零ー月蝕の仮面ー 長四郎×耀SS
トゥルーエンド後のこうなったらいいなという妄想です。
亞夜子や朔夜もでます。

pixivにも掲載済み。

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零のエンドロール

月が満ち潮が満ちるように終焉がやってくる。

その刻はもうすぐやってくる。

長いあいだ待ち侘びた、彼岸の悲願が成就する刻。

それがどうしてこんなにも寂しいのだろう。答えはすぐにでた。愛する人が隣にいないからだ。

「姉さん」

胸の隙間を吹き抜ける寂寥をそのまま声にする。

ふとした拍子に母の手を放してしまった幼い迷子のように呟き、一抹の不安と憂いに揺れる瞳で心許なく辺りを見回す。

しかし凪いだ渚に求める面影は見当たらず、独り立ち尽くし途方に暮れるばかり。

此処はどこだ。僕は誰だ。

知っている、なのに知らない。

記憶がところどころ欠け落ちている。

波打ち際に建てた砂の城が潮にさらわれ輪郭をほろほろと崩していくように、僕を僕たらしめる記憶は一粒ずつ指の隙間から零れ落ちて、今はもう自分の名前どころか愛する人の名前すら思い出せない。

姉さんとは誰だ?

条件反射のように口にしてしまった言葉に疑問が募る。

僕の一番近くて遠い存在、だった気がするのだが……

裸足の足裏でさくさくと踏む砂の感触が心地よい。

そよとも風が吹かない浜辺に貝殻の中で醸されるような潮騒だけがこだまする。

逢いたい人がいる。引き裂かれた半身に等しい探し人がいる。劣化し褪色した記憶の中、その事だけを覚えている。

欲望というほどの生々しさもなく、時間に濾過された観念上の淡い恋慕。

あるいは忘却は慈悲か。覚えているには辛すぎる出来事を漂白してくれる。

でも、それでも。

どんなに辛くとも罪過がもたらす自責の痛みに苛まれても、彼の記憶はあの世に持っていくに値する事柄だった。

 

彼女、ではなく彼?

 

「……ああ、思い出してきた」

粗い無精ひげの手触り、ぶっきらぼうに低い声。ストイックに鍛え上げた体躯は無駄なく引き締まり、黒背広とシャツに包まれた厚い胸板の奥では熱い信念が脈打っている。

心臓が止まってもなお残像を駆り立てる信念、ひとつの目的にむかって邁進する強い意志が眩しかった。

いかなる欺瞞も偽善も断固として拒否し、妥協を許さず対象を追う眼差しに焦がれ狂った。

銃口が照準を絞るが如く、僕に焦点を結ぶ眼差しのひたむきさに武者震いにも似た高揚を幾度感じた事か。

 

すべて僕にはないものだから、とうの昔になくしてしまったものだから。

ただひとつの譲れない目的の為に捨てざるをえなかったものだから。

白状すれば、彼の存在に救われていた。

彼が強く正しく在るほど惨めになったとしても、彼の存在は僕が僕を保ち続ける上でかけがえないよすがとなった。

僕がとうの昔になくしてしまったものを未だ大事に持ち続ける彼に、形のない信念とやらに意固地なまでにこだわり続ける彼に、叶えられぬ願いと遂げられぬ理想を託して。

人はそれを憧憬や羨望とよぶ。

彼を彼たらしめる信念は刑事の執念、地のはてまでも犯人を追い詰め逮捕するという己への誓い。

それこそが挫折と失敗を繰り返し、患者を犠牲にしながら失意のどん底でもがき続けた僕に、自殺による贖罪という安易な逃避を許さずこの世に繋ぎとめていた。

 

霧島長四郎。

彼こそが僕の良心の代行者だった。

 

彼が僕を追い詰める程に想いは募った、渇望は加速した。

さらさらと砂が流れる。紺碧に光る月夜の海はひどく儚く美しい。

足の指の間をくすぐり流れていく砂を目で追えば、遥か先に立つ人影を見つける。

彼がいた。儚さと美しさ故に僕を狂わせた最愛の姉とは違う、一途な強さでもって僕を惹きつけてやまない男。

何故ここに?彼もまた地縛から解き放たれたのか。

 

「霧島」

 

