え?」」
「ザーザーって……砂嵐のような雨だれのような」
「ノイズかい?」
ジキルとパラケルススも押し合いへし合い耳を寄せてくる。ラジオを挟んで大の男が二人と幼女が一人、スピーカーに耳をくっ付けて息をひそめる情景はシュールだが、この部屋にはほかに人がいないので何の心配もない。たっぷり三分後、真剣な表情で重々しく口火を切ったのはジキルだ。眼鏡のブリッジを人さし指で押し上げ、言いにくそうに口を開く。
「……パラケルスス、僕は大変な間違いをしていた」
「眼鏡がどうされたのです?」
「眼鏡からはなれて。……カルデアは僻地の山岳にある、よって電波は圏外だ。奇跡的に届いたとしても、この世界においてカルデア以外の文明は滅び人類は絶滅してる」
「ということは」
「放送する人間がいないのに電波が繋がるはずない。仮に繋がったら交霊術を疑う心霊現象の一種だ」
ナーサリーライムが両手を口にあてる。パラケルススが無表情に固まる。形だけは完璧に、心なし前より新品に近く修復されたラジオを手にとり、パラケルススは哀しげに首を振る。
「聞こえないのが道理だったわけですね……私ともあろうものが迂闊でした」
「君が悪いわけじゃない、そう、少なくとも今回ばかりは……僕もたった今気付いた、完全に盲点だった。碩学失格のケアレスミスだ」
「カルデアは賑やかですし、人間もサーヴァントも普通に生活してるから忘れがちですが、外はすべて焼き尽くされた死の世界でした。最初から電波が届くはずがなかった……」
ジキルとパラケルススががっくりと肩を落とす。本格的に落ち込んでいる。レイシフト先で敵に手酷くやられたときだってこんなにへこまないのに……
ふたりに元気をだしてほしくて、ナーサリーライムは考える。考えて考えて、一生懸命考えて、彼女にできる精一杯のことをする。
ぽふん。
あたたかく小さな右手と左手が、子どもみたいに蹲って動かないふたりの頭を半分こずつなでる。
「よしよし」
「………ナーサリー?」
「あの……少々気恥ずかしいのですが……」
「がっかりしないで。すてきな音楽とおしゃべりが聴けないのは残念だけれど、世界を救えばこの子もまたおしゃべりしてくれるのでしょう?」
ピンクゴールドの髪と流れるような黒髪と。まるで母親のように慈愛に満ちた微笑を浮かべ、気恥ずかしげに目配せをかわすジキルとパラケルススの頭をなでながら、ナーサリーライムは可憐な唇を開いて囀り始める。
鐘が鳴る鳴る 陽気な鐘が
わたしたち陽気に 陽気に歌お
カランコロンと 楽しく愉快に
鐘のように 元気になろうね
足もとよちよち 中がらんどう
おつむをふりふり 紫の鼻
カランコロンと 楽しく愉快に
鐘のように 元気になろうね
わたしたちこうして 出会えてよかった
さよならしても また会おうね
カランコロンと 楽しく愉快に
鐘のように 元気になろうね
それは欧米の大衆に親しまれるマザーグース……欧州ではナーサリーライムと呼ばれる童謡。
澄んだソプラノの歌声を紡ぐあいだ、ナーサリーライムはずっと二人の頭に手をおいていた。てのひらから広がるぬくもりがしみて、甘い郷愁と罪の痛みを共に魔術師は目を閉じる。
「さよならしてもまた会おう、ですか」
「Merry are the Bells……陽気な鐘というの」
「僕も知ってる。子供の頃に唄ったよ」
元気を取り戻したジキルが笑みを向けてくるのに微笑み返し、ナーサリーライムは悪戯っぽく口の前に人さし指をたてる。
「この子がおしゃべりしだすまで私がかわりに唄ってあげる。お返しはおいしいお菓子で結構よ」
「そういえばお茶をごちそうする約束でしたね、すっかり失念してました。今用意しますので……貴方も飲んでいくでしょうジキル」
「お言葉に甘えようかな、作業に集中して喉が渇いたし」
いそいそと腰を上げお茶の支度をはじめるパラケルスス、白磁のティーポットに茶葉を調合するその素振りがなんだかひどく楽しげに弾んでいて、パラケルススの手伝いに立ったジキルを見送りながら、後ろ手を組んだナーサリーライムはひどく大人びた目で呟く。
「そう……さよならしてもまた会える。想いも電波とおなじ。カタチがなくても見えなくても、想い続けていれば届くのよ。きっと」
ねえありす。私のありす。
私の声は世界線をこえてあなたに届いてる?
私はありすが大好きよ。
ばらばらにされたラジオがなにもこたえてくれなくっても、手のひらから星屑みたいにキラキラ光る部品がこぼれおちても、そんなの関係なく大好きよ。
ジキルとパラケルススもきっとそう、みんなそう。前のマスターと成した経験はサーヴァントを形作る大事な一部となって生き続けて、たとえそのマスターがいなくなってもずっとずっと私たちの中で生き続ける。
耳をすませばきっと聴こえる。
空想ラジオから届く大好きなあなたの声が、陽気な鐘の如く頭の中で鳴り響く。
だから私は今日も元気にお返事する。
どこかにいるあなたを寂しがらせないように、どこかにいるあなたと絶対また会えると信じて。
「お茶が入ったよナーサリー」
「はあい!」
想いの電波にのって、願いの周波数が重なって、壊れたラジオの電池を詰め替えて。
おとぎ話の中の私の声が、世界の向こうに遠く隔てられたあなたに届くと信じて。