震える唇で名を呼ぶ。瀕死の人間のようにか細い吐息を紡ぐ。

瀕死?滑稽な連想に自然と片頬が歪む。何が瀕死なものか、僕はもう死んでいるだろう。亡者が生者を騙るなど悪い冗談だ。

もっとも、いつまでたっても己の死に気付かず徘徊を続ける愚かな亡者もいる。

目の前の男もそうだ、死してなお廃墟と化した病院をずっと彷徨い続けた彼を幾度翻弄しただろう、謎めいた紙片を撒いて振り回しただろう、廃病院の探索を行う彼の前に姿をちらつかせ惑わした事だろう。

皮肉に歪んだ口許が和む。

あの鬼ごっこは楽しかった。僕の唯一の娯楽だった。

姉さんも亞夜子も。

すべてを喪ってしまった僕にとって、彼だけが唯一残された遊び相手………境遇を共にする同胞だった。

ああ……すべてを思い出した。

霧島長四郎。

彼だけが唯一、この最果ての島まで僕を追ってきてくれた。

霧島は裸の爪先を寄せては返す波に浸し、月下の影絵となって立ち尽くす。

その瞳は茫洋として動作はひどく緩慢だ。まるで魂が抜けてしまったかのように……

ああ、そうか。

霧島が緩やかに振り向いてこちらを見る。訝しげに細められた瞳に焦点が灯る。

さくさく、裸の足裏で小気味よく砂が鳴く。潮風が心地よく髪を嬲る。頭上に広がる夜空では深沈と月が輝く。

 

亡者と亡者の束の間の逢瀬が許された聖域。

彼岸が此岸に引き寄せられた特別な場所。

 

空と海が境をなくし、月が地上に梯子を架ける。

 

さく、さく。

吸い寄せられるように、引き寄せられるように、砂浜に点々と足跡をつけていく。

 

清浄な月光を禊のように全身に受け、ほんの数歩の距離を隔て因縁の仇敵と対峙し、両手をそろえて突きだす。

 

「手錠をだせ」

 

霧島が眉根を寄せる。わかりやすい困惑の表情。相変わらず感情が面にでやすい。馬鹿正直な百面相は刑事には向かないだろうに。

根が実直なのだこの男は、あきれるほどに。だからこそからかい甲斐があるのだが。

そうだ。

そんなどこまでも人間臭い彼だからこそ、鬼ごっこをくりかえしても退屈せずにすんだのだ。

追われて逃げて、逃げて追われて。

躱して逃げて、逃げて躱して。

何度裏切られても虚空に手をのべて。

 

この世のはてまでも地獄の底までも。

こいつなら必ず追ってきてくれると確信できた。

そしてついに、こんなところまできてしまった。ここが僕と彼の終焉の地、いつ終わるともしれない逃避行のはてに辿り着いた約束の地だ。

 

「どうした。待ち焦がれた男が目の前にいるのに逮捕しないのか、漸く追いつけたのに。俺はもうどこにも逃げるつもりはないぞ」

 

霧島の戸惑いが大きくなる。

困惑を浮かべた顔を凝視、破滅の衝動に似た笑いの発作に襲われて一歩詰め寄り糾弾する。

 

「少し見ない間に腑抜けたじゃないか、鬼刑事の気概はどこへやった。……ああ、もう刑事じゃないか、やめたんだったな。俺を捕まえるために警察をやめて、場末の私立探偵になって、わざわざこんな辺鄙な島くんだりまで追いかけてきて。まったく酔狂な男だ。笑えるじゃないか。結局お前の信念はなにひとつ実らず報われなかった、実に滑稽であっけない、駄作の喜劇のような幕切れだ。病院中、いや島中駆けずりまわった挙句に一体なにをした誰を救えた何を得た?なにもだ、なんにも!結局お前の手にはなにも残らず掴めやしなかった」

 

悲哀と憤激に胸が張り裂ける。

姉さんと亞夜子に患者、救えなかった人々の優しい面影が交互に去来して胸を締め上げる。

絶望に冷えた胸裏を過ぎっていく死者の葬列、僕の手から零れていった生命たち。

 

「俺もろとも屋上から落ちて心中する、それがお前の、いいや俺達の運命だったんだ!!」

 

吐血のような絶叫。

喀血のような悲鳴。

 

霧島を責める台詞は、そのまま僕の胸を抉る自責と自虐。

霧島への罵倒の建前を借りて己を断罪する。

 

不可避の。不可逆の。

生者の時間は残酷で、亡者の時間はいたずらに長すぎた。

禁断の零域が開放され、周囲の暗闇に無数の光点が灯る。

青白い月光の道に導かれ、蛍の如く群れ集い昇天していく魂。

ふと違和感を覚え、眼前の男に目を凝らす。霧島の躰の輪郭が光の粒子と化して淡く溶けだしている。

四肢の先から輝いて霧散し散り散りに吸い上げられていく。

ぬばたまの闇を背負い、幾千の光を纏って佇む霧島に素朴な感想が浮かぶ。

 

嗚呼、綺麗だ。

 

心の中で思わず呟き、ふいに泣きたくなる。

視界の軸がブレて歪み、眼球が熱く潤む。

 

「……だんまりはやめてなんとか言ったらどうなんだ」

「よく喋るんだな」

「お前が無口すぎる」

「もっとすかした奴だと思っていたが、安心した。そうやって泣き叫んでいるとちゃんと人間に見える」

 

霧島が苦笑いする。心外な言われように渋面を作るも抗弁する気はない、彼の指摘は事実だからだ。

さく、と砂を踏み間合いを詰める。

相手からの接近に体が強張る。僕の眼前で立ち止まり、無造作に顎をしゃくる。

 

「迎えが来たぞ」

和んだ瞳を追って視線を巡らす。

そして僕は見た。

青白く輝く月へと吸い込まれていく無数の魂、人の形をしたものもしてないものもこの島で死んだ命は皆巡り還っていく。

彼岸への通り道と化した巨大な月を背に、たおやかなシルエットが浮かんでいる。

白い入院着を着た妙齢の女性と赤いワンピースを纏った華奢な少女。

長く艶やかな黒髪をなびかせて、二人仲睦まじく寄り添ってこちらを見つめている。

 

目にした光景が信じられず、一歩二歩とよろけて呟く。裸足の指先が砂を掻き分ける。

「姉さん……亞夜子……?」

姉さんと亞夜子が、僕の愛した人と娘がいた。

綺麗に浄化された笑みを浮かべて、愕然と立ち尽くす僕を見守っている。

頬を熱い雫が伝う。一呼吸遅れ、それが涙だと気付く。

姉さんは微笑んでいた。慈愛に満ちた笑み。亞夜子もおかしそうに笑って母親の裾にじゃれつく。

まるでどこにでもいる普通の親子のように、

『耀』

『耀ちゃん』

交互に名前を呼ぶ。

 

 

ああ、

この光景を見れたなら死んでもいい。

今この瞬間に命が尽きてもいい。

 

 

そこまで考え、自分が既に亡者であることを何度目かにして思い出す。

僕の心を読んだように、霧島もまた吹っ切れた笑みで諭す。

 

「俺達はもう死んだ。だからどこへでも好きなところへ行ける」

「霧島……」

 

本当に、いいのか。

救われて、赦されていいのか。

僕の手は血に汚れている。この手に彼女たちを抱き締める資格があるのか。

 

疑念を宿した目で霧島に問いかければ、霧島は苦笑を深める。

 

「俺はお前を許さない。……だが、赦したがってる人を裁く権利もない」

俺もお前も死んだんだ、と付け加える。

「彼女たちはとっくにお前を許している。なら、お前がする事は一つだ」

 

ずっとこの時を待ちわびていた。

再び姉さんに触れられるなら、亞夜子を抱けるなら、他のなにも惜しくはなかった。

 

縺れる足で歩み寄り、よろけて小走りになり、砂に躓きながら懸命に駆ける。

幻か。いい、それでも構わない。必死に駆けながらもがくように手をのばす、精一杯伸ばした指先が姉さんの指と触れ合う、その瞬間脳裏をよぎる不安、僕に殺された人達はこの手をとることを許してくれるだろうか、僕が姉さんと一緒になる事を許してくれるだろうか?許されるわけがないと自答する、僕は数多の患者を実験台にして殺した冷酷非道なエゴイストだ、僕に脳をいじられて体を開かれて殺された犠牲者たちが僕の救済を喜ぶわけがない。

 

それでも、姉さんと亞夜子を見た瞬間に感情が決壊した。

もう二度と会う事はできないと諦めていた、うたかたと消えた叶わぬ夢が息を吹き返した。

 

僕は赦しなど望まない、地獄に落ちてもいい、だから。

 

虚空にさしのべた手に透ける手が重なる。

姉さんが僕の手をとり優しく導く。

浮遊感に包まれて足裏が地面を離れる、亞夜子がもう片方の手をとってさらに高みへと導く、亞夜子と姉さんに両手を握られて上昇していく。

 

『ごめんね、耀』

『耀ちゃんおそい。まちくたびれた』

 

二人口々に好き放題言ってくれる。

微笑みながら目を湿らす姉さん、不機嫌にむくれる亞夜子、ふたりに挟まれて宙を駆けのぼりながら振り向きざまに叫ぶ。

 

「霧島!!」

 

見上げる霧島と目が合う。

胸にこみ上げる様々な感情に過呼吸になりかけながら、漸く絞り出した言葉は……

 

「………鬼ごっこ、たのしかった」

自分でも驚きあきれるほど子供っぽい台詞。

亞夜子と姉さんに目配せし、霧島の方へと滑空する。僕の体も半ば光の粒子と化して溶けだしている。

裸足を波に洗われながら砂浜に立ち尽くす霧島、怪訝そうにこちらを仰ぐ顔へとつと手を差し伸べ、不精髭でざらつく頬を片手で包む。

「お前は手ごわかった」

「こっちの台詞だ」

「その上執念深い」

「負けるのは嫌いだからな」

「諦めるのが嫌いなんだろう」

ささやかだが大きな間違いを訂正すれば、図星を突かれたように憮然とだまりこむ。

どこまでも不器用で実直なこの男が愛しい。

彼がいたから僕は……

 

「最後に聞きたい。俺のした事は全部無駄だったのか」

「お前にはこの光景が無駄に見えるか」

 

穏やかに問い返され、凪いだ視線を追って天を見返る。

煌々と光り輝く青い月、その照り返しで紺碧に明るむ空と海、月へと還っていく夥しい魂たち、夜空に佇み僕達の対話を見守る最愛の女性たち……

僕には救えなかった人達も、最後には救われた。

憎しみも悲しみも取り除かれて、安らかに浄められた表情を浮かべている。

 

 

それが、答えだ。

この島を襲った悲劇が最後にもたらした希望。

 

 

いつのまにか傍らにきた亞夜子が甘えるように僕の裾を引っ張り、姉さんが僕の肩にやさしく手を添える。

亞夜子の頭をそっとなで、姉さんと微笑みを交わし、下界に立つ男を見る。

霧島の口許が不敵な弧を描き、精悍な双眸に強い意志が燃える。

「勝手に終わらせるんじゃない。どこへ逃げても必ずつかまえるからな」

鬼ごっこの継続を宣言し、銃口を模した人さし指を僕の胸につきつけ撃つまねをする。

勢いよく跳ね上がった人さし指から放たれた不可視の弾丸は、間違いなく僕の心臓を撃ち抜いて、痺れたような痛みの余韻を残す。

再び愛する人たちと巡り逢えた。鬼ごっこはまだ続く。今度はこの人達をつれて、どこまでも逃げる。

愛する家族を地獄へ道連れにする決断に躊躇すれば、腹部がくすぐったくもぞつく。

『耀ちゃんといっしょならどこでもいいよ』

亞夜子が僕の裾を両手でぎゅっと掴み、腹に額をこすりつける。姉さんも一つ頷き、体ごと霧島に向き直り深々と一礼する。

献身への謝意と不肖の弟が迷惑かけた詫びを伝える為、ゆっくりと丁寧に頭をさげてから、毅然と居直って微笑む。

 

霧島は眩げに目を細め、どこか面映ゆげに微笑する。

「お前の姉さんは肚が据わってる。地獄に付き合う覚悟はとっくにできてるとさ」

 

 

幸せ者だな、灰原。

 

 

ああそうだろう、僕ほどの幸せ者はそういないだろう。

 

 

月が満ちて道が敷かれる。

島中から吸い上げられた魂が幽玄な光の帯を曳いて零域へと還っていく。

姉さんと亞夜子に挟まれてもう一つの世界と繋がる月へと還りながら、先程の霧島をまねて人さし指を立て、地上に佇む彼の心臓へと弾丸を撃ちこむ。

このささやかな意趣返しを正々堂々と受けて立ち、僕が知る霧島長四郎は実に清々しく笑う。

 

 

今度の鬼ごっこはだれも犠牲にならなくていい。

これは僕と彼の子供じみた意地の張り合い、灰原耀と霧島長四郎がくりかえしてきた存在証明を補完する延長戦。

 

 

 

 

さあ、鬼ごっこのはじまりだ。

今度はちゃんと捕まえてくれよ、刑事さん。


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